やがてサンシャインシティを越え、首都高速を隔てる大きな横断歩道を渡ると、だいぶ人通りがまばらになった。

 どこまで逃げても、霊はしつこくつきまとい、諦めようとする気配がない。
 足を止めず、池袋中央公園沿いの歩道に到着する頃には、へとへとになっていた。体力の限界を越えて走り続けているので、脇腹がズキズキと痛んだ。

気持ち悪い。吐きそうだ。足がもつれ、呼吸も荒く苦しくなるが、足を止めれば最後、きっと捕まってしまう。
 このまま幽霊に捕まったらどうなる? 死ぬ? 俺も幽霊の仲間になる?

「絶対嫌だ! どうすりゃいいんだよ!」
 
そう叫んで、背後を振り返った瞬間、驚きで息が止まりそうになった。

「……爺ちゃん!」

 俺を追いかけてくる霊たちの中に、見知った顔があったのだ。
 ――祖父だ。

 青い着流し。白髪。怒ったような、不機嫌そうな顔つき。
 どう見ても、それは祖父の姿だった。どうしてこんなところに?

 考えていたら動揺のあまり足がもつれ、その場に勢いよく転んでしまう。
 それと同時に胸ポケットから懐中時計が滑り落ちた。
「っつぅ……」
 俺は手を伸ばし、必死に時計を拾った。
 これは大切な父さんの形見だ。この時計だけは、絶対になくしてはいけない。
 時計を握りしめた時、俺の手の上に、しっとりと濡れた誰かの手が重なった。

 ハッとして顔を上げる。
 さっきの首なし女が、目の前にいた。
 首のない身体の隣には、女の顔が並んでいる。女は不気味な表情で、俺を覗き込んでにたりと笑う。間近で目が合い、全身にぞっと鳥(とり)肌(はだ)が立った。
 懐中時計をぎゅっと握りしめながら、後ずさろうとした。
 しかし女の身体は俺の上に馬乗りになり、首に手をかけ、ギリギリと締めつけてきた。
 耳まで裂けた口が、けたたましい歓声を上げる。

「ツカマエタ、ツカマエタ!」

 必死に抵抗するが、まったく歯が立たない。普通の女性なら、さすがに力で負けることはないと思うが、どれだけ抵抗しても、女の手から逃れることはできなかった。

「イッショニイコウ。イッショニイコウヨ」
「うわあああああ、嫌だ嫌だ嫌だ、絶対嫌だ! 誰か助けてくれ!」

 手の力はどんどん強くなっていき、まともに呼吸すらできなくなる。もうダメだ!俺、このまま死ぬのか?
 薄れる意識の中、そう思った瞬間だった。

 誰かが女に対して、鋭い声で叫んだ。

「六根清浄急急如律令(ろっこんしょうじょうきゅうきゅうにょりつりょう)」
 声が聞こえたのと同時に、女は悲鳴を上げながら姿を消し、全身がふっと軽くなった。
 助かった、のだろうか。

 俺はゲホゲホと咳払いしながら声の主を探し、視線を上げた。
 そして目の前にある人の顔を見て、思わず息を呑んだ。

 ――そこに立っていたのは、ものすごい美女だった。
 意識が朦朧としていたこともあって、一瞬天使か女神のように見えた。

 俺はこんなに綺麗な人を、かつて一度も見たことがない。
 抜けるような真っ白い肌に、すらりとした形のいい眉、通った鼻梁。

 どのパーツも美しかったが、特にその目が印象的だった。ほのかに暗くて深い、吸い込まれてしまいそうになる、宝石のような紫色の瞳。
 整いすぎた美貌は、いっそ恐ろしさを感じるほどだ。