平成という時代が終焉を告げ、令和となった最初の盂蘭盆会(うらぼんえ)――。
俺は新たな想いで、五山の送り火を見ていた。
 五山の送り火は毎年八月十六日に、京都市左京区にある如意ヶ嶽(にょいがたけ)(大文字山)など、五つの山で行われる篝火の事である。 お精霊さんと呼ばれる死者の霊を、あの世へ送り届けるとされ「大文字の送り火」と呼ばれることがある。
今年のお盆は、亡き祖母への報告も兼ねていたのだ。
 俺の名は、鞍馬清太郎。京都生まれの京都育ちの二十四歳、彼女なし歴記録更新中である。俺の夢は、生まれ育ったこの京都という町で、料理人としての道を進むこと。
 晴れ渡る空に俺の決意はより固く、漸く開店というところまでこぎ着けた。
 俺の両親は、普通のサラリーマンと専業主婦だったらしい。らしいというのは、俺が生まれて一年も経たない内に、自動車事故で二人とも亡くなり、俺は写真でしか親の顔を知らないからだ。
 それからは叔母さんが育ててくれたが、俺が三歳になった時に祖母が俺を育てると言ったそうだ。
 祖母・鞍馬梅乃は当時、祇園の裏通りで『おばんざいや うめの』を営んでいて、店はいつも常連客で賑わっていた。
 出されるおばんざいは素朴な家庭料理だが、暗い顔でやって来た人も帰りには笑顔にさせいしまう祖母に、どんな魔法を使ったのかと、幼かった俺は思ったものである。
 祖母は俺に、店を継いで欲しいとは一言も言わなかった。
だが、一皿で人を笑顔にしてしまうという料理の魅力に、俺は魅了されたのである。
 祖母は、今の俺をどう思っているのだろう。
彼女は七年前、八十一という歳に終止符を打ち『鞍馬家代々の墓』と刻まれた墓石の下で眠っている。
 俺は東京の高校を受験した為に、祖母と暮らしたのは中学まであった。高校は寮で衣食住には困る事はなかったが、悔いは祖母の死を知ったのが、卒業式が終わった後だったことだ。
 あの時ほど、東京と京都の距離が遠く感じられた事はなかった。
親戚は祖母の家を売ろうとしていたが、俺はそれに待ったを掛けた。
 築百年は軽く経過している京町屋の家だが、俺にとっては実家も当然の家である。俺は東京で就職することはなく、高校を卒業して間もなく京都に戻り、店をもう一度開くと親戚に言ったのだった。