セラミックの激うま恐竜レシピ



「いゃああああああ! うおおおおおお! 絶対に許せねえ! 瀬良美久ゥゥゥ!」

 スケルトン壁掛け時計の円盤上を永久に周回する短い方の針が天頂の12を過ぎる頃、静かな暗闇に包まれた高級住宅街の窓からは、煉獄から響いてくるような禍々しい女の声が漏出してきた。

「私の……私の松上晴人様に何をしたの? 何が起こったの? 何をされたの? あ~ッ、声に出してしまうほど、くやしいィィィ!」

 輸入ベッドの上でセンスの良いキャミソールが、はだけるほど転がりまくった森岡世志乃は、高級羽毛枕に沈む美しくも歪んだ顔を暫く浮上させる事ができなかった。

 事の発端は、世志乃がαチームのリーダー、松野下佳宏からβチームの遭難エピソードを秘密裏に聞いた夕方から。

「――ここだけの話だけど、“ジュラアナ長野”で事故が起こったらしい。それもあの松上晴人率いるβチームだってんだから、ちょっと驚いたよ。アロサウルス狩りに意気揚々と出発したのはいいけど、ジュラ紀で何日か音信不通になってたらしいぜ」

「ええ?! 全員無事だったんですか?」

「ああ、幸いにも行方不明になってた2人は救出されたらしいけど、現場は大騒ぎになってた」

「2人……? 誰と誰だったのですか? まさか松上晴人さん?」

「そのまさかだよ。不意打ちを食らって崖下まで転落したのは、松上リーダーとセラミックちゃんだそうだ」

「セ、セラミック! よりによって彼女と!?」

「2人仲良く1億年前の世界でサバイバル生活を送ってたらしい……何でも怪我したのは松上だけで、セラミックちゃんは軽傷だったそうだ。彼女はホント強運の持ち主だね」

 日焼けしたクールビズ姿の松野下佳宏は、3秒後に思わず目を見張って固まってしまった。
 αチームが拠点にしている事務所のソファで、猫顔のスタイリッシュ美女、森岡世志乃が豹変する瞬間を目撃してしまったからだ。
 『まずい』、『無神経に煽ってしまったか』と後悔した時には、すでに手遅れだった。

「ふ、2人っきり……。若い男女が危機的な状況の中で、お互いに助け合いながらピッタリと寄り添って脱出する場面なんて……。後はもう、恋に落ちて終わるハッピーエンドの展開しか……考えられない! そう! そうじゃないですかああああああ!?」

「わあああ?! 落ち着け、落ち着くんだ世志乃さん!」

 森岡世志乃が、嫉妬に狂うのは無理もない。彼女がセラミックと同じく恐竜狩猟調理師を目指したのは、少しでも憧れの松上晴人に近付きたいがため……。大学の非常勤講師として何度か見かけたその日から、いや聴講する度に、松上が放つ不思議な魅力の虜となったのだ。
 恋に落ちた彼女は、ありとあらゆる手段を用いて彼にアプローチしたが、恐竜にしか興味を示さない変人を振り向かせるには、もはや自身が恐竜ハンターになるしかないように思えた。
 
 名のある大手銀行の頭取の娘である森岡世志乃は、本物のお嬢様育ちであり、親の期待に応えるべく英才教育も施され、将来を嘱望される存在だったのだ。そんなエリートの彼女が危険で体力勝負の恐竜狩猟調理師を目指すと周囲に公言した時、両親が受けたであろう多大なる精神的ショックは計り知れない。

 彼女がリスキーな恐竜ハンターを続ける理由(わけ)とモチベーションの源泉は、松上晴人様を手に入れるためだと言い切っても過言ではないのだ。パッと出のセラミックごときに彼を奪われる事は、長年思い続けてきた世志乃のプライドが許さないのは当然の事なのであった。

 そんな森岡世志乃の渦巻く情念を知ってか知らずか、変に刺激してしまった松野下リーダーは、荒ぶる彼女を静めるために(周りに誰もいなかったとはいえ)土下座まで披露してしまった次第である。


「……どうしたの?! 世志乃さん? 何かあったの?」

 はっと我に返ると、自室のドアの向こうから心配そうな母親の声が聞こえてきた。

「ううん、大丈夫。いいえ! 何でもありませんわ、お母様!」

 森岡世志乃は、引っ張りすぎて少し破けてしまった羽毛枕から飛び出したダウンを掻き集めるのに夢中となり、チェストの角に足の小指をぶつけて悶絶した。






 その日、琵琶湖博物館のロビーに森岡世志乃はいた。
 館内から見えてしまう琵琶湖の翡翠色した水面は、穏やかな秋風に揺れ、今年の猛暑を伝える一切合切は、まるで幻だったと言いたげに蓮の花を枯らせると、嘘のよう色褪せた花托と丸い葉を育んでいるようだ。
 世志乃は黒基調のブラウスとスカートに身を包んでおり、気怠げに()()を作るその身のこなしは、まさに黒猫を思わせる異質な存在感であった。

「ご無沙汰してます。中山健一さん……」

 世志乃の視線の先には、ポロシャツ姿でスラックスをはいたポニーテールの中山がいた。IDカードをポケットにしまう学芸員補の彼は、休み時間を利用して世志乃の待つミュージアムカフェに周囲の目を気にしながら着席したのだ。

「お久しぶりと言いたいところだけど……αチームのお嬢さんが、今日は何の用かしら? 休日にでも会えるのに、わざわざここまで来てくれた訳は?」

「まあまあ、居ても立っても居られなくなったっていうのはこちらの事情で……。いや、中山健一さん、メールではどうしても済ませられないような大切な話があって――」

 勧められるがままにアイスコーヒーを啜った中山は、なおも表情から疑問の念が払えずにいるようだ。

「電話やメール文書では伝えきれない事って何? αチームのリーダーも通してないって、余程の事情なんでしょうね。ひょっとして、この間のダイブ中に起こった事故に関する事かな? それとも遭遇した恐竜に関係する事? まあいいわ、全部聞きましょう」

「そうこなくっちゃ! 実はお願いがありましてね……」

 森岡世志乃は笑顔を崩さず、単刀直入に中山健一に願いを伝えた。
 ――松上晴人とセラミックの急接近を阻止し、彼と彼女が恋仲になる事を諦めさせて欲しいと。

『βチームのリーダー・松上晴人さんには長年付き合っている彼女がいて、結婚間近なのだと瀬良美久さんにそれとなく伝えて欲しい』

「…………」

「松上さんの彼女は私だという設定でもいいのですが、いかんせん嘘くさくなるようでしたら、どなたか別の女性という事にしていただいても一向にかまいません」

「いや…………何で?」

「う~ん、そう仰ると思っておりました。理由はただ一つ、松上さんがセラミックに奪われてしまう事を、私……絶対に認めたくないからです」

「だからってあなた、事実と違う嘘まででっち上げてやる事~? 大人げないわよ。あなたらしくないわ」

「正直、そこまで追い詰められているのです。――と言いますか中山健一さん、いいのですか?」

「ええ!? 何の事よ~?」

「あなたも松上晴人さんの事が一途に好きなのでしょう?!」

「うっ! そりゃそうだけど」

「だったら協力してください。ここは指をくわえて、成り行きを見守っている場合ではありません」

「う~ん、セラミックちゃんは大事なβチームの戦力でね。かといって彼女がリーダーとくっ付いちゃうのも正直、何だかシャクだわ」

「そうでしょう? 今動かないと、あと一歩で松上さんは落とされちゃいますよ」

「分かった、分かったわ。ただし森岡さん、あなたに協力するためには、ある条件をクリアしてからでどうかしら?」

「……何でしょう? 何でもどうぞ」

「うちのセラミックちゃんと恐竜料理で対決してもらって、見事に勝利を収める事ができたら無条件で力を貸すわ。それでどう?」

「いいですね! 相手にとって不足なしです。……言っておきますが、私は完璧超人であり、料理の腕前もプロ級なのです。メニューは何に致しましょうや?」

 森岡世志乃の周囲には目に見えない暗黒の炎が燃え上がり、周囲を焼き尽くすだけでは飽き足らず、悪寒を感じた中山健一の鼻毛をも焦がしながらクシャミを連発させたのである!







「ええっ!? ホントですか?」

 セラミックは目を丸くして、中山健一の顔を食い入るように見つめた。

「そうなの。ついに恐竜の養殖が軌道に乗ったの。草食恐竜のヒプシロフォドンはとっても繁殖力が強くて、現代の環境でも比較的簡単に増やす事ができたのよ。滋賀県の恐竜牧場が……養竜場って呼ぶのかな? とにかく大変な努力をして卵の安定供給が可能になったそうよ。ブロイラー恐竜も登場して、もう危険なジュラ期までハンティングしに行かなくてもよくなるかもね」

「違います~!」

「大丈夫よ。恐竜が畜産業で大量飼育されるようになっても、恐竜狩猟調理師は失業したりしないわ。危険な“ジュラアナ長野”にダイブして謎を解き明かす調査・研究の専門家として、恐竜ハンターは必要不可欠の存在だもの」

「だから違いますって! 恐竜デザート対決の話ですよ。そんな話は聞いてませんって!」

 JR守山駅の地下に存在する欧風の静謐なカフェにて、学生服姿のセラミックは思わず大きな声を出してしまった。Tシャツにデニムパンツのラフな格好をした中山健一は、特に動じる事もなく同じ調子で続ける。

「ウチのチームの大手スポンサー会社がバームクーヘンに代わる主力商品を模索しているのよ。そこで浮かび上がってきたのが恐竜の卵を使った斬新なお菓子の提案。当然コンペにはセラミックちゃんを推薦しておいたわ」

「本人に相談もなしで、勝手に話を進めないでください!」

「まあ、まあ。もしうまくいったら、全国的な話題となって滋賀県の新たな名物になる可能性大だわ。いずれにせよ、恐竜を使った料理は何をやってもパイオニア扱いで気分いいわね。世界が注目してるし、手付かずのカテゴリーを自由に開拓してゆく快感っていったら、もう……」

「もう、じゃないですよ、もう! 私の都合も少しは考えてくださいよう」

「フフフ……いいの? セラミックちゃん」

 中山健一が、不気味な笑顔を投げかけた。受け止めた側は、心なしか寒気がして鳥肌が立つのを感じる。

「実は今回のお菓子対決には、重要な意味があるのよ」

「一体、何なんですか?」

 少し仰け反ったセラミックを追い詰めるように、健一君は冷房の涼風を押し退け、ソファの背もたれから前のめりとなった。

「あなた……βチームにいられなくなるかもよ」

「え~!! どういう事ですか?!」

「松上リーダーは、αチームの森岡世志乃さんに今、とっても注目してるのよ」

「あ、あの世志乃さんにですか?……それで?」

「新メンバー編成時にβチームにスカウトしようと思っているんだけど、ウチには似たようなセラミックちゃんが、もういるでしょう?」

「はい……」

「そこで恐竜の卵を使った創作お菓子コンペに両者を参加させて、勝った方をメンバーとして採用しようとしているのよ!」

「そ、そんな!」

「うかうかしてらんないわよ! さあ、頑張って恐竜の卵を使ったスイーツのレシピを今日から考え出すのよ!」

「うわ~! どうしよう! マジでヤバいわ~」

 頭を抱えるセラミックを尻目に中山健一は、脚を組み直して『うまくしてやったり』の表情をした。


 



 中山健一と分かれた後、セラミックは色々と考え事をしつつ、とぼとぼ歩きながら帰宅の途に付いた。

「はあ~……。恐竜の卵を使ったお菓子か……。どんなのがいいのかな? 知り合いにパティシエなんていたっけ? そういや卵料理といえば、前回のダイブ中にデビルドエッグを即興で作ったな。――あれは松上さんにウケがよかったけど、あんな感じでシンプルなのが意外と好評だったりして」

 部活動の帰りなのだろうか、お揃いのジャージを着た中学生の男女4人組が、セラミックの目の前を楽しそうに会話しながら通り過ぎた。

「それより森岡世志乃さんの話は本当なのかなぁ……。松上さんは、頼りない私より世志乃さんがメンバーに相応しいと思っているのかしら。気合いを入れないと、まだ見習いの私は席がなくなっちゃう可能性大……」

 いつの間にか吸い寄せられるように、馴染みのケーキ屋さんの前まで来た。
 お世辞にもお洒落で今風とは言い難い、昭和の雰囲気を残したケーキ屋さんはセラミックが幼少の頃から親しんでいる一軒だ。弟の同級生の親が経営している事もあり、セラミックの心の拠り所だ。

「あ……姉ちゃん!」

 なぜか噂の弟が、バレーボール部のバッグを背負って店の中からひょっこり出てきた。

「あれ? 公則!? こんなとこで何してんの?」

「姉ちゃん、いや……色々あってな……」

 ケーキ屋“zizi”の奥にある自宅の玄関から、可愛い黒目がちの女の子が姿を現した。セラミックと同じセミロングの黒髪にゆったりとしたプリントTシャツ、白いデニムパンツの中学生は、彼女がよく知る人物。
 セラミックの弟が現在、絶賛お付き合い中の彼女である岡田奈菜ちゃんだ。
 ふと気になったが、奈菜ちゃんは心なしか元気がない。最初に挨拶してきた時には花を咲かせたような笑顔だったが、徐々に俯き加減で何か思い詰めたような表情に変わってきた。その様子は、一輪挿しがしおれてゆくようで見てられない。

「一体どうしたの? 奈菜ちゃん」

 心配したセラミックが思わず声を掛けた頃、とうとう彼女は我慢できずに涙を流し始めた。弟の公則はオロオロするばかりで、男として実に情けない。

「公則君のお姉さん、……お姉さんには言っちゃうけど実は、お店がうまくいってないんです」

 聞くところによると、奈菜ちゃんのご両親が営むケーキ屋さんの売り上げが、年々右肩下がりになっており、経営がかなり苦しくなってきているとの事。 
 若いセンスが求められるスイーツ業界で、旧い商店街に昔から当たり前のように存在するケーキ屋は目新しい物もなく、若い女性客が目移りしてゆくのを止められない。

「昭和丸出しの私のお父さんは、一流のケーキ職人なんですけど、ショートケーキにせよチーズケーキにせよ昔ながらの良さを売りにしてばかりで、面白みがないんです!」

 ――頑固職人の親父さんは、年とってからできた娘の奈菜ちゃんの事を溺愛していたが、殊に自分の仕事、ケーキ作りに関してはプライドを持っており、娘の意見を聞いて流行りを追うような事はしなかったようだ……。おかげでケーキ屋“zizi”は中途半端な老舗扱いとなり、口の悪い子供達からはケーキ屋“じじい”と呼ばれている始末である。

「このままでは将来的に店が潰れちゃうかもしれません! そしたら、そしたら……自分が目指す高校進学も諦めなくちゃならないかもしれない。公則君と一緒の高校へ行きたかったのに……どうしよう!」

 とうとう奈菜ちゃんは、公則の前で遠慮なく泣き出してしまった。坊主頭の弟は周囲の目を気にしながら、困ったような顔で姉に助け船を求めてくる。
 セラミックは腕組みして暫く考えていたが、目を開いて2人にニッコリ微笑んだ。

「よし! お姉さんに任しときな! 私は恐竜ハンター……見習い。つまり最新食材の恐竜の卵を使って、誰も食べた事ないようなお菓子を作ったげる!」




 恐竜の卵を使ったお菓子コンテストは、地元の大手菓子メーカーが主催するものである。
 ローカルゆえに参加者はさほど多くなかったが、実質セラミックと森岡世志乃のプライドを懸けた勝負の舞台に他ならなかった。
 己の持てる力を尽くし、才能の全てを出し切る覚悟の世志乃は、コンテストに入賞して目的を果たすため、考え得るできる限りの事をした。セラミックに色々な意味で勝つためには、手段を選ばなかったのである。 

 彼女は豊富な資金力をバックに、アドバイザーとして菓子研究家のフランソワーズ・山川を迎え入れる事にした。フランソワーズはフランス人を母親に持つ、うら若きパティシエール。ウエーブが掛かった美しいショートヘアとエキゾチックな美貌を誇る新進気鋭の女流専門家だ。

 今日も森岡世志乃は、神戸にあるフランソワーズの菓子製造許可付きキッチンにて、コンテストに出品するお菓子のアイデアをひねり出しつつも試行錯誤を繰り返していた。広くて明るい清潔なキッチンは機能的で、調度品は照明を鈍く反射し、黒光りしているほどだ。
 木箱の中には、大人の握り拳よりも大きな養殖ヒプシロフォドンの卵が数十個、籾殻に包まれて顔を覗かせている。薄いエメラルドグリーンの色した草食恐竜の卵は、まるで宝石か何かのようだ。

「フランソワーズ、どうかしら? ついに届いた恐竜の卵のお味は……」

「う~ん、これは凄い。初めて味見したけど、とっても濃厚でコクがあるわ。特に熱を加えると、風味が増してクリーミー。もっと雑で大味かと思ったけどね」

 『これは、あらゆるお菓子に使える』と確信したフランソワーズの頬が紅潮した。世志乃とお揃いにした白ユニフォームと赤いスカーフが笑顔に映える。
 腰に焦茶色のエプロンをした世志乃が言う。

「卵を使ったスイーツと言えば、洋菓子全般かな。その中で最も合いそうな、ベストチョイスは何なのかしら? 選ぶ範囲が広すぎて、簡単には絞り込めませんわ」 

「世志乃さん、コンテスト主催の会社、“まねや”の主力商品は洋菓子のバームクーヘンらしいけど、元々は和菓子屋からスタートしたそうじゃない」

「ええ、それは私から提供した情報の通りよ」

「だったら意表を突いて和菓子で挑戦してみたらどう?」

「ええ!? アンコが主体の和菓子で卵を使った物なんてあったかしら?」

「あるある、洋菓子風な和菓子。どら焼き、カステラなんかがそう」

「カステラって和菓子だったの? 江戸時代からあるから? 私も当然知っていましたけど、さすがは専門家ですわね」

 森岡世志乃は何かが頭の中に閃きそうになって、思わず顎に手を添えて考え込む。だが、フランソワーズに先を越されてしまった。

「そこで私、思い付きましたが、ニワトリの足先を肉屋ではモミジって呼ぶのを知ってますか?」

「何をいきなり?! いや……まあ、不気味だけど、言われてみればモミジの葉っぱ……ぽいかな」

「連想してみてよ! 世志乃さん~、モミジだよ、も・み・じ」

「う~ん、ちょっと待ってくださいな」

「ヒント、広島名物、安芸の宮島」

「もみじ饅頭!」

「そう! 正解! 恐竜の足跡って何に見えるかな?」

「そうか、大きなモミジの葉っぱに見えなくもないですわね! もう私にはフランソワーズのアイデアが分かってしまいましたわ」

「フフフ、そうです。恐竜の足跡をかたどった、もみじ饅頭を作るのです」

「中には恐竜の卵を使ったカスタードクリームを入れましょうよ」

「いいね~、やっと固まったね。文句ないでしょ? 世志乃さん」

「ええ、早速ですが試作品を作ってみましょう」

「よしきた! ネーミングも考えといてね」

「ええ~、お洒落でカワイイ名前がいいな……そうだ! その大きさからカエデ饅頭ってのは?」

「世志乃さんのセンス……それのどこが、お洒落でカワイイの……」

 キッチンに巨大な卵を割る音が聞こえると、2人の美女が慌ただしくもテキパキ華麗に動き始めたのだ。

「見てなさい、セラミック……私は絶対に負けないから」

 久々に本気モードの森岡世志乃は、熱くなるほど燃えていた。








 セラミックは、休日を利用して滋賀県近江八幡市大中にある恐竜牧場の見学に向かった。
 琵琶湖の畔にある養竜場へは、弟の公則と岡田奈菜ちゃん、そして彼女の父親にしてケーキ屋“zizi”の店長、お菓子職人の岡田敦史氏を無理矢理連れて行った。

「なんで俺が店を臨時休業してまで、デートに付き合わされるんだよ……」

 しぶしぶ自家用車を運転する初老の店長は、口ではそう言っても助手席に座るTシャツ生足ミニスカート姿のセラミックの笑顔に、まんざらでもなさそうだ。

「まあ、店長……恐竜の卵を直に見て味わったら、何か新しいお菓子のインスピレーションが閃くかもしれませんよ~。今日は楽しみですね」

 セラミックは恐竜の卵を使ったお菓子対決そっちのけで、まずは店長の新商品開発に一肌脱いだのだ。プロは恐竜の卵の味に刺激され、一体何を創作するのか……大いに興味がそそられるし、自分の作品を生み出すためのヒントになるはずである。
 後席の弟と奈菜ちゃんは、最初こそ緊張していたものの、そのうち慣れて旅行気分でワイワイはしゃぎ始めた。まったく、若い連中は無邪気でいいものだとセラミックは思った。

「あれかな? 恐竜を育てている施設は」

 運転中の店長こと奈菜ちゃんパパが指し示す屋根付きの恐竜牧場は、想像していたよりもずっと近代化されており、まるで工場のようであった。言われなければ中で草食恐竜が闊歩している事など、誰も気付きそうにない。どうも外部に恐竜が逃げ出さないように、徹底して注意が払われているようだ。

 牧場主に連れられて、生きている恐竜と現代で対面した一同は、思わず歓声を上げた。

 放し飼いにされているヒプシロフォドンは、人間とほぼ同じ大きさで一部茶褐色の羽毛も生えており、駝鳥によく似た恐竜だった。両手には人間と同じ5本指を持ち、器用に牧草を掴んで食べる事もできるようだ。クチバシの奥には歯が生えており、モグモグとゆっくり牛のように飼料を食んでいた。
 
 奈菜ちゃんがケージ越しに餌を与えながら言う。

「思ってたより目が大きくて優しい顔の恐竜だね」

 弟の公則も、集まってきた数十頭に及ぶ恐竜の注目を一身に浴びて、たじたじになっている。

「恐竜動物園でも見た事あるけど、これだけ数が揃うと迫力だな」
 
 牧場主が説明するところによると、産卵期に入った恐竜は個別のケージに入れられて、日に数個の卵を産むそうである。産みたての薄いグリーンの大きな卵を見せられた奈菜ちゃんパパは、手に取って興味深げに眺めた後、早速試食に取り掛かった。
 同じ滋賀県産の冷やした牛乳に卵を割り入れ、砂糖とバニラエッセンスも一緒にミキサーに掛けると、恐竜ミルクセーキを作ったのだ。

「……うまい! 味が濃いぃ! 思ってたよりもクセがないな」

「うん、とっても濃厚で美味しいね!」

 お菓子職人と恐竜ハンター見習い娘が同時に感激の声を上げた。

「どうかな? お父さん。新しいケーキのアイデアがどんどん浮かんできた?」

 こざっぱりとしたワンピース姿の奈菜ちゃんが、ミルクセーキをストローで飲みながら、父親である店長に訊いてみた。

「浮かんできたとも! でも商品ラインナップの基本は変えないよ。苺ショートやチーズケーキに限定のジュラシック風味を付け加えるだけだ」

「そんな! 恐竜を全面的にアピールしないとダメなんじゃないの?」

「分かってないなぁ。奇をてらっても、一時的に売り上げが伸びるだけで、すぐに飽きられるかもしれない。僕らの店レベルじゃ、基本が大切なんだよ。変わらない定番の安心感がね」

 セラミックは、長年ケーキ作りを続けてきた職人の言葉を聞いて心が打たれた。彼は若者達の前で得意気になって続ける。

「あえて変えない普通の良さもあるのだよ……」

 その時、店長はすっかり油断していた。ヒプシロフォドンが柵越しに首を伸ばし、背後から接近してくる事に気が付かなかったのだ。

「ぎゃああああああ!」
 
 彼の頭頂部の髪の毛は、恐竜のクチバシにゴッソリと毟り取られた。――と言うより正確には高級カツラが、ヒプシロフォドンに奪われてしまったのだ。
 セラミックと弟の公則は、驚愕の事実に暫く唖然としてしまったが、弟がすぐにフォローした。

「お父さん、ヅラよりもありのままのハゲの方がカッコいいと思います……」

「黙れ! 君にお父さんとかハゲと呼ばれる筋合いはない!!」

 瀬良公則と岡田奈菜は、店長の剣幕に暫し呆然となってしまったが、娘がすぐにツッコんだ。

「パパ、あえて変えない普通の良さもあるって言ったばかりじゃない……」

「五月蠅い! 俺も若い頃は、髪の毛など真の男にとって邪魔な存在でしかないと思っていたが、今は違う。髪は男のプライドそのものなんだ!!」

 その時、ヒプシロフォドンが不味そうな顔で、パパのカツラを吐き捨てたのだ。
 ガムのように噛まれ、無惨な姿となってしまった毛玉は、虚しく転がってゆくばかりであった。






 恐竜牧場訪問から3日後の定休日。セラミックと弟の公則、そして岡田奈菜ちゃんは、ケーキ屋“zizi”の厨房に集合していた。ステンレスと大理石でできた作業台の前で、白衣姿のセラミックは奈菜ちゃんに訊いてみる。

「あれから店長……奈菜ちゃんのお父さんに変化があったそうじゃない」

「そうなんです。パパはついにカツラを卒業してスキンヘッドになりました。長年愛用していたカツラの残骸をどうするかと思ってたんですが、裏庭にお墓を作って埋めました。それも大好きだったジャンガリアンハムスター“チュー太郎”の墓の隣にです」

 奈菜ちゃんとお揃いの白衣を着た公則が付け加えた。

「お父さんにとって、かなりショッキングな出来事だったらしいね。何気に付けた店名の“zizi”がフランス語で〇〇〇の意味と分かった時以来の衝撃だったそうだよ」

「公則! アンタは黙ってなさい」

「でもパパは立ち直りました。お姉さんから頂いた恐竜の卵を使って早速、ショートケーキのジュラシック風味を限定で出して手応えを感じたそうです」

「そう、さすがは店長。恐竜の卵はまだ地産地消で手に入りにくいから、恐竜ケーキを食べた人は殆どいないはずよ。そのうち日本全国から問い合わせが来るかもね。いや、お菓子先進国のヨーロッパ諸国を始め、世界中から注目を浴びるかも」

「それはスゴイ! 何だかワクワクするね!」

「私もケーキ職人から基本を大事にする姿勢を学んで、大いに感銘を受けたわ。今回、大切な厨房をお借りすることもできたし……奈菜ちゃん、感謝してるわよ」

「いえいえ……!」

 奈菜ちゃんはセラミックに満面の笑みを投げかけた。やっぱり塞ぎ込んだ顔よりニッコリ顔が似合う、いい娘だな。

「よし、今からヒプシロフォドンの卵を使った恐竜プリンを作るから、奈菜ちゃんも手伝って」

「プリンですか? ウチのも美味しいですけど、お姉さんが今から、どんなプリンを作るのか楽しみです」

「店長に倣ってシンプルなプリンを作ろうかと思ったけど、それではコンテストに勝てないと踏んだので、ちょっと一捻り……」

 セラミックはボウルに恐竜の卵を割り入れて砂糖を加えると、泡立て器でほぐした。もう一つのボウルは恐竜の卵黄だけを使い、砂糖に生クリームも加えた。それぞれにバニラビーンズを入れて暖めた牛乳を静かに注ぎ、よく混ぜた後、丁寧に数回漉し器で漉して2種類のプリン液を作ったのだ。

「奈菜ちゃんは固めのプリンが好き? それともトロトロなめらかプリン派?」

「え~? 私はパパが作る、昔ながらの固めの焼きプリンが好きかなぁ」

「俺はトロふわで、なめらかなコンビニのプリン派!」

「……そこで今回は、上からホイップクリーム・なめらかプリン・固めプリン・カラメルと4層構造になったプリンを作ろうと思います」

「なるほど、姉ちゃんは1つで色んな食感と味が楽しめるプリンのアイデアを思い付いたのか」

「それもあるけど、ガラス容器から透けて見える層構造にして、恐竜が埋まっている地層を象徴してみたのよ」

「ちょっと分かりにくいけど、表現として面白いかな? 分かる人には分かるよ、お姉さん!」

「ちなみにホイップクリームは、白亜紀の終わりを示すK-Pg境界に見立てて、恐竜絶滅を表しているのよ!」

「……?……?」

 セラミックは、ぺろっと舌を出してウインクすると、カラメルソースを敷いた耐熱ガラス容器に1つ目のプリン液を流し入れ、表面の泡を取った。そしてアルミホイルを被せると、予熱を終えたオーブンに入れて湯煎焼きにするのだ。

「固めのプリンが焼き上がったら、今度は2つ目のプリン液を上から注いで、なめらかプリン層も作るのね」

「そう、2度火入れする手間と温度管理が難しいと思うけど、できるまで試行錯誤してみるわ」

 何度かの失敗を繰り返した後、ようやく恐竜プリンは試作品の完成に漕ぎ着けた。全ての失敗作は弟の公則が責任を持って平らげ、彼の虫歯を少々悪化させたのだ。






 いよいよ恐竜の卵を使った創作お菓子コンテストの開催日がやって来た。
 コンペは滋賀県下の有名お菓子メーカーが主催するもので、会場は地元ホテルのイベントスペースが選ばれた。
 エントリーしたのはスイーツ関係者5チームで、セラミックの他には当然、森岡世志乃とフランソワーズ山川組が参加していたのだ。

 審査員として主催者である“まねや”社長と重役の他、恐竜牧場の管理者、パティシエ協会会員、そしてなぜか恐竜ハンター代表として松上晴人と松野下佳宏の顔ぶれが……。
 セラミックと助手の岡田奈菜は、α・βチームのリーダーが審査員となっている事実を当日まで知らなかった。“まねや”が両チームの大手スポンサー会社となっている関係からなのか。

「しまった! リーダーが出てくる事なんて、ちょっと考えれば予想できたはずなのに……。う~ん、事前に好きなお菓子を、こっそり調査する手もあったなぁ。いや、ズルしないように、わざと伏せられていたのかも。まあ、αチームの松野下さんなら『俺は何でも好き~』って言いそうだけど」

「お姉さん、事情は理解しました。要するに今いるチームのメンバーに残るための条件が、このコンテストでライバルの森岡世志乃組に勝利する事なんでしょ? 大丈夫ですよ、きっと私達の『恐竜プリン』が優勝しますよ」

 本番を控えて不安げなセラミックは、真剣な表情をした奈菜ちゃんに励まされた。

「ありがとう、奈菜ちゃん。ケーキ屋さんの娘が付いていれば、正に百人力だね」

「そうですよ。私は生まれた時からスイーツに囲まれて育った、お菓子の妖精みたいなもんですから!」

 パティシエ服に映える笑顔を魅せる2人に、遠くからジト目の視線が注がれる。
 自称――完璧超人の森岡世志乃である。だが決して口だけの人間などではなく、今回は専門家のフランソワーズ山川が舌を巻くほどの実力を発揮し、その道のプロと見紛うお菓子を完成させてきた。
 元々多方面の才能に恵まれており、そこに執念にも近い松上様に対する恋心のパワーが加わったのだ。その結果、見事に味わい・見た目共、納得のいく作品のレシピを仕上げてきた。

「ふん! セラミックさんは、ずいぶんと余裕な表情をかましていらっしゃるようね。一体どんなお菓子を用意しているのやら……本当に今から楽しみですわ。そうよね、フランソワーズ!」

「安心して、世志乃。あなたのスイーツは、絶対にライバルを打ち負かすよ。パティシエールの私が言うんだから、間違いないし」

「ふふっ、そして……ゆくゆくはβチームからセラミックを追い出し、私が代わって松上様のお傍に……草食恐竜系の彼は、あっと言う間に私が放つセクシーな魅力の虜となって……ついに恋の炎を燃え上がらせた2人は愛し合い……うへ!」

「どうしたの? 何を小声でボソボソ呟いているの、世志乃? 人前なのに顔が、とんでもない事態に陥っているわよ……」

「やだっ! え~、……それにしても参加者は、パティシエ養成学校の生徒代表とか、料理レシピのウェブサイトで大人気のお菓子研究家とか、全体的に見てレベルが低いわね」

「う~ん、まあ、恐竜の卵自体が、まだ手に入りにくいし、地方のマイナーなコンテストでもあるしね。でも、いずれは庶民的な食材となって、全国規模の一大コンテストにまで成長していく可能性を感じているよ!」

 握り締めたゲンコツを白衣の袖から覘かせるフランソワーズに対し、切り揃えられた黒髪以上に主張する、猫科のごとき瞳を細めて微笑んだのは森岡世志乃。
 ペアで創り出したという恐竜の卵を使用したスイーツは、できたての状態を保ったまま、すでにスタンバイが完了している。あとは審査員の前で協力しながら、うまくプレゼンテーションするだけなのだ。


 


「はい! 本日はお日柄も良く、正に『恐竜の卵を使った創作お菓子コンテスト』に相応しい日となりました。一体どんな珍しくて美味しいお菓子が飛び出してくるのか……本当に今から楽しみで興奮しております。そうそう、司会は私こと、横山が務めさせて頂きます」

 “まねや”の若い社員が、軽快にイベント開催の挨拶を述べると、出場者5チームの表情に僅かながら緊張の色が浮かんだ。

「早速ですが、簡単に参加者の紹介をさせて貰います。まずは、お菓子研究家の土肥さんチーム。彼女の創作お菓子は、レシピ紹介サイトでトップクラスの人気を誇っております。次にパティシエ養成学校から生徒代表に選ばれた、宮川と愉快な仲間達チーム。3人とも凄いイケメンですね。そしてカフェチェーン店経営者である渋いベテランの山川氏チーム。更に恐竜狩猟調理師見習いのセラミックチーム。最後にチーム世志乃……彼女は恐竜狩猟調理師専門学校の2年生だそうです。以上、5組の参加となっております」

 一般人の入場は許可していないそうである。披露宴にも使われる会場は、()()()()()とはしていたが、内外の新しい物好きを集めて一種、異様な熱気に包まれていた。地元の情報誌の取材陣も多数駆け付けているようだ。
 奈菜ちゃんがたまらず、セラミックの袖を引っ張った。

「やだ、お姉さん。いつの間にやら……結構、盛り上がってるじゃないですか!」

「まあ、ここで調理する訳でもないし、気楽にいこう。ほら、くじ引きで発表の順番を決めるみたいよ」

 幸か不幸か、セラミックチームは最後のプレゼンとなった。

「う~ん5チームのラストだと、甘い物に舌が飽きて、もう皆お腹一杯になっているかもしれないですね」

「そうね、余程インパクトのあるスイーツでないと……」

 まず栄えある1番手となったパティシエ養成学校、生徒代表の作品は『恐竜の卵タルト』だった。
 イケメンが自信ありげに紹介するタルトの表面には、ラテアートのように恐竜の姿がチョコで描かれている。
 注目の一発目だけに会場では発表の瞬間、歓声が湧き起こり、審査員の方々による試食の評価も上々であった。学生らしく爽やかな3名は、抱き合って肩を叩き、お互いを鼓舞し合ったのだ。
 笑顔は崩さないが、時折ジト目になる森岡世志乃とフランソワーズがコメントした。

「悪くはないけど、学生丸出しの荒削りなスイーツね」

「若いセンスと勢いだけで勝てると思ったら大間違いだよ」

 次に登場したのはクックックパッドで活躍するお菓子研究家、土肥女史の力作、『恐竜ベビーカステラ』である。

「銅板で型を作るのが大変でしたが、恐竜の卵をイメージした卵形にカステラを焼いてみました。子供達にも大人気です」

 主婦らしい発想のお菓子は、表面がこんがりと香ばしく焼き上がっており、何とも言えない甘い匂いを漂わせていた。
 セラミックと奈菜ちゃんは、少し小腹が空いてきたようだ。

「懐かしい! 子供の頃、夜店でよく買って食べてたやつだよ~、奈菜ちゃん。手でつまみながら食べられるし、イイよね」

「あのヒプシロフォドンの卵で作ったら、さぞかし美味しいだろうな。やや大きめのサイズだから十分満足しそう」

 続いて登場してきたのは意外なお菓子。ロマンスグレーのパティシエにしてショコラティエの山川氏入魂の一品。

「恐竜の卵で作ったバームクーヘンですが、中央にある穴には同じ恐竜の卵白から作ったメレンゲで満たしてみました」

 カフェチェーン店経営者が発表したお菓子に、コンテスト参加者は一様に首を傾げた。
 主催者まねやの主力商品はバームクーヘンで、このイベントは次期主力スイーツを探るためのコンテストでもあるからだ。
 
「…………?」

「…………何で」

 セラミックも森岡世志乃もベテランらしい綺麗な仕上がりのお菓子にはノーコメントだった。試食後の味に関しては各審査員に絶賛されていたようだが。