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高校三年生の日常は、受験の対策が生活の中心になる。
この森宮第一高校は進学校を謳っているだけあって、受験には生徒と教師そろって本気な空気がある。三年生の教室が集められている二階の廊下は、他の階にはないようなピリピリした緊張感があるようにさえ感じるほどだ。
三年生からは、目指す大学や学部の種類によってクラスが細分化され、本人の希望に合わせてクラス分けがされている。
僕が選んだのは国立文系コースで、青葉と同じだった(別に青葉と一緒のクラスになるために選んだわけではない)。僕にとって国立は挑戦で、一気にスピード感を増した授業には、ついていくので精いっぱいだった。一日のほとんどを予習と復習の時間に当てて、本格的な受験勉強に時間を割く余裕はない。
一つの学年に百人以上生徒がいることもあって、このクラスになって初めて一緒になるクラスメイトもいた。新しいクラスになって一週間が経過した今でも、教室にはまだ少しよそよそしい空気が漂っている。
三年生にもなると、新しくクラスメイトになった人とあからさまに仲良くしようとする人はほとんどいなくて、このままなんとなくクラスメイトになって、なんとなく卒業になってしまいそうな、そんな雰囲気さえあった。
放課後、HRが終わって帰りの支度をしていると、数人の男子のグループが近づいてきた。去年までも同じクラスだった山本くんがその中心だった。
「なあ、この後、新しいクラスの交流会ってことでボーリングに行くんだけど、春樹も来るか?」
「え……」
その誘いに、わずかに逡巡した。
山本くんの周りには、話したことがあるやつもまだ話したこともないクラスメイトもいた。みんなは、これからの時間が待ちきれないような様子で、僕の返事を待っている。
この誘いを受けたら、今のクラスに感じるよそよそしさもなくなるのかな。
新しいクラスメイトとボーリング。それはとても魅力的な誘いに思えた。
けど――
「ごめん、この後先生に勉強の相談する約束しちゃってて……」
「えー。それって今から別の日にできないのか?」
「それは、僕の方からお願いしちゃったから……」
「……じゃあ仕方ないな」と、山本くんは肩を落とす。
「ごめんね、せっかく誘ってくれたのに」
「いいっていいって、また誘うよ」
そう言うと、山本くんは「それじゃあな」と軽く手を振ってから、周りのみんなと一緒に教室を後にして行った。
それを見送りながら、胸の奥の方で、ぐちゃぐちゃとした想いが渦巻いているのを感じていた。
今日じゃなければ行けたのに運が悪かった、そんな風に言い訳をする声に、誘われたのが今日じゃなくても、どうせ何かしらの理由をつけて断ったに決まってる、と、反論をする自分もいた。
もちろん、今まで友達と放課後に遊んだことがないわけじゃないけど、クラスの交流会なんて華やかなものに縁はなかった。それに、三年生のこの時期に遊びに行くだけの勇気もない。たぶん僕は、今まで自分が敷いてきたレールを外れるのが怖かったんだ。
本当にこのままでいいのかな。気づけばもう三年生で、卒業まで一年もないのに……
ストライクを取ったらみんなでハイタッチをして、ガターになったらみんなで笑い合って、次の日になってもその時の話題で盛り上がれる。脳裏には、そんな光景が浮かんでいた。
みんなで笑い合ったり、ふざけあったり、たぶん、心がいっぱいになるその瞬間。僕がまだ、ただの一度も経験したことのないその瞬間の名前は――
僕は急いで荷物を背負うと教室を飛び出した。そして、玄関の方へと続く廊下の奥に、山本くんたちの姿を探す。
だけど、そこにはもうみんなの姿はなくて、この廊下を走ってみんなを追いかけるだけの勇気までは持ち合わせていなかった。
言葉を浮かべるのもこそばゆいけど、みんなについていったその先に、「青春」の二文字があるような気がしていた。
今までの人生で、あれが「青春」だったと胸を張って言える瞬間なんてない。
きっとこのまま、ただの一度もそれを経験できないままに卒業するんだろうな、と、そんな諦めと後悔が胸の中に浮かんでいた。
高校三年生の日常は、受験の対策が生活の中心になる。
この森宮第一高校は進学校を謳っているだけあって、受験には生徒と教師そろって本気な空気がある。三年生の教室が集められている二階の廊下は、他の階にはないようなピリピリした緊張感があるようにさえ感じるほどだ。
三年生からは、目指す大学や学部の種類によってクラスが細分化され、本人の希望に合わせてクラス分けがされている。
僕が選んだのは国立文系コースで、青葉と同じだった(別に青葉と一緒のクラスになるために選んだわけではない)。僕にとって国立は挑戦で、一気にスピード感を増した授業には、ついていくので精いっぱいだった。一日のほとんどを予習と復習の時間に当てて、本格的な受験勉強に時間を割く余裕はない。
一つの学年に百人以上生徒がいることもあって、このクラスになって初めて一緒になるクラスメイトもいた。新しいクラスになって一週間が経過した今でも、教室にはまだ少しよそよそしい空気が漂っている。
三年生にもなると、新しくクラスメイトになった人とあからさまに仲良くしようとする人はほとんどいなくて、このままなんとなくクラスメイトになって、なんとなく卒業になってしまいそうな、そんな雰囲気さえあった。
放課後、HRが終わって帰りの支度をしていると、数人の男子のグループが近づいてきた。去年までも同じクラスだった山本くんがその中心だった。
「なあ、この後、新しいクラスの交流会ってことでボーリングに行くんだけど、春樹も来るか?」
「え……」
その誘いに、わずかに逡巡した。
山本くんの周りには、話したことがあるやつもまだ話したこともないクラスメイトもいた。みんなは、これからの時間が待ちきれないような様子で、僕の返事を待っている。
この誘いを受けたら、今のクラスに感じるよそよそしさもなくなるのかな。
新しいクラスメイトとボーリング。それはとても魅力的な誘いに思えた。
けど――
「ごめん、この後先生に勉強の相談する約束しちゃってて……」
「えー。それって今から別の日にできないのか?」
「それは、僕の方からお願いしちゃったから……」
「……じゃあ仕方ないな」と、山本くんは肩を落とす。
「ごめんね、せっかく誘ってくれたのに」
「いいっていいって、また誘うよ」
そう言うと、山本くんは「それじゃあな」と軽く手を振ってから、周りのみんなと一緒に教室を後にして行った。
それを見送りながら、胸の奥の方で、ぐちゃぐちゃとした想いが渦巻いているのを感じていた。
今日じゃなければ行けたのに運が悪かった、そんな風に言い訳をする声に、誘われたのが今日じゃなくても、どうせ何かしらの理由をつけて断ったに決まってる、と、反論をする自分もいた。
もちろん、今まで友達と放課後に遊んだことがないわけじゃないけど、クラスの交流会なんて華やかなものに縁はなかった。それに、三年生のこの時期に遊びに行くだけの勇気もない。たぶん僕は、今まで自分が敷いてきたレールを外れるのが怖かったんだ。
本当にこのままでいいのかな。気づけばもう三年生で、卒業まで一年もないのに……
ストライクを取ったらみんなでハイタッチをして、ガターになったらみんなで笑い合って、次の日になってもその時の話題で盛り上がれる。脳裏には、そんな光景が浮かんでいた。
みんなで笑い合ったり、ふざけあったり、たぶん、心がいっぱいになるその瞬間。僕がまだ、ただの一度も経験したことのないその瞬間の名前は――
僕は急いで荷物を背負うと教室を飛び出した。そして、玄関の方へと続く廊下の奥に、山本くんたちの姿を探す。
だけど、そこにはもうみんなの姿はなくて、この廊下を走ってみんなを追いかけるだけの勇気までは持ち合わせていなかった。
言葉を浮かべるのもこそばゆいけど、みんなについていったその先に、「青春」の二文字があるような気がしていた。
今までの人生で、あれが「青春」だったと胸を張って言える瞬間なんてない。
きっとこのまま、ただの一度もそれを経験できないままに卒業するんだろうな、と、そんな諦めと後悔が胸の中に浮かんでいた。