「お、おい!摩耶!起きろ!寝るんじゃない!」
そんな中、慌てた様子で光星が声を上げた。
私の隣で、壁に持たれて目を閉じていた摩耶の肩を揺すっていたのだ。
「!?ああああああああぁぁぁっ!!痛いよ……痛いっ!!」
弾かれるように瞼が開いて、突然苦悶に満ちた表情に変わった。
そして……右の膝に浮かび上がった例の印。
「嘘だろ……ほんの一瞬だろ。摩耶が寝てたとしてもよ!それなのになんでだよ!」
「はぁ……はぁ……い、一瞬?ここは……学校?何がどうなってるの!?私、諦めちゃダメだと思って、かなり長い時間頑張ったのに!」
混乱しているようで、ここが学校だと信じられない様子。
辺りを見回し、私の顔をマジマジと見詰めて、ようやくあれから全く時間が経っていない事を理解したようだ。
「なんで私だけ三回も!!こんなの無理だよ!寝ないなんて絶対に無理!!」
「落ち着いて摩耶!辛いよね、苦しいよね。だから、寝ないように頑張ろう」
私が摩耶の肩を掴んで、落ち着くように説得してみるけれど……摩耶は眉間にシワを寄せて、私の手を払って立ち上がった。
「だったらどうして起こしてくれなかったのよ!皆と一緒にいても、寝ちゃったら意味がないじゃない!!」
そう怒鳴ると、摩耶は駆け出して階段を下りて行ってしまった。
ほんの数分前まで、先生の話を聞いて、何とか頑張ろうって話をしていたのに。
「何だよ……いきなりどうしたんだ摩耶のやつ」
「いや、わからなくもないな。恐らく摩耶は、夢の中で何時間も過ごしていたんだ。なのに、実際にはほんの数秒だろ?この先、何度寝てしまうかわからないのに、何度あの苦しみに耐えなければならないのかわからないのに。それを考えて、耐えられなくなったのかもしれないな。あいつ、そんなに強くないから」
「お前は行かなくて良いのかよ。大好きな摩耶があんななのによ」
「な!バカ!海琉お前っ!」
眠い頭には、やけに情報量の多い会話が耳に入って来た。
確かに、何時間も過ごしたと思って現実では一瞬だったら、嫌になるというか絶望するというか。
明日、先生がどこかに連れて行ってくれるみたいだけど、それがやけに遠く感じてしまうかもしれない。
それこそ、何日も、何週間も先の事のように。
光星が摩耶を好きなのは、そりゃあ初日の夢の中でとはいえ、私達を裏切って摩耶の手を引いて逃げたんだからわかるよね。
「わりぃな。眠いから俺自身何言ってるかわかんねぇよ」
「くっ!覚えてろよ!」
「眠いから無理だな。すぐ忘れるわ」
慌てて駆け出した光星を見送り、私は海琉と二人になってしまった。
「俺達はどうする?話は終わったし、ここにいても摩耶みたいに寝ちまうかもしれねぇ。寝ないように動き回るか、早瀬みたいにずっと何かを書き続けるか」
「私さ、思い出したんだけど。月菜って授業中、突然叫んだりしたことあったじゃない?それってさ……書いてても眠っちゃって、白い物に殺されて目が覚めた……ってことじゃないの?」
今の摩耶の姿を見て、その時の月菜と同じように感じてしまった。
「ん……待て待て。じゃあ何か?俺達は早瀬が寝ないようにノートを書き続けてて、寝てないって思ってたけどよ。そんな事をしてても寝てたってことかよ」
「そうだと思う。摩耶は月菜の首に印があったって言ってたけど、もしかしたら服の下は印でいっぱいだったのかも」
それでも、月菜にとってはそれが一番眠くならない方法だったのかもしれないけど。
「じゃあどうするんだよ。動き続けて眠らないようにするか?」
それも良いんだけど、それだと疲れて眠くなっちゃうかも。
考えても答えは出ないけど、ここにいても眠くなりそうだから、移動しないと。
どこに行く……というあてはない。
まだ二限目が始まる前だから、今ならと思って教室に。
教室の中に入ると……クラスメイトが気味の悪い物でも見るかのような目で、席に座っている摩耶を見ていたのだ。
その視線の先の摩耶は、月菜と同じようにノートに何かを書いていて。
目を見開いて、必死に眠気に耐えているのがわかる。
「摩耶、落ち着けって。そんな事をしなくても他にも方法はあるだろ?眠くならないように、俺がずっと話をしてやるから。な?」
「うるさい……うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!いつになったら私はぐっすり眠れるのよ!いつになったら悪夢を見なくなるのよ!!」
「そんな事言わないでくれ。頼むから……」
私はまだ、とてつもなく眠い……くらいで済んでいるけれど、摩耶は三度目の死を迎えた。
その苦痛とストレスは、穏やかだった摩耶を一変させるには十分だったのだろう。
ほんの一瞬で、限界を超えてしまったんだ。
しばらくそれを見ているとチャイムが鳴り、担任の浜村先生が教室に入って来て。
「授業を始めるぞ。ほら、席に着け!」
「やっべぇ……浜村の現国かよ。さっさと逃げておくんだったぜ」
海琉が苦虫を噛み潰したような顔で、しぶしぶ席に着く。
浜村先生は普段は優しいけど、授業をサボったりすると凄く怒って、同じ内容の退屈なお説教を延々と繰り返すから。
ここは大人しく授業に出た方が良さそうだ。
光星も、摩耶を心配しながらも自分の席に着いて。
出席確認の後、授業が始まった。
授業が始まってまだ五分も経ってないけれど……眠い。
窓際の席で、陽の光が当たってポカポカする。
これはまずい……本当に寝ちゃう。
ノートに何かを書いて眠気を紛らわせないと。
そう考えながらも、瞼は重くてどんどん下がってくる。
ダメ……寝ちゃダメ……。
起きなきゃダメ!
強く心の中で呟いて、目を開けた時……既に景色は変わっていた。
クラスメイトがいた教室は、埃と蜘蛛の巣、そして崩れた天井とガラスが散乱する廃校舎。
私は古びた机に突っ伏していた。
「え、う、嘘でしょ!?寝ちゃったの!?」
いつも見る夢とは違う。
外は明るくて、校舎内もいつもより全然見やすい。
だけど、怖いのはそこじゃない。
「は、早く出口を探さなきゃ……」
きっと、今は私しかこの夢を見ていないと思うから。
こんな昼間に白い物なんて出るのかなと思うほど、夜の校舎とは違っている。
でも、摩耶は殺されたんだよね。
右膝に浮かんだあの印が何よりの証拠だ。
ゆっくりと歩き、教室の入り口から廊下を確認する。
大丈夫……ピアノの音も聞こえているし、近くに白い物はいない。
それにしても、改めて考えてみると、この広い校舎の中にある出口を探さなきゃならないなんて。
どれくらい大きいのか調べたいと思う気もするけど、そう思って移動して、実は隣の部屋に出口があるとかになったら嫌だからなぁ。
「まずは近くからだよね」
そう呟いて自分の行動を確認する。
不思議なんだけど……夢の中でも猛烈に眠い。
気を抜いたら眠ってしまいそうなくらいに。
この中で寝たらどうなるんだろう……。
きっと、白い物に見付かって殺されるだけだろうな。
そう考えると、夢の中でもこの眠気があるのはつらい。
「うわぁ……ここの廊下は特に酷いよ。壁まで崩れてる」
何個か教室を調べて、一番端の教室の前。
パッと見で出口がないことはわかって、今来た道を引き返す。
頼る人はいない。
助けてくれる人もいない。
白い物に見付かってしまえば、一人でどうにかするしかないという緊張感だけは、いつもより強く感じる。
それにしても、夜とは大きく違う点がある。
廊下から見える景色が、夜とは違い、反対側の校舎が見えるのだ。
夜は真っ暗で、何も見えなかったのに。
「中庭も見える。凄い雑草だけど」
などと考えていた時だった。
背筋にゾクッと感じた強烈な悪寒。
ピアノの音はまだ聞こえているのに……どうして?
そう思って見上げた向かい側の校舎。
その三階の教室に、真っ白な顔でニタリと笑う白い物がいて……私を見ていたのだ。
目が合った瞬間、全身が死の恐怖に怯えるのがわかる。
まだ距離があるから逃げなきゃと思うけど……目を逸らせば動き出す。
それも、恐ろしい速度で。
どこに逃げれば良いのか、どうすれば助かるのか。
ゆっくりと横に移動しながら、目を逸らさないように考えた。
廊下の真ん中、左右に階段があって、左側には白い物がいる校舎に続く廊下がある。
玄関に続く廊下だ。
ここからじゃ、白い物がどちらの階段を使って、どのルートを通ってここまで来るかがわからない。
いつまでもここで睨み合いを続けているわけにはいかない。
窓の端、柱に視界が隠れた瞬間、一か八か私は駆け出した。
向かうのは玄関に向かう廊下!
ジャリジャリと音を立てて廊下を走り、何とか廊下を曲がった……瞬間。
「フヒヒヒヒヒッ……」
という笑い声が、今いた廊下の奥から聞こえたのだ。
多分だけど見られては……いないはず。
というよりも速すぎる!!
私が10mくらいを走る間に、白い物は反対側の校舎の三階から、二階に下りて図書室の前の廊下を通って一階に下りた。
幽霊だからといえばそれまでだけど、その異常な速さに、一気に不安が身体を包み込む。
ピアノの音も聞こえなくて。
ゆっくり、ゆっくりと反対側の校舎に向かって移動を始めた。
白い物は、目標がない時はゆっくり動く。
それは昨日の夢で確認済みだ。
眠い頭で必死に状況を整理しながら、私は反対側の校舎の階段を上った。
二階に到着し、さらに左の廊下を走った。
渡り廊下を渡り、また別の校舎に入る。
「ハァ……ハァ……また校舎……もう!どれだけ大きい学校なのよここ!」
ピアノの音が聞こえ始めて、安心したと同時に、吐き出すようにそう独り言を呟いた。
少なくとも、白い物と同じ校舎にいなければ自由に動ける時間は増える。
そして、大きな校舎に入ってすぐにまた階段。
このまま、まず二階から調べるべきか……それとも他の階にすべきか。
窓の外には体育館らしき建物も見えるけど、そこに続く廊下は一階に見えるから、今は特に関係ないかな。
「……三階かな」
そう思った根拠は特にないけれど、上から順に……というのが私のいつものパターンだから。
そう決めて、三階へと上がる。
「うわ……凄い蜘蛛の巣。ここが一番酷いんじゃないの?」
ガラスや天井が落ちているのは元より、廊下の端が見えないくらいに白く、蜘蛛の巣が張り巡らされていたのだ。
普通なら、こんなところは進みたくない。
でも、出口を探すという目的があるし、何より……ほんの少し、ピアノの音が大きくなったような気がするから。