俺は、ルーシーに視線を向ける。

彼女は川から少し離れたところに咲いていた、背の低い林檎の木の花に手を伸ばしていた。

「それに触れてはいけません」

彼女に付きそう、キャンビーから警告が発せられる。

ルーシーは驚いて、一度は手を引っ込めたものの、再びその手を、白い花に伸ばした。

「それに触れてはいけません」

キャンビーからの警告の意味が分からないのか、警告は警告として理解しつつも、植物に触れてはいけないという、行為を禁止されていることが理解できないのか、彼女はとても不服そうな顔をして、何度も何度も、それに触れようとしてはキャンビーに注意されていた。

そんなルーシーに、そっと近寄る。

「ここの動植物は全てキャンプによって管理されていて、採取にも許可が必要なんだ」

ルーシーは俺を見上げた。

再び伸ばそうとした手を、遠慮がちにおずおずと引っ込める。

林檎の花には、将来実が付く。

その栽培も、キャンプのロボットたちが全て生産の管理調整をしている。

ここに植えられている林檎だけではない、飛んでいる鳥も虫の数も、すべて調整されていた。

ルーシーは頬を紅潮させたまま、じっと花を見つめている。

彼女は、俺の顔を見上げては、その視線を花に戻すという往復運動を、ずっとくり返していた。

「どうしても、触ってみたいの?」

彼女からの返事はなかった。

言葉が不自由な彼女と、意志の疎通は難しい。ルーシーの手が再び白い花に伸びて、ついにキャンビーが、周囲に助けを求める警報音を鳴らした。

俺はすぐに彼女のキャンビーに手をかざして、その音を止める。

「大丈夫、君のキャンビーが壊れたわけじゃないんだ」

俺は、自分のキャンビーを呼び寄せた。

「3Dプリンターで、この花をスキャンして。触感重視で」

俺のキャンビーがレーザーでこの花の造形を取りこむのを、彼女は不思議そうに見ている。

「こっち、来て」

手招きの合図は、彼女にも理解出来るらしい。

俺は車に戻って、キャンビーから転送された立体造形を、プリンターから取りだした。

「はい、これなら触ってもいいよ」

俺の手の中にある、その合成樹脂で出来た林檎の花に、彼女はとてもうれしそうな顔をした。

差し出した手の平からそれを受け取ると、自分の髪に挿す。

ルーシーはくるくると回って、そのまま走り去ってしまった。

触りたかったんじゃなくて、欲しかったんだ。

俺はようやく、そのことに気がつく。

どうもそのあたりが、彼女とのコミュニケーションの取り方が難しいところだ。

意思疎通に、身体的要因で問題がある場合、今やそんなことは一切なんの問題にもならない。

彼らの意志を表明する方法は、いくらでも開発されているし、訓練もしっかり受けられる。

だけどルーシーにとって必要なのは、そういった類いのものではないのだ。

俺は彼女の、本当の気持ちを理解することが出来なかった。

そうするためには、どういった手段が必要なんだろう。

彼女は川に戻って、レオンとニールの仲間に入った。

小さな川で足元をすり抜ける魚に、一喜一憂している。

「ヘラルドにしては、気が利いてるじゃない」

カズコの横に腰を下ろすと、彼女はそう言った。

「そうかな、とてもそんな気がしない」

カズコが事前に予約したアユ、一人一匹で5匹の丸々と太ったのが泳いでいる。

それを全部捕まえたら、もう川に泳ぐ生き物はいない。

「今度は、果物の季節に予約すればいいんじゃない? リンゴとか。きっとルーシーも喜ぶわよ」

「俺の必須野外活動は、これで終わりだよ」

だから、これ以上のことを、彼女に対して何かしてやる必要は全くない。

彼女は彼女に与えられた課題をこなし、ゆっくりと成人していけばいい。

それが彼女へ与えられた人権であり、尊重されなければならない部分だ。

彼女は自分の意志で自分の行動を選択する。

俺が手を貸す必然性が、見当たらない。

彼女は彼女のままでいい。

川で遊んでいたレオンが、つかんだはずの魚を採り逃がして転倒した。

彼の右腕から肩から肘にかけ、ざっくりと切れ、血が流れてだす。

ここはできるだけ自然の風景を模した、学習用の公園だ。

通常の公園なら、安全に配慮した水路のような設計になっている川が、ここではごつごつとした岩肌が、川沿いにそのままむき出しになっている。

「レオン!」

すぐそばにいたニールが、水底に倒れたレオンを助け起こした。

膝丈ほどの水位とはいえ、大量の水を飲み込んだレオンは、激しく咳き込み、その場に倒れ込む。

「ちょっと、大変!」

「救急隊!」

俺の叫び声と、レオンの急変したバイタルサインに、その場にいた全員のキャンビーが即座に反応する。

警報音のなか、キャンピングカーから分離した救護ロボが駆けつけると、すぐにレオンの診断が始まった。

「大丈夫、俺、リジェネの遺伝子持ってるから」

流れ出ていた血液が、やがて自ら流出を停止した。

赤い傷口が、黄色みを帯びた傷口へと変わり、すぐにゼリー状に変化する。

レオンは、大きく息を吐いた。

「こういう時、この体は便利だよね」

リジェネレイティブは、その名の通り身体の再生能力や免疫力が高く、病気や怪我に強い体を持っている。

救護ロボの診断も、問題なしと出た。

モニターの画面に、ジャンの姿が映る。

「なんだよ、レオンか、驚かすな」

レオンが笑うと、ジャンは呆れたようにため息をついた。

モニター越しでも、そこからジャンが、ルーシーの姿を探しているのが分かる。

「お前らのチームは、いま何かと注目を集めてるんだから、大人しくしとけ」

ルーシーがこのチームに配属されたことは、瞬く間にスクールの人間全員に知られることになった。

なぜキャンプの人工知能が俺たちのチームを選んだのか、それは誰にも分からない。

だけど、注目を集めるルーシーの存在に、ジャンが気にならないわけがなかった。

彼はそんなことを一言も口に出してはいないが、彼女が自分のチームに入れられなかったことを、悔しく思っていることは間違いないと思う。

常に注目を浴びていたいのは、ジャンの持つ幼少期からの特性だ。

レオンが笑顔で手を振ると、彼からの通信が切れた。

ルーシーは、心配そうにレオンを見つめている。

「さ、お昼ご飯にしましょ、ニール、残りの魚も全部とって、調理機に放り込んで」

ニールは自分のキャンビーを使って、公園の管理機能を操作し、川の水を全てさらって魚を捕まえると、そのまま調理ロボに放り込んだ。

やがてそこから、魚を焼くいいにおいが漂ってくる。

ルーシーにも食べやすいようにと、骨を全て取り除いた切り身を、バターと香辛料で焼いたものが、オーブンから出てきた。

それを俺とカズコが皿に取り分ける。

「たまにはこうやって、外でみんなと食うのもいいな」

ニールがそう言って、みんなが笑った。

レオンも自分の怪我を気にしている様子もなく、ルーシーも楽しそうだ。

食事を終えてしまうと、本当にすることがなくなってしまった。

本来ならここで、討論のテーマを発表し、屋外でチームの交流を深めつつ、見識を深めるということになるのだが、言葉の理解が追いつかないルーシーがいる以上、そんなことは出来ない。

怪我をしたレオンは昼寝を始めてしまったし、カズコは読書の続きだ。

ニールは、自分のキャンビーを使って、何かのプログラミングをしている。

どこに行っても、いつもと変わらない光景だ。

ルーシーは、この小さな公園をあちこち見て回ったあと、川を越えて絶壁のそばに立ち、荒れた海を見ていた。

「海、が、気になる?」

俺はルーシーの隣に並んだ。

彼女は風に吹き上げられる髪を、両手で押さえた。

「ルーシーは、海からやって来たんだよね」

彼女は黙って、灰色の海を見ている。

「海は、好き?」

俺の言葉を、彼女はどこまで理解しているのだろう。

ちらりと俺を見上げただけで、彼女の目は相変わらすまっすぐに、前を向いていた。

海から吹き上げる風が、流れの速い雲とぶつかって渦を巻く。

何を話せばいいのだろう、どう言えば伝わるのだろう。

そもそも、俺はなにを伝えたかったのか、彼女からどんな言葉を聞いてみたかったのか、それすらも分からなくなって、同じように前を向いた。

大量の湿気を含んだ風が、ついにその重さに耐えきれず、突然その底が抜ける。

目の前に、ドンっと雷が落ちた。
まずい、これは、嵐がやってくる。

俺がルーシーの手をとった瞬間、風向きが変わって、雨が降り始めた。

「早く、車の中へ!」

激しい光と爆音の衝撃が、空気を激しく振動させる。

逃げ込もうとしたキャンピングカーは、激しく雷光に打ち付けられ、黒煙をあげた。

「シェルターは?」

ニールは、レオンに付き添ったカズコと俺に向かって叫ぶ。

「ここは海が近すぎて、シェルターまで遠すぎる」

天候の急変を察知して、公園を覆う雨よけのドームが動き始めた。

その強化プラスチックの板を、強風が激しい音をたててあおる。

ドームのモーター動力と強風のせめぎ合いで、独特のきしみ音が不気味に響いた。

その向こうで、すうっと一本の雲の筋が、触手のように空から伸びる。

「竜巻だ!」

空を覆おうとしていたドームの板が、一瞬にして吹き飛ぶ。

頭上に、バラバラと破片が降りそそいだ。

レオンが大きく腕を広げる。

ニールと俺とルーシーとの、三人を破片から守るように、彼はその上に覆い被さり、ぎゅっと抱きしめた。

そんな俺たちを背にして、カズコが空を見上げる。

ぐにゃりと曲がって倒れてくるドームの骨組みの前に、彼女は立ちはだかった。

カズコは冷静に、その倒れていく行き先を観察している。

「こっち!」

彼女はレオンごと俺たちを押しのけ、倒れた骨組みを避けた。

嵐の中に、不気味な倒壊音が鳴り響く。

ルーシーが声にならない声で叫んだ。

カズコは落下する防護板の破片を、自分を盾にすることで、俺たちの上に降りそそぐことを防いでいた。

はがれ落ちた大きなパネルの1枚が、カズコの体を押しつぶす。

「カズコ!」

彼女の左腕が潰れて、肉がそげ落ち骨まで見えている。

カズコがそうやって作った隙間で、俺たちはほぼ無傷で済んだ。

海から吹き上げる強風が波を巻き上げ、横殴りの雨と一緒になって叩きつけている。

ニールはレオンを押しのけた。

カズコに覆い被さる巨大なパネルをつかむと、彼はそれを力任せに引きずり下ろす。

ニールの、半アスリート種の力だ。

「ヘラルド!」

ニールが俺に、次の判断を求めている。

「公園の地下の管理ルームへ行こう、シェルター代わりになるはずだ」

「どこだ?」

カズコやレオンのようなリジェネレイティブの再生能力も、半アスリート種のニールのような高い身体能力も、持ち合わせていないスタンダードの俺に出来ることは、頭を使うことしかない。

景観に配慮された自然公園には、どこにも人工物が見当たらない。

キャンビーに検索をかけさせたとしても、この嵐では通信状態も不安定だし、そもそも間に合わない。

俺は、この公園の設計図を想像してみる。

公園を覆うドームの開閉口、そのモーター、地上に埋められた非常用の誘導ランプが、公園からの避難誘導ラインを示していた。

自分なら、どこに管理ルームを置く?

「こっちだ!」

そこは、何もない緑の芝生だった。

この辺りと目星をつけた位置を手で探る。

地面の一部が1箇所だけ、不自然にくぼんでいた。

そこに手をかけ、持ちあげる。

公園設備、管理、点検用の地下室への扉が開いた。

ニールは、動けなくなったカズコの体を抱き上げた。

細かな破片を全身に受けて、傷だらけのレオンはルーシーを引き寄せる。

吹き付ける嵐の中、地下室へ降りようとした時だった。

大きな波が、全員の足元をすくった。

流されそうになるルーシーの手を、ニールがつかむ。

辛うじてその場に踏みとどまった俺たちは、地下道への階段を見下ろした。

もう一度、大きな波が頭上から襲いかかる。

人間が3人も入れば一杯になってしまうような管理ルームの床は、もう水浸しになっていた。

「もうここはダメだ、遠くてもシェルターを目指そう」

俺の判断に、皆は黙って従う意志を示した。

ルーシーの手を、今度は俺が握る。

横殴りの強い風と雨が、視界を遮る。

何度も押し寄せる高潮が、公園出口までの短い距離を、さらに遠くしていた。

レオンが足を滑らせる。

カズコを抱いたニールが、レオンの腰をつかんで片手で持ちあげた。

せめてこの波の届かないところまで行かなければと、そう思う背中を、さらに波が襲う。

嵐の中、突如現れたバイク型ハンドリングロボの操縦者が、レオンの体をすくい上げた。

「ニール!」

「ジャン!」

ニールは、Uターンしたバイクのジャンに、カズコを投げ渡す。

ジャンがうまく受け取ったのを見届けると、彼はそのままルーシーを抱き上げた。

嵐の中を、ジャンのハンドリングバイクが走る。

「こっちだ」

ジャンは緊急避難命令の、セキュリティブロックを突破してやって来たんだ。

外は激しい豪雨、一般人の外出は禁じられているし、こんな状況下で動くバイクなんてありえない。

公道でのハンドリングバイクを操縦する、サポートシステムが作動していない状態で、あんな難しい乗り物を乗りこなすには、高い運転技術が必要だ。

公道まで走り出た俺に、ジャンが一枚のカードを投げた。

目の前には、安全のため外部からの解除を禁じられたシェルターの扉、そこに渡されたカードを差し込む。

ハッキングされようとしている扉のセキュリティーが、パスワードを要求してきた。

俺は、ジャンを見上げる。

彼が設定しそうなパスワードは、コレだ。

「**************」

扉が開いた。

真っ先にジャンのハンドリングバイクが飛び込む。

ルーシーを抱きかかえたニールが入ったのを見届けると、俺はシェルターの扉を閉めた。

バイクから降りたジャンが、大声で笑った。

ニールと2人、ハイタッチを交わす。

「腕は平気か?」

「まぁまぁだね」

そのまま二人は、シェルターに設置された備蓄用の食料品を漁り始める。

ルーシーは、意識なく床に投げ出されたカズコを抱き上げた。

「大丈夫だよ、カズコは、リジェネだから」

そう言った俺を、彼女は批難するような涙目で見上げる。

「レオン、改造バイクってのはな、こういう時に使うんだよ」

ジャンの言葉に、レオンは傷ついた体でにこりと笑って、片手をあげた。

シェルターに備え付けの救護ロボを作動させて、カズコを診察させようとした俺に、ジャンは言う。

「そんなことより、こっちきてお前も何か食えよ」

「うん、ありがとう。だけど、カズコの状態を、先にセンター送っておきたいんだ」

その後、さらに強さを増して荒れ狂った嵐は、朝になってようやく静かになった。
避難命令解除の通知が行われ、俺たちは外へ出た。

事前に連絡した救急車両が、カズコとレオンを乗せていく。

「じゃ、俺たちは先に戻ってるぞ」

改造バイクにジャンとニールはまたがって、走り去ってしまった。

俺はルーシーを振り返る。

「帰ろっか」

避難命令が解除されたとはいえ、猛烈な嵐の去った直後だ、荒れ果てた街に人通りはない。

公道を掃除する清掃ロボットと、保守点検のための自動ロボだけが、忙しそうに動き回っている。

俺は、静かな街を歩き始めた。

嵐の後は、決まって空が晴れている。

それだけが、この世界にとっての唯一の救いだ。

ルーシーは不安そうに、キャンビーを抱えて後からついてくる。

何て声をかけようか。

「カズコは大丈夫だよ、レオンもね」

そんな言葉が、彼女にとっても単なる気休めでしかないことは、俺にだって分かっていた。

彼女は自分のキャンビーを抱きしめる。

その腕の中で、彼女が頼るこの丸い汎用型機械は、何を思うのだろう。

この状況下において、彼女に声をかけてやれるのは、今は俺しかいない。

ずっと黙っていた彼女のキャンビーが、不意に息を吹き返した。

「ルーシー! 大丈夫だった?」

画面には、カプセルが漂着した時に見かけた、金髪に緑の目をした美女が映っていた。

まっすぐな長い髪が、サラサラと流れる。

キャンプベース本部からの直通映像だ。

ルーシーは今にも泣き出しそうな顔で、画面を見つめる。

「他に、回りに、誰もいないの?」

彼女は首を横にふる。俺はカメラをのぞきこんだ。

「スクールで、同じチームのヘラルドです」

「そう、ならよかったわ」

それだけでもう、彼女の興味は俺になくなってしまったらしい。

その目は、ルーシーだけに向けられている。

「じゃあ、これからスクールに戻るのね、安心したわ」

ルーシーの方は、相変わらず泣きそうな顔をしていた。

何かを伝えたいのに、伝えられない、伝わらない感情に、彼女が苦しめられている。

口をぱくぱくさせ、意味のない発語をくり返す彼女に、画面の中の女性は静かに微笑んだ。

「あなたなら、きっと大丈夫よ。この世界でも、ちゃんと上手くやれるわ」

一方的に通信がきれる。ルーシーは涙を振り払う。

あの程度の会話で、本当に互いの意思疎通が出来たのだろうか、俺にはそれが不思議でならない。

彼女の中で、何があったのかは分からないが、ルーシーはまっすぐに顔を上げ、力強く歩き始めた。

歩きながら隣に並んだ俺を見上げて、にっと微笑む。

何にも変わらない、何も俺には分からない、彼女を取り巻く現状は何も変わらないのに、どうして何に納得して、彼女はここにいるんだろう。

俺にはその笑顔が、何か特別なもののように感じられた。

スクールに戻ると、中はちょっとした騒ぎになっていた。

ジャンに科せられた警告が、ついに累積許容範囲の上限をオーバーしてしまっていたのだ。

彼のスクール内部での個人認証が、全て無効化されている。

こうなると、スクールを統括するキャンプベース本部に自ら出頭していかなければ、彼の権利が取り戻される事はない。

建物の中には入れたものの、ジャンは校内の警備ロボに囲まれていた。

スクール内では、高度な自治が認められている。

ジャンのアスリート種特有のカリスマ性が、彼をこのスクールのリーダーに押し上げていた。

「あぁ、すっかり警告たまってたの忘れてたよ。面倒くせぇことになっちまったなぁ」

ジャンはそう言って、ニヤリと笑う。

その横にいるニールも、同じ不敵な笑みを浮かべた。

彼らは、手に電圧を自在に操れる特殊な警棒を所持していた。

高圧の電流を流すか、逆に吸い上げて低圧電流で誤作動を起こし、暴走したロボットの動きを強制終了させるためのものだ。

「ジャン、待て!」

いくらジャンでも、スクールの規則をこれ以上破ったら、ここにはいられなくなる。

1m20㎝のロボット3体が、ジャンの動きを封じようと捕獲態勢に入った。

もう少しで、横に長く伸びたアームが合体し、彼らを取り囲み逃げ場を奪う。

彼を助けたい気持ちはあるが、ルールを犯したジャンを更正施設に送ろうとする警備ロボに対して、俺たちにはその手段がない。

細く華奢なアーム同士の距離が、徐々に近づいていく。

ジャンがいなくなれば、このスクールはどうなるのだろう。

パァン!

突然の破裂音、割れた陶器の破片と、土塊がぼろぼろと崩れ落ちる。

ルーシーが観葉植物の植木鉢を、ロボットに投げつけた音だ。

「ダメだよ、ルーシー!」

その言葉の意味が、彼女に通じなかったのか、ルーシーはそのロボットの一体につかみかかった。

人間の力でどうにかなるようなロボットではないのに、それでも彼女は果敢に警備ロボの動きを封じようとしている。

『機械は、決して人間を傷つけてはならない』

スクールの在籍資格を奪われた不審者のジャンに対してなら出来る行動原則も、正式な資格を持つルーシーには適応されない。

彼女が抱きついたロボットは、危険を察知して緊急停止した。

ジャンたちを取り囲んでいたロボットたちの方が、作戦の変更を余儀なくされる。

「不審者発見、不審者発見、在校生は、今すぐ退避して下さい」

ジャンを取り押さえようとしていたロボットたちが、そう警告を発しながら後ろに下がった。

ジャンを守ろうと思っているのか、ルーシーはそのロボットに抱きついて、俺たちには理解不能な何かの言葉を発しながら、握った拳を何度も打ち付けている。

ルーシーを止めようと駆け寄った俺と、ジャンの目があった。

彼は手にしていた警棒を床に放り出し、豪快に笑う。

「あはは、こいつおもしろいな」

ルーシーに抱きつかれたロボは、すぐに動かなくなった。

彼女はきっと、それを自分が停止させたと思っているのだろう。

誇らしげな顔で、ジャンを見上げる。

「ありがとよ、ルーシー、助けてくれて」

彼が手を差し出すと、彼女は胸を張ってそれを握り返した。

スクール内の警備ロボが、人間には絶対に危害を加えないよう、設定されていることは誰だって知っている。

だけど、もし誰かがルーシーと同じような行動をとれば、その行為はペナルティとして記録され、処分が科せられる。

卒業が遅れ、成人認定の資格を得るまでに、余計な時間をかけることになる。

成人することを第一の目的にしている俺たちにとって、それは自滅行為に等しい。

でもそんなことなんて、彼女にしてみれば自分の理解を超えた、全く意味のない条件だったのかもしれない。

そんな背景を理解している、していないに関わらず、彼女は目の前にいた、困っているだろう友人を助けた。

それだけだ。

俺はため息が出ると同時に、全身の力が抜け落ちる。

きっと彼女には、この世界がもっとずっと単純に見えていて、分かりやすいに違いない。

最後までその場に生き残っていたロボット1体の、通信モニターが光る。

「随分と派手なマネをしてくれたな」

その男は、短い黒髪をぴったりと左右に撫で付けていた。

鋭く細い目が、ルーシーを探している。

「無事にスクールにたどり着いたのか」

この男は、ルーシーの回収に来ていたキャンプベースの成人の一人だ。

彼は画面越しに、彼女の姿を確認する。

ふっと息を漏らした。

「君たちの行為は容認し難いものたが、今回は目をつぶろう。人命救助のための特別措置だったとして、これに限り減点は見送る。今後は、よりいっそうの適切かつ的確な判断を、自分たち自身に下すことを要求する」

その一言で、ジャンの処分が取り消され、警備ロボのアップデートが行われたのだろうか。

さっきまでジャンを捕らえようとしていたロボットたちが、何事もなかったかのように俺たちの間をすり抜けていく。

その様子を画像で確認したらしい彼は、そのまま通信を切った。

「全く、好き勝手やってくれるもんだな。キャンプベースの、お前らのことだよ」

ようやく一息ついて、ジャンと目があった。

彼は俺の肩にポンと手を置くと、そのまま廊下の奥へと消えていく。

ルーシーは上機嫌なまま、満面の笑みで俺を見上げた。

「もう、危ないから、あんなことしちゃダメだよ」

そう言うと、彼女はにっこりと笑った。
静けさの戻ったスクールで、俺は課題に追われていた。

16の歳までに終わらせるべき課題が、まだ山のように残っていた。

17になるまであと半年だというのに、残りの課題は半分も終わっていない。

もちろん、これらの課題を次の誕生日までに、全て終わらせなければならないわけではない。

だけど、やるべき課題をやるべき時にこなしていかなければ、このスクールを卒業し、成人して世界から認められ、出て行くことが出来ない。

俺は2時間に及ぶ物理化学の個人テストを受け終え、チームの部屋に戻ってきたところだった。

扉が開き、中に足を踏み入れると、ルーシーがカズコの机に座っていた。

その視線は、ずっとニールの背中に注がれている。

「だから、レオンとカズコの心配より、自分のことを考えろって!」

そう言って、やや怒り気味に振り返った彼と、俺は目が合った。

「あぁ、ちょうどいいところに帰ってきた。ヘラルド、こいつにカズコたちの心配はいらないって、説明してやってくれ」

俺はため息をつく。

ニールはジャンたちと一緒になって、キャンプベースの役員が、遠隔操作で累積ペナルティを消した方法を解明するのに、一生懸命になっていた。

そんなことに時間を費やすくらいなら、最初っから警告を重ねないようにすればいいと思うが、どうもそういう考えは、彼らには浮かばないらしい。

ルーシーは俺の手を取ると、カズコの机の上に俺の手の平を押しつけた。

何度もぎゅうぎゅうと押しつけては、彼女の不在を訴える。

「カズコは、病院だ」

彼女は次に、レオンの机に引っ張っていく。

そして同じように、手の平を机に押しつけた。

「うん、レオンも病院」

ルーシーには、テレビ通信で何度かカズコやレオンとも話をさせている。

どうしてそこにいるのか、どうしてここにいないのか、それくらいは彼女にも分かっているはずだ。

だけど、何をそんなに訴えようとしているのか、それが分からない。

「いる、ほしい、どこ?」

突然の透き通ったその声に、俺は耳を疑った。

ニールも驚いた表情で、こっちを振り返る。

「どこ? ここ、どこ?」

彼女の手が、俺の手をカズコの机に押しつける。

「カズコのことを言ってるの?」

彼女はキャンビーの頭を叩いた。

モニター画面に、タッチパネルが表示される。

彼女はそこを指で押した。

いつの間に撮影したのか、カズコやレオン、チーム全員で写った画像が現れる。

彼女は、一生懸命にカズコとレオンを、交互に指差した。

「どこ? いる、ほしい!」

「あぁ、分かったよ、二人に会いたいんだね」

彼女は、何度も小さくうなずく。

「分かったよ、じゃあ、今から会いに行く?」

俺は、カズコとレオンを順番に指差し、それから教室の扉を指した。

彼女は急に神妙な表情になると、さっと立ち上がる。

どうやら、本当に行く気まんまんらしい。

「今から? すぐに?」

彼女はうなずく。

「じゃあな、行ってらっしゃい」

ニールは、やかましいルーシーからようやく解放されることにほっとして、にやにや俺を見上げる。

「お前も一緒に来いよ」

「イヤだね、俺は忙しい」

ニールはさっと背を向けた。

あらゆる病気や怪我、感染症に耐性の強いリジェネレイティブだ。

彼らの体を心配するような人間は、ここにはいない。

この二人に関しても、もうすぐ退院できるという連絡をすでにもらっている。

何も心配する必要はないのに、彼女にはそれが分からないから仕方がない。

部屋の扉の前に立ったルーシーは、こちらを振り返ってじっと待っていた。

俺は、ため息をつく。

「ちょっと待っててね、今から車を手配するから」

彼女はとてもとても、力強くうなずいた。

病院へ着くと、俺たちはすぐにカズコのいる部屋へと案内された。

ルーシーは、真っ先にそこへ飛び込んで行く。

「あら、本当にお見舞いに来てくれたのね、ありがとう」

カズコは静かに、ベッドの上に座っていた。

「もう大丈夫なんだろ?」

「うん、スクールの課題はこっちでも出来るし、何の問題もないわ」

介助ロボと看護ロボが、何もかもカズコの世話をしている。

レオンに至っては、ワザと退院を引き延ばして、院内のリラクゼーションルームで、ギターを片手に歌を歌っていた。

すっかりアイドル気取りだ。

ルーシーは心配そうに、カズコの手を握る。

そんな彼女に、カズコは微笑んだ。

「誰かにこうやって手を握られるのって、久しぶりのような気がする」

カズコもその手を、そっとルーシーの手に重ね合わせた。

リジェネレイティブは、現代に存在する3つの人種のなかでも、独特な経緯をもって産まれた種族だ。

かつて、医療技術が未発達だったころ、先天的な病気や障害、当時においては不治の病といわれた症状や怪我を負った人たちは、世界の片隅でひっそりと寄り添いあって生きていた。

彼らは彼らだけの優しい世界で生き、それでもたくましく子孫を繋いでいった。

そんな中で、遺伝的な病気、持って生まれた身心の障害、数ある遺伝的環境を乗り越え、健康に生まれ育った子供たちは、驚異的な能力を身につけていた。

その子孫は、どんな遺伝子エラーを抱えていても、それを発症させずに成長し、子孫を残し続けた。

やがて受け継がれていったその能力は、誰よりも病気や怪我に強く、不屈の精神を持ち、生命力の強い種族として確立される。

「誰かにこんなにも気にかけてもらえるなんて、うれしいものね」

カズコが微笑むと、ルーシーも嬉しそうに笑った。

リジェネレイティブの体調や怪我を心配するのは、明日はやって来ないかもしれないと、心配するようなものだ。

「そうだ、カズコ。ルーシーはここに来たいって、初めて俺たちにしゃべったんだ」

「まぁ、本当に?」

ルーシーは彼女の中にある感情を、どういう言葉で表現したらいいのか、的確な選択肢が思いつかないようだった。

彼女はしばらく両手を胸の前で、もぞもぞさせていたが、ついに何かをひらめいたらしい。

「いる、まつ、あっち」

ルーシーは、ふいに窓の外を指差す。

その仕草に、俺とカズコは笑ってしまった。

「ありがとう、早く元気になって、スクールに戻るね」

「カズコ!」

ルーシーはその両腕をカズコの首に回し、彼女に抱きついた。

ルーシーが、カズコの名前を呼んだ。

その思わぬ一言に、俺は驚く。

みんなの名前を、彼女は覚えたんだ。

カズコ自身も思わぬこの出来事に、動揺している。

「あ、ありがとうルーシー、ルーシーも、元気でね」

ルーシーの体調管理は、キャンプベースから支給されるキャンビーによって、毎日定時にチェックされている。

彼女だけじゃない、スクールの人間全員のバイタルチェックは、大切な日常業務のうちの一つだ。

誰でも閲覧できるそのデータベースがあることを、分かっていながら「元気でね」なんて、そんなおかしな挨拶が出てくる時点で、カズコのルーシーに対する驚き具合がよく分かる。

ルーシーは元気よく立ち上がると、扉に手をかけた。

そこから振り返って、カズコに手を振る。

「これはもう、帰るってことなのかな」

「そうじゃない?」

「じゃあ、帰るよ。カズコも、早く元気になれよ、待ってるから」

俺がそう言うと、彼女は赤らめたままの頬で、小さくうなずいた。

俺はルーシーと二人で、部屋の外に出る。

俺自身も、自分の顔の皮膚表面が紅潮していることが、鏡で確認しなくても分かる。

誰かに向かって誰かを思う意志を示すのに、こんなにも簡単な言葉で表現したのは、久しぶりだったかもしれない。

ルーシーは、出入り口のロビーにいたレオンにも手を振った。

彼は観葉植物の並ぶ広いロビーで、観客の前で弾いていたギターの手をとめ、こちらに振り返す。

そうか、言葉にしなくても、こんなことでもいいんだ。

俺たちは彼らを見送って、病院の外に出た。

目の前のロータリーには、自動運転の車が列をなして待っている。

その乗車口に向かおうとした俺を、彼女はあっさりと追い越していってしまった。

俺はその後ろ姿に声をかけ、呼び止めようとして、やめた。

今日は珍しく晴れている。

キャンビーを抱きかかえて、颯爽と歩く彼女の横に、俺も並ぶ。

「あぁ、ここから歩いて帰るのは、とても遠いよ」

彼女はちらりとこちらを見上げて、にっと笑った。

俺は一人で、くすりと笑う。

彼女が歩き疲れたら、頑張れって励まそう。

途中で休憩したっていい。

それでももう歩けないって言う時には、その時にはちゃんと俺が連れて帰ろう。

そうすれば、それでいいんだ。
カズコも無事に退院し、レオンと二人でスクールに復帰した。

俺は自分の課題に追われ、ルーシーは退屈そうにこの世界の勉強を続けている。

「出来たぞ!」

そんなチームの部屋に、喜々として駆け込んできたのは、ニールだった。

「今度の試合で使う最新のプログラムだ。お前らのキャンビーに入れてやるから、全員こっちに持ってこい!」

ニールは自分のパソコンを立ち上げると、そこにキャンビーをつないだ。

「今度の試合って、なによ」

カズコはめんどくさそうに、ニールを振り返る。

「約束してただろ? 遠足ミッションをクリアしたら、俺につき合うって」

「そんな約束、してたっけ?」

「ハンドリングロボの大会だよ!」

「あぁ」

カズコはそう言って、ため息をついた。

「ねぇニール、あなたはあなたで、ハンドリングロボのサークルに入ってるんだから、そっちで頑張ればいいじゃない。なんで私たちまで巻き込もうとするのよ」

「スクールのチーム対抗戦なんだから、しょうがないだろ!」

「そんなの、適当に参加して、ポイントだけもらえばそれでいいのに」

カズコのそっけない態度にも、ニールはへこたれない。

「な、レオン、お前のも持ってこいよ」

ニールは勝手にカズコのキャンビーを転送装置につないだ。

それでもカズコは何も言わず、無視して自分の課題を進めているのは、ある意味いつものお約束風景。

レオンはニールの隣に立って、嬉しそうに話す彼の説明を、にこにこと聞いていた。

レオンがその説明を、どこまで適切に聞き取っているのかは、分からないけど。

ルーシーが、おずおずと俺の横に立つ。

あぁ、彼女にはきっと、この状況が理解出来ていない。

「これから、ハンドリングロボのカスタマイズをするんだ」

彼女は、転送装置の上に置かれたカズコの子猫型のキャンビーが、チカチカと目を光らせているのを不安げに見ている。

「ヘラルド、お前のもよこせ」

「キャンビー、ニールの指示に従って」

ルーシーと同じ型の俺のキャンビーは、ぴょんぴょんと跳びはねて転送機の上に乗った。

「ハンドリングバイクは知ってるだろ?」

俺はパソコンを操作して、試合のルール説明の画面を出す。

「これから、この練習をみんなでするんだ」

ルーシーは、小さく首をかしげた。

科学技術の発達した現在において、人間の生活に必要な最低限の仕事は、すべて機械が肩代わりしている。

農業、工業に限らず、あらゆる生産活動において、生身の人間が主要な労働力として働くことは、まずない。

もちろん本人が望めば、いくらでも好きに楽しめる。

代わりに、人間に求められるようになった能力が、高い自律能力と倫理観、寛容と協調性だ。

知識という記憶や記録は、いくらでもキャンビーが持っていて、日々更新されていく。

新しい思考回路の発見は、日常での必要性によって産まれるものだ。

一般的な基礎学力は当然として、スクールで学ぶべき最重要項目は、自律・倫理・協調とされている。

そのためのカリキュラムの一つとして組まれているのが、このハンドリングロボを使って行われるチーム戦だ。

今回は1チーム5人、折りたたんで120㎝四方に収まる、搭乗型ロボットでのトーナメント戦になっている。

ロボットの形状や仕様に制限はなく、自由な設計とプログラミングが行われる。

フィールド内には1つだけ試合球が置かれていて、それを常に浮遊し移動する直径30㎝のゴールエリアに、接触させればいい。

ゴールエリアの移動ルートは決まっていて、使用する試合球は、誰かがそれをつかんだ瞬間から、30秒後には爆発し消滅する。

クラッシュボールと呼ばれるそのボールの特徴から、競技の名前もそのままクラッシュボールと名付けられた。

無制限に再出現するそのボールを、より多くエリアにぶつけた方が勝ちだ。

「これが今回のルートだ」

ニールは、120m×90mのフィールドに浮かぶ、ゴールラインを画面に映し出した。

8の字状にループするゴールは、試合時間の15分間に、2周することになっている。

「カズコはいつものやつだよね?」

「それしか使わないわよ」

「だろうと思って、新しいコントロールプログラムを作ったんだ。ちょっとそれでシュミレーションしておいて」

ニールの言葉に、カズコはしぶしぶ自分のキャンビーを受け取った。

この大会は、体育の授業に加点されるから、まぁ、出ても損はない。

「ヘラルドはディフェンダーね、作戦のオペレーションは俺がやるから。お前なら俺たちの次の行動が、大体読めるだろ?」

ニールはいつも、作戦のプログラムを担当する。

それに従って、レオンは新しいロボを作ったり、補助したりする役目だ。

レオンとニールの息の合った連携プレーは、後ろで見ている俺ですら、ほれぼれするような絶妙な動きをする。

「あれ、ルーシーの機体は?」

「ルーシー用の搭乗機は、これから考える」

ニールが苦笑いを浮かべる。

新しく来たルーシーは、この試合の仕組みが、分かっているんだろうか?

「チームでの参加が条件だからな、久しぶりに5人揃ったんだ。俺は絶対に出場したいんだよ」

同じスクール内の人間同士、チームの入れ替えは時折起こる。

ジャンの移動前に、ここにいた人間も、別の所へ移ってしまった。

ニールはルーシーの胸に抱えられたキャンビーの頭を、わしづかみにする。

「お前用にプログラムを作ってみたんだ。今から入れるから、それで試乗してみてくれ」

一瞬、彼女の腕が強く締まって、ニールに取り上げられそうなキャンビーを守った。

だけど、ニールの強固な視線に、彼女は腕を緩め、キャンビーは誘拐されていく。

転送機に乗せられたルーシーのキャンビーは、誰かに助けを求めるかのように、目をチカチカさせた。

不安そうに腕をつかんできたルーシーに、俺は微笑む。

「大丈夫、これから君も一緒に、練習に参加するんだよ」

もう一度、ハンドリングロボの大会動画を彼女に見せる。

「ルーシー、みんな、一緒に、これを、する」

ルーシーのキャンビーに、プログラムの転送が終了した合図がなった。

「よし、競技場に行って練習だ!」

俺たちは、スクール最上階の競技場へと向かった。
ニールが秘密特訓とかで事前予約を入れておいたらしく、広大な競技場には、俺たち5人の他に誰もいなかった。

スクール構内の、いたるところに張り巡らされた搬送用トンネルから、チームの使用するロボットが運ばれてくる。

それぞれの特性に合わせてカスタマイズされた、自慢のライド型ロボットだ。

俺は自分のロボットの機体に、そっと手を添えた。

「あぁ、でもやっぱり、試合となるとワクワクしてくるよね」

「ルーシーのはこっちだ」

彼女のために用意されていたのは、初心者向けボックスタイプのロボットだった。

スクールの内部から貸し出しを受けたらしい。

ボックスの扉を開けると、一人乗り用の席があり、モニター画面と操縦用のハンドルがある。

彼女専用にカスタマイズしたものを、注文、製造するには、時間が間に合わないし、自分好みのロボットを作り上げるのは、今後の彼女自身の、楽しみでもあるはずだ。

ニールはルーシーのキャンビーを、ライドロボに繋いだ。

ルーシーは、実際のフィールドと、自分のために用意されたロボットを見て、ようやく事態を理解したらしい。

彼女はニールに出入り口の扉を開けてもらい、喜々としてそこに乗り込んだ。

「とりあえず、最初はプロモーション運転ね」

ルーシーが、シートベルトを装着した瞬間だった。

彼女を乗せたライドロボは、フィールドを一直線に舞い上がった。

「きゃあぁぁぁっっっ!」

ルーシーの悲鳴が空から響く。

全自動のジェットコースターのように、彼女を乗せた機体は高速で空中を駆け抜ける。

「ニール、いきなりやりすぎ」

泣き叫ぶルーシーを見て笑い転げるニールに、カズコは言った。

「あれで怖がって、もう乗らないって言われたら、どうするのよ」

「それでも乗ってもらうよ」

本来の操縦桿は、もはや彼女が機体から振り落とされないように、握りしめる手すりでしかなくなっている。

「ルーシー! モニター画面を見るんだ! その画面の指示通りに、手を動かしてみろ!」

「習うより慣れろなんてやり方は、彼女には合わないんじゃないの?」

ニールの隣で、俺は自分のロボットにまたがった。

機動スイッチを入れ、そこに操縦をサポートするキャンビーを繋ぐ。

「キャンビー、ルーシーの機体画面を、モニターに出して」

エンジンがかかる。

機体が軽く振動し、やがてそれも静かになる。

俺は息を取り戻した機体の、操縦桿を握った。

「発進!」

浮かび上がった俺の体に、心地よい重力の圧がかかる。

ニールの作ったプログラムに従って、空中をふらふらと飛び続ける、ルーシーの横に並んだ。

「ルーシー落ち着いて、聞こえる?」

自分の機体を彼女の機体に押しつけ、ゆっくりと横に流す。

「画面を見て、そこに写っているのと同じ操作をするんだ。いま君が乗っているそのロボットは、そういう操作をすると、そういう動きをするんだ」

彼女は、操縦桿を握り直した。

「少し、スピードを落とそう」

俺は自分の機体から、彼女の機体を操作する。

ニールが設定していた速度を、半分にまで落とした。

「これで、少しは落ち着いて画面が見られるだろ?」

彼女は操縦席でうなずく。

「大丈夫、今はニールのプログラム通りに動いていて、絶対に落下することはないから。とりあえず、そのガイドと同じように動かして」

俺は彼女の機体から離れる。

再びプログラム通りに動き出した機体に合わせて、彼女も操縦桿を操作する。

機体の動きと、彼女の操縦操作とのシンクロ率が、ようやくモニター画面に表示された。

「そうそう、上手だよルーシー」

俺はルーシーのモニター画面を見ながら、ゆっくりと彼女の機体を追尾する。

そうやってしばらく練習を続けていると、必死の形相で運転していた彼女の顔にも、こちらを振り返って、ふと微笑む程度の余裕が出てきた。

「少し、休憩しようか」

そう言うと、彼女はうなずいた。

自分の機体と彼女の機体を連動させ、ゆっくりとフィールドに降り立つ。

機体から降りたルーシーは、満足そうな顔でほっと息を吐き出した。

「どうやらニールは、ルーシーから嫌われずにすんだようね」

カズコが笑った。

「作戦のプログラムと操縦訓練の内容は、ルーシーのキャンビーに入れてあるから。じゃあ後は頼んだぞ、ヘラルド!」

そう言うと、ニールとレオンは飛び立っていってしまった。

さっそく激しい空中戦を繰り広げる彼らを見上げ、ため息をつく。

「さて、どうするかな」

先ほどのデータを見ても、機体と操縦の平均シンクロ率は28.2%。

お世辞にも、良い成績とは言えない。

「とりあえず、自分で操縦しても、墜落しないようにするしかないわよ」

カズコはルーシーの機体に乗り込むと、画面を操作し、ニールの製作したプログラムから、より一般的な初心者用操縦プログラムに切り替えた。

「まずは空中でバランスをとって、安定して浮かべるようになってからね」

俺とカズコによる、ルーシーの特訓が始まった。
それから毎日少しずつ、時間をとってルーシーの特訓に励んだ。

競技場の隅や、スクール構内の屋外広場など、機体を運べるところへ運んでいって、そこで訓練を重ねる。

ルーシーは、ライドロボの練習が、特に嫌いというわけではなさそうだった。

誘えば素直に付いてきたし、言われたことはちゃんとする。

ただし、それが上達に繋がるかどうかと言われれば、それはまた別の話だった。

自動水平装置がついているので、そう簡単にひっくり返って、振り落とされるようなことはない。

しかし、激しいバトルを繰り広げる試合会場で、彼女のような楽しいお散歩感覚でのライドでは、チームの一員というよりも、場内に浮遊する障害物でしかないような飛び方だった。

カズコと話し合って、練習のメニューもあれこれ考えた。

ルーシーには、試合のルールがよく飲み込めていないのか、それとも、誰かに勝つとか、勝負とか、そういったことが理解出来ないのか、彼女には闘争心というものが乏しい。

まぁ、この試合に勝とうが負けようが、何らかの問題が発生するわけではないから、かまわないんだけど。

カズコがため息をつく。

「ニールには見せられないわね」

「別に、ニールに見せるために、やってるんじゃないさ」

スクールの屋外で、ライドロボから樹上の鳥の巣をのぞいたりしているルーシーは、とても楽しそうだ。

俺のキャンビーが鳴った。

「ルーシーの調整はどうだ」

ニールからの通信だ。

「別に。上手くいってるよ」

「そうか、じゃあ今日の午後から、競技場で仕上がりを見せてくれ」

カズコは俺と目を合わせ、ふうと息を吐いた。

予想通り、競技場で彼女が見せた演技は、とうていニールの納得がいくものではなかった。

「まぁいいよ。どうせこんなもんだろうと思ってたしな」

ルーシーの、競技場上空を移動するゴールエリアを追いかけるだけで精一杯のライドに、ニールは特に落胆もしていないようだった。

彼は自分のパソコンを開くと、彼女の機体に搭載する新たなプログラムを転送し始めた。

「最初はカズコの子機の一部にしてやろうかと思ったんだけど、それでも負担が大きいかなーと思ってさ。だから、ヘラルドとのミラープログラムにしたんだ」

「俺と?」

「そう」

「精度はどれくらい?」

「それはお前に任す。上手く使えよ」

ニールはパソコンを閉じると、自分の機体に乗り込む。

「15分後には、全体練習な」

俺は渋々、自分の機体に乗り込んだ。

機体の整備や調整も、この大会の楽しみの一つではある。

だけど、もう何年もかけて培ってきた、俺のクセを学習し尽くした、愛機とも言えるこのライドロボを、ルーシーのために改造し直そうなんて、そんな気はさすがに起こらない。

「いいや、それはそれで、また考えよう」

俺は彼女の機体の支配率を、とりあえず30%に設定した。

後はやってみてからだ。

もうずっと、俺たちは長いあいだ組んできたチームだ。作戦なんて、言われなくても分かる。

俺はこの、ニールの作ったミラープログラムを使って、ルーシーの機体を操ればいい。

「ルーシー!」

俺は自分のハンドリングロボにまたがると、ふわふわと飛んでいた彼女の元に向かった。

「今から俺と君はコンビだ。フォーメーションの練習をしよう」

彼女はまず、スピードに慣れないといけない。

俺はルーシーの機体の位置と、自分の機体との位置の、バランスをとりながら飛んだ。

「ついてきて」

スピードを上げる。ミラープログラムになっているから、彼女が自分で操作しなくても、30%のシンクロ率で、俺の動きと一致する。

ルーシーは突然、引っ張られるような動きをした自分の機体に、驚いたようだった。

「落ち着いて。俺がちょっとだけ、君のライドロボを操ってるんだ。アームのボタンは分かるよね、ロボットの、アームを出して」

まずは自分の機体から、アームを出して見せる。

ぐるぐると空中を不規則に旋回しながら、ルーシーもアームを出した。

「じゃあ、ボールを投げるよ。それを受け取ったら、すぐにこっちにパスして」

ゆっくり、少しずつ。

それから徐々に、機体の間隔を広げ、スピードも上げていく。

このクラッシュボール専用のハンドリングロボには、キャッチセンサーがついているので、本戦並の、よほど乱暴なパスでもないかぎり、ロボットがボールを取り損なうことはない。

だいぶ操作に慣れてきたルーシーに、俺は声をかけた。

「じゃあ、今度はそのボールを俺にぶつけてみて、キャッチされずに、うまくぶつけられたら、今日の練習はそこでお終いだ」

彼女に身振り手振りと、動画を送って説明をする。

ルーシーが、気合いの入った顔で大きくうなずいた。

「じゃ、スタート!」

強めに投げたボールを、それでも彼女は上手くキャッチした。

俺は少し考えて、シンクロ率を15%にまで下げる。

これならほぼ、彼女の操作が主体の動きになるだろう。

飛んでくるボールを受け取って、ワザと乱暴に返す。

上手く受け取れないこともあったけど、動きはほぼ完璧だ。

「そろそろ本気出すよ」

機体のスピードをあげる。

投げ返すボールのコースを、ワザと外す。

操作が、より煩雑になった。

急上昇からの急降下、ポイントセンサーの性能を生かして、どれだけ正確にボールを発射できるか、腕の見せどころだ。

彼女の投げたボールが、俺の機体をかすめた。

「はは、危ない。もうちょっとだね」

機体をぐるりと一回転させて、真横に飛んだ。

「ほら、もうちょっとだ!」

彼女の機体も速度を上げる。

とたんに、ルーシーの機体は速度を落とした。

コントロールを失い、安全装置が作動したのか、ふらふらと下降し、ついには着地してしまった。

「どうした?」

俺はすぐに、彼女の横に降りた。

それが悔しくてたまらないらしいルーシーは、半泣きで動かなくなった機体の操作を、ガチャガチャと繰り返している。

「おかしいな、故障?」

異変に気づいたニールたちも、駆け寄ってくる。

「機体の整備は、完璧なはずなんだけど」

その場で簡易検査をしてみたけれども、特に機体にもプログラムにも、問題は見つからなかった。

「ルーシー、何かへんなとこ触った?」

ニールの問いかけに、彼女は首を横に振る。

「そんなちょっとやそっとじゃ、壊れるもんじゃないんだけどな」

「まぁ、仕方ないよ。機体の整備はニールとレオンに任せた。俺はルーシーと一緒に、フォーメーションの確認をしておくよ」

俺はフィールドのサイドにルーシーと並んで座ると、彼女にきちんとしたルールの説明と、俺たちの攻撃パターンの説明を始めた。

その後、改めて調整された彼女の機体は、問題なく再起動し、俺たちは試合当日まで練習を続けた。
そうやって迎えた本番、定期的に開かれる校内の対抗戦とあって、ギャラリーの数はさほど多くはない。

だけど、参加者とトーナメント戦の順位によって、自分の成績に加点されるとあって、出場チームのやる気は本物だ。

「お前らが出るって聞いてな、審判役になってやったよ」

ジャンがチームの様子を見に来る。

今回の出場チームは、6チーム。

参加登録して本戦に出場するだけでも、加点があるからありがたい。

ジャンの視線は、自然とルーシーに向かう。

「コイツも乗れるようになったのか?」

「まぁね、楽しみに見ててよ」

俺がそう言うと、彼は笑った。

「せいぜい、泣かせないようにしろよ」

チームの出場は2戦目、カズコとニールは対戦相手になるかもしれないチームの戦力分析と戦略を、熱心に語り合っている。

「ルーシーは、困ったらヘラルドに機体の操縦を任せるんだよ」

レオンは最後に、彼女にそう声をかける。

「たぶん、すぐにヘラルドが操ってるってバレるだろうけど、そしたらルーシーに意地悪してくることも、少なくなるから」

レオンの言葉を、どれだけ理解しているのかは分からないが、彼女は緊張した面持ちで、力強くうなずいた。

試合終了のホイッスル。

荒れたフィールドが、新しいものと入れ替わる。

「よし、スタンバイだ」

俺たちは、定位置についた。

前衛にニールとレオン、後衛に俺とルーシーがいて、最後尾に司令塔としてのカズコがいる。

相手チームは攻撃に3機、守備に2機の配置だ。

無理もない、ルーシーがほとんど役に立たないであろうことは、相手側にも容易に想像できる。

攻撃により多くの配分を与える方が、今戦は有利だ。

試合開始のホイッスルが鳴った。

フィールドに得点源となるクラッシュボールが現れた瞬間、ニールとレオンの機体が動く。

すぐに、相手の攻撃機を一体ずつ封じ込めた。

そこをすり抜けた相手チームの1体が、フィールド上に置かれたボールへ向かう。

カズコの機体から遊離した子機5体のうちの1体が、先にボールをつかんで浮き上がった。

しかし、機動力の高い、人間のライドしていない子機での得点は認められていない。

ボールをつかんだカズコの子機は、30秒以内に誰かにパスしなければ、クラッシュボールが爆発する。

「ルーシー!」

相手チームからノーマークのルーシーに、ボールが渡った。

彼女がそれを受け取った瞬間、俺はシンクロ率を95%にまで引き上げる。

まっすぐに動くゴールエリアへと向かう彼女の機体を、俺は正確にサポートする。

相手チームの隙をついて、先ず1ポイントを稼いだ。

「やった!」

嬉しそうな彼女の顔に、俺はシンクロ率を引き下げる。

ここからが本番だ。

ニールとレオンは、ゴールエリアの動きに合わせて、得点しやすいポジションを確保するよう、相手の攻撃をかわしながらその位置を保っている。

カズコは子機を駆使し、ボールを拾って、その時々で得点しやすいポジションにいる仲間に、パスを渡す役割だ。

俺は空いている空間に割り込み、パワーで劣る子機からのパスを、ニールたちに繋ぐ。

子機からのパスを受け取った俺は、ボールサインをチェックする。

それは赤の点灯からの点滅を始めていた。

最初につかまれてからの20秒を迎え、残り5秒の合図だ。

それを俺は、相手チームの機体に向かって投げつける。

パスカットに入ろうと、レオンとの間で邪魔をしていた相手機が、さっと身を引いた。

クラッシュボールは爆発し、レオンの機体に衝撃を与える。

「レオン、ごめん!」

「悪い、俺もちゃんと見てなかった」

フィールド中央に現れた新たなボールを、最初につかんだのは相手チームの機体だった。

ゴールエリアまでのルートを確保すべく、相手チームの機体が、俺たちの動きを封じにかかる。

ルーシーは全体の早い流れに、やはりついていけずにいた。

どう動いていいのか分からない彼女の機体が、ふらふらと宙をさまよう。

2体に挟まれて動けない俺は、ルーシーの機体を動かした。

カズコの子機が、ゴールエリアの守備にまわる。

相手チームがゴールへ向かって投げたボールを、カズコは上手くたたき落とした。

青のボールが、黄色に変わる。

残り20秒の合図だ。

こぼれ落ちたボールをとりに、ニールの機体が走る。

俺は直ぐさま、ルーシーの機体がニールの邪魔にならないよう、ゴールエリアから遠ざける。

その瞬間、彼女の機体がぐらりと傾いた。

「あれ、どうした?」

俺は、ルーシーの機体の出力をあげた。

全力で上空に舞い上がるはずのそれは、指示を全く受け付けず、ふらふらと失速する。

ボールを取りに走ったニールの機体と、ルーシーの機体が激しく接触した。

その瞬間に、相手側にボールが奪われる。

コントロールを失った機体は、ニールを巻き込んで地に落ちた。

このゲームに、試合の中断など存在しない。

ゴールを決められたその瞬間、クラッシュボールは爆発し、次のボールが現れる。

墜落した2機に注意を奪われている間に、再びゴールを決められた。

「ルーシー!」

ニールの怒鳴り声が、会場に渦巻く歓声の合間に聞こえる。

「ニール、早く機体に戻れ!」

マイクから聞こえるレオンの呼びかけに、彼は自分の機体を立て直した。

すぐに上空に舞い上がる。

俺はカズコの子機のサポートを受けながら、ゴールエリアを守るのに必死だ。

レオンの機体が応援に駆けつけた時には、さらに1点が追加された。

ニューボール出現位置に、カズコの子機が控えていた。

現れると同時につかんで、飛び上がる。

相手機からのマークを振り切ったニールに、パスがまわった。

俺についていた相手の機体が、ニールへ向かう。

俺はルーシーとの機体のシンクロ率を、100%にあげた。

「ルーシー! そのまま何もしないで、座ってて!」

操縦席で混乱していたルーシーが、大人しく操縦桿を握った。

そのタイミングで、急上昇させる。

ニールの開発したミラープログラムを使って、ゴールエリアを起点に、点対称な動きをさせるよう設定した。

ニールのパスが、ルーシーに渡る。

俺はそれを動かして、カズコの子機にパスを出し、カズコはそれをレオンに送った。

残り20秒、こちらの攻撃態勢が、ようやく整った。
ニールの機体が相手機の間を縫うように、高速でフィールドを駆け抜ける。

ゴールエリアに向かった彼を追いかけるように、ボールを持ったレオンはカズコの子機にパスを回しながら、ニールの切り開いた道を進んだ。

俺は頭の中で、自分の位置とルーシーの位置を把握、計算しながら、相手機の進路を妨害する。

ルーシーの機体が、相手機と接触した。

シンクロ率を80%に下げ、こちらの衝撃を軽減する。

「ルーシー! 機体のバランスはこっちに任せて、相手機からの体当たり攻撃は避けて!」

彼女は、操縦桿を握り直した。

レオンからのパスボールを、ニールが受け取る。

そのまま、ルーシーが盾になっている軌道を、ニールは駆け抜けようとしていた。

相手機の動きが、そこへ集中する。

シンクロ率80%のままで、俺が彼女の機体を動かした、その時だった。

一瞬、上昇したかと思われた機体は、ガクンと傾き、再び失速を始めた。

急に下降し始めた機体は、再度ニールと激しく衝突する。

機体の一部が破壊され、コントロールを失った彼のアームから、ボールがこぼれ落ちた。

相手チームに、ゴールを決められる。

試合終了のホイッスルが鳴った。

完敗だ。

「ルーシー!」

フィールドに不時着した彼女に、ニールが詰めよる。

「どういう運転の仕方してんだよ!」

すっかり怯えたような目で、彼女はニールを見上げ縮こまる。

「やめろニール! ルーシーは初めての試合じゃないか」

機体から降りたレオンが、駆け寄った。

ニールはルーシーに対して、ずっと何かをわめき倒しているが、その一割も彼女には理解できていないだろう。

「ほら、落ち着けって!」

肩に置かれたレオンの手を、ニールは振り払った。

「ニール! ルーシーに文句を言うのは間違ってる、彼女の機体を操縦していたのは、ヘラルドだ」

俺とカズコも、すぐに駆け寄った。

「急にルーシーの機体が失速したんだ、コントロール不能だよ、練習の時と同じ現象だ。プログラムや機体の整備に、問題はなかったんだろ?」

「お前は、俺が悪いって言ってんのか!」

ニールの矛先が、俺に向かう。

「違う、俺は怒ってるんじゃない、質問しているんだ。機体制御のプログラムや、整備に問題はなかったんだろ?」

彼はヘッドホンを、地面に叩きつけた。

「じゃあどうしていきなりルーシーの機体がおかしくなるんだよ、お前がちゃんと2機分操縦するって宣言したんだぞ!」

「あぁ、当然じゃないか、俺はそう言ったよ。だけど、それが上手くいかなかったんだ」

「それがおかしいって言ってんだ!」

警告音がなった。

試合が終了したら、速やかにフィールドから退却しなければならない。

ニールとルーシーの機体は、接触の衝撃から、自走が困難になっていた。

「あーあ、長年連れ添った俺の機体が……」

回収ロボによって、拾い集められた部品と共に、俺たちはフィールドの外に出される。

すぐに次の試合が始まった。

トーナメント形式の今回の試合で、俺たちの出番はもうない。

「ヘラルド! ルーシーのコントロールが効かなくなったって、どういことだよ」

「だから、何度もそう言ってるじゃないか」

「俺のプログラムにも、機体整備にも問題は絶対にない!」

「だけど、コントロール不能になったのは事実だ」

「それがおかしいって言ってんだろ!」

俺はつい、ため息をもらす。

こうなったら、しばらくニールの興奮状態は続く。

「ニール、俺たちはよく頑張った。努力もしたさ、それが結果に繋がらなかったのは残念だったけど、いつでもハプニングというものはつきもので……」

「俺はそんな言い分けを聞きたいんじゃない!」

「5人チームでの出場が難しいのは、分かってたじゃないか、だったらどうして、3対3の試合に出なかったんだ? それなら十分、勝算はあっただろ」

ニールは、ふっと意地の悪い笑みを浮かべた。

「やっぱり、お前もルーシーが邪魔だと思ってたんじゃないか」

ここで彼の口車に乗ってはいけない。

それは分かっている。

だけど、俺自身の感情をコントロールすることも、この状況下では難しい。

「そんなこと、いつ俺が言った?」

俺は努めて冷静に、抑揚のない話し方をする。

「最初っから無理なんだったら、無理って言えばよかっただろ、2機分の操縦は難しいって! だっから、ルーシーのプログラムを、最初っから自走式にすればよかったんだ」

「お前が勝手に決めたんだろ、俺にやれって!」

「ちゃんと出来るって、言ったじゃないか!」

俺は、次の言葉を飲み込む。

確かにそう言った。

確かにそうは言ったが、機体が勝手に失速したんだ。

それは、誰が作ったプログラムのせいだ?

「出来ないなら、素直に言えって、『俺は出来ませんでした』って」

「もういいじゃない、二人とも。早く帰りましょ。終わった話よ」

カズコは、ルーシーの肩を抱き寄せながらそう言った。

そうだ、彼女のことを忘れていた。

カズコは、怯えたような彼女をつれて出て行く。

「だけどさ、ヘラルドの言う通りだよ、機体に問題はなかったのに、何かがおかしいって。ちゃんと調べた方がいいかも」

レオンが彼女の機体を振り返った。

「スクールに置いてある、誰でも使える初心者用ノーマルタイプの練習機に、なにがあるってんだ」

ニールは、彼女の機体を蹴飛ばした。

「俺は! ちゃんと出来るように色々と考えてやってたんだよ!」

「そうだよ、ニールはちゃんと考えてた」

こういう時、俺が口をはさむより、レオンの方が上手くやれる。

「だから、ちゃんと練習通りにやれてればよかったんだよな、そうだよね、ヘラルド」

俺は、その問いかけにはあえて答えなかったし、答える必要もないと思った。

そもそも、怒りの矛先が俺に向いている以上、当事者である俺はあまり出て行かないほうがいい。

「もっと、細かい調整が出来てればよかったよな」

レオンは、何度も小さくうなずいて、彼をなぐさめる。

「なにが悪かった?」

「時間が足りなかった、練習時間が」

レオンはニールの肩に手を置くと、彼の破壊された機体のところへ無理矢理連れて行った。

ニールはまだ怒っていたけど、自分の機体の修理を始めている。

俺はため息をついた。

胸の鼓動が早い、心拍数が上がっている。

俺は今、興奮しているんだ。

落ち着こうと考え直して、自分の機体に入れられたニールのミラープログラムをチェックする。

だけど、画面に並んだ無数の文字列を、俺は集中して見ているようで見えていなかった。

こんなんだから、俺が、チームが、仲間が。

だから成人出来るかどうか、俺は不安になるんだ。

こいつらとは、絶対に同じになんか、されたくない。

試合終了のホイッスルが鳴る。

いつの間にか決勝戦まで進んでいた試合は、華々しい最後を迎えていた。

両チームの選手が互いに固い握手をして、健闘をたたえ合い別れる。

優勝したチームは、とても大人びて、仲がよさそうに見えた。

「惜しかったな」

ニールのプログラムをチェックするフリをして、ただ画面に流していたら、ジャンがやってきた。

「これだけの短い時間で、よく準備できたな、試合に出れただけでもすごいじゃないか」

「だけど、それじゃダメなんだ」

悪いのは俺じゃない。

俺はちゃんと操縦してた。

失速には、何らかの原因があるはずだし、そもそも、ルーシーがいると分かって、無理矢理試合にエントリーして俺たちを巻き込む方が間違ってる。

ジャンは、俺の隣にしゃがみ込んだ。

「あはは、お前らまた喧嘩してすねてんのか」

「すねてないよ」

ジャンは笑う。

俺はそのせいで、また気分を悪くする。

「仲良くやれよ、チームなんだ。俺は今でもこのチームから抜かれた意味を、時々考えるよ」

俺はそうは思わない。

正直、ジャンの特異なリーダーシップに、ついていこうとする人間の気持ちが分からない。

きっとキャンプベースの中央管理システムは、彼のそんな欠点を、どこかで修正させようとしているんだろう。

彼自身が、それに気がつかないだけで。

ジャンが立ち上がった。

「あいつらの所にも行ってくる」

彼は、言い争いを始めたニールとレオンの元へ向かった。

ジャンと一緒にいた頃は、何も考えなくてよかった。

めんどうなことやもめ事も、全部ジャンが解決してくれたし、彼の言うことに従っていればよかった。

楽だった。

ジャンは、俺のところに来た時と同じように、笑いながらニールとレオンの間に割って入る。

がはがは笑いながら、あっという間に仲裁してしまった。

二人は、ジャンに何か機体の整備の説明をしている。

だからダメなんだ。

俺は、あんな風にはなれない。

流していただけのプログラム画面を閉じ、俺もフィールドを後にした。