静けさの戻ったスクールで、俺は課題に追われていた。

16の歳までに終わらせるべき課題が、まだ山のように残っていた。

17になるまであと半年だというのに、残りの課題は半分も終わっていない。

もちろん、これらの課題を次の誕生日までに、全て終わらせなければならないわけではない。

だけど、やるべき課題をやるべき時にこなしていかなければ、このスクールを卒業し、成人して世界から認められ、出て行くことが出来ない。

俺は2時間に及ぶ物理化学の個人テストを受け終え、チームの部屋に戻ってきたところだった。

扉が開き、中に足を踏み入れると、ルーシーがカズコの机に座っていた。

その視線は、ずっとニールの背中に注がれている。

「だから、レオンとカズコの心配より、自分のことを考えろって!」

そう言って、やや怒り気味に振り返った彼と、俺は目が合った。

「あぁ、ちょうどいいところに帰ってきた。ヘラルド、こいつにカズコたちの心配はいらないって、説明してやってくれ」

俺はため息をつく。

ニールはジャンたちと一緒になって、キャンプベースの役員が、遠隔操作で累積ペナルティを消した方法を解明するのに、一生懸命になっていた。

そんなことに時間を費やすくらいなら、最初っから警告を重ねないようにすればいいと思うが、どうもそういう考えは、彼らには浮かばないらしい。

ルーシーは俺の手を取ると、カズコの机の上に俺の手の平を押しつけた。

何度もぎゅうぎゅうと押しつけては、彼女の不在を訴える。

「カズコは、病院だ」

彼女は次に、レオンの机に引っ張っていく。

そして同じように、手の平を机に押しつけた。

「うん、レオンも病院」

ルーシーには、テレビ通信で何度かカズコやレオンとも話をさせている。

どうしてそこにいるのか、どうしてここにいないのか、それくらいは彼女にも分かっているはずだ。

だけど、何をそんなに訴えようとしているのか、それが分からない。

「いる、ほしい、どこ?」

突然の透き通ったその声に、俺は耳を疑った。

ニールも驚いた表情で、こっちを振り返る。

「どこ? ここ、どこ?」

彼女の手が、俺の手をカズコの机に押しつける。

「カズコのことを言ってるの?」

彼女はキャンビーの頭を叩いた。

モニター画面に、タッチパネルが表示される。

彼女はそこを指で押した。

いつの間に撮影したのか、カズコやレオン、チーム全員で写った画像が現れる。

彼女は、一生懸命にカズコとレオンを、交互に指差した。

「どこ? いる、ほしい!」

「あぁ、分かったよ、二人に会いたいんだね」

彼女は、何度も小さくうなずく。

「分かったよ、じゃあ、今から会いに行く?」

俺は、カズコとレオンを順番に指差し、それから教室の扉を指した。

彼女は急に神妙な表情になると、さっと立ち上がる。

どうやら、本当に行く気まんまんらしい。

「今から? すぐに?」

彼女はうなずく。

「じゃあな、行ってらっしゃい」

ニールは、やかましいルーシーからようやく解放されることにほっとして、にやにや俺を見上げる。

「お前も一緒に来いよ」

「イヤだね、俺は忙しい」

ニールはさっと背を向けた。

あらゆる病気や怪我、感染症に耐性の強いリジェネレイティブだ。

彼らの体を心配するような人間は、ここにはいない。

この二人に関しても、もうすぐ退院できるという連絡をすでにもらっている。

何も心配する必要はないのに、彼女にはそれが分からないから仕方がない。

部屋の扉の前に立ったルーシーは、こちらを振り返ってじっと待っていた。

俺は、ため息をつく。

「ちょっと待っててね、今から車を手配するから」

彼女はとてもとても、力強くうなずいた。

病院へ着くと、俺たちはすぐにカズコのいる部屋へと案内された。

ルーシーは、真っ先にそこへ飛び込んで行く。

「あら、本当にお見舞いに来てくれたのね、ありがとう」

カズコは静かに、ベッドの上に座っていた。

「もう大丈夫なんだろ?」

「うん、スクールの課題はこっちでも出来るし、何の問題もないわ」

介助ロボと看護ロボが、何もかもカズコの世話をしている。

レオンに至っては、ワザと退院を引き延ばして、院内のリラクゼーションルームで、ギターを片手に歌を歌っていた。

すっかりアイドル気取りだ。

ルーシーは心配そうに、カズコの手を握る。

そんな彼女に、カズコは微笑んだ。

「誰かにこうやって手を握られるのって、久しぶりのような気がする」

カズコもその手を、そっとルーシーの手に重ね合わせた。

リジェネレイティブは、現代に存在する3つの人種のなかでも、独特な経緯をもって産まれた種族だ。

かつて、医療技術が未発達だったころ、先天的な病気や障害、当時においては不治の病といわれた症状や怪我を負った人たちは、世界の片隅でひっそりと寄り添いあって生きていた。

彼らは彼らだけの優しい世界で生き、それでもたくましく子孫を繋いでいった。

そんな中で、遺伝的な病気、持って生まれた身心の障害、数ある遺伝的環境を乗り越え、健康に生まれ育った子供たちは、驚異的な能力を身につけていた。

その子孫は、どんな遺伝子エラーを抱えていても、それを発症させずに成長し、子孫を残し続けた。

やがて受け継がれていったその能力は、誰よりも病気や怪我に強く、不屈の精神を持ち、生命力の強い種族として確立される。

「誰かにこんなにも気にかけてもらえるなんて、うれしいものね」

カズコが微笑むと、ルーシーも嬉しそうに笑った。

リジェネレイティブの体調や怪我を心配するのは、明日はやって来ないかもしれないと、心配するようなものだ。

「そうだ、カズコ。ルーシーはここに来たいって、初めて俺たちにしゃべったんだ」

「まぁ、本当に?」

ルーシーは彼女の中にある感情を、どういう言葉で表現したらいいのか、的確な選択肢が思いつかないようだった。

彼女はしばらく両手を胸の前で、もぞもぞさせていたが、ついに何かをひらめいたらしい。

「いる、まつ、あっち」

ルーシーは、ふいに窓の外を指差す。

その仕草に、俺とカズコは笑ってしまった。

「ありがとう、早く元気になって、スクールに戻るね」

「カズコ!」

ルーシーはその両腕をカズコの首に回し、彼女に抱きついた。

ルーシーが、カズコの名前を呼んだ。

その思わぬ一言に、俺は驚く。

みんなの名前を、彼女は覚えたんだ。

カズコ自身も思わぬこの出来事に、動揺している。

「あ、ありがとうルーシー、ルーシーも、元気でね」

ルーシーの体調管理は、キャンプベースから支給されるキャンビーによって、毎日定時にチェックされている。

彼女だけじゃない、スクールの人間全員のバイタルチェックは、大切な日常業務のうちの一つだ。

誰でも閲覧できるそのデータベースがあることを、分かっていながら「元気でね」なんて、そんなおかしな挨拶が出てくる時点で、カズコのルーシーに対する驚き具合がよく分かる。

ルーシーは元気よく立ち上がると、扉に手をかけた。

そこから振り返って、カズコに手を振る。

「これはもう、帰るってことなのかな」

「そうじゃない?」

「じゃあ、帰るよ。カズコも、早く元気になれよ、待ってるから」

俺がそう言うと、彼女は赤らめたままの頬で、小さくうなずいた。

俺はルーシーと二人で、部屋の外に出る。

俺自身も、自分の顔の皮膚表面が紅潮していることが、鏡で確認しなくても分かる。

誰かに向かって誰かを思う意志を示すのに、こんなにも簡単な言葉で表現したのは、久しぶりだったかもしれない。

ルーシーは、出入り口のロビーにいたレオンにも手を振った。

彼は観葉植物の並ぶ広いロビーで、観客の前で弾いていたギターの手をとめ、こちらに振り返す。

そうか、言葉にしなくても、こんなことでもいいんだ。

俺たちは彼らを見送って、病院の外に出た。

目の前のロータリーには、自動運転の車が列をなして待っている。

その乗車口に向かおうとした俺を、彼女はあっさりと追い越していってしまった。

俺はその後ろ姿に声をかけ、呼び止めようとして、やめた。

今日は珍しく晴れている。

キャンビーを抱きかかえて、颯爽と歩く彼女の横に、俺も並ぶ。

「あぁ、ここから歩いて帰るのは、とても遠いよ」

彼女はちらりとこちらを見上げて、にっと笑った。

俺は一人で、くすりと笑う。

彼女が歩き疲れたら、頑張れって励まそう。

途中で休憩したっていい。

それでももう歩けないって言う時には、その時にはちゃんと俺が連れて帰ろう。

そうすれば、それでいいんだ。