旧校舎に移動してすぐ、さっそく加瀬くんと赤川さん、晃嗣くんの三人がいなくなっていた。残された僕たちは連絡通路を抜けてすぐの教室で三人を待つ。今はまだ青葉とも話がしづらくて、少し居心地が悪かった。つい先生の方を見ると、何かを探すようにきょろきょろと旧校舎の教室を見回している様子だった。

 そうだ。今もまだ小清水先生の幼馴染の幽霊はこの旧校舎のどこかにいて、先生は今も彼女を探しているはずだった。そして、彼女を救うための答えはまだ見つかっていない。

 もし今日の部活でも出てこなかったら……

「先生、やっぱり僕、その人のことは……」
「いいっていいって。今は自分にできる、目の前のことだけに集中しろ」

 でも、と言いかけたところで閉口した。事情を分からない青葉は怪訝そうな表情だ。

 先生の心残りである彼女のためにできることは、今も分からない。青葉と向き合うこと、ただそれだけが今の僕にできる唯一だ。

 と、そんな空気を打ち破るように勢いよくドアが開くと、にぎやかな声が響いた。

「じゃーん!」

 うるさいくらいの声を上げたのは加瀬くんだった。アロハシャツにサングラスという、いつもの軽薄な部活スタイルになっている。両隣の二人も、それぞれの部活スタイルに変身していた。

「やけに荷物が大きいと思ったら、わざわざ服持ってきたんだ」
「やっぱり、形は大事だからな」加瀬くんが言った。
「この格好じゃないと落ち着かないし」
「これがオレたちの正装みたいなものですからね」

 赤川さんと晃嗣くんも、加瀬くんに同調した。僕は息の合った三人に苦笑していると、

「青葉、春樹」

 小清水先生は、真面目な声で僕たちに呼びかけた。

「分かってると思うけど、今日の部活は夜明けまでがタイムリミットだ。それまでに撤収できるように準備してもらうことになるけど、大丈夫そうか?」

 今回は事前準備ができないから、企画の準備はこの夜の間に仕上げる必要があった。それも企画の発表や片付けの時間を考慮すれば、準備に使えるのは数時間程度だ。こんなことは初めてで、不安がないわけじゃない。それでも僕は、力強く「はい」と先生に向かって応えた。

 続いて青葉も応えると、

「オッケー。じゃあ、準備行ってこい!」

 小清水先生に送り出されて、僕たちはそれぞれの企画の場所へと走っていく。青葉は廊下の奥へ、僕は一つ上の階へと向かって階段を上った。ここからはもう、少しの時間も無駄にできない。

 三階に上がると、僕は調理室へと続く廊下に立った。そこで、一度大きく息を吸ってからそれを吐き出す。

 この限られた時間では、前回赤川さんと作ったような大掛かりな仕掛けを準備できるだけの余裕はないけど、簡単な企画では絶対に青葉には勝てない。

 僕がこの日のために考えた企画は、細心の注意を払っての地道な準備が必要だった。いったい準備にどれだけの時間がかかるのか、まるで予想もついていなかったし、時間に間に合う保証もない。

 それでも、きっと間に合うという予感があった。いや、少し違う。自分ならきっと間に合わせられる。

 背負っていたリュックを床におろすと、ふっと肩が軽くなった。それは、今日のための準備がパンパンに入った、旅行用の巨大なリュックだ。初めての企画の時に使ったリュックが可愛く見えるくらいに、それは大きく膨らんでいた。

 この対決で僕が青葉に勝てば、これが僕たちの青春部としての最後の活動になる。もちろん、僕だってこの青春部を引退したいわけじゃない。だけど、ここでの時間があったから、僕は先に進んでいける。その感謝を伝えるための企画にしたいと思っていた。

「……絶対大丈夫」

 自分に言い聞かせるようにつぶやくと、ジャラジャラと音を立てるそれが大量に入った袋を、リュックの中から取り出した。

 そして、いよいよその袋を開けると、その最初の一つを床に立てた。



 深夜だった。

 時間を確認する余裕なんてなかったけど、もうとっくに日付は替わっているだろう。校舎に残っていた最遅時間を、またも更新してしまった。そして、もうそれを更新することはないはずだ。

 ようやく準備を終えた僕は、みんなの待つ教室に向かって歩いていた。何時間もずっと神経を集中させていたせいで、頭がのぼせたようにぼうっとして、不思議な浮遊感すらあった。

 準備が終わってひと段落はしたけど、本番はまだこれからだ。もう一度気合を入れなおすように、細かい作業を続けて硬くなった身体を伸ばしてから、教室のドアを開けた。

 教室の中に入っても、すぐに反応はなかった。教室の奥ではみんなが横に並んで、壁にもたれて居眠りをしていた。

「おまたせ」

 みんなの前まで行って小さくつぶやくと、真っ先に目を開けたのは晃嗣くんだった。

「遅いです」
「ご、ごめん」晃嗣くんに謝ってから、同時に準備を始めたはずの青葉も待たせてしまったことに気づいた。
「青葉も、ごめん」
「ううん。夜の校舎って、涼しくて結構気持ち良かったから」
「……そっか」

 みんなはまだ眠たそうに立ち上ると、大きく伸びをして身体をほぐした。すぐに目が覚めた様子はなかったけど、小清水先生は場を仕切りなおすように声を張った。

「さ、起きろ起きろ~。春樹の方も、準備はできたんだな?」
「はい。大丈夫です」

 自信を込めて答えると、小清水先生は満足そうに微笑んだ。

「よし、それじゃあ時間もないし、さっそく先攻後攻を決めようか」

 と、それを考える間もなく青葉が手を挙げていた。

「私、先攻がいい」
「じゃあ、僕が後攻だね」

 先攻でも後攻でも、別にどちらだって構わなかった。順番がどちらだろうとやることは変わらないし、先攻の青葉が何を見せようと絶対に折れることはない。

「いいんだな。それで」

 小清水先生のその言葉にうなずいてから、僕は青葉の方を向いた。
青葉も僕の方に身体を向けて、対峙するような形になった。じっと、合わさった目は逸らさない。

「まさか、こんな風に青葉と対決するときが来るとは思わなかったよ。初めて晃嗣くんと戦った時、こんなの絶対僕には無理だと思ったし、青葉と戦うことになるかもなんて想像もしてなかった」

 それは、紛れもなく昔の僕が思っていたことだった。だけど、今はもうそんな弱さはないと、この目に込めて伝えたかった。

「ねえ、本当に勝負するの?」

 青葉は悲しそうに顔をゆがめて言った。僕は深くうなずいて答える。

「うん。いつかはそうしなきゃいけなかったから。……覚悟ならもうできてるから、絶対手は抜かないで」

 説得できないことを悟ったのか、青葉も覚悟を決めたような顔になった。

「……分かった。じゃあ、案内するね」

 そう言うと、僕に背を向けて企画を用意した場所に向かって歩き出した。
この旧校舎での最後の企画対決――僕と青葉の、初めて出会った時以来の勝負が始まろうとしている。