カンプトサウルスの群れが、兎のように背伸びしながら警戒している。その方向へ、松上はドローンを方向転換した。高度を若干上げて、何が接近中なのかを空から探るのだ。
草食恐竜の視線の延長線上には、原始的な被子植物の森が鬱蒼と茂っているだけで、上空からは特に異常が見られない。気になるのはβチームが休憩している開けた場所から、それほど距離的に離れていないという事だ。
「肉食恐竜でも潜んでいるのか? まさかアロサウルス?」
枝葉が邪魔して地表を移動する生物は分かりづらい。体色を変化させてカメレオンのように周囲の風景に溶け込む技を持つ恐竜もいるらしい。
「おい、中山君! ベオウルフの出番だ。周囲の警戒レベルを上げたほうがいい」
今回のターゲット恐竜、アロサウルス用に特別手配されたベオウルフは、M-16系では最大となる50口径を誇る化物じみた銃である。セミオート・オンリーのライフルだが反動が凄まじく、扱う人間を選ぶ。なよなよとした中山健一は、こう見えても腕利きのガンマニアで、こういった銃を平気で使用する。
「さあ、あなた達も、いつでも撃てるようにして……」
彼は銃口付近のハンドガードを横から伸ばした左腕で保持する“ソードグリップ”の構えを決めた。
上着の前をはだけ、銃の初弾を装填した吉田真美が、緊張した様子で叫ぶ。
「ちょっと、リーダー! いつまでドローンを飛ばしてるのよ。ゴーグルを外さないとヤバいよ!」
「分かってるよ。何とか、ここまで戻そうとしているところ……」
「きゃあ! 前、前!」
セラミックは思わず悲鳴を上げてしまった。前方の獣道ならぬ竜道となっている開けた地形から、黒っぽい地味な体色の全長8メートルクラスの大型恐竜が現れたのだ。
頭に乗った枝葉を首振りで払い落とした後、2足歩行の恐竜は顎を半開きにして周囲の臭いを嗅ぎながら駝鳥のような足取りで迫ってくる。肉食らしいナイフのような牙と鋭い爪が特徴的だ。
「アロサウルス! アロサウルスよ! 間違いないわ!」
銃を構えた中山健一は、空に向けて一発の威嚇射撃を行った。ベオウルフが凄まじい反動と炸裂音を発すると、さしもの巨大肉食恐竜も停止せざるを得ず、その場で驚いたように伸び上がる。
「きゃあ! 後ろ、後ろ!」
セラミックの叫びに松上晴人は、ついにVRゴーグルを額に上げて操縦を止めた。囲まれてしまった状況を察知して、ドローンを放棄する事を決めたのだ。
「チッ! 頭のいい連中だ」
舌打ちした松上がコントローラーからレミントンM870ショットガンに持ち替えた時、後方から近寄ってきたアロサウルスは、すでに走り出していた。巨体にも似合わず結構なスピードが出せるようだ。
「どいて! 二人共、早く伏せて!」
焦って射撃を開始した吉田真美とセラミックが屈んだ瞬間、黒鉄色のベオウルフが吠えた。
リップクリームのような巨大な薬莢が2つ宙を舞う時、アロサウルスの頭部は爆散し、腹部も風船のように割れて血煙が立ち上る。
勢い余ったアロサウルスは松上に向かって突進し続け、彼の前で派手に崩れ落ちる。
「わわ、わ~!」
2トンクラスの恐竜が倒れる時、運悪く松上周囲の地面が崖崩れを起こしたのだ。
「松上さん!」
セラミックは反射的に飛びつくと、彼に腕を伸ばし続けた。アロサウルスと一緒に崖下に滑落しようとする松上晴人の手を掴んだ刹那、バランスを崩した彼女は巻き添えを食う形で運命を共にしたのだ。
崖上では真美さんの悲痛な声と、中山が放つ銃声のけたたましい響きが交錯していたが、セラミックと松上には届きそうになかった。
「う~ん……」
セラミックは、顔に降りかかる2、3滴の雨粒で目が覚めた。数十メートルの滑落で、頭を少し打ったようだが、途中の草木がクッションとなり、擦り傷程度で済んだようだ。背中の89式小銃も脊椎を守ってくれたのかもしれない。
「……そうだ、松上さん! 松上さん、どこですか?! 返事して下さい!」
崖下の付近一帯は、土砂崩れの湿った土の臭いが充満し、大小の岩や倒木も散らばっていた。
「……!」
半分土砂に埋まっている図体の大きなアロサウルスは、すぐに発見できたのだが、肝心の松上がいない。
時間が経つにつれて、焦りからくる動悸が激しくなってきた。
「松上さん!」
崖に群生していたシダ植物に覆い被さるような形で、松上が崖の途中に引っ掛かっていた。落下時に岩か木に接触したようで、頭部から出血し、左肩口のシャツは赤い鮮血で染まっている。
『本当に意識を失っているだけ?』……セラミックは生死不明である松上の無残な姿に胸が張り裂けそうになった。
「今、助けに行きますよ!」
返事がない事が気掛かりだ。果敢にもセラミックは、危険な救助に向かった。小雨がパラつき始めているので、放っておけば不安定な崩落現場は更に酷い状況になりそうだったのだ。
彼女とて、さすがに全くの無傷という訳でもなく、全身に擦過傷や打撲のダメージが所々に連なっていた。そのため一挙手一投足のたびに体のあちこちから、顔をしかめるような激痛が伴う。
ようやく松上の元に辿り着いた時、恐る恐る彼の顔に耳を近付けてみた。そして脈と呼吸がある事に胸を撫で下ろしたのだ。
「セラミック……無事なのか?」
「ひゃっ!」
口元に最接近した時に、予想外の言葉が発せられ、セラミックは仰け反った。はずみで2人は地面まで転げ落ちてしまった。
「痛いですよ……松上さん」
「それは、こっちの台詞だ。頭を打ったかもしれないのに不用意に動かすんじゃない」
「額から血が流れていますよ、本当に大丈夫なんですか?」
「おいおい、君もだよ、セラミック」
「え……? きゃああ!」
松上とセラミックは、取りあえず負傷の程度をお互いに確認し合った。特に松上は、落下のショックで左肩に何かが刺さった跡のような傷口が開き、ボタボタと出血している。幸いにも骨折まではしていないようだ。
額の血を拭いて貰ったセラミックは、唯一残っていた松上のリュックをあさる。
「布で暫く縛って、止血してみます」
「すまないな」
「いえいえ、後で私の怪我も診て下さいね」
「それにしても崖の上からは声がしてこないな。2次遭難を防ぐために、捜索は断念したか」
松上晴人は吉田真美と中山健一が、生きている事を前提に話をしている。しかし、あのアロサウルスが現れたのだ。……最悪の場合は……いや、そんな事は考えないでおこう。上でも2人だけで臨機応変に対応し、今は救援隊に出動要請を済ませた頃合いだろう。
俄に周囲が暗くなり、土砂降りの気配がした。運悪く天候が悪化し、雨も本降りになってきたのだ。
「くそ~、泣きっ面に蜂だな、こりゃあ」
「あっ! よく見ると、崖下に洞窟のような穴が開いてますよ!」
「何が潜んでいるか分からんが、とにかく行ってみるぞ、セラミック」
「はい!」
セラミックは、松上が無理に会話を続けている事を悟ってしまった。おそらく彼女の不安を払拭させるためか、余計な心配をかけさせまいとしているのだろう。彼の足取りはおぼつかず、ふらついて真っ直ぐに歩けないほどだ。
「しっかりして下さい、松上さん」
「頭を打ったからかな、君が天使に見えるよ」
「何言ってるんですか、私は最初からエンジェルですよ」
「ははは……」
なぜか少し涙が出た。セラミックは松上に肩を貸して洞窟に向かう時、その事を雨で濡れたせいにしたかった。
崖下にぽっかり口を開けていた洞窟は、大人2人を迎え入れるだけの余裕があり、幸いな事に奥行きも十分であった。真っ暗な世界は不気味で、足を踏み入れるのに若干躊躇したが、セラミックは銃を構えながら先行する。試しに一発撃ち込んで、何かが飛び出してくるのを待ってみようかと思ったが、弾の無駄使いは止めておこう。
岩がゴロゴロしている内部を見回す。暗闇に目が慣れてくると同時に、先客はいない事が確認できた。
「きゃあああ!」
「何だ、何だ?! 恐竜か?」
セラミックのすぐ足元で、サソリとクモの合いの子のような生物が、岩の隙間へと逃げ出したのだ。
「驚かせるなよ、セラミック……」
満身創痍の松上が、そう呟いた頃、外部では湿った空気に伴う雨の激しさが増してきた。
「取りあえず、キャンプファイヤーでもして明るくしましょうよ」
「キャンプファイヤーってお前……」
松上がセラミックの言葉に苦笑いした時、洞窟の片隅に木の枝でキッチリ組まれた恐竜の巣と思しき物を発見した。
「丁度いい、もう使われていないようだし燃料にしちまおう。残念ながら卵は残ってないみたいだな」
セラミックは、松上からマグネシウムライターを借りると、ナイフで鉛筆を削るように柔らかな金属表面をゴリゴリと粉状にし始めた。
「よし、もういいだろう、着火!」
松上は、石皿上の削り粉めがけてフリントを擦り、火花を散らせる。火口は火種にしたガーゼに、あっと言う間に燃え移った。乾いた恐竜の巣は、2人が暖を取るための最適な薪となったのだ。
「さあ、上着を脱いで下さい。松上さん」
「いやん。何するの」
「もう! こんな時にふざけるのは、よして下さいよ。こっちまで恥ずかしくなっちゃう……じゃないですか!」
無理矢理、彼の上着を脱がすと、左腕の傷は思ったより深くて出血も酷かった。
ハンターは恐竜に咬まれてから、やっと一人前になれると言うが、咬まれた傷でなくてよかった。数ある恐竜の中でも、肉食恐竜の一部に毒をもつ種類がいると報告されているからだ。アロサウルスは、おそらく違うと思うが。
「傷の処置や包帯を巻くのがうまいじゃないか。恐竜狩猟調理師よりも看護師を目指した方がいいんじゃないのか?」
「さっきから人を怒らせるような事ばかり言って! ここに置いてけぼりにしますよ」
「フフフ、君がこの世界で、たった1人になって生きてゆけるとでも……?」
憎まれ口をたたいた松上は、横になると目を閉じた。暫く眠らせた方がいいのかもしれない。そう思ったセラミックは、焚き火の番をしながら吉田真美と中山健一の身の上も案じるのだった。
外部から救助の声がしないか、耳を澄ませながら淡い期待も寄せたが、激しさを増す雨音しかしない。さすがに、あの両名でも危険を冒してまで崖下に降りて来ないだろう。
松上が次に居眠りから目覚めた時、いつの間にかセラミックと一緒に同じ毛布を被っていた。色々と話をしたような記憶があるが、2人で身を寄せ合っていると不思議な安心感に満たされる。
「そう言えば、腹減ったな……」
「確かに、そうですね……ちょっと待って下さい」
安心すると空腹を実感するもので、セラミックは金属製のシエラカップに豊富な雨水を溜めると、火にかけてレトルトカレーを暖める事にした。ついでに、そのお湯でカップラーメンも作る予定。
「私はカレー屋の娘なんで、カレーにつきましては、ちょっとうるさいんですよ」
「ホントかよ~、レトルトカレーは食えないって言うのか」
「とんでもない、色々と勉強させて貰ってます」
カップ麺を2人で分けて啜り、ビスケットをカレーに浸して囓る頃、もうすっかり日は暮れていた。
激しかった雨はいつしか上がり、夜空には満天の星が垣間見えていたのだ。
ひんやりと薄ら寒い夜の帳が降りる頃、洞窟の外が俄に騒がしくなってきた。
セラミックは、外で倒れているアロサウルスが復活したのかと震え上がり、同じ毛布に包まる松上にぎゅっと抱きついた。
「おいおい、デカい胸をグイグイ肩に押し付けてくるなよ」
「そんな事を言ってる場合ですか! 外で一体何が?」
「屍肉をあさるハイエナのような恐竜どもが、ご馳走を見付けて宴会でも始めたんだろう」
「……ということは、外は肉食恐竜だらけ?」
「そうだろうな。くそっ! 俺のアロサウルスが持ってかれる」
松上が外の様子を伺おうと銃を片手に立ち上がった時、洞窟の外に佇む何かを発見した。焚き火の炎を挟んで、4つ足の鎧竜の群れと目が合ったのだ。
「ぐわっ!」
「いや――! 何、何ィ?!」
洞窟をねぐらにしているガルゴイレオサウルスだろうか。鳥目なので夜間は目も見えず、巣に戻ってくる習性があると考えられた。
「俺達が洞窟を占拠してるから、いい迷惑なんだろうな」
「ごめんね。集まってきた夜行性の恐竜に襲われなきゃいいけど……」
「鎧竜の防御力はハンパないぜ。それより……このままじゃ、おちおち眠る事もできそうにないな」
「交代で焚き火の番でもしましょう」
「じゃあ先に寝てろよ、セラミック」
そう言いつつも銃を抱えた松上は、焚き火を前にして船を漕ぎ、あっと言う間に居眠りを始めた。やはり心身の疲労と共に、怪我のダメージが大きいのだろう。
「松上さん……私が寝ずに番をしますから……」
セラミックは、ぼんやりとしている松上を横にして自分も同じ姿勢になると、子供を寝かしつけるように後ろから抱きかかえた。
真夜中になっても外部では、相変らず恐竜達の気配がする。銃を傍に置き、腕枕して寝そべっていると、松上がうなされるように寝返りをうち、セラミックを抱き締めてきた。
「ちょっ! 松上さん?! 眠れないのですか?」
「…………」
返事はないが、柔らかな胸の谷間に顔を埋めてくる松上は、悪夢でも見ているのだろうか、額に脂汗を滲ませている。左肩の傷が、しくしく痛むのかもしれない。
「大丈夫ですよ、松上さん。安心して眠ってください……」
セラミックは自分より、かなり年上である男の髪を優しく撫でながら、焚き火の炎の中に薪をくべ続けるのだった。
松上の静かな寝息を耳にしていると、橙色に揺らめく炎の照り返しの中、徐々に自分の意識も遠退いてきた。
『ヤバい……このままじゃ、眠っちゃう。私も今日一日で、色々あって疲れちゃったのかな……』
誰かが悪戯っぽく頬を撫でてくる。まだ夢の中なのかな? もう学校に行く時間? いやいや、ひょっとして彼? 松上さん?
セラミックはニヤけながらゆっくり目を開けると、そこはやっぱり見慣れた部屋の天井ではなく、真っ暗でじめじめとした岩壁だった。夜明けを迎えたようだが、松上はセラミックの腕の中でまだ眠っている。
「……という事は……?」
顔を上げたセラミックは、アップになった恐竜の鼻息を顔面に浴びた。剣竜類であるステゴサウルスか何かの幼体に顔を舐められたのだ。
「きゃ――あっ!」
「何?! アロサウルス?」
松上が飛び起きると、のんびり顔で小さな頭の草食恐竜が、特に驚く事もなくキョトンとしている。
「うわ! 何だコイツは!?」
銃を向けるまでもなかった。2人への興味をなくした恐竜は、相変わらずゆっくりとした動作で、洞窟の出口へと、歩を進めていったのだ。背中に並ぶ骨板と尻尾の先端にある4本のスパイクは、まだ短かくてカワイイ。
焚き火は、いつの間にか消えて冷たくなり、すっかり灰だけの状態となっていた。
「……どうにか朝まで無事に生き残れたようだな」
抱き合っていた松上とセラミックは、お互い気まずそうにそっぽを向くと、咳払いをしたり顔を赤くして俯いた。
ちびステゴサウルスがうろついていた事から、肉食恐竜の饗宴は大方収まったのかもしれない。
「ちょっと外の様子を見てきます」
セラミックは、気まずい雰囲気から逃れるように松上を残して洞窟外の偵察に向かった。
曇っていた空は嘘のように晴れ渡り、恵みの雨は古代のシダ植物群を生き生きと蘇らせたのだ。所々に水溜まりが残る崖下に、土砂に半分埋まったアロサウルスの姿が確認できた。
恐る恐る銃を構えながら近付くと、2~3匹の1メートルにも満たない小型肉食恐竜が、ここぞとばかりに巨大な死骸の上に乗って肉を啄んでいるのが見えた。
背後にただならぬ気配を感じる。セラミックは緊張して、振り向きざまに銃口を定めた。
「夜行性のジュラヴェナトルがまだ活動してやがる」
「ひゃあ!」
服を着た松上が、いつの間にか背後に陣取り、食い荒らされたアロサウルスの上半身を口惜しそうに眺めていた。
「もう、驚かせないでくださいよ! 一言声を掛けたらどうなんです~」
「珍しい獣脚類だからな。我々に気付いて逃げ出す前に観察しておきたいのだ。カラスみたいな羽毛恐竜だなぁ」
「いいんですか? 大事なアロサウルスが、骨だけになっちゃいますよ」
「埋まっている下半身は無傷だよ。でも今日は雨も止んだし、臭いに釣られた大型の肉食恐竜が森を抜けてやってくるかもな」
残された銃弾は僅かだ。昨日のアロサウルス群に向けた3点バーストによる無駄な発砲を、今更ながらに後悔した。その時、顔を上げたセラミックは、朝日に反射する不自然な金属光沢を目にして、松上の服を引っ張る。
「ほら! 枝に引っ掛かっている、あれを見てくださいよ、松上さん!」
「ひょっとしてあれは……でかしたぞ! セラミック」
2人はジュラ紀に存在する事は、あり得ない機械製品……ドローンの無線操縦装置に付いているベルトをたぐり寄せ、急いでコントローラーを回収した。
「やったぞ、奇跡的に土砂に埋まらず、下まで落ちてきたんだ」
祈るような気持ちで電源を入れる……落下の衝撃と、雨に濡れたにも関わらず、機能は正常だった。
「壊れていないようだぞ。さすが日本製! そうだ、俺のVRゴーグルはどこだ?」
セラミックは、松上の首に掛かったままだったVRゴーグルを洞窟まで取りに戻った。
「おおっ! こっちも大丈夫だ。ドローンのバッテリーもまだ生きているかも」
松上はコントロールを失い、森のどこかに墜落したままであろうドローンの状態を確認する。するとドローンのカメラからの映像が、VRゴーグルまで送信されてきた。試しにプロペラを回すと、何かに絡まっているようだが、機体が僅かに動いた。無線操縦可能なギリギリの距離のようである。
「セラミック! 我々はまだ、運に見放されていないようだ!」
そう叫んだ瞬間、鬱蒼とした森の中から中型の肉食恐竜が奇声を上げて姿を現した。それを見た黒いジュラヴェナトルは一斉に食事を止めて飛び上がる。信じられないほどのスピード。鳥のような、すばしっこさだ。
「きゃ――っ! またアロサウルス!?」
「いや、たぶんトルヴォサウルスの子供だな。よく似ているが、羽毛の色がまるで違うじゃないか」
「よく落ち着いていられますね」
セラミックは、トルヴォサウルスが豆恐竜を威嚇している内に、松上と洞窟まで走って隠れた。
「はあ、はあ……生きた心地がしません」
「なあに、まだ2日目じゃないか。今日ぐらいに救援隊が駆け付けてくれるはずだ」
「松上さんは、随分と楽観主義者なんですね。でも、そういうのは嫌いじゃないです」
「そうさ、生き残るための秘訣かな。いや、熱があるから頭がボーッとしているだけなのかもしれない」
そう言いながら松上は、どこから拾ってきたのか、大きな恐竜の卵を2個ポケットから取り出すと、セラミックに見せた。
「また火を起こして朝食にしよう。ランチョンミート缶が残っているだろう? 調味料がないから缶詰の塩分を利用するのだ」
セラミックは無言で頷くと、くしゃっと精一杯の笑顔を彼に捧げたのだ。
洞窟に戻ったセラミックは、早速焚き火を始めて湯を沸かし、松上に貰った恐竜の卵を2個茹でた。
そして大きな茹で卵を作ると固い殻を剥き、サバイバルナイフで縦に半分に切ったのだ。
「恐竜の卵とランチョンミート缶で、何を作るつもりなんだ?」
まさかこの場で料理するとは思わなかった松上が、セラミックの手際いい作業を不思議そうに眺める。
「えへへ……セラミック風デビルドエッグですよ!」
セラミックは固茹で卵から黄身だけをくり抜くと、シエラカップの中でランチョンミートと一緒に潰して和えた。そして味を付けた黄身を丁寧に元の白身に戻して盛り付けたのだ。
「さすが恐竜狩猟調理師を目指しているだけあって、料理のアイデアがすごいな。ちょっと俺には無理だ」
「いや、それほどでも~」
セラミックが謙遜していると、シンプルな卵料理を口にした松上から意外な言葉が発せられた。
「セラミック、君の恐竜料理は本当に美味いな……」
松上のしみじみとした言葉に、セラミックは一瞬……固まった。大きな茹で卵のように。
これこそ、セラミックが今まで願って止まなかった、欲しがっていた台詞なのでは?
――松上に心から言わせたかった言葉がついに出た。
セラミックが作った料理で、とうとう松上に美味いと言わせたのだ。
「黄身の料理ですか? それとも君の料理ですか?」
プルプル震えながらセラミックは、意味不明な質問を真顔で聞き返してしまった。
「何言ってんだ、セラミックが作った茹で卵はイイねと言っただけだ。こんな状況で腹が減ってりゃ、何を食べても誰でも美味しく感じるはずさ」
少し戸惑い気味の松上は、ひねくれた言葉に置き換えてきた。それでも嬉しかったセラミックはデビルドエッグを持ったまま、松上と背中合わせになって体重をぐいっと掛けた。
「や、やめろよ! せっかくの卵を落としちまう!」
それからはまた、ただ静かな時間だけが過ぎてゆき、セラミックと松上は焚き火の炎を見ながら、とりとめのない会話をした。
「原始人の生活ってこんなだったのかしら」
「そうだな、我々の先祖は外敵の肉食獣に怯えながら穴居生活していたはずだぜ」
「もし助けが来なかったら、私達このままジュラ紀でサバイバル生活しながら生きていくのかな」
「馬鹿言え、すぐ救援隊がやってくるさ。心配しなくても大丈夫だよ」
大きな瞳に炎を映しながらセラミックは夢想する。
太古の昔に取り残された2人は、アダムとイブになりました。
誰からも邪魔されないこの地でエデンの園を築き上げました……。
「……さあ、かわいい娘達。パパが夕食を仕留めて帰ってきたわよ!」
「わ~い!」
「ほら、今日の獲物はキリンのように首が長い竜脚類、ディプロドクスの尻尾だよ! 残念ながら本体の方は逃がしちまった! ごめんよぉ」
「もう、何やってんのよ!」
「ママ、おっぱいがはみ出しているでちゅ!」
「いやぁ! ジュラ紀はブラが売ってないから困るわ~」
「ブラどころかパンツも売ってないからノーパン生活だぜ」
「そんな事より、この子達の学校教育はどうするのよ!」
「俺が読み書きから面倒見てやるよ。こう見えても非常勤講師として、大学で講義していた経験もあるんだぜ」
「パパ、おヒゲが長いでちゅ」
「ああ、髪の毛もボサボサだな。コンタクトもなくしちまったけど、生きていく上では特に問題ないな」
「はぁ~、ケータイもテレビもなしか……。電気はいいとして私が心配なのは、怪我したり病気になった時よ。病院も薬もないのよ」
「1億年前の世界だけど、自然に即して生きる事……これこそが本来あるべき生物のスタイルなのかもしれない。寿命が短くても、ある意味これほど幸せな生き方はない。セラミック、俺より早く死ぬんじゃないぞ」
「あなた……恐竜に襲われるのだけはイヤだわ」
「俺達は奴らより1億年以上も進化しているんだぜ。生物としての完成度が違うよ。当然、頭脳もケタ違いだ。返り討ちにしてやるまでさ!」
その時、原始生活を送る4人家族に不幸な天災の兆しが訪れた。この時代の地球は、まだまだ火山活動も活発で、大地を揺るがすような地震は頻繁に起こり、恐竜を始めとする生物群をしばしば恐怖のどん底に突き落としたのである。
「きゃあああ! また地震? パパ、今度のは大きいわよ」
「ああ、洞窟が崩れちまう! セラミック、急いでニコラとテスラを連れて外に逃げるんだ」
「わああ~ん! 怖いよママ~!」
「大丈夫よ! ママが付いてるから! さあ、行きましょう」
「うげっ! 洞窟の奥から火山性のガスが噴出してきやがった。ここはもうダメだな」
「ええ~! 私達の思い出が詰まった初めてのマイホームが……」
「また不動産屋に行けばいいだろ! おいおい、テスラがまだ寝ているぞ」
「双子なのに随分と性格が違うわね」
「ママ、おしっこもらしたでちゅ」
「おい! 見てみろ、向こうの成層火山……ジュラ富士が噴火してるぞ!」
「わあぁ! 怖い~。でも噴き出すマグマが、夕焼けよりも綺麗……」
「ああ~、パパが作ったホネがこわれたでちゅ」
「くそ! 苦労して組み上げたアロサウルスの骨格標本が~、俺の私設恐竜博物館の夢が~」
「ジュラ紀にヒトは4人しかいないのに、あんまし意味ないわよ!」
「とにかく命あっての物種だ。さあ、みんなで逃げろ」
非常事態において肉食恐竜と草食恐竜は分け隔てなく、一糸乱れぬ隊列を組むかのごとく群れを成し、どこかに向かって避難していた。野生の本能によるものか、危機に対する嗅覚に優れるのか、人類よりも迅速に行動し、統率も取れているような気がしてならない。
全長20メートルクラスの竜脚類、アパトサウルスの群れが移動すると大迫力で、まるで背の高い貨物列車が線路を滑っていくよう。地面は足跡で掘り返され、大木さえも薙ぎ倒しながら水辺まで向かっている。
原始家族も住み慣れたエデンの園を後にすると、子供2人をそれぞれに背負って寄り添いながら大河を目指した。水さえあれば何とか数日は生き長らえるはずだ。
ミニサイズの肉食恐竜が10頭ほど、夫婦の足元をチョロチョロと縫うように走り去ってゆく。コンプソグナトゥスと呼ばれる、飛べない鳥みたいな奴らだ。
空を見上げれば、まだ珍しい被子植物の梢から始祖鳥の集団が、甲高い鳴き声を上げつつ七色の派手な羽毛を翻す。
「アダム、もうダメかもしれないわ」
「誰の事なんだ、アダムって? 俺の名前はジュラ紀でも松上晴人だ! それに、最後まで諦めるな! 地震と火山の噴火なんて日本に住んでりゃ、珍しくも何ともないだろう!」
「ちょっと、危ない! アパトサウルスに踏まれないように気を付けて!」
「馬鹿デカいあいつらも、逃げるのに必死と見える。どうやら地面は、あまり気にしてないようだな」
「パパ~! 前、前! やばいでちゅ!」
「うわあぁぁ! しまった、地割れに落っこちる!」
「きゃあぁぁ! 何なの、この映画のようなベタな展開は?」
火山活動に伴う巨大地震により発生した断層は底知れず、地獄にまで届くようなスケールである。暗黒の口を開けたまま、数多くの生きとし生ける物を飲み込んでも、満ち足りる事はなさそうだった。
「セラミック……俺の事はいいから、この子を……娘を頼んだぞ……!」
「そんな! あなたこそ諦めないで!」
地割れに落ちかけている父親が、双子の片割れを何とか母親に託した時、非情にも木の根を掴んでいた左腕が力尽きてしまったのだ。
地上に残された家族の悲痛な叫び声も、不気味な闇に吸い込まれてゆくだけで、愛する人の元には届きそうになかったのである。
……おい、セラミック……。
……起きろよ。いつまでそうやって寝てるんだ?
「おい、セラミック! 起きてくれ!」
「う~ん……?」
セラミックは誰かに揺り動かされて、再び眠りから目覚めた。くすんだ顔を起こすと、目の前にある焚き火の炎がパチパチと爆ぜながら、優しい光と暖かみを供与し続けている。
「ん? ……どうしたんだ? 泣いているのか?」
松上晴人が、心配そうにセラミックの顔を覗き込んでくる。彼は深夜まで寝ずの番をしてくれたセラミックの事を気遣い、長時間ぐっすりと眠らせてくれたのだ。
思わず耳まで真っ赤になり、両手と毛布で顔を隠した。
「ごめんよ、セラミック。もう家に帰りたいのか……。そうだよな、家族も心配しているはずだし。……本当にすまない。俺のせいでこんな事になっちまって……」
「…………! 違うの! 悪い夢のせい」
思わず声が出た。そしてセラミックは見た。やつれ気味に戸惑う松上晴人の横顔を。申し訳なさそうに、目も合わせてはくれない。
彼も負傷し、極限状態の中で相当に頑張っているはずだ。なのに泣き言も一つ漏らさず、気丈に振る舞っている。その態度を目の当たりにして、セラミックは複雑な感情が渦巻き、何だか更に涙が溢れ出してくるのだ。
「さあ、もう泣かないで聞いてくれ」
「うん……」
「実は外部から微かに聞こえてきたんだ。俺達を呼ぶ声が、崖の上の方から確かに聞こえた」
「!! ……ひょっとして救援隊?」
「そうかもしれない。いや、きっとそうだ!」
松上は手短に説明した。まだ動くドローンを飛ばして、2人がまだ生きている事を救援隊に知らせる手筈を。更にどこで救助を待っているのか、崖下までドローンを使って誘導すると言う。
「セラミック、君の力がどうしても必要なんだ」
「ええ、何でも言って」
「電波が届く外部にて、ドローンをリアルタイムで無線操縦する訳だが……」
「VRゴーグルを通して操縦している間は、無防備になって周囲の状況が全く分からなくなるのね!」
「……そうだ。外にはまだ凶暴なトルヴォサウルスがウロウロしているはずだから、セラミック! コントロール中の俺を守ってくれ」
「分かったわ!」
松上とセラミックは向き合うと、笑顔で握手を交わした。言葉にはできなかったが、無事に2人で現代に帰還するという固い意思を伝えたのだ。
涙が乾いた目には迷いなどなかった。セラミックは立ち上がると、89式小銃のコッキングレバーを引いて初弾を装填、セレクターの安全位置を確認した。
「我々の生存が絶望視され捜索打ち切りになると、グッと生き残る確率が低くなってしまう。何としても今、俺達が崖下で救助を待っている事を知らせるんだ」
「ええ、もう食料も乏しいし、現代に戻ってお風呂にも入りたいわ」
「ああ、温泉にでも浸かってゆっくりビールが飲みたいな。セラミック、その時は背中でも流してくれないかな?」
「いいですよ……って言う訳ないじゃないですか!」
笑うセラミックの脳裏には、もう少し松上と2人でこの空気を味わっていたいとチラリと過ぎる物があったが、内緒にしておこう。傷口の化膿が始まったのか、彼の包帯を取り替えた時、臭ってきた事実が心に重くのし掛かる。
焚き火を揉み消して荷物を纏める頃、セラミックは匍匐前進しながら外部の様子を伺った。
土砂崩れの現場は、バラバラになったアロサウルスの巨体が転がり、相変わらずトルヴォサウルスの若い個体が骨をむしゃぶっている。首筋にフサフサとした羽毛が密生しており、ライオンの鬣を連想させる姿だ。
松上も息を殺して静かに洞窟外に出ると、電波送受信状況を確認しながらドローンの無線操縦にベストな位置を探り始めた。
松上晴人が言う通り、確かに崖上から人の声が聞こえてくるような気がする。2人は思わず大声を張り上げて助けを呼びたくなったが、トルヴォサウルスにすぐ見付かってしまうだろう。
銃声で知らせる方法もあるが、何頭いるか分からない肉食恐竜をなるべく刺激したくない。残り少ない弾薬を使って闇雲に発砲しても、救援隊が本当に到着しているかどうかの保証はないのだ。
「よし、準備は整った。ドローンを今から飛ばすから、ガードを頼む、セラミック!」
「……OK! がんばって、松上さん!」
松上は、シダやソテツの葉っぱを全身に巻き付けて偽装した。木に寄りかかりながら、ドローン搭載の小型軽量カメラから逐次送信されてくる映像をVRゴーグルで見ている。未だに位置は不明のままだ。
ここにきて、不時着したドローンが離陸できない。木の枝や葉っぱがプロペラに絡まっているのかもしれない。もし4つのプロペラの内、1枚でも衝撃で折れていたら、バランスを崩してまともに飛び立たないだろう。
「お願いします! 飛んでください!」
松上の神頼みにも似た言葉は、自然とコントローラーを操作する指を力ませる。
絡み付くツル植物が犬のリードのようにドローンを引っ張り、最後まで上空への解放を拒む。
モーターが限界まで唸り、4つあるローターの回転がMAX状態となる。
振り子のごとく宙に揺れる虚しい映像が送られてくる中、このままでは、あっと言う間にバッテリーが上がってしまうだろう。
『……飛べ~!』
思わずセラミックと松上が抱く心の声がシンクロし、爆発したように地表を伝わった。
トルヴォサウルスが死肉を食らうのを中断し、振り向いた瞬間……ドローンが大空を舞ったのは偶然なのだろうか。
好奇心旺盛な若い恐竜は、牙の隙間から臭い息を発しながら松上の方へと一直線に移動を始めた。
「それ以上は近寄らないで……松上さんには牙一本、触れさせない!」
最終防衛ラインを突破すると同時に、窪みに隠れていたセラミックの89式小銃が火を噴いた。数十メートル先のトルヴォサウルスは、弾が貫通するとライオンのような鬣が鮮血に染まり、七転八倒してもがいた。
もはや、なりふり構っていられなかった。希少種だの子供だの躊躇していては、あっと言う間に捕食されてしまうだろう。ここは完全なる弱肉強食の世界、中生代ジュラ紀の真っ只中なのだ。
生き残りを掛けた2人は、妙に鮮明となった頭の中で思考する。
人はいつから他の生物に対して上から目線となったのか……そんなの驕り高ぶりだ。
数が少なくなった野生動物の保護・育成なんて罪滅ぼしのつもりだろうか。
恐竜時代の圧倒的な生命力の前には、人類の英知も霞んでしまう。私達も、ここでは何と矮小な存在でしかないのだろうか……。
白いドローンは曇りがちな空を滑らかに上昇し、徐々に高度を下げながら崖崩れの現場まで安定した飛行を見せた。崖上には救援隊と行動を共にしていた吉田真美が周囲を見回している。画面を通して遠距離から、不安げな中山健一の姿も捉えられた。
「……今、銃声がしなかった? 健一君」
「したした! 確かに聞こえたわよ! ほら! 1発だけじゃないわよ! ねえったら! 皆聞いて!」
銃声が何発もこだまする中、ポニーテールの中山健一は、上空をホバリングする草まみれドローンのカメラと視線が合った。
「きゃあああああ! 彼は生きているわよ! 間違いないわ、早く助けに行かないと! 救援隊! 何してるの! ウチのリーダー……松上とセラミックを一刻も早く救助するのよ! 急いでよ、もう~~!!」