「いや、マリー・アントワネットの時計、通称ナンバー一六〇と呼ばれてるけど、完全なレプリカを作ろうとすると、現代の技術でも三年は要するらしいで」
「三年……それくらい複雑で、難しい技術なんだ」
「そうやな。志波が持ってるこの懐中時計は、日本の時計会社が独自に開発した、ブレゲとはまったく関係のない代物や」
何だ、関係ないんだ。俺は少しがっかりした。
「ただその時計は、マリー・アントワネットの時計への尊敬を込め、彼女をイメージしたデザインで、完成度の高さとデザインの美しさ、そして限定生産でもう二度と手に入らないということで、コレクターの間では大変な評判なんや」
彼の博学に、俺は思わず唸ってしまう。
「よくそんなことを知ってますね。時計を専門に扱ってるわけじゃないんでしょう?」
「仕事柄、アンティークと呼ばれるものに関わる機会は多いからな。勉強しておいた方が、何かと便利なんや」
そう言って、榊原は俺に懐中時計を返した。
「じゃあこの時計にも、それなりの価値があるってことですか? 父さんの時計だという認識しかなかったから、あまり考えたことがなかったな」
榊原は顔を傾け、小さく頷いた。
「そうやな。市場価格だと、確か現在でも五〇〇万円前後で取引されとるんちゃうかな」
「ごひゃくっ……!?」
俺は持っていた時計を落としそうになり、しっかりとチェーンを握りしめる。
ずっと何気なく持ち歩いていたけれど、そんなに高級品だったのか!
まったく知らなくて、思いっきり地面に落としたりしてた! というか父さん、そんな大変なものを、どうして子供の頃の俺にくれたんだろう。
「話が少しそれたな。鑑定に戻るけど、この時計のように、美しいもの、価値のあるもの、古いものには、さまざまな思いが宿りやすい」
「……思い?」
「あぁ。もちろん悪い感情ばかりやないけどな。好意もいきすぎると、悪影響を及ぼす。深い憎悪や欲望。強すぎる思いは、やがて悪霊や鬼に変わる」
「鬼……」
俺を見ていた祖父の表情を思い出し、苦虫をかみつぶしたような気分になる。鬼のような顔、とも言えなくはない。
「この時計からは、なんや強い思念を感じるわ。今は時計を離れとるみたいで、時計を見ただけではどういう感情かまでかは分からんけど」
強い思念。
やはり、祖父は俺を憎んでいたのだろうか。だから自分が死んでなお、こうして俺の前に現れ、危害を加えようとしているのだろうか。
正直、ショックだった。祖父との関係は、良好とは言い難かった。大声でケンカをしたこともある。祖父から好かれていないのは分かっていたが、まさか祟(たた)られるまで憎まれていたとは。
「それに、お前からも――」
「俺からも?」
突然彼のひやりと冷たい手が、俺の頬にふわりと触れた。
榊原がぐいっと顔を寄せて、俺の瞳を覗き込む。
前から思ってたけど、この人たまに距離感がおかしくないか? それが不愉快じゃないのが、また複雑だった。
澄みきった紫色の瞳に見つめられると、心臓をぎゅっとつかまれたような気持ちになる。