外交官志望の、キャリア官僚であるはずの俺が、なぜこんなチビで、たいして可愛くもない生意気な女によって、教育されなければならないのか。

そもそもこいつに、社会人新人教育というものが、分かっているのだろうか?

「教育って、ただ単に、指示を出すだけじゃないですよ」

「そこに、あんたの新人教育用カリキュラムがあるから、目を通してくれる?」

そのカリキュラムとは、さっきコイツが机に叩きつけた、この資料のことなんだろうか。

とりあえず、手にとって、目を通してやる。

「パソコンでの、資料作りは出来るんですね」

俺の新たな職場は、国際ユニオン宇宙防衛局日本支部、アースガード研究センターというところだ。

宇宙から飛んで来る、地球に衝突する可能性のある小惑星を事前に見つけ出し、予防策を立てるという、なんとも非現実的で、優雅かつ、ヒマそうな職場だ。

見ている資料には、一週間にも及ぶ新人研修と、仕事内容の説明に関する日程表が書かれている。

「一週間もかかるって、効率悪くないですか?」

資料の冒頭部分には、このセンターの設立の経緯と、存在意義についての説明が書かれている。

これが俺に対して施される新人教育とは、片腹痛い。

「こんな内容、ネットで検索すれば、ここのセンターのホームページに、載ってますよね」

「まずは、センター全体の、大まかな部署の役割と、仕事の流れを説明するわね」

「こんな紙の資料にするより、パワポとかで、プレゼン形式にした方が、紙の節約にもなるし、僕のパソコンにメールで添付して送ってもらえれば、家に帰ってからも、見返すなり復習なりが出来るのに」

彼女は無駄紙の資料を手に、俺の美貌に視線を移した。

俺はさらに続ける。

「守秘義務もあるでしょ? データ化して、パスワードで保護しておく方が、紙の束抱えてビクビクしてるより、よっぽど安全で効率的ですよ」

女は俺を見上げたまま動かない。

ようやく俺の実力を理解し、感心と畏怖する心に芽生えたようだ。

「あ、パワポって分かります? いまじゃ、他のを使う人も多いんですけどね」

俺は、相手の知識レベルを考慮してやることも怠らない。

そんなところにも、ちゃんと気が回る男なのだ。

「あんたってさ、よく今までやってこられたよね、友達って、いる?」

「あの、プライベートな質問には、ちょっと……」

これだから、女を相手にするのは面倒くさい。

こうやってすぐに俺の素姓を聞き出そうとする。

俺のプライベートに踏み込んでいい人間は、俺が認めた人間だけであって、たかだか職場が同じというだけで、そこを勘違いしないでほしい。

あんたは俺自身に、興味をそそられるのだろうが、俺はお前みたいな女は、お断りだ。

「プライベートを聞いてんじゃないのよ、あんたをバカにしてんの!」

女はイライラと、机を二度も叩きつけた。

「あ、プライベートじゃないんなら、いいです」

女は、あからさまに長い息を吐き出して、手にした資料をめくる。

「資料は後で、送ってあげるわ」

ほら見ろ、やっぱり俺の言うことが正しい。

それから女は、ようやく仕事の話しを始めた。

なんだかんだと回りくどい説明もあったが、とにかく、このセンターの役割は、地球にぶつかってきそうな隕石を事前に見つけ出し、衝突の可能性を計算することだそうだ。

まぁ、ホームページ以上の説明はなかったけど。そんなの、知ってたし。

そのやり方と手順の説明は、後日追って作業をしながら教えるんだって。

だったら、今日のこの資料と説明はなんだったんだ。

意味がないよね、無駄かつ非効率としか言いようがない。

俺はこんなくだらない職場に飛ばされたのか。

文官官僚の中枢にいたような俺が、なぜこんな理系天文オタクの巣窟なんかに飛ばされたんだ、不条理としか言いようがない。

扉が開いて、一人の男が入ってきた。すらりと背が高く、まずまずの顔つき。

俺の直感が一目で分析結果をたたき出す。

分かる、俺と同じで、仕事が出来そうなタイプだ。

「栗原さん、もう帰ってきたんですか?」

 女はそう言うと、立ち上がって彼に駆け寄った。

「あぁ、もう俺の発表は終わったしね、ポスターはセンター長に任せて、先に戻ってきたんだ。はい、これお土産」

女は紙袋を受け取ると、喜々としてお茶の準備を始める。

「君が今日から来た新人さん?」

「杉山康平です。よろしくお願いします」

立ち上がって、握手をしておく。まずは大人しく、下手に出て様子をうかがうのがオレ流処世術。

ライバルになりそうな人間は、早めに攻略しておくに限る。

福岡であったとか言う天文学会の話しをしている彼の回りに、なんとなく全員が集まってきた。

俺もそこにしっかりと混ざっておく。

この男の話しは何を言っているのか、今はまだ分からないけど、すぐに肩を並べるようになるから大丈夫。

天文学は門外漢だけど、まずは敵状視察といったところか。

女が運んできたお茶に、俺は一番に手を伸ばした。

湯飲みに手が届くその直前、ガッと足が飛んできて、俺の座っていた椅子の縁を蹴りつける。

「それは私の湯飲みだ、覚えとけ!」

「え、俺の分はないんですか?」

「てめーはこっちの紙コップだ、バカ」

お盆に載せられた陶器のカップの間に、一つだけ小さな紙コップが載っている。

「ひどくないですか、期待の新人に対して、こんな紙コップって。来客用の湯飲みとか出すでしょフツー」

そう言うと、女は相変わらず鋭い目つきで俺をにらむ。

「お前、お茶ぐらいは入れ方知ってるんだろうな、今度からお前がやれよ」

「当たり前ですよ」

新人だからという理由で、全員分のお茶くみをさせられる覚えはないが、自分の分くらいは、自分で入れる常識はある。

「はは、新人さんとはどう? うまくやれそう?」

「いいえ! ぜんっぜんムリそう! もうダメ!」

女が即答する。

「僕は、平気そうですけどね」

女が、バカみたいにあんぐりと大きな口をあけて、こっちを見ている。

そんな顔をすると、そうでなくても頭が悪そうなのに、よけいにバカみたいだ。

俺は、紙コップのお茶をすすった。