セラミックは、休日を利用して滋賀県近江八幡市大中にある恐竜牧場の見学に向かった。
 琵琶湖の畔にある養竜場へは、弟の公則と岡田奈菜ちゃん、そして彼女の父親にしてケーキ屋“zizi”の店長、お菓子職人の岡田敦史氏を無理矢理連れて行った。

「なんで俺が店を臨時休業してまで、デートに付き合わされるんだよ……」

 しぶしぶ自家用車を運転する初老の店長は、口ではそう言っても助手席に座るTシャツ生足ミニスカート姿のセラミックの笑顔に、まんざらでもなさそうだ。

「まあ、店長……恐竜の卵を直に見て味わったら、何か新しいお菓子のインスピレーションが閃くかもしれませんよ~。今日は楽しみですね」

 セラミックは恐竜の卵を使ったお菓子対決そっちのけで、まずは店長の新商品開発に一肌脱いだのだ。プロは恐竜の卵の味に刺激され、一体何を創作するのか……大いに興味がそそられるし、自分の作品を生み出すためのヒントになるはずである。
 後席の弟と奈菜ちゃんは、最初こそ緊張していたものの、そのうち慣れて旅行気分でワイワイはしゃぎ始めた。まったく、若い連中は無邪気でいいものだとセラミックは思った。

「あれかな? 恐竜を育てている施設は」

 運転中の店長こと奈菜ちゃんパパが指し示す屋根付きの恐竜牧場は、想像していたよりもずっと近代化されており、まるで工場のようであった。言われなければ中で草食恐竜が闊歩している事など、誰も気付きそうにない。どうも外部に恐竜が逃げ出さないように、徹底して注意が払われているようだ。

 牧場主に連れられて、生きている恐竜と現代で対面した一同は、思わず歓声を上げた。

 放し飼いにされているヒプシロフォドンは、人間とほぼ同じ大きさで一部茶褐色の羽毛も生えており、駝鳥によく似た恐竜だった。両手には人間と同じ5本指を持ち、器用に牧草を掴んで食べる事もできるようだ。クチバシの奥には歯が生えており、モグモグとゆっくり牛のように飼料を食んでいた。
 
 奈菜ちゃんがケージ越しに餌を与えながら言う。

「思ってたより目が大きくて優しい顔の恐竜だね」

 弟の公則も、集まってきた数十頭に及ぶ恐竜の注目を一身に浴びて、たじたじになっている。

「恐竜動物園でも見た事あるけど、これだけ数が揃うと迫力だな」
 
 牧場主が説明するところによると、産卵期に入った恐竜は個別のケージに入れられて、日に数個の卵を産むそうである。産みたての薄いグリーンの大きな卵を見せられた奈菜ちゃんパパは、手に取って興味深げに眺めた後、早速試食に取り掛かった。
 同じ滋賀県産の冷やした牛乳に卵を割り入れ、砂糖とバニラエッセンスも一緒にミキサーに掛けると、恐竜ミルクセーキを作ったのだ。

「……うまい! 味が濃いぃ! 思ってたよりもクセがないな」

「うん、とっても濃厚で美味しいね!」

 お菓子職人と恐竜ハンター見習い娘が同時に感激の声を上げた。

「どうかな? お父さん。新しいケーキのアイデアがどんどん浮かんできた?」

 こざっぱりとしたワンピース姿の奈菜ちゃんが、ミルクセーキをストローで飲みながら、父親である店長に訊いてみた。

「浮かんできたとも! でも商品ラインナップの基本は変えないよ。苺ショートやチーズケーキに限定のジュラシック風味を付け加えるだけだ」

「そんな! 恐竜を全面的にアピールしないとダメなんじゃないの?」

「分かってないなぁ。奇をてらっても、一時的に売り上げが伸びるだけで、すぐに飽きられるかもしれない。僕らの店レベルじゃ、基本が大切なんだよ。変わらない定番の安心感がね」

 セラミックは、長年ケーキ作りを続けてきた職人の言葉を聞いて心が打たれた。彼は若者達の前で得意気になって続ける。

「あえて変えない普通の良さもあるのだよ……」

 その時、店長はすっかり油断していた。ヒプシロフォドンが柵越しに首を伸ばし、背後から接近してくる事に気が付かなかったのだ。

「ぎゃああああああ!」
 
 彼の頭頂部の髪の毛は、恐竜のクチバシにゴッソリと毟り取られた。――と言うより正確には高級カツラが、ヒプシロフォドンに奪われてしまったのだ。
 セラミックと弟の公則は、驚愕の事実に暫く唖然としてしまったが、弟がすぐにフォローした。

「お父さん、ヅラよりもありのままのハゲの方がカッコいいと思います……」

「黙れ! 君にお父さんとかハゲと呼ばれる筋合いはない!!」

 瀬良公則と岡田奈菜は、店長の剣幕に暫し呆然となってしまったが、娘がすぐにツッコんだ。

「パパ、あえて変えない普通の良さもあるって言ったばかりじゃない……」

「五月蠅い! 俺も若い頃は、髪の毛など真の男にとって邪魔な存在でしかないと思っていたが、今は違う。髪は男のプライドそのものなんだ!!」

 その時、ヒプシロフォドンが不味そうな顔で、パパのカツラを吐き捨てたのだ。
 ガムのように噛まれ、無惨な姿となってしまった毛玉は、虚しく転がってゆくばかりであった。