卵と生活を共にして一週間が経過した。いまだ孵化する気配はない。
たまに花巻に卵の様子を実況するなど、こまめに連絡を取り合っていたのだが、最近は返信がこなくなった。携帯依存症かと心配するほどレスポンスが早かったのに。
職場で話しかけようにもなかなか捕まらない。
『卵をください』
出社しようと準備をしているとき、突然メールが来た。
『殻が割れるまで、じゃなかったっけ?』
『もういいんです。朝私のデスクに置いておいてください』
突然、どうしたのだろう。
すっかり卵に絆されてしまった俺は、卵を返すのが惜しくなり、何度も『 理由を聞かせろ』とメールを送ったが、返事は全て『機は熟しました』だけだった。
納得がいかないまま電車に乗る。まあこの卵の産みの親? は、花巻なわけだし、俺はただ育てただけだ。
いや、育てただけというのは語弊がある。愛情たっぷり育てたつもりだ。どこに出しても恥ずかしくない卵になった。
はじめてお風呂に入った日。はじめてタオルで拭いた日。はじめて子守唄を聞かせた日。はじめてそのツヤ肌にキスをした日……。
走馬灯のように、今までの日々が駆け巡る。嫁に出す親とは、こんな気持ちになるのだなと、ぽろりと涙が零れた。
目の前にいた汗だくのおじさんと目が合い、怪訝な顔をされたが構わなかった。
ああたまご。
俺を忘れて、
元気でな。
一句詠みながら、ぽろぽろ涙を流した。
会社に着いて、言われた通り花巻のデスクの上に卵を置いた。彼女はパソコンを凝視したまま、表情ひとつ変えずに「どうも」とだけ言った。
なぜか下野は上機嫌で、鼻歌を歌っていた。