防衛省、事務官である野村忠治氏が現れたのは、予告された時間ぴったりの午後12時8分だった。

「仕事がありますので、お話は食事も含めて56分以内でお願いします」

昔ながらの喫茶店ランチ、薄暗い店内と重厚な木のテーブルに肘掛け椅子、宮下氏が、すかさずスマホのタイマーを56分にセットして机上に置くと、高橋氏は腕組みをして野村氏を見下ろした。

「防衛省は時間にも厳しいんですかね、うちはそこまで言われませんけど、仕事での裁量は比較的自由でしてね」

俺は、翔大の資料を取りだす。

「これが、NASAから送られてきた資料です」

「NASA? アースガードセンターといえば、確かNORADと関係が?」

「そうです、正確にはNORADからの連絡ということになります」

「北アメリカ連合防空軍と言えば、コロラド州ですよね、ロッキー山脈、行ったことありますか? 僕はありますけどね、いいところですよ」

「うわ~、本当ですか!? いいなぁ~!」

「アメリカ空軍がなにか」

「空軍が問題なんではないんです。日本でも、ミサイルの発射を検討していただきたい」

「国防として、ですか?」

「おいおい、杉山くん、いきなりそんなお願いは通じないよ、いくら彼が防衛省の事
 務官とはいえ、文民統制、やっぱり内閣府の許可がないと。最高指揮官は内閣総理大臣であって、最終決定権はやっぱり内閣府にあるんだよ」

「ですよねぇ~」

「最悪、アメリカの協力は得られると思っています。ですが、最大の被害を被るであろう、日本の政府が動かないことには、アメリカの支持も得られません」

「外交問題は外務省の権限であって、防衛省にはないんだよ、もちろん、内閣府から外務省に指示することは可能だと思うけどね、内閣府だから」

「やっぱり、そういう仕組みですよね!」

「高橋さんのおっしゃる通りです。私たちは、命令されれば動くだけですから」

「そうだよ、内閣府総理大臣が、最高指揮官なんだから」

「いよっ! 総理大臣!」

「その指示は、高橋さんが取ってくれます」

俺が高橋氏を振り返ると、彼は眉をしかめた。

「そんなに簡単にお願いされても、そう単純に返事はできるもんじゃないよ」

「ですよねぇ」

「防衛省としては、内閣府の指示がないと動けません」

「まぁ、国民の安全のためになら、全力で働くつもりですけどね!」

高橋氏が高らかに笑い声を上げると、宮下氏も一緒に笑った。

「ですので、私からは、これ以上なにもお返事することが出来ません。私は一介の事務官ですから」

「まぁ、そんなにご自分を卑下なさることはございませんよ、十分立派なお立場ですから、防衛省の事務官と言えば! ま、俺は内閣府詰めですけどね!」

「そうですよねぇ、やっぱすごいなぁ!」

本日の日替わりランチが運ばれてきた。全く同じものが4人分。

スマホのタイマーは、残り42分。

「僕が、防衛省の幹部と会って、お話することはできませんか? この資料を野村さんに本日全てお渡しするとして、上の説得は可能ですか?」

「説得も何も、内閣府を説得すれば、いくらでも防衛省は動きますよ。そういう組織図なんだから」

野村氏は、翔大の資料を手に取った。

「私はこれを受け取り、中の人間にお話するだけです。それだけです」

「僕が、直接お話することは?」

俺は、みそ汁をすする野村氏を見上げた。彼は何一つ動じなかった。

「必要があれば、連絡します」

「あぁ、僕の連絡先は分かりますよね、そう言えば名刺の交換もまだでした」

高橋氏が名刺を取り出そうとするのを、野村氏は手の平で制した。

「必要があれば、こちらから連絡します」

「あ、僕、高橋さんの名刺、もう一枚いただきたいと思ってたんですよ、よろしかったら、いただいちゃっても、いいですかぁ?」

「はは、仕方ないな、あんまり、あちこち配るなよ」

宮下氏は、行き場のなくなった高橋氏の名刺をありがたく受け取った。

「翔大の詳細なデータは、こちらからお送りします。ミサイルの発射のタイミングと、その計算を、ぜひアースガードセンターと連携していきたいんです」

「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」

「日本の総人口の、約45%の命がかかっています。国民の財産と生命を守るのが、防衛省の勤めでは?」

「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」

皿に盛られたナポリタンスパゲティの、半分が既に無くなっていた。

残り23分。

「我々は、ロケットの打ち上げは出来ても、ミサイルは撃てません。ぎりぎりになっ
 てから、やっぱり協力は出来ないと言われるのが、一番困ります。
 ミサイル発射技術と、ロケット発射技術と、どちらで翔大の粉砕が可能とお考えで
 すか?」

野村氏の、サラダを口に運ぶ箸の動きが止まった。

「おいおい、いくらなんでもそれは言いすぎじゃないのかな? 君たちの所属は、あくまで内閣府、文科省、なのであって、内閣府、防衛省、の、防衛省を刺激するもんじゃないよ、あくまで、内閣府の指示がないと、君たちは結局、何にも出来ないんだからね」

「ですよねぇ」

「だから俺がここに来て、わざわざ橋渡しをしてやってるんじゃないか」

「恐れ入ります」

俺の代わりに宮下氏が頭を下げた。残り13分。

食後のコーヒーが運ばれてきた。

「地球は自転しています。日本が1発目、ヨーロッパで2発目、アメリカで3発目、もしかしたら、他の国の天文学者が動いてくれれば、もっと協力が得られるかもしれません。これは、人類が初めて世界的に協力して立ち向かう、一大事業になるかもしれないんですよ」

野村氏は、コーヒーにたっぷりの砂糖とミルクを加えると、一気に飲み干した。

「そこに参加するのは、僕たちアースガードセンターの、衛星打ち上げ用小型ロケッ
 トですか? それとも、自衛隊の弾道ミサイルですか?」

「だから、自衛隊の最高指揮官は、内閣総理大臣だって言ってるじゃないか、内閣府
 の指示があれば、防衛省は動くんだよ」

「分かってないですねぇ、やっぱり彼は」

野村氏は立ち上がって、伝票の金額を確認する。

彼は、財布から額面通りの金額をテーブルの上に置いた。

「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」

俺が用意した翔大の資料を手に、彼は店の扉を開けた。

扉につけられた鈴が、カラカラと音を鳴らすと同時に、テーブルのスマホが56分を経過したことを知らせるアラームを鳴らす。

俺は、大きく息を吐いて、固い肘掛け椅子に体を沈めた。

「おいおい君たち、何にも口にしていないじゃないか、早く食べなさい」

高橋氏に言われてテーブルを見ると、舐めたようにきれいに食事を済ませてた野村氏のお盆と、ほぼ食事を終えた高橋氏のお盆が並んでた。

「じゃ、俺たちもいただきましょうか」

宮下さんがそう言って、にこっと笑って初めて自分の箸を手に取った。

「そうですね、食べちゃいましょう」

やるべきことはやった。後は、連絡を待つのみ。

ナポリタンスパゲティは、何の味もしなかった。