幼い頃から、毎日のように料理をする祖母の手先を見てきた。

数学の公式も、英単語もからきし頭には入らないのに、料理のレシピは見ただけでスルスルと入っていく。

 ひとり暮らしをはじめた今も、自炊だけは欠かしていない。

昨日は近所のスーパーで安いアジを見つけたので、南蛮漬けにしてみた。特売品の大根と鶏むね肉のミンチで大根のそぼろあんかけも作り、みそ汁には大根の葉と油揚げを入れた。節約もばっちりだ。

「でも、筑前煮とか肉じゃがとか魚の塩焼きとか、日本の平凡な料理しか作ったことがないんで、フランス料理なんて絶対無理です。それに、ミキサー食なんて、どうやって作ったらいいのか全く知らないし……」

 生半可な腕前で、祖母を心から満足させる自信がない。

 たしかに、自分で作れば万事解決だけれど。

すると、ルイがおもむろにタキシードの懐に手を忍ばせた。取り出されたのは、折りたたまれた紙だった。

「よろしかったら、こちらを参考になさってください」

 差し出されたそれを、良太は半信半疑のまま受け取る。紙は、二枚重ねになっていた。一枚目には、びっしりとこと細かくレシピが記載されている。

「春野菜とチーズのテリーヌ、鯛のポワレ、じゃがいものヴィシソワーズ、ラム肉の赤ワインソース……。これって……」

 先日、祖母が口にしたのとほぼ同じレシピが羅列されていた。二枚目には、ミキサー食を美味しくする作り方が分かりやすく書かれている。

「調べてくれたんですか!?」

 なんて、親切な人なんだろう。

ここまでこと細かく書かれていたら、できるかもしれない。

そう思う一方で、良太の胸の奥では不安がくすぶっていた。

 次こそきっといける、次は大丈夫。そう自分自身を奮い立たせながら、医学部に落ち続けた。できるかもしれないと思っても、できないこともあるのだ。

 世の中は、努力すれば報われることばかりではないことを、良太はもう知っている。

「――でも、僕には無理だ」

 踏みとどまろうとする良太を、ダークグレーの人形目(ドール・アイ)が見つめている。

 ルイが何を考えているのか、良太には見当もつかない。

磨き上げられた白磁器のように美しく、澱んだところがなくて、謎に包まれている。まるで、人々を魅了してやまない、謎めいた芸術品のようだ。

奇妙な出会いがなければ、一生関わることのなかった人種だろう。