というわけで、俺はなぜか初対面の男の前で、パンツ一丁で正座している。
「しばらくそのままでおるんやで」
俺は榊原の命令を聞き、石のように固まる。
榊原は筆を取り出すと、墨(すみ)をつけて、俺の身体に直接文字を書き始めた。
「……っ、さ、榊原」
「何や?」
「その……これは、ちょっと、かなり、くすぐったいんだけど……!」
俺は思わずへんな声が出そうになるのを堪(こら)えようと、手のひらで自分の口を塞(ふさ)いだ。
榊原の持った筆が、俺の身体の至る場所を這(は)い回る。榊原は、熱心な顔で俺の全身に漢字や記号のようなものを書き殴っている。まるで『耳なし芳一』の気分だ。
「これ、何?」
「これは魔除けの術や」
さらした素肌に触れられるのが恥ずかしくて、目をぎゅうっと閉じる。
くすぐったいだけならまだいいのだが、筆で書かれた文字は熱を持ち、じわじわと身体が火照っていく。
まるで身体を別のものに作り替えられているみたいだ。
今までに味わったことのない感覚に、俺はぐったりと頭を垂れ、荒く息を吐きながら懇願(こんがん)した。
「……もうやだ、それ何か、へんな感じがする……まだ終わらないの?」
俺の声を聞いて、榊原は可笑(おか)しそうに笑った。
「もうちょっと我慢しとき。天井の染みでも数えとる間に終わるわ」
その言い方もどうかと思うけど。
全身御符だらけにされ、非常に気持ちの悪い感じになった俺を見て、榊原はよしよしと満足そうに微笑んだ。
「もう服着てもえぇで」
「うん」
「時計は手に持っとけ」
「分かった」
もはや為(な)すがままだ。
俺は身支度を調え、懐中時計をぎゅっと握りしめる。
それから榊原は部屋の照明を落とし、円を描くように蝋燭(ろうそく)を置いて、そこに火を灯した。俺たちはその中に向かい合って座る。
暗い部屋の中で炎が揺らめいているのを見つめていると、突然、榊原から強く抱きしめられた。
「ちょっと、なっ、ななっ……何して」
「黙っとけ。今から、時計に憑いてる霊を呼び出す」
心臓がドクドクと鼓動を打つ。
それに重なるように榊原の心音が伝わってきて、あぁ、彼もやっぱり生きているんだ、と妙な安堵(あんど)が込み上げてきた。
あまりにも人間離れした美しさだから、もしかしたら人形か何かじゃないかとも一瞬考えたけど。榊原もやっぱり俺と同じ、人間なんだ。
俺はじっと押し黙っていた。
榊原は、呪文のようなものを唱え出す。すると、気のせいか時計を包む空気が、少しずつ禍々(まがまが)しいものになってきた気がする。
そのうち蝋燭の外に、黒い靄(もや)が浮かび始めた。やがて靄は、人の形をとる。榊原が呪文を唱える度に、黒い靄は苦悶(くもん)の悲鳴を上げながら、薄くなって消えていく。手が震えそうになったが、ぎゅっと時計を握りしめた。
榊原はしばらく呪文を唱え、少し休憩すると、また唱える。
何度も何度も、ひたすらそれを繰り返す。
途中、疲れた様子で目を細めた榊原が、妙に妖艶(ようえん)に見えてドキリとした。俺のために真剣にやってくれているのに、こんなことを考えるなんてよくないか。