「だけど、やっぱり不安にもなるよ。だって、もし勝てなかったら……」

 つい弱気になって、狭い部室の中につぶやいた。青葉と僕、今までの実績を考えれば、その勝敗は誰だって予想できる。

 しっかりと制服を着こなした加瀬くんは、落ち着きのある声で言った。

「古河はもっと自信を持っていい。春からこの部活に入って、確かに変わったはずだ。けどそれでいて、西峰のためなら頑固になれるところは変わっていないだろう?」
「確かにそうかも」と、僕は小さく笑ってから、加瀬くんの言葉を胸の中で反芻していた。

 この部活に入って、ずっと遠巻きに眺めるだけだった「青春」というものの渦中に入ることができていたと思う。自分には縁がないものと決めつけていた青春を、自分とは住む世界が違うと思っていた人たちと送る中で、僕は確かに自信をつけたし、今までは気づけなかったことにも気づけるようになった。

 確かに僕は変わった。けど、青葉のために無茶を続けてきた自分だけは、きっと今も変わっていない。どれだけ周りから不釣り合いだと言われようと、どれだけその道のりが険しくても、それだけは曲げなかった。

 僕はこの部にいる他のみんなとは違う。誰からの期待も背負っていないし、誰から自分を定義されているわけでもない。

 けど、だからこそ僕は、僕の決めた僕を貫いてきた。

 そう思った瞬間、「あ」と小さく声が漏れた。思い出していた。

 それは、初めての企画で晃嗣くんに惨敗した後、僕をこの部活に誘った理由について加瀬くんに訊いていた時のことだ。

「もしかして分かったかも。僕がみんなとは反対で、そんな僕ならこの部のみんなを変えられるかもって言ってた意味」

 加瀬くんはその言葉に驚いた後、微笑んでみせた。と、事情を知らない赤川さんは「何それ」と、椅子に座っていた身体を乗り出した。僕はそれに笑って応えてから、

「普通、誰だって青葉が勝つと思う。あんな賭けだっておこがましいくらいかもだけど、それでも、これからも青葉のそばにいるために戦うよ」
「それでこそだな。その古河のまっすぐな部分は、きっと誰かにとっての救いになる」

 加瀬くんの言葉にはいつだって説得力がある。僕の選択や答えに、間違いがなかったんだと信じられる。

「ありがとう」と、僕は笑ってから、「けど、ごめんね。本当は加瀬くんも企画やりたかったんじゃない?」
「確かに、気持ちとしてはやりたかったが、実際そこまでの時間は取れないからな。ただ、何もせずに終わるのは悔しいから、ちょっとしたものは用意したさ」
「ちょっとしたもの?」
「本当に大したものじゃない。だが、部活の終わりまではお預けだ」

 いったい何を用意したんだろう。考えていると赤川さんは少し不貞腐れた様子で、

「よくわかんないけどさ、結局古河くんの覚悟は決まったの?」
「うん。不安がないわけじゃないけど、今は全部をぶつけてみようと思う」

 力を込めて言うと、「ならよかった」と、赤川さんは安心した様子だった。

「実はね、青葉からもいろいろ相談されてたんだ」
「青葉から?」
「うん。今の青葉はだいぶこんがらがってるけど、古河くんと喧嘩しちゃったことは、すごく後悔してたよ」
「そう、だったんだ」

 誰かに相談をする青葉なんて、少し前までなら受け止められなかったかもしれない。けど今なら、青葉だって不安に駆られることがあるんだと知っている。

「青葉も古河くんも、お互いに変な遠慮ばっかりしてるから、ここまでこじれちゃったんだよ。だから、一度本気でぶつかってみるっていう古河くんの選択は正しいと思うよ。お互いが大事なら、ちゃんと意見を言い合わないと」

 赤川さんの言う通りだと思った。ずっとあんなに近くにいたのに、相手のことを勝手に分かった気になってちゃんと見ていなかったから、こうして大きなひずみになってしまったんだろう。

「赤川さんも、ありがとう。僕もちゃんと青葉と向き合ってみるよ」

 と、その時だった。

 部室のドアの開く音がして、振り向くと青葉と晃嗣くんだった。

「お待たせ」
「遅くなりました」

 部室に入ってくる二人を、僕たちは椅子から立ち上がって「来た来た」と出迎えに行く。青葉とはまだうまく目を合わせられなくて、僕だけは少し離れた位置に立った。

「どう? 校舎にはまだ人いそう?」

 赤川さんが訊くと青葉が答えた。

「うん。だいぶ減った気はするけど、まだ先生たちは残ってると思う」
「小清水先生もまだ来ていないからな。きっと先生方はまだ仕事が残っているんだろう」
「じゃあ、まだしばらくは部室で待機だね」

 加瀬くんに続いて、僕が言った。

 まだ時間は二時を回ったくらいだ。きっと、先生たちが全員帰宅するのは、もっと遅い時間になるだろう。

「仕方ありませんよ。もともと夜からのつもりでしたし、それまで時間をつぶしましょう」
「そう思って」と、加瀬くんはカバンを漁ると、「ちゃんとトランプを持ってきておいた」
「さすが、抜かりないね」

 と、僕が感心していると、赤川さんは苦笑して、

「なんか修学旅行の夜のノリみたい」
「そういえば、二人とも親の宿泊許可はもらえたのか?」と、加瀬くんはトランプを箱から出しながら、青葉と晃嗣くんに訊いた。
「うん。今朝メールだけしておいた。いつ読まれるか分からないけど、どうせ何も言われないし」
「オレは、友達の家に泊まるって言ったらあっさりと」
「じゃあ、心おきなく朝まで行けるな」

 二人の答えに、加瀬くんは満足そうに笑った。その笑顔は、普段の部活の時に近い雰囲気があった。

「加瀬くん、制服がちょっと窮屈なんじゃない?」
「仕方ないさ。万一に誰かに見られるということもある」
「伊織、いいから早く配って」

 トランプを取り出す手の止まった加瀬くんに、青葉の手厳しい声が飛んだ。と、ドアが開く音とともに、待っていた最後の声が部室に響いた。

「なに俺抜きで始めようとしてるんだ?」

 みんなは一斉にドアの方を向くと、小清水先生の名前を呼んだ。これでついに全員集合だ。

「もう仕事は大丈夫なの?」赤川さんが訊いた。
「ああ、サクッと終わらせて上がってきた。他の先生方は、まだしばらく帰ってくれそうにないけどな」
「そっか。じゃあやっぱり、まだまだ部室で待機だね」

 青葉が言うと、小清水先生はいたずらっぽく笑った。

「だからやるんだろ? トランプ。騒ぎすぎてバレない程度に、夜までの退屈しのぎといこうぜ」

 先生の言葉に、僕たちは六人で輪になるように地面に座ると、加瀬くんがみんなにトランプを配り始めた。大人数で輪を作ってトランプで遊ぶなんて、本当に修学旅行の夜みたいだ。ババ抜き、七並べ、大富豪。誰が勝って誰が負けて、つい時々騒ぎすぎて慌てて口をふさいで、そんなにぎやかな時間が過ぎていった。

 トランプで思いつく一通りのゲームを遊びつくした頃、窓の外の太陽は沈み始めていた。僕たちは忍び足で部室を出て、校舎に誰も残っていないことを確認すると、連絡通路を通って旧校舎に移動した。

 いよいよ、この旧校舎でできる最後の青春部の活動が始まる。