ぼくはその声に驚いて、彼女のほうを振り返った。

彼女は「あれ!」と言ってベッドの上の隅を指差した。

ぼくが彼女が指差したところを覗き込むと、そこには小さなムカデがいた。

その瞬間、夜中に聞こえて来ていた叫び声と床を叩く音の正体がわかって、ぼくは笑った。

「そうか、そういうことだったんだ」

彼女は「は、早く取って」とまだムカデを指差していた。

ぼくは彼女のほうを振り返って訊ねた。

「菜箸とかある?」

彼女がキッチンから出して来た菜箸で、ぼくは小さなムカデをつかんだ。

彼女はまだ顔を引きつらせながら「こっち」と言って、玄関のほうを指差した。

ぼくは言われるがまま、玄関から外に出て、ムカデを放り投げた。

彼女の部屋に戻ると、彼女は安心した表情を浮かべながら「ありがとう」と何度も言った。

「隣に住んでる気味が悪い人は、岩田さんだったんだね」

ぼくは笑いながら言った。
テンションが上がっていたせいか、ぼくは躊躇なく彼女の名前を初めて口にした。

「だって、怖かったんだよ、毎日ムカデが出て来て、雑誌で叩いても死なないし」

彼女も興奮してた。

「でも、ヒロくんが隣に住んでたなんて、すごい偶然!」

ぼくは彼女の部屋を見渡した。

ベッドに小さな丸いテーブル、小さめのタンス、白を基調としていて、女の子らしい部屋だったが、気になることが一つあった。

「なんでカーテン閉めきってるの?」

ぼくの質問に彼女は黙っていた。

「ここから見える夕陽が最高なんだって」

そう言ってぼくがカーテンを開けようとした瞬間、彼女は「やめて!」と大声で叫んだ。

その声に驚いて、ぼくは手を止めた。

「なんで……?」

彼女は視線をそらしたまま
「ごめんなさい」と小さな声で謝った。

この時のぼくはまだ
彼女の深い心の傷の事など
知る由もなかった。