午前十時――。

 遅めの朝食……いや、もう早めの昼食といった方がいいかな。
 そんなことを考えながら、ダイニングでフレンチトーストを口に運んでいると、不意に室内に響くインターホンの呼び鈴。
 (たまき)さんが来るにはまだ早いし、何かのセールス?

 特に気に留めることもなくテレビのリモコンを探していると、インターホンのモニターに向かって「あら、こんにちは」と話しかける母の声。
 誰だろう? 直後――

花音(かのん)ちゃんが来てるけど……約束してるの?」と、私の方を振り向いた母に訊ねられた。

 はあ? 花音が?
 フレンチトーストを頬張りながら慌てて立ち上がり、受話器を受け取る。

「花音!? なにしに来たの!?」
『なにしにって……今日、ユッキーんちに行くんでしょ?』
「そうだけど、事務所の仕事で行くんだし、花音には関係ないじゃない」
『昨日、ちゃんとユッキーの家は教えてもらったから! あたしが案内するよ!』
「こっちだって教えてもらったわよ。大丈夫だから、帰れ」
『まったまたー、ツンデレめぇ! いいから早く開けてよ』

 ハア……と、心の中でため息を吐きながら振り向くと、母が、「とりあえず入ってもらったら?」と小首を傾げる。
 ここで、帰れといって帰るようなやつなら苦労はしないよね……。
 仕方なくエントランスドアのロックを解除して、残りのフレンチトーストを口の中に放りこんだ。
 ほぼ同時に、メッセンジャーで環さんにメッセージを送る。

 ……が、いつも通り、すぐに既読にはならない。
 さてと……困ったことになったな。

               ◇

「こんにちわ~!」

 私が玄関のドアレバーをそっと回すやいなや、外側からグイッと引っ張られ、大きく開いた隙間から花音が顔を覗かせる。

「あんたね……ドアを開けたのが私じゃなかったらどうするつもりだったのよ」
咲々芽(ささめ)以外の人に開けてもらった記憶ないもん」

 花音が、さっさと焦げ茶色のローファーを脱いで(かまち)のスリッパに履き替える。
 まあ、花音が来るときは必ず私もいるんだから、そりゃそうだけどね。

湊斗(みなと)なら、サッカークラブの練習に行ってるわよ」

 キョロキョロしながら廊下を進む花音の後ろから声をかける。

「なぁ~んだぁ……。久しぶりに頬ずり(・・・)したかったのにぃ」
「やめてよ。もう湊斗だって小二なんだから、いい加減ウザがられるよ」
「え―……。頬ずりがダメとなると、あとはハグくらいしかないじゃん!」

 何もしない、って選択肢はないのか。

「それより、花音……なんで今日、制服なの?」
「あー……、私服はまだ早いかな、って」
「なにが??」

 花音が呆れたように私を振り返る。

「制服姿しか見せたことのない女子が私服になるって、男子に自分を印象付ける最重要ギャップ萌えイベントだよ! なんて言うんだっけ……ボディビルバスタイム?みたいな……」
「ポジティブサプライズね」
「それそれ! そのポジなんとかを演出するためにも、もう少し制服姿を印象づけておかないと、効果が薄いでしょ?」

 誰に対して?……というのはもう愚問だろう。
 ここまで打算的だと、逆に純粋(ピュア)に見えてくるから不思議だ。

「ところで咲々芽……なんであんた、まだパジャマなのよ?」
「昨夜、ちょっといろいろあって遅かったのよ……」

 帰宅したのは夜の九時過ぎだったが、そのあと入浴や食事を済ませ、母に事件の事を報告しているうちに、気がつけば夜中の十二時近くに。
 環さんの手伝いで土日が潰れるかも知れないので、そのあと、宿題などを済ませていたら、結局寝るのは一時を過ぎてしまった。

「はあ? あんたまさか、あのあと……イケメン従兄弟(いとこ)たちとラブラブイベントでも起こしたんじゃないでしょうね!?」
「まあ……ラブと言えばラブかも……」
「なにぃ――っ!?」

 ラブはラブでも、ラブローションだけどね。

「あらあら、花音ちゃん、いらっしゃい」

 開いたリビングのドアから、顔を出した母がにこやかに微笑む。

「叔母さんこんにちは! ご無沙汰してます~」と、花音の受け答えも如才ない。
「中学校の卒業式の日以来かしら? なんだか、大人っぽくなったわねぇ」
「そりゃあ、もう女子高生(ジェーケー)ですから!」
「うちの咲々芽だってジェーケーのはずなんだけど……」
「毎日見てるから気付かないんですよ。咲々芽だってだいぶ大人っぽくなりましたし……あともうちょっとで、ちゃんとしたジェーケーになりますよ」

 逆に、なにがちょっと足りないのよ!
 ……と、問い(ただ)そうと思ったけど、私の胸に向けられた花音の視線に気づいて言葉を飲み込む。
 ああそうですか。そこですか。

「そんなことより咲々芽! なんなのよ、昨日のラブラブイベントって!?」
「花音が想像してるようなことじゃないよ。とりあえず、中に入って座ったら?」

 二人でリビングのソファに腰を下ろすと、昨夜の出来事を話して聞かせる。
 当然、(あまね)くんのことにも触れざるを得ない。

「そんなことがあったんだ……」

 とんちきなフラグを立てた張本人も、さすがに驚いた様子だ。

「じゃあ、あのローション魔も、やっと捕まったってことか……」
「あの?」
咲々芽(あんた)、知らなかった? I市の方だけど、ちょっと前から何人か被害に遭ってて話題になってたじゃん」
「そう? そんなニュース、見た記憶ないけど」
「全国ニュースでは流れてないかも。あたしも、ケーブルテレビとかで見たのかな? 確か、同じ学校の女子中学生ばっかり被害に遭ってたとか」
「中学生? 私、高校生なんですけど」
「高校生でも、スポーツブラは中学生扱いでしょ――」

 パ――ンッ! と乾いた音を立てて花音の髪の毛が乱れる。
 気がつけば、脊髄反射でテーブルの上に身を乗り出した私の右手が、花音の頭頂部を引っぱたいていた。

「いった~い!」と、両手で頭を押さえる花音。
「普通のブラよ! っていうか、中学生だってスポーツブラなんて着けないわよ!」
「中一の時はスポーツブラだったじゃない、咲々芽」
「やかましい!」

 今朝も、みんなびっくりしてたわよ……と言いながら、クッキーと三人分の紅茶をトレイに載せて、母がリビングに入ってきた。

「今朝? みんな?」