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 こんな時でも授業の進む速さは相変わらずで、気持ちが落ち着くのを待ってくれるなんてことはない。

 三年生の授業は、早めに教科書の範囲を終わらせて残りを受験対策に費やす構成になっている。夏前に範囲を終わらせようと、ますます駆け足になっている授業も少なくなかった。少しでも気を抜けば置いていかれる緊張感があって、逆に余計なことを考えずに授業に集中できていた。

 先生の言葉に耳を傾けつつ無心でペンを走らせていると、突然「西峰」という名前が聞こえてきて、僕の指は動きを止めた。先生が質問の回答者に青葉を指名していた。

 そう難しくない問題だった。この程度、青葉なら簡単に答えられる。

 青葉は席を立つと少しの間沈黙して、

「すみません、質問をもう一度お願いしてもいいですか」

 その言葉に、教室中が動揺したのが伝わった。いつだって青葉は、完璧に質問に答え続けてきたのに。

 先生は少し驚いた後、聞いていなかったことを注意しつつ質問の内容を繰り返した。今度はそれにちゃんと答えると、そのまま授業は再開された。だけど、クラスのざわついた空気がすぐに落ち着くことはなかった。

 何かが違っている。歯車が一つだけ外れてしまっているような、そんな感覚がしていた。

 その授業の後の昼休みだった。購買でお弁当を買って教室に戻る途中、廊下の向かいから歩いてくる晃嗣くんが見えた。晃嗣くんは僕の姿を認めると、その目を鋭くとがらせる。小さな声で話ができる距離まで近づくと、向き合うような形でお互いに自然と足を止めた。

 晃嗣くんはじっと僕の顔を睨み、それを直視できずに目をそらした。たった数十センチの距離の間に、しばらくの沈黙が流れた。

「昨日の生徒会の時間、少しトラブルがありました」

 晃嗣くんは、淡々とした声で沈黙を破った。

「いつも通り全員が時間通りに集まりました。なのに、それは始まらなかった。青葉先輩が議題の用意を忘れていたんです。はっきり言って、考えられない失態です」

 晃嗣くんの言葉に何も言えなかった。少し前までなら、そんなことはあり得ないときっぱり言い張れたはずなのに。それを否定することが今の僕にはできなかった。

「何があったっていうんですか。青葉先輩はどうして……」

 信じられないと言うかのような、悲痛な声だった。晃嗣くんも僕と同じ、戸惑っているんだと思った。

「そんなの、僕だって何も分からないよ……」
「あなたがいたから。あなたが青葉先輩をおかしくしたんです」

 あるいは、それは言いがかりに近いものだったかもしれない。だけど、否定なんてできるわけがない。ひょっとしたら正しいのかもしれないし、ただの的外れかもしれない。その判断がつかなかった。

 だって、僕にはもう青葉のことが分からないから。