何とか無事に、最寄り駅から事務所のある新宿駅まで乗り継ぐことができた。高層ビルが建ち並ぶオフィス街を、スマホを片手に進んでいく。
 するとホテルや銀行がある並びに、場違いに立派な和風の屋敷が立っていた。

「……どう見てもここだよな」

 地図アプリも、ここが目的地だと示している。
 屋敷をぐるりと囲む石塀を目で追ったが、どこまで続いているのか分からないくらいに広大だった。

 俺は門扉に掲げられた高級感のある木製の表札をじっと眺めた。

『榊原(さかきばら)陰陽師事務所』

 やっぱりここだ。
 緊張しながらインターホンを鳴らすと、中に入るようにすすめられる。
 門をくぐり、石畳の道を進むと新緑の眩い日本庭園が広がっていた。庭園には小さな池まであり、鮮やかな体色の鯉が悠々と泳いでいる。

 陰陽師ってそんなに儲かるのか? どんな悪いことをしたら、都心の一等地にこんなに立派な家屋を構えられるのだろう……。通された応接室には掛け軸があり、その前にはシノワズリの大きな飾り壺があった。

 異様にもふもふした高座椅子に腰かけて落ち着かない気持ちでいると、奥の部屋からすらりとした長身の人物が現れた。

 この間出会った男性――榊原朧だ。

 榊原は見るからに仕立てのよさそうなスーツを着ていた。そもそも陰陽師というのは、スーツ姿で働くんだろうか。
 最初榊原はよそいきの笑顔を作っていたけれど、俺を見た瞬間、それをあっさり解除した。

「なんや、この前のうるさい男か」
「うるさいって……」

 やっぱりここに来たのは間違いだったかもしれない。早速後悔しそうになる。

「ま、ええわ。あの状況やと、近々来ると思ってたしな」

 そう言ってから、榊原は向かいの席に座り、真剣な表情になる。あきらかに彼の雰囲気が変わったのに気づき、ハッとした。

「どんな相手やろうと、料金さえ払ってくれれば仕事の依頼はちゃんと受けるで。俺は代表の、榊原朧や」

 真っ白な肌。聡明な紫色の瞳。すっと通った鼻筋。薄い唇から聞こえる、穏やかな声。悔しいけれど、こうして改めて見ても、榊原は信じられないくらいに美しい。

「えっと……俺は志波明良、です。あなたは陰陽師なんですよね?」

「そうや。陰陽師って、何をするのか知っとるか?」

「えぇと……何だろ……悪霊退散、みたいなやつですか?」

 言ってから、我ながらアホっぽい回答だったなと思った。榊原は手慣れた様子で説明を始めた。

「そもそも日本には昔、『陰陽寮(おんみょうりょう)』っていう国家機関があったんや。暦や天体や占いの研究をしとったんやけど、そこで教えられとったんが陰陽道(おんみょうどう)っていう考え方や」

「陰陽道……」

「その陰陽道っていうんは、古代中国の自然哲学思想や陰陽五行(いんようごぎょう)思想、仏教なんかを取り入れて、日本独自の発展を遂げた学問や技術体系の一つや」

「ちょっと待って……こ、古代中国? 陰陽五行思想?」

 聞き慣れない単語がたくさん出てきたので、混乱してしまう。

「まぁ一言で説明するんも難しいんやけど、簡単に言うと、陰陽道は主に陰陽説と五行説っていう二つの思想が元になっとる。陰陽説は森羅万象(しんらばんしょう)、宇宙のすべてのものは陰と陽の対立する二つの気であり、すべての事象はこの気が作用することによって起こるって思想や。分かりやすいもんやと、夏と冬、男と女、火と水とかな」

「あぁ、陰(いん)と陽(よう)って、明るいものと暗いものですか」

「そうや。この二つは必ず対になって存在し、どちらか片方がなくなると成り立たへん。これが陰陽説や」