僕はヒーローになりたかった。いや、過去形ではない。
僕はヒーローになりたい。
中学生の今でも、皆にはからかわれるから言わないけれど、戦隊ものの番組を毎週見ている。特別なベルトや変身道具は、要らない。
ただ単純に優しくて、強くて、みんなに頼られているそんな姿に憧れているのだ。

僕、『有星 優』は、クラスでもあまり目立つ存在ではない。イジメ、等はされていないけれど、必要以上の会話はしない。

≪キーンコーンカーンコーン≫
チャイムが鳴った。
「はい、では休み時間ー」
先生の言葉で皆が一斉に動き出す。
____僕を除いて。

僕はさっきの授業の用意を鞄にしまい、次の授業の用意を机の中から出す。そして文庫本を開く。これが僕の休み時間の過ごし方だ。文庫本は、大きな謎が解かれようとしている場面だ。ようやく続きが読める。ワクワクした気持ちで文章に目をやった瞬間___

__「キャハハっ!」不快な大きな笑い声に思わず顔をしかめ、本から顔をあげる。キョロリと周りを見渡すと、机の上に軽く腰掛け、数人の女子たちとはしゃいでいる女子が目に入った。
__『春野 玲』。クラスでいつも大声で喋っているグループの中心的存在だ。出来る限り目立ちたくない僕にとっては あまり関わりたくない女子だった。
「ね、ね、次の時間って席替えだよねっ?」
「ホントだ忘れてた!」
そう言えば、そうだっけ。
クラスの窓際の一番後ろ、いわゆる"特等席"に座っている僕は席替えはしたくないけれど、仕方ない。出来るだけ目立たない席になるのを祈っておこう。

「三分前だから席についてー」
皆が名残惜しそうに自分たちの席に座る。僕は再び文庫本に目線を戻す。


しばらくすると先生が教室に入ってきた。
先生は皆のざわめきの中、黒板に番号を振りながら座席表を黙々と描いていく。
「じゃあ、くじ引きの順番を決めるぞ。佐々木と有星、ジャンケンしろー」
佐々木はクラスのムードメーカーの男子だ。
「行くぞっ!良いか、有星!?」
僕は黙って頷く。
「「ジャーンケーンポンっ!!」」
「おおぉぉっしゃああぁぁっ!!」
佐々木が拳を高く掲げる。
僕はピース形にした右手をヨロヨロとおろした。
「ごめん……」
「ドンマイ有星ー」「気にすんなー」
佐々木から順番に一人ずつ教卓の上の紙を引き、それぞれ喜びか悲しみの声をあげて席へ帰っていく。
僕は次々と埋まっていく座席表を見つめる。前の方は目があまり良くない人たちで大体埋まっている。だから一番前になることは__

___「やったあぁ!」春野 玲だ。
彼女の名前が書かれたのは……
……真ん中の列の、一番後ろ。
「良いなー、玲ちん」
不満げな顔で言葉を発したのは、春野といつも一緒にいるメンバーの一人、明日原 実子だ。
「日頃の頑張りかな~」
「そう言いつつも、いっぱい遊んでたくせにー」
「まぁ~、それは…ね?」
「何それ~」
「あ、次 実子ちんの番じゃん」
「ほんとだ!実子、行きますっ」
敬礼のポーズをする明日原。
……と言うことは、もうすぐ僕の番だな…。


「キャーーッ!」
明日原が悲鳴をあげる。
「やだ、最悪っ!」
どうやら、前の方の席だったらしい。
「実子ちんドンマーイ」
「玲ちんムカつく~」
そう言いつつも険悪な空気は流れていない。
最後と言うことは、僕はあまりの席になるのか…。
僕の列の一番前に座っている人が立ち上がった。黒板の座席表はほぼ埋まっている。
一番前はすべて埋まっていて、それより後ろはちらほらと空白がある。

ついに僕の前の席の人が教卓へ向かった。空いているのは、前から三番目の端か、真ん中の列の一番後ろ__春野 玲の隣か。
前の人の名前が書かれたのは……

……三番目の端だった。
つまり、僕は 春野の隣の席になったということだ。
「はい、じゃあ机 動かしてー」
先生の声で皆が机を動かし始める。
お互いに譲り合いながら目的地へ向かう。
僕は横に動かしていくだけだったので、すぐに終わった。一番後ろは良いけれど、よりによって春野の隣になってしまうなんて…。
「有星っ」
春野だ。満面の笑みで僕の顔を覗き込んでくる。
「これからよろしくねっ!」
僕はどうしたら良いのかわからなくなって、とりあえず無言で頷いた。
少し不安になってきた……。


「ね、有星っ 消しゴム貸してくれない?」
春野が僕の顔を覗き込んでくる。
僕はいつも消しゴムを二つ持っているので比較的 綺麗な方を彼女に渡した。
「ありがとー」
ちゃんと目を見てお礼を言う。春野は意外といい人なのかも知れない。

「ね、有星っ 数学って宿題出されたっけ?」
「確か出てないと思うよ」
「ありがとー」

「ね、有星っ 次って移動だっけ?」
「そうだよ」
「まじで?ありがとー」

「ね、有星っ」
今度は何だ。
「アイスクリームで何味が好き?」
黙っておこうと思ったが、流石に酷いかと思い、僕は好きな味を答える。
「………抹茶」
「抹茶!?渋くない?」
聞いておいてこれか……。
「春野は?」
「え~?そ~だなぁ~…」
真面目に考える春野。
「『みるみるイチゴミルク』かなっ!」
初めて聞いた……。
「そーだ!今日空いてる?」
「まぁ…今日は塾ないし、一応…」
「じゃあさ、二人でアイス食べに行こ!」
「えっ…」
え?二人で?今日?アイス?何で?
「じゃ、四時半に学校前集合ね!」
「えっ?あ……」
二人で出かけるなんて……どうしよう……

とりあえず五分前に学校前に着いたが大丈夫だろうか……。
友達と遊びに行く事自体あまり経験がないのにいきなり女子と二人で出かけるなんて……。
「ごめん、お待たせ~!」
春野が走ってきた。
「も、と…っはやぐ、づ…っ」
「とりあえず息ととのえて」
「ふーっ、はーっ、ふーっ」
胸に手を当て、深呼吸をする。
「あのね、もっと早く着けるはずだったんだけど…っ」
「いいよ、じゃあ、行こう?」
「ありがとー!それじゃ、しゅっぱーつ!」


「着いた~!ここだよっ」
中に入ると ひんやりとした空気が僕の身体を包み込んだ。
「いらっしゃいませ~」
ピンク色の帽子をかぶった女性がにこやかに僕らを迎えてくれた。
「有星っ、抹茶で良い?ここの抹茶美味しいんだよー」
「えっ、別で頼もうよ。お金とか。ややこしいし…」
「えーっと、『みるみるイチゴミルク』と『濃厚ほろ苦抹茶』ダブルのコーンで!」
「かしこまりました~レジ前にてお待ちくださーい」
ダブルのコーン!?別々じゃないのか?
「ちょっ、春野」
「どーしたの、有星」
春野が意地悪な笑みを浮かべる。
「別々じゃ…」
「それじゃ一緒に来た意味無いじゃーん」
「そうだけど…」
「お待たせしました~ダブルのコーンでーす」
「ありがとーございます!」
「650円でーす」
「はーい」
「ちょっと待って割り勘に」
「んー?」
春野はそう言いながら支払いを済ませた。
「ありがとうございました~」

「はい、325円」
「えっ、良いよそんなの!」
「僕が良くない。受け取って」
「あ、ほらアイス溶けちゃう!」
「受け取ってくれるまで食べない」
「うぅー」
春野は渋々受け取った。
「スプーン一つしかないね」
「僕もらってくるよ」
「えー、良いじゃん」
「僕が良くない!」
僕は春野を振り切ってスプーンをもらった。
「『濃厚ほろ苦抹茶』、どうぞ」
「……抹茶で良くない?」
「良くない!はい、あーん」
「自分で食べるよ」
僕は抹茶アイスを一口、口に含んだ。
その瞬間、広がる抹茶の苦味と旨味。今まで食べてきたアイスの中で一番美味しい……
「美味しいでしょ」
「……うん」
「目、輝いてる」
「そう…?」
「『みるみるイチゴミルク』も食べてみなよ」
「……イチゴミルクじゃダメなの?」
「ダメ!お仕置き。はい、あーん!」
「だから自分で食べるって!」


今日初めて食べた『みるみるイチゴミルク』。悪くなかったな……。
今度、頼んでみようかな。


次の日学校へ行くと、明日原が僕の席に座り、春野と並んで楽しそうに会話をしていた。僕が席に近づくと明日原は急いで立ち上がった。
「あっ、有星おはよー!昨日は楽しかったね~」
ちょっ、誤解されるって…
「えっ、何々!?玲ちんと有星どんな関係なの?」
……やっぱり…。
「別にー?友達だよー」
「怪しい…。そうなの、有星?」
僕はいつもより大きく頷いた。
「ふーん。ま、良いけどさー」
「玲~、実子~、見て見て~」
二人と仲の良い女子だ。そのまわりには数人女子が固まっている。
「んー、今いく~!」
二人はその集団に向かって歩いていった。
離れていく彼女の背中が少し切なくて__
僕はいつの間にか彼女の隣が心地よくなっていたのかもしれない。
いつも笑顔で明るい彼女の姿に憧れていたのかもしれない……


__ようやく放課後だ。
クラスメイトはほとんど帰り、教室には数名しか残っていない。
掃除当番だった僕は、早く帰りたかったので急いで支度をし、帰路についた。

__自宅に帰ってきた僕は部屋着に着替え、課題をしようと机の上にノートなどを出した。……が。
……無い。教科書が、無い。学校に忘れてきてしまった……。
取りに行くしかない。
僕は脱いだばかりの制服を再び着て、学校へ向かった。


僕は早足で 教室のある三階へ続く階段を上る。段々重たくなっていく足を持ち上げ、ようやく教室の前に辿り着いた。
あがった息をととのえ、前方の扉を開く。
自分の席へ向かおうと目を移した瞬間____僕は目を疑った。



春野 玲がうつろな目をし涙を流しながら_



__カッターの刃を首もとに向けていた。




「何してんだ!」自分でも驚くような大声。
春野はびくっと体を震わせ、近づいてくる僕を怯えたような目つきで見つめる。
僕は彼女に近づきカッターを取り上げた。
彼女は混乱した様子で息が荒くなっている。
「ち、違うの…これは」
「少し、話そう」
僕は、気付いていた。彼女の手の甲の小さな傷たち。まるで、カッターで切ったような__。
「ごめ…なさい、誰にも、言わないで…」
「誰にも言わないから……教えて?」
「え…?」
「春野のこと。僕、アイスの好きな味くらいしか春野のこと知らないからさ」
クスッ、と春野が小さく笑った。
僕は彼女を深く追求しないことにした。
春野には春野の悩みがあるのだから。

しばらくすると春野は泣き止み、段々落ち着いてきた様だった。
「有星」
「何?」
「今から言うこと、秘密にしてね」
「うん」
「有星には言っても良いかなって思うから」
「わかった」

「私ね、将来 介護士になりたいの」

正直、驚いた。
「私のおばあちゃん、認知症でね、会話ができないの」
「…そうなんだ」
「今、老人ホームに入ってるんだけど、そこの介護士さんたち、皆 優しくて、明るくて、いつも笑顔で。会話ができない私のおばあちゃんにも楽しそうにお話しをしてくれるの」
「…うん」
「その姿に憧れて。勿論大変だってことわかってるよ。楽しいことばっかりじゃないだろうし…でも、なりたいんだぁ」
「…そっか」
「去年、職業体験あったでしょ?」
うちの学校は毎年二年生が、職業体験という行事をする。
「その時さ、私ほんとは老人ホームに行きたかったの。でも、皆 嫌がって、『何でウチらが老人の世話しなきゃいけないの』とか言い出して…、私、その言葉に流されちゃって、結局ケーキ屋さんに行ったの」
僕のクラスでもあまり人気がなかった老人ホーム。
「あ、でも、ケーキ屋さんにも行きたかったんだけどね!…っ、私が弱かったから、一番行きたいところに行けなかった。その、後悔がまだあるんだぁ……。」
「…そうだったんだね」
「有星はっ」
「何?」
「私のこの夢、おかしいと思う?」
「何で…?」
「私、なんかが…こんな夢…」
「おかしくないよ」
「え…」
「逆に、素晴らしいことだと思うよ」
「……っ」
「春野は、綺麗な心を持ってる」
「…っ、有星っ!」
「え」


春野が僕に抱きついた。


服越しに感じる温かさに戸惑う。

僕は欲望が抑えきれなくなる。

僕はそっと彼女の頬に手を添えた。

彼女はゆっくりと瞳を閉じた。

僕は彼女の唇に僕の唇を重ねた。

あぁ、僕は春野が好きだ。好きだ……

たったの数秒がとても長く感じた。

どちらともなく唇を離した。

彼女の瞳に僕が映っている。

きっと僕の瞳にも彼女が映っていることだろう__。

「有星、好きだよ」
「…僕も」
「…良かった」
「これからは、僕に相談して。一人で抱え込まないで」
「うん、ありがとう」
少し、沈黙が流れる。
「有星__いや、優はさ」
彼女は微笑んでこう言った。






「私の、ヒーローだね!」






喜び、悲しみ、悔しさ、後悔、焦燥、希望、絶望、孤独感__。
僕たちはそれらを抱えながら精一杯生きている。
変わりゆく世間に呑み込まれそうになりながら、
大人たちを信頼し、時には反抗しながら、
人を傷つけ、傷つけられながら、
自分を受け入れられず自己嫌悪に陥りながら__



誰もが悩みを抱えながら、


精一杯生きているのだ。