セラミックの激うま恐竜レシピ


 その後どうしたのか……セラミックはあまり覚えていない。
 曖昧な記憶をたどると、家中に響いた叫び声にも臆する事なく、松上晴人はセラミックに淡々と説明を始めたはずだ。

「美久さん、実はαチームから美味しいと評判のプシッタコサウルスを余分に分けて貰ったのです。これは是非とも美久さんに、と思ったので妹と一緒に持ってきました。恐竜狩猟調理師を目指す君なら、きっとすごい料理にアレンジしてくれることでしょう」

 松上佳音は兄の両眼を後ろから両手で覆い隠して、セラミックのエッチな下着姿を見せないように必死だった。長身である晴人の背中に飛びついて何か喚いていたはずだ。すぐにその場から逃げればよかったのに、セラミックは『はい、そうですか』と玄関にへたり込んで彼の話を聞いていたような気がする。
 クーラーボックスの中には小型恐竜であるプシッタコサウルスの食肉処理された物が丸々一頭分詰められていた。ご丁寧にも尻尾の背側に付いている、身を守るためのトゲトゲしい剛毛も取り除かれている。
 
――佳音と部屋で遊ぼうと思っていたのに……なぜ今、服を着ていないのか説明しようと思っていたのに。

 その時、タイミング悪く弟の公則が部活動を終えて帰宅してきた。

「ただいま……ってお客さん? 佳音姉ちゃん? 久しぶり~! ――うわ! まさか、うちの姉ちゃん裸のままで!」

 公則は信じられないシチュエーションに、また興奮気味となり鼻血を片方から噴出させると、慌てて小鼻をつまんだのであった。



 それから営業が終了した後の厨房に籠もったセラミックは、何かに取り憑かれたように料理を始めた。
 恐竜界の豚と呼ばれるプシッタコサウルスから丁寧に肉を削ぎ落とし骨だけにする。これだけでも彼女の細腕一本では大変な労力だ。オウムのようなクチバシと角張った特徴のある頭も捨てずに熱湯にくぐらせておく。ひたひたまで水を入れた寸胴に砕いた大量の骨と頭骨を入れ、香味野菜と共に何時間も煮込んで恐竜ガラのスープを作るのだ。
 下着にエプロン姿のセラミックは、額に滲む汗をタオルで拭きながら一心不乱に何かを棒でかき混ぜ続ける。その視線の先には寸胴の中で、ぐつぐつぐらぐらと地獄の釜のように沸き立つスープの海が広がっていた。見事に乳化白濁し、良質の脂とコクが溶け込んでいるように見えるのだ。
 暑い厨房で一休みすると同時に、モモ肉と胸肉から作ったロースト肉の塊を軽くスモークした。そしてタコ糸で縛り、昆布と鰹節を効かせた醤油ダレに漬け込んだ。ついでに半熟状態の煮卵も隙間に浮かべてみる。
 ふと、人の気配を感じたセラミックは、目を丸くして店の奥の方に振り返った。

「……美久、俺の負けだ。お前は約束を守り通して、やり遂げたんだ」

 父親が腕組みをして頷いた。仕事着を脱いでいない料理人の格好だ。

「あなたホントに頑固者ね。一度こうと決めたら意思を曲げないというか……ちょっと怖いわ。でもそれが美久の良い所でもあるし、心配も多いけど大人として認めざるをえないわね」

 母親は溜め息をついて髪をかき上げた。両親と離れた場所に座る弟が、お互いに顔を見合わせるのだ。

「美久、自分のなりたい人になりなさい。自分のしたい仕事に就きなさい。ただし約束して……無理無茶は、もうしない事! これからは自分の言動に今以上に責任を持ちなさい。これが我々からのアドバイス!」


 自宅兼店舗の休みの日を利用し、セラミックは厨房でプシッタコサウルスを使った料理を完成させた。
 ほとんど迷わずに思いついた料理は、自身が大好きなラーメンである。さすがに麺まで手打ちで用意するのは無理があるので、行きつけのラーメン屋の口利きで紹介してもらった製麺所から特別に1箱30食ほど分けてもらった。しかも彼女のスープに合うように小麦の配合も太さもオーダーされたものだ。
 2日かけて仕上げた拘りのスープは、店のカレー鍋の横でトロ火にかけられて出番を今か今かと待っている状態である。

「――! いらっしゃい!」

 セラミックは、貸し切り店舗のドアから一番に入ってきた人物の顔を見上げた。αチームのリーダー、松野下佳宏だ。今回の食材となったオウム顔の小型草食恐竜――プシッタコサウルスを提供してくれた人物である。

「セラミックちゃん、今回は何を食べさせてくれるのかな? 何か新作料理を完成させたというから飛んで来たぜ!」

 年齢にそぐわない、少年のような笑顔を綻ばせる彼の傍には、見慣れない若い女性が連れ添っていた。

「初めまして……かな? 私はαチームのメンバーの一人、森岡世志乃です」

 噂に聞くαチームの紅一点はクールな美人だった……黒いチュニックとパンツもよく似合っている。だが見た目からセラミックとそう変わらない年頃だと思われた。おそらく恐竜狩猟調理師の免許も、まだ持っていない見習いだろう。βチームの吉田真美とはまた違うタイプの聡明な印象を持つ、非常に魅力的な女性だ。

「こちらはαチーム版セラミックのヨッちゃんです」

 笑顔を振りまく松野下佳宏とは裏腹に、森岡世志乃はあからさまに不機嫌な感情を顔に浮かべた。一瞬ヤバいと思ったほどだ。

「リーダー! とっても失礼ですよ。私は誰のマネもしていない唯一無二の存在です。それにヨッちゃんという呼び方も止めて下さい。リーダーこそ佳宏だからヨッちゃんでしょ」

「ああ! ごめんよ、ヨッシー」

「ヨッシーもヨッちゃんもダメだと言ってるんです。世志乃と呼んで下さい」

 セラミックの目の前で予想外の言い争いが勃発した。ハラハラしながら見守っていると、信じられない事に怒りの矛先が彼女にまで向けられてきたのだ。

「あなたがβチームの瀬良美久さんですね。噂はかねがねお伺いしております。今日は新進気鋭の美久さんの実力を拝見しに、忙しい所を無理に時間を割いてやって参りました。宜しくお願いしますね」

 猫科のような大きなツリ目を煌めかせながら、森岡世志乃は松野下佳宏を一番良い席に座らせた。リーダーがカウンター越しに馴れ馴れしく話しかけてくる度に、隣の黒猫がさりげなく睨み付けてくるのをセラミックは感じる。値踏みをしてくるような粗探しの視線が痛い。割烹着姿のセラミックの額に汗が流れてくるのは、何も厨房に並ぶ火にかけられた寸胴の熱さだけではなかったのである。
 セラミックがそろそろ限界に近付いた時、やっともう一組のペアが店に現れた。

「よっ! 美久~。今日は何を作ったの? 期待してお昼抜きで来たよ」

 松上佳音とその兄である晴人が、ほぼ同時に入店した。セラミックは反射的に自分の服装を見直すため、顔を伏せた。

「やだぁ! 何照れてんのよ、美久! おっ!? 先客がいましたか」

 佳音の影に隠れるように座った松上晴人は、皆に軽くぺこりと挨拶しただけだった。食事に呼ばれたというのに学会発表するようなスーツ姿で、庶民的なカレー屋のカウンターでは浮きまくる美青年だ。当然と言えば当然だが、あの日の事件は誰にも言いふらしていないようである。

 セラミックは驚いた。森岡世志乃が松上晴人の顔を見るなり態度を豹変させたからである。

「ま、松上晴人さん! ご無沙汰してます。αチームの森岡世志乃です。こんな所でお会いするなんて!」

 彼女は顔を真っ赤にして席を立ち、松上晴人から視線を外さずに挨拶した。
 あ~、セラミックは聞いた事がある。世志乃さんは松上晴人にぞっこんで、彼に憧れて恐竜ハンターを目指したという噂を。妹である佳音の方は、少し狼狽して兄の前に立ちはだかった。

「あなたはどちら様で? 兄と話すときはマネージャーの私を通して下さい」

「おいおい……いつから俺のマネージャーに」

 松上晴人の困った顔を目の当たりにして、松野下佳宏は悪戯っぽく笑った。

「お~意外とモテるなぁ、βチームの松上さんは~。隅に置けないねぇ」

「ちょっと、リーダー! 茶化すのは止めて下さい!」

 森岡世志乃はまんざらでもない様子でリーダーの背中をポカポカと叩いた。蚊帳の外に放置されたセラミックは暫く事の成り行きを見守ったが、気を取り直して寸胴にかけた火をMAXにした。世志乃さんの表情がクールビューティーのそれから少女に変わった事に苦笑しつつも、複雑な思いが湧き起こる心の奥底に胸が締め付けられるような痛みを覚えたのだ。

 その時2階から弟の公則が手伝いに降りてきて、挨拶もそこそこに水をテーブルの上に置いたり、皆のサービスに大忙し。

「姉ちゃん、俺も腹減ってしょうがないよ。お昼はとっくに過ぎてんだぜ」

 わざとらしく顔をしかめた弟が、文句をたれるのは無理もない。店内に充満する芳醇なスープの香りが、どうしようもなく空腹中枢を刺激するのだ。

「ハイハイ! 今、麺を茹でてるとこ~!」

 大量の熱湯に泳ぐ2名分の麺をザルですくい湯切りした。均等に茹でるために、こだわった平ザル湯切りはアミ(テボ)よりテクニックが必要だ。上手に湯切りできるのは練習の成果でもある。ここからプロ並の手際で、合わせたタレとスープに麺をほぐし入れ、具も乗せた。そしてセラミックは、αチームのリーダーと世志乃さんペアに丼を熱々のまま差し出したのだ。

「へい、お待ち! セラミック特製の恐竜ラーメンをどうぞ! 未体験の一杯にウェルカム!」

 入魂のメニュー……松野下はまず、眼前のラーメンが放つ何とも言えない芳香に虜となった。

「これは今までに出会ったことのない香りだ。いやな臭みも全くない」

 青いネギが映える、白くとろけるように輝くスープから、ただならぬ凝縮感が漂う。厨房のセラミックは上気してニッコリ笑った。

「醤油・塩・味噌・豚骨・鶏白湯に続く第6のラーメン……名付けてディノラーメンです。竜骨味と呼んでもいいかな?」

 松野下は完成されたビジュアルに瞬きも忘れつつ、セラミックの説明を聞いていたが、いてもたってもいられず、おもむろにレンゲをスープの中へと沈めた。トロミある白濁スープは上品な脂と共に全てを包み込み、夢のように浮かんだボリューミーなチャーシューとオレンジ色の半熟味玉を悩ましく揺らせる。そして錬金術のごとく醸成された一口を、心なしか緊張に震える手で一気に喉の奥へと流し込む。今、まさに味覚が花開く瞬間。

「……何だ? これは! 恐ろしく美味いじゃないか!」

 森岡世志乃に至っては一口目に味わったインパクトに、しばし絶句している状態だ。隣のリーダーとほぼ同時でスープの海にたゆたう麺を箸でたぐり寄せると、勢いよく啜り始めた。スープとからんだ麺を奥歯で噛み締めると、小麦の食感に応じた旨味とコクの洪水が、脂の滑らかさを纏いつつ口中をじんわりと支配する。

「むほ~! すごい。今までに食った事ないような新鮮味溢れるラーメンだぜ」

 彼は夢中で照りのあるチャーシュー(恐竜肉)にかぶりつくと、深みのある肉汁が溢れ出してきた。これだけでも料理の一品として十分納得できる完成度だ。
 大きな黒目を白黒させながらスープばかり味わっているのは、森岡世志乃。

「こってりしているようで、実はあっさりしている不思議なラーメン……女性受けしそう。ひょっとして、この大きな味付け玉子は恐竜?」

 ニンマリと笑うセラミックは麺をザルの上に踊らせながら答えた。

「オマケとしてプシッタコサウルスの新鮮な卵を貰ったの。鶏より巨大で味の方も心配だったけど、試してみて正解だったかな?」


 ここまでくると()()()()されて、空腹感にピークを迎えた松上佳音が暴れ始めた。

「美久! こっちにも早くラーメンをちょうだい!」

 セラミックは思わず身構えた。今回は松上晴人に『美味い!』と唸らせてみせる。幸いにも前評価は上々で鉄板だ。これは大いに期待してもよさそう。
 完璧な手順で松上兄妹の前に丼が運ばれる。今日こそは言わせたい。いや、わざと空腹にさせるように佳音に事前工作したから言うだろう。

 数秒間、容器の中の小宇宙に見入った松上晴人は、己の感覚に根差した思考を巡らせたようにも見えた。……アンタ、一体何者だ? 不可視な湯気の中に鼻をくぐらせた後、麺の一房をたぐり寄せて上品に啜った。
 セラミックは息を飲み、飛び出す感想を今か今かと静かに待つ。――握った拳に力が込められる。

「この細麺は、おそらく豚骨ラーメン用の極細麺だろうが、いかんせん茹ですぎたのか若干のびている。最初に茹で加減を訊いておくべきだったね」

「――! か、替え玉でバリカタかハリガネにします」

「いや、こいつは豚骨ではなくて竜骨ラーメンなんだろ? 替え玉のシステムなんて要らないよ。それよりも同じストレート麺でも、もっと太麺にした方がこってりトロミのある素晴らしいスープと相性が良かったのでは?」

 店内が一瞬、水を打ったように静まり返る。
 隣でラーメンを賞味している妹は、兄の背中を思い切り叩いてむせさせた。鼻から2、3本麺が飛び出してきそう。

「なぁ~に言ってんのよぅ、十分すぎるほど美味しいじゃない。そんな文句を言ってるから麺がのびちゃうのよ!」

 竹を割ったような性格である妹のフォローに感謝すると、セラミックは両目を拭い、溢れる涙を無理矢理に忘れたのだ。親友はメールのやりとりで知っている。セラミックが水面下で、どれほどの努力と我慢をしてきたのかを。佳音はセラミックの見上げた根性にエールを送ったのだ。



 様子が気になったのか、2階で待機していた両親も降りてきて、カウンター横にある年季の入ったテーブルに一緒に座ろうとした。
 αチームとβチームは満を持して登場した父母に、かしこまってしまう。松上晴人は席を立ち、両親に深々と頭を下げて挨拶をした。父も母も客である彼らに「リラックスして下さい」などと改めて促すのだ。

「皆さん、うちの娘を……馬鹿で、どうしようもない頑固者ですが、どうか宜しくお願いいたします」

 ふたりはリーダー達の眼差しを見やった後、一緒に頭を下げた。4人はすでにラーメンを平らげており、ご馳走になったお礼を口々にしたのである。

 松野下リーダーが言う。

「美久さんのラーメンは素晴らしい。恐竜の持ち味を最大限に引き出しています。暑い季節でも平気でスルスルといけるし、心まで温かくしてくれるようです」

 セラミックは照れくさそうにクスッと笑い、コメントした。

「ただし、竜骨ラーメンは商売にはならないわね。材料費が高すぎて庶民的な食べ物じゃなくなってるし」

 弟の公則が少々くたびれたエプロンを脱ぎながら喋った。

「じゃあ、今日限りの一杯になる可能性があるのか。姉ちゃん、俺達にも食べさせてくれよ」

「モチロン! 言われなくても家族の分は用意してあるよ」

 父親、母親、弟の前に丼が置かれた。父は盛り付けの迫力にしばし圧倒された後、すぐに麺を口に運んだ。骨髄由来のとろザラ系の舌触りに、ツルリとした麺の喉越しが心地よい。

「……! 風味は豚と鶏の中間のようで不思議だな、恐竜ってのは。塩分と脂のバランスが絶妙で、体に染み渡るような旨さがある」

「よく頑張ったわねえ、美久」

「うん、姉ちゃん、確かに美味いよ。店で出したら、お客の行列ができるくらい!」

 その時αチームの森岡世志乃が、遠慮がちに手を上げた。

「あの~……おかわりをお願いしても、よろしいでしょうか?」

「あ! 俺も俺も!」

 すかさずリーダーも挙手した。

「任せといて、麺はあと20玉ほどあるし、スープもまだまだ残っているわよ。私は試食でお腹いっぱいだから遠慮なく食べてね!」

 セラミックの言葉を受けて、松上佳音が提案した。

「魚介系の出汁と合わせてWスープにしたらどうかしら? 私こう見えても結構、ラーメンの食べ歩きを彼氏としてんだ」

「ダメだ。誰もが思いつくアイデアだが、味が濁ってしまう。水と恐竜ガラだけで純粋なスープを煮出していくのが正解」

「何よ、ラーメンの専門家じゃあるまいし」

「料理に関しては素人だが、恐竜に対しては一家言ある!」

 肉食系の森岡世志乃は、包み隠さず憧れの松上をリスペクトして見つめる。今なら虹彩にピンクのハートマークが浮かび上がる、例の漫画的誇張表現がピッタリだ。

「さすがは松上さん、恐竜を知り尽くしている感じ。思わず尊敬しちゃいます」

 松野下の方は少々嫉妬したのか、丸椅子をキイキイ鳴らしながら左右に揺する。

「オイオイ、俺の事を差し置いて何なんだよ!? 一応リーダーなんだけど……」

 本日のカウンターは正に会話の花が百花繚乱に咲き乱れ、新規ラーメン店の開業祝いのごとく、いつまでも話が尽きる事なく賑わったのである。
 厨房のセラミックは密かにガッツポーズを決めながら、今までにはない手応えを感じたのである。

「父さん、母さん、本当にありがとう。美久は仲間達とこの調子で頑張っていきますよ」

 頭によぎった密かな感謝と決意は滔々たる独白となり、沸き立つスープの中に溶けてゆくのだった。

 こってりとは対極の、爽やかなフィーリングのまま幕を閉じよう。
 この後、丸2日間スープを煮続けたガス代と寸胴の底にあったプシッタコサウルスの巨大頭蓋骨が、父親を大いに驚かせるのだが、それは後日談のオチという事にて!



「……何ですと! 中生代の海でハンティングを?」

 松上晴人は心なしか緊張した面持ちで、エージェントのスミスに問いただした。今回は恐竜ハンター業界、初の試みとしてジュラ紀の海に棲む爬虫類である首長竜や魚竜をターゲットにすると。
 現代において海棲爬虫類は、ウミガメ類とウミヘビ類ぐらいしか生き残っていない。ウミイグアナは進化の途中だし、すっかり失われてしまったグループと言えるだろう。
 中生代の海洋は調査の手がほとんど入っていないので、データに乏しく正に暗黒地帯。古代の海は巨大捕食生物が群雄割拠している過酷な世界で、人間など一歩でも足を踏み入れた瞬間、あっと言う間に命を奪われかねない地獄のような超危険領域なのである。

「無理だ。装備からして海と陸では全く異なる。国際的な協力の下で万全のリサーチが必要だ。それに潤沢な資金と、豊富な機材及び、大規模なプロによるバックアップ体制も不可欠だろうよ」

 松上は事前に恐竜の本場アメリカからの援助がある事は知っていた。それでも安全第一主義で、危ない橋を渡る事は、できるだけ避けたいのが本音だ。研究目的の調査捕竜が主のβチームには荷が重すぎる。
 黒いスーツに身を包んだスミスは松上のリアクションが、さも予想通りであるかのごとく肌を黒光りさせながら腕を組み直し、頷くような仕草を見せた。

「安心して下さい。今回はその国際協力が得られるのです。しかもアメリカ海軍から! その中でも選りすぐりの特殊部隊であるネイビー・シールズをご存じですか? 何と海軍特殊戦グループの内、極東アジア担当のチーム5から複数の隊員が同行してくれるそうですよ」

「何だって!?」

 松上晴人は自分の耳を疑った。恐竜ハンターではなく軍隊が出てくるとは思いもよらなかった。同時にある種の胡散臭さも感じ取ったのである。

「SEALsだと? 平和な日本国内のジュラアナ長野に調査・観測隊でもないアメリカ海軍が出張ってくるなんて、尋常じゃない話だ」

「驚きましたかね? 泣く子も黙る世界最強の男達が付くのです。これで安心できましたか?」

「いや、余計行きたくなくなったね。この話は無かった事にして貰いたいくらいだ。裏でどんな取引があったのか教えてくれ」

「う~ん、困りましたね。とてもこのカフェでは、お話しできるような内容ではございません。とにかく今期、アメリカの調査隊がダイブするのですが、その護衛役として選ばれたのが彼らなのです」

「では俺達にどうしろと? 決定事項なら、アメリカ隊で固めてジュラ紀で好きにハンティングしてくればいいじゃないか」

 スミスはテーブルの反対側から、ずいっと身を乗り出してきた。

「そこですよ! そこで貴方の力が必要となってくる訳です。ベテランの恐竜ハンターにして、恐竜研究の分野においても第一人者として名を馳せる松上さんに是非ガイドになって貰いたいと」

 松上は軽く嘆息した後、顔を伏せ気味にして答えた。

「本当にアメリカチームの道案内だけでいいんだな。どうせ海上のハンティングまでは手出ししないで欲しいって言われてんだろ?」

「さすがは松上さん、話が早いですね。極端な話、海まで案内してくれたら、後は浜で荷物の番をしているだけでも結構と伝えられているのです」

「…………」

 エージェントのスミスは、大きな両眼の少し黄色がかった白目を細くすると、会計の用紙をさり気なく掴んで席を立った。

「では、よい返事をお待ちしていますよ。松上研究員……」

 松上晴人が無言で彼を見送った時、グラスの中のアイスキューブがカランと、やるせない音を立てた。


 ここは松上晴人の本拠地でもある鹿命館大学の大学院。世間の喧噪から解き放たれたかのような閑静な丘陵地帯にある。いつも通り白衣姿の彼は、自然科学研究科の研究室があるブロックにいた。
 この度は依頼された仕事の特異性から、松上がタッグを組む恐竜ハンターのうち主要メンバーが招集されたのだ。2Fにある会議室で、ミッション参加の是非について5名で話し合いが行われている。

 αチームからはワイルドな服装の松野下佳宏と清楚な森岡世志乃のペア。

「天然のワームホールであるジュラアナ長野は、寸分違わず長野県……日本国領内に存在している。それにも関わらず諸外国が、その莫大な権益を狙って暗躍していると聞く。このままでは領土や主権まで脅かされかねない」

「う~ん、それは、すごく当然の事でしょうに。中生代のジュラ紀に繋がる世界唯一の貴重なルートですよ! 少し考えただけでも天井知らずの価値があるのは、小学生にだって分かりますよ」

 βチームは白衣姿の松上晴人とスーツの吉田真美、それになぜか学生服のセラミックだ。

「アメリカは同盟国である事を最大限に利用して、あの手この手で日本政府に食い込み、無理な要求を突きつけてきている。すでに共同調査権なるものも認めさせられた。アメリカに弱みを握られ、言いなり状態の日本は外交努力を放棄し、国益の事を考えるのを止めてしまったみたいだな。自国に不利な条件を鵜呑みにしている」

「ここで何とか踏ん張って、長野の至宝に対する独占的利権を守りつつ、うまく立ち回ったりして不当な外圧と戦って見せれば、日本の政治家の力量を随分見直したのに――ダメだね~。やっかいなのは利権を狙うのはアメリカだけじゃないって事! 貪欲で礼儀知らずの周辺国家が、すぐ近くにぶら下がってるお宝を喉から手が出るほど欲しがってるみたい。このままじゃ海を渡って長野県ごと占領されかねない状況よ」

 セラミックは遠慮がちに周りを見回すと、真美さんの発言に付け加えた。

「ジュラアナ長野は、無尽蔵の石油が湧き出す油田以上の価値があって、国に莫大な利益をもたらす……って事ですよね?」

 αチームのリーダー松野下は、うんうんと頷いた素振りを見せて言う。

「政府は、お人好しで事なかれ主義。生来の島国根性を絶賛発揮中って感じかね。今日も作り笑いで弱腰外交を続けているのが、情けないったらありゃしない。逆に共同開発を他国に持ちかけているほどだぜ」

 ホワイトボードの横に立つ松上晴人が、飾りっ気のない無機質な机に並ぶ一堂の顔を見回した後に言った。

「さて、諸君。今回のミッションの概要は配った資料の通りだ。どうするか……受ける、受けないは、もちろん個人の自由。皆の意見を聞かせて欲しい」

 βチームの吉田真美は意外にも即答した。

「いいんじゃない? 海までの案内役とバックアップだけなんでしょう。自分がハンティングに参加する訳でもないし、危険性は低いと思うわ」

 αチームもだいたい同じ意見。

「俺も大丈夫だとは思う。アメリカ様の物量と装備、それにネイビー・シールズの護衛が付いてりゃ、無敵だろう。ただしそれは人間相手の戦いに限っての事ではあるがな」

 目を輝かせる森岡世志乃は楽観主義であった。

「βチームの松上さんと一緒に行動できるなら、問題ないですわ。ジュラ紀の碧い海までのお仕事……海は初めてなのですが貴方となら……」

「おいおい、決して楽なミッションじゃないぜ。αチームのリーダーとして忠告する」

 セラミックは松上と目が合った。黙ってニッコリして意思を表明すると、彼は咳払いしてホワイトボードに向き直った。

「……無論、考える猶予と時間は十分に与えるつもりだ。外国のチームと組む事は珍しくもないが、各自よく考えて今回の依頼を受けるかどうか、また意見を持ち寄ろう」

 どこまでも続く泥濘地帯は、先が見えない針葉樹林の中で、まるでゴールがないかのようだ。
 アメリカ調査隊とその水先案内人、日本のαチーム・βチームは計4台のLSVに分乗して中生代のテチス海を目指す。LSVはライト・ストライク・ビークルの名が示すように、極限まで軽量化した特殊部隊向けの軍用車両だ。3人乗りで、スカスカのパイプ構造のバギーに武装を施したような旧い装備である。
 ジュラ紀に出入りする簡易エレベーターは最大積載量が1トンなので、普通のトラックやクロカン車は重量オーバーとなってしまう。持って行けるエンジン付きの車は4輪バギーかバイクぐらいなのである。

「うっひょー! 今までずっと歩きだったから、こりゃ楽だ。侮れない機動力だな」

 ステアリングを握る松上晴人は、興奮気味に呟いた。

「先頭を走らせてもらうなんて、名誉な事ね!」

 右の助手席に座る吉田真美はドライバーに話しかけたが、殆ど聞き取れない。

「黙ってないと舌を噛んじまうぞ!」

 松上がステアリングを急に切った時、フェンダーのない前輪が落ち葉の混じった泥を巻き上げた。後席に単独で座るセラミックの顔に高速で何かが、ぴたッとへばり付いたのだ。

「きゃっ! ゴーグルをしてないと危ないわ。ヘルメットも……」

 セラミックが顔に付いた丸い物を手で取ると、それは2センチぐらいの蠢く虫だった。虫が苦手な真美さんは、前席で悲鳴を上げて仰け反る。

「うっ!? 何かしら、この虫は? 幼虫?」

 セラミックの疑問に運転中の松上は、チラ見して答えた。

「ああ、そいつは化石にもなっているがジュラ紀のノミだな。枯れ葉に潜んでノコギリ状の口で恐竜の血を吸う奴だ。気を付けた方がいいかも!」

「ぎえええ!!」

 松上は例によってジュラアナ長野にダイブしている時は、酒に酔っ払ったみたいにハイテンションで普段の物静かな青年のイメージは全くない。正に二重人格者かもしれないとセラミックはいつも思うのだ。
 
 2~3番目を走るのがアメリカの恐竜ハンターチーム。セラミックのすぐ後ろを疾走する車の助手席と後席に座るのが、ハンター兼研究者――いわゆるアメリカの同業者である。運転するのがネイビー・シールズのジョン……絵に描いたような屈強そのものの軍人で、軍服がはち切れんばかりに筋肉質である。サングラスの奥からでも射貫かれるような鋭い視線を放つ男。
 3番手も同じ構成だが、シールズ隊員のマックスはジョンとは違い細身の2メートル近くありそうな男だった。松上晴人が密かにオルニトミムス(ダチョウ恐竜)とあだ名を付けたのも頷ける。
 ジョンとマックス2人に対してα・βチームが束になって挑んでも、一瞬のうちに殲滅されてしまうのは火を見るより明らかだ。
 
 最後の殿を努めるのは、αチームのリーダーが運転するLSV。

「…………」

 こちらはジュラ紀にダイブしている間は、無口で冷徹な男に変身している。いつもの陽気な兄ちゃんの松野下佳宏ではないのだ。

「ふう! あ~、松上さんの後ろに座りたいですわ。……セラミックさん交代してくれないかしら」

 後席の森岡世志乃は、助手席に座るアメリカ隊の博士の様子を見た。日本語が全く話せないので一切会話していないが、小柄で頭が薄い気の弱そうなDr.……ハンクは、車酔いして今にも吐きそうになっている。

「こんな所で粗相したら、タダじゃ済まないからね! 世志乃様の服を汚すんじゃないよ」

 日本語が通じないのを良いことに、彼女はハンクに言いたい放題である。

「アメリカ隊のメンバーは皆ハンサムで逞しそうな人が揃っているのに、よりによってなんで同乗者がこちらのような方なのかしら? 本当に、しけているわね」


 斜め前方の針葉樹林の影から、中型の獣脚類と思われる恐竜が頭をもたげた。特徴的な3つの角を見せた姿から、肉食のケラトサウルスと考えられる。

「――! 出やがったか……」

 松上は刺激しないよう、慎重にステアリングを操作しながら迂回するルートを選んだ。すると突如、停車した2番目の車両の屋根からM2重機関銃の12.7㎜弾が短いサイクルで斉射された! この口径の弾に当たると、どんな生物だろうがズタズタに引き裂かれ、血煙と肉片と化する。

「やったぜ! 凶暴な恐竜を一撃で倒したぞ!」

 興奮状態のジョンが、金網の屋根に転がった薬莢とベルトリンク片を払い落としながら、マックスに向かって叫んだ。

「すげえ! 写真に収めて、俺の彼女にパソコンで見てもらおう」

 松上が急ブレーキをかけたので、シートベルトが真美さんとセラミックの柔肌にくい込んだ。

「こら! 誰が発砲していいと言った! ふざけるな!」

「What!? 何だと!」

 ジョンとマックスがサングラス型のゴーグルを光らせた。

「何言ってやがる、この頓痴気な野郎は! ここはジュラ紀の世界だぜ。つまりいくらぶっ放そうが、日本の法制とかは全く関係がないのさ」

「そうとも、ジョンの言った通りダイブ後は治外法権って訳だ。てめえの生意気な口にライフル弾をお見舞いしても、誰からも罪を咎められたりしないって事なんだぜぇ」

 運転席から降りたマックスは、背の方に回していたSCAR(MK17)と呼ばれる強化プラスチックを多用した銃の安全装置を外す仕草を見せた。……2人は日本語を自由に使いこなす事ができるという基準で、今回のダイブにおける護衛役に抜擢されたらしい。つまり特殊部隊員としての品格や実際の戦歴に関しては、あまり選考基準として重視されていないのだ。

 松上晴人も狭いシートから降り立ち、ゴーグルを外した。

「無闇に恐竜を殺すなんて、本当にあり得ない。今撃ち殺したのは、希少なケラトサウルスだぞ。草食恐竜より肉食恐竜の方が圧倒的に数が少ないって事実を知らないのか」

 ジョンは胸のポケットからタバコを取り出すと、オイルライターで火を付けた。

「もし撃たなかったら襲われていたかもしれないぜ、俺達チーム内の誰かがよ……」

「そうさ、とっくに恐竜からは見付かっていたしな。進路上に存在する脅威と危険性を、前もって排除しただけじゃないか」

 無骨なシールズ隊員達がそう言うと、今度は最後列の松野下佳宏が答えた。2人に向かって溜め息混じりに言ったのだ。

「……1頭殺した事で、その血の臭いを嗅ぎつけてスカベンジャー(腐肉あさり)どもが四方八方から集まってくるんだ。この場所は、もうすぐ大小恐竜どもが集まるお祭り会場になるぜ。ほら! あれを見てみなよ!」

 上空には早くも中型翼竜の姿が、木々の梢の隙間から刹那に影を落とし込んでみせた。深い森の奥からは、今まで聞いた事もない不気味すぎる鳴き声が、毛羽立つ精神を逆撫でするビープ音のごとく、あちこちから響き渡ってくる。

 森岡世志乃の前に座るDr.のハンクは、英語で何か聞き取れないような文章を小声でブツブツと繰り返していた。彼は冷や汗びっしょりで震えが止まらず、胸元から取り出したロザリオに向かって何か祈りを捧げていたのだ。

「さあ、先を急ごう。松野下リーダー、一応ケラトサウルスのサンプルを回収しておこう」

 松上はそう言うと、吉田真美とセラミックをキャラバンに残し、アメリカ調査隊に5分間だけの調査を許可したのだ。当然、子供のように騒ぐ調査隊の作業は、時間内に終わりはしないだろうが……。


セラミックの激うま恐竜レシピ

を読み込んでいます