セラミックの激うま恐竜レシピ


 Dr.はカウンター中央に陣取って言う。

「ハイ! お久しぶり、美久さん。空港からはちょっと遠いね。でも恐竜料理を食べるためにスケジュールを調整して来ましたよ」

 ハンクの横には挨拶もそこそこに、いつの間にか姿を現わした松上晴人が座った。彼もスーツ姿で、いつもの評論家風情だ。
 少し緊張した面持ちで割烹着のセラミックは、すしに挑戦してみた事を発表する。すると座高もあるマックスが、上半身を仰け反らせて手を叩いた。

「何だすしか、この臭いからカリー&ライスかと思ったぜ。俺はそっちでもいいがな」

 ジョンは小さなセラミックにも敬意を表しているのか、隣のマックスを肘で小突いて言った。

「美久さん。今日はこの場でしか食べられないであろう、素晴らしい和食を期待しています」

 セラミックはニッコリ微笑むと、まずはアテの2品をカウンターに提供した。アンモナイトの一夜干しを炭火で炙ったものと、鹿の子切りに包丁を入れたベレムナイトを藁で軽くスモークした肴である。
 タコとイカに似ているが、潮の香りが一味も二味も違う。双方とも密かにテチス海でゲットしておいた先見の明が生み出した2皿である。

「ほう、これは珍しいジュラシック・シーフードですね。盛り付けといい、前菜としてワクワクさせてくれます!」

 ハンクは褒めてくれたが、味はともかく体格のいいジョンとマックスには腹の足しにもなっていないのは明白だ。見極めた後、いよいよセラミックはオフタルモサウルスのすしを手早く握った。4人分となると結構な仕事量だ。

「へい、お待ち! まずは魚竜の酢〆からです。つまりビネガーフレーバーですかね?」

 熟成をかけた魚竜の肉は、ほんのりと桜色で繊維も細かく適度に脂の照りもあり、艶々と輝いて見える。意外とすしダネに向いた食材なのかもしれない。
 箸の使い方が稚拙なアメリカ勢は、ハンクを筆頭に松上の真似をして手ですしを摑むと、各の舌の上に放り込んだ。

「Oh! これが魚竜の味ですか! 目が覚めるようです。……感動しました!」

 薄き赤酢の酸味に負けじと昆布の風味が、歯切れのよい濃厚な赤身の舞台で共演していた。それは舌の上に乗せただけでハラリと溶け崩れてゆくシャリと一体となりたくて、爽やかな印象を口中に残した後は、真夏の夜の夢を思わせるかのごとく消え去った。

「次、皮付き魚竜のタタキです。う~ん、ステーキで言うとミディアムレアかな?」

 セラミックは皮目を炙ったオフタルモサウルスのすしダネに、煮キリを刷毛でサッと塗って出した。マックスはペンキでも塗ったのかと揶揄したが……。
 奥歯にすしが中程まで食い込んだ瞬間! 溢れ出すジューシーな肉汁! それにも関わらず、本来有り得ないはずの香ばしくクリスピーな皮目のインパクト!
 男は思わず2~3秒絶句した。咀嚼しながらブルーの瞳を振り子のように左右に泳がせる。慣れ親しんだビーフと比べても、明らかに異なる歯応えと油膜の織りなすスプラッシュは、彼にとって味覚の革命をもたらせたはずである。

「更に、魚竜のヅケです。マリネといえば分かりやすいかも」

 松上は、ハンクに『醤油主体の調味液(ソース)にネタを漬けておく事からヅケというのです』といった説明をしたと思う。ここでも魚竜の持つ野性味と旨味とが、まるで割烹着の魔術師によって魔法をかけられたかのように渾然一体となって表現されている。
 小さなすしでも何貫も揃えれば、結構ボリュームがあるなとマックスは思った。

「最後に煮魚竜です。全てのすしに江戸前流の技法を施しています」

 そう言いながら魚竜の煮汁を甘辛く煮詰めたツメを仕上げにコーティングした。火を通すと脂の乗った魚竜肉は魅惑の甘みとコクが増し、ホロホロのシャリと絡んで掟破りなまでの喉越しを生み出したのだ。
 ジョンは感心したのか、ついにカウンター越しのセラミックに向かって声を発したのだ。

「素晴らしい! 古代のオフタルモサウルスを何だか理解できたような気がする。それにしても素材の持ち味を活かした、なんて繊細で洗練された料理なんだ! 和食なんて合わないと思っていたんだが」

「フフフ、ありがとう。おまかせコースの締めに、この椀物もどうぞ」

 セラミックはジョンに綺麗な塗りの椀を渡す。すし屋の大将から応援で頂いた逸品だ。ふたを開けた彼は、その香りに自宅近くのフィッシャーマンズワーフを思い出した。

トリゴニア(三角貝)のお吸い物です。身も心も温まりますよ」

 牡蠣のようで蛤より濃厚な身質のトリゴニアは、出汁の海からその故郷の豊かさを余すことなく表現したかのようである。胃腸の襞に染み渡るような、滋養に満ち溢れる優しさとでも言えるのだろうか。
 Dr.のハンクは、まだ若いセラミックのセンスと美学に脱帽し、自分のチョイスが的確であった事を松上に対して自慢げに話し始めたのだ。


 ジョンとマックスも、アマチュアとは思えないセラミックの工夫と手間暇掛けた和食のプレゼンに賞賛を送った。

「ごちそうさま、瀬良美久さん。貴女は将来、きっと有名な恐竜ハンター、いや恐竜シェフとなるでしょう。その時は、また私と一緒に仕事しましょう」

「そうさ、困った時は知らせてくれ! 俺達は世界中のどこからでも、すぐ助けに来てやるぜ」

 ガタイのいい男達は余韻に浸る事もなく、頼り甲斐のある言葉を残して去って行った。Dr.も日本に馴染む前に帰国しなければならない事を、最後まで嘆いていたようだ。
 今回、不気味なほど無口な松上に、セラミックはイヤなツッコミをひしひしと予感して厨房から思わず逃げ出したくなる衝動に駆られた。
 2人っきりになると、ジュラ紀へのダイブ時に起こった思わず恥ずかしくなってしまうような事件の数々がフラッシュバックしてきた。着替えを覗かれそうになった事、メトリオリンクスに襲われかけた時にギリギリで助けられ、抱き合って見つめ合った事……等々。

「セラミックさん」

「はい!」

「和食として魚竜をすしにする事は正解だったかもしれない」

「ありがとうございます。目玉ちゃんは美味しかったですか? 松上さん」

「その呼び方はちょっとよせ。……それより一言だけ言わせてくれ」

「うっ、何でしょうか?」

「恐竜、いや古代の魚竜を生で食べる事は、どれほど危険なマネか分かっているんだろうな?」

 セラミックは言葉に詰まった。それでも全てのすしに何らかの仕事を施し、完全な生食をさせた訳ではなかったと思う。

「いくらお金を取って客商売していないからといって、安全性に問題のある物を平気で出すのはどうかと思うんだ」

「ごめんなさい。すし屋の大将からもアドバイスを貰ったんですが」

「ジュラ紀のオフタルモサウルスには未知の寄生虫が存在しているかもしれない。酢〆やズケ程度では現代のアニサキス幼虫も生き残ると聞いている。周りを焼いたタタキでも中心温度が低けりゃ然りだ。何より……」

「何より?」

「もう俺も食っちまったが、寄生虫以外の感染症が心配だな。古代の細菌やウイルスなんて研究が始まったばかりで、誰も詳しくは知らないのだ」

「ひええ! 試食で生魚竜を大量に食べてしまいました」

「とにかく、安全性が確立するまで生は避けておけ。恐竜狩猟調理師の国家試験では魚竜は生でも大丈夫となってはいるがな」

「何だか急にお腹が痛くなってきたような」

「多分ジョンとマックスは平気だろう。何せ、あいつらは不死身の特殊部隊員だからな。体力とサバイバル能力は常人レベルを遙かに超えている。ハンク先生もエネルギッシュで、あの調子じゃあ簡単には死なないだろう」

「本当に大丈夫なんですかね?」

「さあね。病気になったら一緒に入院しようぜ、セラミック!」

 松上晴人はいつもの仏頂面ではなく朗らかであった。明らかに2人の距離が縮まり、信頼関係のような物が芽生えてきたのだろうか。セラミックは松上の満足げな笑顔に、目玉ちゃんの魂が浮かばれたような気がしたのだ。言葉にはしなかったが、絶対美味しかったに違いない。そう思えるほどの純粋な笑顔だった。
 
 ふと胸がキュンとし、信頼関係とは似て異なる、もっと感情的な何かがスパークリングワインの泡のように立ち昇ってきた。
 ……もし松上さんと結婚するような事態になれば……親友の佳音が親戚になっちゃうのか……馬鹿! 目の前にいるのに何考えてんだ、私!

「どうしたセラミック? 救急車でも必要か? 言っとくけど、重篤患者様のために軽はずみで呼んじゃダメなんだぞ」

「違いますよぅ……!」



 目を閉じれば刹那に、魚竜が悠々と泳いでいた、かのジュラ紀末の荒々しくも清涼な海が思い起こされる。現在の海とは繋がっているようで、隔たりもある不思議な世界。ちょうど夢と現の関係みたい……。
 セラミックは何だか切ないような、漠然とした心持ちを彼に気取られないように微笑み返したが、確かな胸の内でそう感じたのだ。



 
――アロサウルスが断末魔の叫びを残して目と鼻の先にどさりと倒れた時、私は安堵と共に一種の罪悪感にさいなまれる事となった。
 その肉食恐竜は、まだ羽毛が全身にくまなく残っているほどの若い個体で、あばら骨が浮き出るまでに痩せ細っており、ひどく腹を空かせていた事は明白だったのである。
 それでも私は手にしたショットガンのショットシェルに詰められた特注の鉛玉(ペレット)を叩き込まずにはいられなかったのだ。
 奴にとって我々人間は、たまたま出くわした手頃な獲物に過ぎなかった。身長2メートル以下の集団で歩く生物は、二足歩行するオスニエロサウルスのような小型の草食恐竜と思えたに違いない。
 銃のトリガーを引く強い力をもたらせたのは、食われたくないという単純な生物の本能。死の拒絶と生への執着心。そして人類が、いや哺乳類の祖先がネズミほどの大きさだった時代からDNAにすり込まれている、恐竜に対する根源的な恐怖心からだったのかもしれない。


――松上晴人・著【恐竜ハンターという生き方】より抜粋――


 
 
 盛夏の鹿命館大学のキャンパスは、容赦のない太陽光を遮る物も少なく、蝉の鳴き声が悲鳴にも似て不快指数をアップさせてゆく。そんな外気状況下でも大学院の施設内に一歩でも入れば、空調の効いた快適な生活空間が広がっており、それは人類の生物としての活動適応気温の幅狭さを物語るのだ。
 草木生い茂る丘陵地帯にある大学院の一区画。白衣姿の松上晴人は、調査捕竜・βチームの面々を自然科学研究科の会議室に集合させている。
 珍しく薄い色のシャツワンピースを着たセラミックは、紙カップの氷がちになったアイスコーヒーに刺さったストローをがらがら回しながら言う。
 
「松上さん。今日、来られる予定の方は、まだなんですかね?」

 βチームの正規メンバーの1人、中山健一が中国遼寧省の海外出張から戻ってくる。彼は凄腕の恐竜ハンターで、プロとしては研究員である松上以上の腕前だそうだ。セラミックが加入する前のβチームにおいては、主力的な位置付けで活躍し、張り切りすぎた余りか負傷してしまい、今回療養も兼ねた長期出張となったようである。

「皆、待たせて済まない。丁度、今しがた、ここに着いたようだ」

 スマホ片手に松上が、申し訳なさそうな表情で吉田真美に視線を配る。彼女は夏らしい色合いのパンツルックで足を組み、リラックスしながら座っている。
 真美さんは『いつものことだ』と言わんばかりに余裕な態度で、文庫本の文字列を数行に渡って速読している最中だ。
 事前に伺った話や真美さんの態度から中山健一が、どのような人物なのかはイメージしにくい。何せ写真すら見せられた事もなかったので、セラミックは彼の事を筋肉質で山のような大男に想像した。プロの恐竜ハンターで一流の仕事人ともなれば、レスラーのような髭面の男であるはずだ、と勝手に決めつけるしかない。

「あら~、ずいぶんと待たせちゃって、ごめんなさいね~! これはお詫びの印。アイス買ってきたから、皆で食べてねぇ!」

 会議室のドアを勢いよく開けて入ってきたのは、女口調の小柄な男性? 身長もさる事ながら、長髪で中性的な美しい顔立ちは、まるで少女漫画に出てくるキャラクターのよう。
 ぽかんと口を開けたままのセラミックに向かって、(Tシャツにジーンズ)はその小顔を近付けてきた。ヤバい、人懐っこい笑顔が可愛すぎる。初対面にも関わらず物怖じしない態度は、グローバルに活動している証なのか?!

「あなたがセラミックさんね! 松上から話は、かねがね聞いているわよ。噂通りの若くてカワイイ子ね~。松上がいかにも好きそうなタイプで、私も気に入っちゃったわぁ」

 可愛い人からカワイイと言われた。セラミックはまんざらでもなかったが、所々に引っ掛かる。
 松上は軽く咳払いして紹介前の人物に対し、落ち着いて黙るように言い渡した。……もう手遅れだ。第一印象は決定的となり、どう考えても面白い人に違いない。

「君は相変わらずだな。え~、昨日かな? 日本に無事、帰国した中山健一君だ。この中でセラミックは初顔合わせとなるはずだから、お互いに宜しく頼むよ。これからβチームの正式メンバーとして復帰する予定なので、以前にも増して頑張るように。簡単になりましたが、リーダーからは以上……です」

 セラミックと吉田真美から拍手が捧げられた。中山健一は嬉しそうに松上に握手を求めているが、何だか松上の方が照れている。さっきと同じようなノリで、ご無沙汰だった会話を始めたのだ。
 真美さんは真面目な顔のまま、小声でセラミックに伝えた。

「フッ、また恋のライバル出現か。あんたも大変だねェ、うかうかしてらんないよ~、セラミック」

「ええ?! 何を言ってるんですか真美さん」

「またまた~、端から見てるとバレバレだよ。……全く、あんな暗い男のどこがいいんだか知らないけど。彼、中山健一君は松上晴人君の事が大好きなんだよ、男同士なのにね」

「……えええ~!」

 セラミックは口に含んだ氷を一粒、床に転がした。

 場の空気が1℃ほどクールダウンした頃合いを見計らって、松上晴人は改めて3名の前でブリーフィングを開始した。

「皆、よく聞いてくれ。βチームの正規メンバーである中山君が戻ってきた事もあり、かねてから迷っていた依頼を受けようと思う」

 当の中山健一は、久々となる調査捕竜――恐竜ハントへと向かうダイブ予定に気分を否応なく高揚させていた。

「何々? どういった内容なの? 松上研究員」

「中山君、まずは落ち着いて説明を聞きなよ」 

 少しイラついた真美さんが、必要以上に食い付く中山をたしなめた。セラミックは彼の隣の席で、ついクスクスと口を押さえつつも笑ってしまった。

「え~、ジュラ紀における最強の肉食恐竜でもあり、狩猟難易度トップクラスのアロサウルスだ」

「アロサウルス!?」

 一同は声を揃えた。無理もない、有名な割に今まで数回のハンティング成功例しか存在しない正に最高レベル恐竜、アロサウルス狩りに今回挑戦するというのだ。

「もし成功すれば、我々のチームもようやく一流として国際的に認められるって感じかな」

 松上の不敵な笑いに、真美さんは少し異を唱えたくなったようだ。

「国際的になんて……前回の日米合同作戦で十分だったじゃない。あんまし背伸びしなくてもいいよう」

「う~ん確かに。弱小、いや中堅のβチームには少々荷が重すぎるかもしれない。αチームもこの度は別のミッションに参加しているので、支援を得る事が難しいしな。だが、これは私の願いでもあるのだ」

 ホワイトボード中央付近にマグネットで固定された紙面を、松上は所在なげにペン先でノックした。

「私にとって子供の頃から一番好きな恐竜は、アロサウルスなんだよ。デカいだけのティラノサウルスじゃなくてね。肉食恐竜として最も完成された美しい姿形をしていると思う」

「なんだそりゃ。自分の都合じゃないの」

 現実主義者の真美さんは、松上の幼稚な男のロマンに付き合ってられないような台詞をこぼした。だが、松上が持つ、そういった面に惹かれて今まで行動を共にしてきたのも、また事実なのである。それに対して中山健一は同じ男としての理解を示し、セラミックの目を丸くさせた。

「あら、いいじゃない。私は特に反対しないわよ。安全面に配慮さえできていれば、松上君の夢に付き合ったげる」
 
 いつもなら松上からの依頼にすぐ合意するセラミックだったが、今回は違った。何だろう、うまく言えないが野生の勘が働いたのだ。こういった勘は決して馬鹿にはできない。優れた恐竜ハンターになるための資質とさえ言えるのだ。

「アロサウルスは集団行動の習性もあると聞きます。少人数での大型肉食恐竜狩りには危険が伴います」

「確かにそうだな。今回だけは見習いのセラミックには抜けて貰おうかと考慮しているのだ」

「ええ?!」

 セラミックは多少なりともショックを受けた。レアなアロサウルスの目撃情報に舞い上がり気味の松上晴人から戦力外通告を受けた気分となった。もちろん、それは自分の安全を最優先してくれる松上の思いやりである事は、瞬時に容易く理解できていたのだが……。

「いいえ、行きます。行かせて下さい、松上さん」

 恐竜ハンター見習いは、自分の胸騒ぎを信じながらも、思わず答えを出した。
 松上の驚いたような、それでいて、ちょっぴり嬉しそうでもある微妙な表情を汲み取ったのか、中山健一は言ったのだ。

「うふふ、セラミックちゃん、勇ましいわね。松上研究員を守ってあげるのよ」

 男性とは思えない何かを発散する彼に対し、セラミックは苦笑いするしかなかった。

 ジュラ紀の世界は雨期を迎えていた。中生代エレベーター基地の周辺は年中温暖で、四季を思わせる気温の変化は曖昧となっている。

 久方ぶりのジュラアナ長野へのダイブに中山健一は、いつになく興奮気味だ。とは言っても松上晴人ほど人格が豹変する訳でもなく、現代と同じで平常運転だ。サファリ・ルックで先頭を歩く彼は.50ベオウルフと呼ばれるスペシャルな大口径銃を大事そうに抱えながら、最後尾の男に呼びかける。

「未だに歩きなの? トラックやオフロード車を導入する計画はどうなったのよ~」

「ジュラ紀に持ち込む物資は、現時点でも必要最小限と決められている。車は分解すりゃ、いくらでもこっちに持ってこれるんだが……制限を設けなきゃ、古代環境を汚染しまくって、未来にどんな悪影響を及ぼすか分かったもんじゃないからね」

 そう答えつつ、ショットガン片手に地図を眺めるのは松上晴人。いつもの殿ポジションで、アロサウルスの目撃情報があった北西の大河地区にチームを向かわせる。背中には今回、新兵器である偵察用ドローンを背負って意気揚々だ。ドローンはX字型のアームの先端にそれぞれ4枚プロペラを付けたヘリコプタータイプである。

「皆、何を恐れてるのかしら? 車1台で、恐竜が絶滅するとでも?」

 そんな中山健一の無責任とも取れる呟きに、すぐ後ろの吉田真美はカチンときた。

「現在に至ってもね、恐竜絶滅に関する決定的な原因は究明中なのよ。あんた『風が吹けば桶屋が儲かる』っていう日本の示唆に富んだ、ありがたい諺を知らないの?」

 3番目を歩くセラミックは、吉田と同じ89式小銃を担ぎ直して言う。

「え~、絶滅の理由? 巨大隕石衝突説が超有名で、メキシコかどっかに証拠のクレーターがあるって、私でも知ってますよ!?」

 松上リーダーは、前を行くセラミックの背中に刺繍されたディフォルメ・アロサウルスのエンブレムを眺めながら口を挟んだ。ちなみにβチームの制服デザインも、松上が一手に引き受けている。

「ジュラアナ長野は恐竜絶滅の原因を探る上でも、かなり重要って事だねぇ! ……祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現わす……だったっけ? 国語は苦手だな! 我々人類も非常に危ういバランスの上に成り立っているから、いつ恐竜と同じ運命をたどっても、おかしくはないよ~」 

「あら、随分と説教臭いわね」

 振り返った中山健一は、セラミックと親しげに話す松上晴人をチラ見した後で、急に立ち止まった。

「ぐわぁ!」

「きゃあ!」

 松上はセラミックのジャングルブーツを踏んでバランスを崩し、絡みついてしまった。

「おい、セラミック! 俺が背負っているドローンは大丈夫かどうか見てくれ」

「私よりドローンの心配ですか……」

 セラミックはプニプニしているほっぺを更にプクッと膨らませた。そして先頭から聞こえてきたのは情けない声。

「いや~ん! ウ○コ踏んじゃった!」

 彼は丘の向こうでソテツの葉を食んでいるカンプトサウルスが落としたと思われる糞を、モロに踏んづけてしまったのである。

 綺麗好きな中山健一は、汚物が付着したブーツを狂ったように地面に擦り付けたりしているが、滑り止めの凹凸が多い靴底は簡単には拭えない。もはやチームの歩調は乱れに乱れ、前進する意思は失われてしまったかのようである。

「おい! 健一君、先頭はもっとクールになれよ。そんなに動揺しなくてもいいだろう」

 松上リーダーが諭すと、彼は半泣き状態の顔を上げ、感情を露わにした。

「あなたには分からないの? 踏んでしまった人の精神的なショックが。昔の、小学生時代のトラウマが蘇る~!」

 彼の心の痛みは、大体察しが付いたが、チームの先導役の人間としては少々沈着冷静さが足りない。

「しょうがねえな~。……落ち着くまで一旦ここで休憩でもするか」

 丁度、丘陵地帯の崖上辺りだったので、周囲の見晴らしは最高だった。
 休憩中に、松上晴人は嬉しそうに荷物を降ろすと、リュック上に背負ったドローンを起動させた。
 吉田真美は、セラミックと顔を見合わせると、呆れたように言う。

「ちょっと、こんなとこで何するつもりなの?」

「松上さん、近くに恐竜がいるんですよ」

 松上晴人は注意深く周囲の安全確認を行うと、VRゴーグルをはめてドローンの小型カメラから送信されてくる映像の同期具合を確かめた。

「セラミック、近くに恐竜がいるからこそ、このドローンで観察しに行くのだよ!」

「ダメだこりゃ! まるで新しいオモチャを買い与えられた子供だわ」

 真美さんが目をつぶって、頭を抱えるのも無理はない。業者からのレンタル品である新兵器の性能を試す絶好の機会に、松上リーダーは興奮を隠しきれない様子だったのだ。

「それではジュラ紀の空中散歩、いや恐竜の偵察飛行に行って参りますゆえ、宜しくお願いします」

 平らな地面に置いた4ローターのドローンは、LEDの光を放ちながら軽快なモーターの駆動音と、プロペラが巻き起こす強い風を残して、10メートル以上を一気に垂直上昇した。

「わお~! 素晴らしい! まるで自分が空を飛んでいるみたいだ」

 松上は頭部に固定したVRゴーグルを通して、限りなく現実に近い飛行を絶賛体験中である。
 映像はパソコンのモニターを通じて、真美さんとセラミックも見る事ができた。

「凄いね~、確かに。ドローンのカメラが見た映像を、我々もリアルタイムで見ることができるって訳か」

「きゃ! 空中から見る古代の風景なんて、ホント初めてで、何だか新鮮!」

 セラミックは後で松上からVRゴーグルを貸して貰おうと、真美さんの肩を揺さぶった。

「ははは、俺は翼竜の翼と眼を得たかのようだ!」

 送信機のコントロールスティックを器用に動かしながら松上は、丘の上にいたカンプトサウルスの数頭に向かってドローンを飛翔させた。

 身長5メートルはあるカンプトサウルスは、頭上から迫ってくる見慣れない飛行物体に若干警戒心を強め、手で引き寄せた葉っぱを口で千切る動作を中断したのだ。

「これは本当に使える! 恐竜ハンターの眼となり耳となり、将来において必需品となるかもな」

 次の瞬間、松上はドローンのVR映像を通して異常を察知した。奴らが、草食恐竜達が、警戒音を発したのだが、どうも視線が明後日の方向を凝視しているように思えたのだ。空中のドローンを全く見ておらず、別のより大きな脅威に対して怯え、緊張が走っているように見える。

「オイオイオイ、まさか……」

 その時VRゴーグルをした松上晴人の聴覚に、中山健一からのイヤな情報が飛び込んできた。

「ちょっと! 私が踏んじゃったのは、草食恐竜の糞だけじゃないわよ! 未消化の骨が混じっている臭い物も混じっている!」


 カンプトサウルスの群れが、兎のように背伸びしながら警戒している。その方向へ、松上はドローンを方向転換した。高度を若干上げて、何が接近中なのかを空から探るのだ。
 草食恐竜の視線の延長線上には、原始的な被子植物の森が鬱蒼と茂っているだけで、上空からは特に異常が見られない。気になるのはβチームが休憩している開けた場所から、それほど距離的に離れていないという事だ。

「肉食恐竜でも潜んでいるのか? まさかアロサウルス?」

 枝葉が邪魔して地表を移動する生物は分かりづらい。体色を変化させてカメレオンのように周囲の風景に溶け込む技を持つ恐竜もいるらしい。

「おい、中山君! ベオウルフの出番だ。周囲の警戒レベルを上げたほうがいい」

 今回のターゲット恐竜、アロサウルス用に特別手配されたベオウルフは、M-16系では最大となる50口径を誇る化物じみた銃である。セミオート・オンリーのライフルだが反動が凄まじく、扱う人間を選ぶ。なよなよとした中山健一は、こう見えても腕利きのガンマニアで、こういった銃を平気で使用する。

「さあ、あなた達も、いつでも撃てるようにして……」

 彼は銃口付近のハンドガードを横から伸ばした左腕で保持する“ソードグリップ”の構えを決めた。
 上着の前をはだけ、銃の初弾を装填した吉田真美が、緊張した様子で叫ぶ。

「ちょっと、リーダー! いつまでドローンを飛ばしてるのよ。ゴーグルを外さないとヤバいよ!」

「分かってるよ。何とか、ここまで戻そうとしているところ……」

「きゃあ! 前、前!」

 セラミックは思わず悲鳴を上げてしまった。前方の獣道ならぬ竜道となっている開けた地形から、黒っぽい地味な体色の全長8メートルクラスの大型恐竜が現れたのだ。
 頭に乗った枝葉を首振りで払い落とした後、2足歩行の恐竜は顎を半開きにして周囲の臭いを嗅ぎながら駝鳥のような足取りで迫ってくる。肉食らしいナイフのような牙と鋭い爪が特徴的だ。

「アロサウルス! アロサウルスよ! 間違いないわ!」

 銃を構えた中山健一は、空に向けて一発の威嚇射撃を行った。ベオウルフが凄まじい反動と炸裂音を発すると、さしもの巨大肉食恐竜も停止せざるを得ず、その場で驚いたように伸び上がる。

「きゃあ! 後ろ、後ろ!」

 セラミックの叫びに松上晴人は、ついにVRゴーグルを額に上げて操縦を止めた。囲まれてしまった状況を察知して、ドローンを放棄する事を決めたのだ。

「チッ! 頭のいい連中だ」

 舌打ちした松上がコントローラーからレミントンM870ショットガンに持ち替えた時、後方から近寄ってきたアロサウルスは、すでに走り出していた。巨体にも似合わず結構なスピードが出せるようだ。

「どいて! 二人共、早く伏せて!」

 焦って射撃を開始した吉田真美とセラミックが屈んだ瞬間、黒鉄色のベオウルフが吠えた。

 リップクリームのような巨大な薬莢が2つ宙を舞う時、アロサウルスの頭部は爆散し、腹部も風船のように割れて血煙が立ち上る。

 勢い余ったアロサウルスは松上に向かって突進し続け、彼の前で派手に崩れ落ちる。

「わわ、わ~!」

 2トンクラスの恐竜が倒れる時、運悪く松上周囲の地面が崖崩れを起こしたのだ。

「松上さん!」

 セラミックは反射的に飛びつくと、彼に腕を伸ばし続けた。アロサウルスと一緒に崖下に滑落しようとする松上晴人の手を掴んだ刹那、バランスを崩した彼女は巻き添えを食う形で運命を共にしたのだ。

 崖上では真美さんの悲痛な声と、中山が放つ銃声のけたたましい響きが交錯していたが、セラミックと松上には届きそうになかった。


「う~ん……」

 セラミックは、顔に降りかかる2、3滴の雨粒で目が覚めた。数十メートルの滑落で、頭を少し打ったようだが、途中の草木がクッションとなり、擦り傷程度で済んだようだ。背中の89式小銃も脊椎を守ってくれたのかもしれない。

「……そうだ、松上さん! 松上さん、どこですか?! 返事して下さい!」

 崖下の付近一帯は、土砂崩れの湿った土の臭いが充満し、大小の岩や倒木も散らばっていた。

「……!」

 半分土砂に埋まっている図体の大きなアロサウルスは、すぐに発見できたのだが、肝心の松上がいない。
 時間が経つにつれて、焦りからくる動悸が激しくなってきた。

「松上さん!」

 崖に群生していたシダ植物に覆い被さるような形で、松上が崖の途中に引っ掛かっていた。落下時に岩か木に接触したようで、頭部から出血し、左肩口のシャツは赤い鮮血で染まっている。
『本当に意識を失っているだけ?』……セラミックは生死不明である松上の無残な姿に胸が張り裂けそうになった。

「今、助けに行きますよ!」

 返事がない事が気掛かりだ。果敢にもセラミックは、危険な救助に向かった。小雨がパラつき始めているので、放っておけば不安定な崩落現場は更に酷い状況になりそうだったのだ。
 彼女とて、さすがに全くの無傷という訳でもなく、全身に擦過傷や打撲のダメージが所々に連なっていた。そのため一挙手一投足のたびに体のあちこちから、顔をしかめるような激痛が伴う。
 
 ようやく松上の元に辿り着いた時、恐る恐る彼の顔に耳を近付けてみた。そして脈と呼吸がある事に胸を撫で下ろしたのだ。

「セラミック……無事なのか?」

「ひゃっ!」

 口元に最接近した時に、予想外の言葉が発せられ、セラミックは仰け反った。はずみで2人は地面まで転げ落ちてしまった。

「痛いですよ……松上さん」

「それは、こっちの台詞だ。頭を打ったかもしれないのに不用意に動かすんじゃない」

「額から血が流れていますよ、本当に大丈夫なんですか?」

「おいおい、君もだよ、セラミック」

「え……? きゃああ!」

 松上とセラミックは、取りあえず負傷の程度をお互いに確認し合った。特に松上は、落下のショックで左肩に何かが刺さった跡のような傷口が開き、ボタボタと出血している。幸いにも骨折まではしていないようだ。
 額の血を拭いて貰ったセラミックは、唯一残っていた松上のリュックをあさる。

「布で暫く縛って、止血してみます」
 
「すまないな」

「いえいえ、後で私の怪我も診て下さいね」

「それにしても崖の上からは声がしてこないな。2次遭難を防ぐために、捜索は断念したか」

 松上晴人は吉田真美と中山健一が、生きている事を前提に話をしている。しかし、あのアロサウルスが現れたのだ。……最悪の場合は……いや、そんな事は考えないでおこう。上でも2人だけで臨機応変に対応し、今は救援隊に出動要請を済ませた頃合いだろう。

 俄に周囲が暗くなり、土砂降りの気配がした。運悪く天候が悪化し、雨も本降りになってきたのだ。

「くそ~、泣きっ面に蜂だな、こりゃあ」

「あっ! よく見ると、崖下に洞窟のような穴が開いてますよ!」

「何が潜んでいるか分からんが、とにかく行ってみるぞ、セラミック」

「はい!」

 セラミックは、松上が無理に会話を続けている事を悟ってしまった。おそらく彼女の不安を払拭させるためか、余計な心配をかけさせまいとしているのだろう。彼の足取りはおぼつかず、ふらついて真っ直ぐに歩けないほどだ。

「しっかりして下さい、松上さん」

「頭を打ったからかな、君が天使に見えるよ」

「何言ってるんですか、私は最初からエンジェルですよ」

「ははは……」

 なぜか少し涙が出た。セラミックは松上に肩を貸して洞窟に向かう時、その事を雨で濡れたせいにしたかった。