俺は眠っている鈴芽を抱き抱え、裸足で窓から庭に出て、言われたとおりに物置の中に隠れた。
 灯りのない物置の中は暗く、湿っぽい匂いがした。周囲には祖父の集めている骨董品が並んでいる。家で何が起こっているのか、物置の中からはまるで分からない。

 俺は不安でいっぱいになりながら、温かくてやわらかい鈴芽をぎゅっと抱きしめる。床に腰を下ろし、じっと息をひそめていた。
 どのくらいの時間が経っただろう。数分のようにも、数時間のようにも感じた。

 やがて家から母の鋭い悲鳴が聞こえ、俺はハッとして立ち上がる。
 やはり何かが起こっているのだ。俺も、父と母を助けに行かないと!
 そう思って、外に出ようとした時だった。
 物置の外で、ジャリッと砂が擦れる音がした。

 誰かがこちらに歩いてきたのだ。
 よかった、母さんだ。

 そう思って入り口を開こうとした俺は、違和感に気づく。
 ――いや、母さんや父さんなら、真っ先に俺と鈴芽の名前を呼ぶのではないか?

 どうしてこちらに近づいてくる人間は、何も言わず、まるで息をひそめるように、静かにゆっくりと歩いているのだろう。

 外にいる人間は、獣のように荒々しい息を吐いていた。まるで暴れた後のようだ。
 物置の扉の隙間から、ほんの数センチだけ外の様子が見えた。

 まだ日は昇っておらず、空は暗く、月明かりしかない。
 月に照らされたその人物が見えた瞬間、俺は呼吸が止まりそうになる。

 物置の外に立っていたのは、数日前俺に声をかけた、あの老人だった。
 しかし老人の風貌は異様だった。目は夜叉のようにギラギラと血走って、身体は返り血で、真っ赤に染まっていた。

 俺の腕は恐怖でガタガタと震える。抱きしめていた腕に力がこもったからか、腕の中にいた鈴芽がふにゃあと泣き出してしまった。

『す、鈴芽……!』

 老人はにたりと背筋が凍るような笑みを浮かべると、物置の扉に手をかけ、ゆっくりと戸を開く。

『あぁ、ここにいたのか』

 そう言った老人の手には、べったりと血のついた包丁が握られていた。
 俺は目を見開いたまま、金縛りにあったように、身動きすることができない。
 老人は、俺と鈴芽にゆっくりとにじり寄ってくる。
 そして男は俺の首をつかみ、包丁を突き刺そうと腕を振り上げた。
 俺はぎゅっと目を瞑(つむ)り、鈴芽の身体を抱きしめる。

 その時、静寂を裂くようにすぐ近くの通りから、パトカーのサイレンが響いた。
 老人はそれにハッとして、物置の側に置いていた大きな袋を持ち上げ、家から逃げ出した。

 しばらく硬直していた俺は、あの血が父と母のものだと気づき、急いで家の中に戻る。

『お父さん! お母さん!』

 二人の姿を探し、居間の扉を開け放った。
 そこには地獄が広がっていた。
 俺がいつも生活している家とは、かけ離れたまったく別の場所に見えた。

 あの男と争ったせいか部屋には物が散乱し、ガラスも割れ、真っ赤な血が床に飛び散っている。
 そして全身血まみれで、変わり果てた姿になった父と母が床に倒れていた。
 俺は声にならない叫び声を上げる。