聖は天形を嫌っていて、ましてや負けると思うなんて……
「矢野君は天形君に会って、話して、自分が負けてると思ったんだって」
「会ったの!? あのチキン野郎が天形に!?」
夏希の驚きもわからないこともないけど、声の大きさを間違えている。
「お姉ちゃんもお兄ちゃんとケンカ……?」
沙奈ちゃんと遊んでいた冬花ちゃんが、夏希の大声を聞いて走って来た。
不安そうに夏希を見上げている。
夏希と並ぶように座る私も、見上げられていることになる。
沙奈ちゃんが抱き着いていたけど、その衝動に駆られるのがわかった。
「ううん、違うよ」
夏希は冬花ちゃんの頭に手を伸ばす。
冬花ちゃんは頭に置かれた夏希の手を取ると、引っ張って沙奈ちゃんのところに連れて行ってしまった。
近江君と二人きりになって、どことなく気まずい空気になる。
「あの……聖が、天形に会ったって……」
「僕がそうしたら?って言ったんだ」
少しずつ本当の近江君の気持ち、考えが見えるようになってきたと思ったのに、今の近江君の笑顔はなんだか怖いと思ってしまった。
沙奈ちゃんが言っていた作り笑いとは、これのことなんだろう。
それが顔に出てしまったのか、近江君の目が泳ぐ。
「……ごめん、困らせたいわけじゃないんだ。いや、こんなこと言われて困らないわけないか……」
近江君はらしくもなく、髪をかき乱した。
「矢野君が当たって砕けてくれたら……諦められるんじゃないかって、思ったんだ」
言葉が出ない。
それって、つまり……
「近江君……やっぱり……?」
こんなことを自分から言うなんて、ものすごく恥ずかしい。
近江君は泣きそうに笑う。
「ブレーキをかけていたつもりなんだ。でも、関われば関わるほど、それは効かなかった。僕は……ひなたちゃんの一途で自分の考えを持っているところに惹かれていった」
胸が締め付けられる。
何か言わなきゃと焦って、ますます言葉につまる。
「ご、めん……なさ、い……」
絞り出したような声、言葉。
こんなふうにこんなことを言うつもりじゃなかったのに、これ以外出てこない。
こんな私を好きだと言ってくれる近江君も、聖も傷つけてしまったんだ。
どうして気持ちは思い通りにならないんだろう。
近江君と聖のほうが素敵な人だと、私を大切にしてくれると頭ではわかっているのに、結局私は天形に戻ってしまうんだ。
どれだけ天形に苦しめられても、傷つけられても、やっぱり……
「ひなたちゃん。わかってるから、そんなに苦しそうにしないで? 僕が矢野さんに殺される」
夏希ならやりかねないと思うと、苦しかったはずなのに、少し笑ってしまった。
それをきっかけに、張り詰められた空気が和らいだ。
「はー……怖かったけど、伝えてよかった」
私のほうを向いて笑う近江君を、可愛いと思ってしまった。
それは冬花ちゃんと似ているような気がした。
「ひなたちゃんは伝えないの? 天形君に」
ゆっくり近江君から目を背ける。
好きな人に好きな人がいる、という状況は私と変わらない。
それでも伝えてくれたからこそ、近江君はそう言ってくれている。
でも私の場合、それに元彼で一度フラれたというオプションがつく。
「矢野君とのことであれだけ苦しんだひなたちゃんを見てきたから、特別アプローチしたりはしないけど……あまりうじうじしてたら、ちょっと強引になっちゃうかもね?」
近江君らしくない言葉に驚いて、顔を見る。
悪戯っぽく笑っている。
「断られるってわかってたから、傷つきたくなくて、言わないようにしてたんだ。でも、伝えてしまったから。それなのに我慢するなんて、馬鹿らしいでしょ?」
理由を聞いても、私はまた何も言えなかった。
結局そのまま会話は終了し、近江君は疲れ果てた冬花ちゃんと帰った。
そして私たちも、これから遊びに行こうとはならず、解散となった。
三日後の昼休み、沙奈ちゃんと弁当を食べていたら、メッセージを受信した音がした。
『土日に文化祭がある。よかったら』
天形からだった。
そのメッセージと、時間等が記された画像が送られてくる。
「誰から?」
「天形。文化祭があるから来ないかって」
沙奈ちゃんに画面を見せると、スマホを取られてしまった。
行儀悪いのに、沙奈ちゃんは箸をくわえたまま、内容を読む。
「これ、私も行っていいのかな?」
箸をきちんと手に持ち、確認していた沙奈ちゃんの目が輝いている。
そういえば、沙奈ちゃんは体育祭より文化祭を楽しみにしてたっけ。
「一般公開みたいだし、いいんじゃないかな。……行くの?」
正直、天形の好きな子がいるからあまり乗り気じゃなかったけど、沙奈ちゃんがここまで目で訴えてきたら、断りにくい。
「もちろん。やった、文化祭!」
喜ぶ沙奈ちゃんを見ながら、簡単に天形に返事を送る。
「夏希とかも誘って、みんなで行こう!」
「とかって……ほかに誰誘うの?」
「……矢野?」
そんな気はしてた。
自分で言うことなのかわからないけど、きっとよくない雰囲気になると思う。
「……冗談です。夏希と、三人で行こう」
盛り下げるようなことをして申しわけなく思うけど、聖を誘って、天形たちの文化祭の空気を悪くするようなことはしたくなかった。
そしてその日は夏希も予定がないということで、三人で行くことになった。
◆
土曜日、私たちは天形の学校の校門で待ち合わせをした。
また一番に着いてしまった私は、その場から中の様子を伺う。
中学のときとは違って、本当のお祭りみたいだ。
「おお! 文化祭だ!」
気配を消して私の後ろにいた沙奈ちゃんが、子供のように騒いでいる。
「おはよう、沙奈ちゃん」
「ね、ひなた! まだ行けないの?」
挨拶ではなくそんなことを返してきた沙奈ちゃんは、本当に楽しみなんだろう。
そして、早く行きたいということしか頭にないのか、夏希の存在をすっかり忘れている。
「誘ってきた本人が忘れるってどういうこと」
少し遅れてきた夏希が、沙奈ちゃんの頬をつねる。
「いたたた。つい楽しみで、夏希のこと忘れてた」
「まったく沙奈は……」
二人のやり取りに思わず笑みがこぼれる。
変な緊張も、若干和らいだ。
「あの!」
すると、誰かに話しかけられた。
声がしたほうを見ると、浴衣を着たあの子がいた。
「あっ……」
沙奈ちゃんも気付いたみたいだけど、少し反応しただけで、見て見ぬふりをした。
真っ直ぐ見つめられる。
「あなたがひなた?」
「そう、ですけど……」
その子の勢いに負け、同い年のはずなのに敬語になってしまった。
どうすればいいか悩んでいたら、夏希が間に割り込んできた。
「名乗らないで喧嘩売るのはどうかと思うけど?」
夏希はこの子のことを知らないから、ただ単に私が一方的に絡まれていると思ったらしい。
「私、篠田泉。アキラの彼女」
彼女の名前、そして天形との関係を知り、私は言葉を失った。
「アキラって誰」
だけど、夏希のそれでなかったことにされてしまった。
「夏希、天形の下の名前、晃だよ」
「ふーん……って、え?」
初めは興味なさそうに言ったのに、状況を理解したのか、夏希は拍子抜けした声を出した。
そしてじっくりと篠田さんの顔を見る。
「この美少女ギャルが天形の彼女!?」
「ちげーよ」
変なテンションの夏希に、冷静に否定したのは、天形だった。
白ベースで真ん中に大きくドクロがあるTシャツを着、首にタオルをかけている。
まるで、屋台でもやるかのよう。
「もう、アキラ! なんでそんなに私を彼女って認めてくれないの!?」
「泉こそ、なんでそんなに彼女だって言い張るんだよ」
二人のやり取りを見ていられなくて、私は顔を逸らし、目を瞑る。
本当は耳まで塞ぎたかったけど、会話の内容が気になって出来なかった。
「何回告白しても、アキラが彼女にしてくれないから、周りから固めていく作戦だもん」
相手のことを一切考えない作戦だと思った。
だけど、天形相手なら間違ってないのかもしれない。
天形なら、押され続けたら、最終的には認めてしまうのかもしれない。
天形は大きなため息をついた。
「そんなことより、お前。油売ってる暇ないだろ」
篠田さんにとっては大切なことを軽くあしらわれてしまい、篠田さんは頬を膨らませ、拗ねてしまった。
天形がさらに怒ろうとするけど、それを聞かずに篠田さんは人混みに消えた。
「……じゃあ俺、クラスのほうに戻るから。二人はゆっくり楽しんでって」
これ以上天形と篠田さんのツーショットを見られない、帰りたいと遠回しに伝えようとしたけど、それより先に私は周りを見た。
三人で来たはずなのに、なぜ二人なのかと思ったからだ。
「……ねえ、夏希。沙奈ちゃんは……?」
沙奈ちゃんの姿が見当たらなかった。
どこに行ったかなんて簡単に想像できるけど、一応、恐る恐る聞いてみる。
「先に行って遊んでおくってさ」
「やっぱり……」
天形に伝えなくても勝手に帰ればいいと思ってたのに、帰れなくなった。
「どれだけ楽しみにしてたの、沙奈は。てか、自由すぎない?」
「なんか、文化祭が好きみたいよ?」
「だとしても。周りを見ろって話」
さっき忘れられていたことをまだ根に持っているのか、夏希は怒っているみたいだった。
「少しくらい、ひなたのことも考えろっての」
それだけじゃなく、私のことでも怒ってくれていたらしい。
「沙奈ちゃんは私の恋愛には、もう興味なくなってるからね」
「興味なくても、気持ち察することくらいできるじゃん。天形と気まずいってことくらい……」
夏希はそこまで言って、固まってしまった。
そして文字通り頭を抱える。
「夏希?」
「……ごめん、ちょっと言いすぎた。最悪だ。なんでこんな嫌なとこが似たんだ……」
沙奈ちゃんへの怒りの言葉の表し方に反省していることはわかるけど、何を嫌だと言っているのかわからなかった。
「誰と何が似てるの?」
「聖と。暴走するところ」
そうは言うけど、夏希のほうは暴走と言うよりも、私を一番に考えすぎなところがあるんだと思う。
「沙奈だって思うことくらい……ある……よね?」
言いながら自信がなくなったのか、確認された。
人の気持ちだし、イエスもノーも言えない。
でも、今日の沙奈ちゃんはなんというか、何も考えていないような気がする。
ただひたすらに、文化祭を楽しみたいだけのような。
「まあいいや。ひなた、どうする?」
それはこのまま帰るのか、文化祭を見ていくのか、ということだろう。
「……行く」
篠田さんと天形は見たくないけど、ここまで来て何もせずに帰るのも嫌だった。
私の学校では来年まで文化祭はないから、楽しみたい気持ちもあった。
「よし、じゃあまずはあの自由人と合流しよう」
夏希が沙奈ちゃんに連絡し、校舎の二階、突き当たりの廊下で沙奈ちゃんと合流することができた。
たった数十分しか経っていないのに、再会した沙奈ちゃんは文化祭を楽しんでいることが一目でわかった。
「両手いっぱいに食べ物持って、どうやって食べるつもり? てか、よくそれで私と連絡できたね?」
「置けば手は空くよ。みんなで食べよ?」
その食べ物は沙奈ちゃん一人分ではなかったらしい。
私たちのために、買っていたとか。
夏希を忘れていたり、勝手に行ったりしてたけど、やっぱりそこまで自己中心的ではないんだと思う。
「ありがとう、沙奈ちゃん」
私は紙コップに入った焼き鳥を受け取る。
「ただの買いすぎとか言わないでよねー」
そう言いながらも、夏希は私が受け取った紙コップから、焼き鳥を一本取った。
「違うってば」
「はいはい。あ、美味しい」
私も焼き鳥を食べる。
いい具合に肉が柔らかくて、タレもいい具合の量で、確かに美味しい。