次の週の月曜日、昼休みの時間になると僕は加瀬くんの机まで向かっていた。

「今日学食どうかな?」
「ああ。俺も行こうと思ってたから、ちょうどよかった」

 まだ部活に入ったばかりの頃、教室ではあまり加瀬くんとは話さないようにしていたけど、最近ではほとんどそんなことも気にしなくなっていた。はじめはつながりを勘ぐられることを心配していたけど、加瀬くんならクラスメイトだし、そこまで変な目で見られないだろうという気になっていた。

 近くの席で座っていた山本くんは意外そうな様子で、

「二人とも最近仲いいよな」
「うん、まあね」
「確かに、なんか性格合いそうだもんな」

 そうやって納得してくれるならありがたい。僕は適当に笑ってそれを受け流すと、加瀬くんと二人教室を出た。

 昼休みの学食はたくさんの生徒で賑わっているけど、授業が終わってすぐに教室を出れば、席が取れないことはない。学食に着いた僕たちは、それぞれカレーとラーメンをカウンターで受け取ってから、二人用の小さなテーブルに向かい合って座った。

 僕たちが二人で食事をとる間、交わす会話はそれほど多くない。今日もしばらくは静かにそれぞれの食事を続けていると、ふと加瀬くんは食事の手を止めた。

「なんだか、いろいろ気を遣わせたな」
「え?」
「莉愛とのことだ。相談に乗ったりしたんだろ?」

 きっと加瀬くんには、僕と赤川さんが土曜日の部活の前にどんな話をしていたのかお見通しなのだろう。それか、理科室で赤川さんと二人きりになった時、直接聞いていたのかもしれない。

 この話の流れなら、訊けると思った。

「まあね。……それで、赤川さんと二人きりになった後、結局どうなったの?」
「ああ、告白された」

 加瀬くんは隠そうとするそぶりもなく、はっきりと答えた。もしかしたら、最初からその話をするつもりだったのかもしれない。

「それで、加瀬くんは……?」

 訊きながら、緊張していることを自覚した。自分のことではないけど、やっぱり二人にはうまくいってほしかった。

「答えられなかった。返事は保留させて欲しい、と。あの時はそれだけだ」

 ノーを示す結果じゃなかったことに少しだけほっとしつつ、

「なんで、って訊いていいかな」

 僕がそう訊くと、加瀬くんは珍しく弱気な表情をのぞかせた。あるいは、それは初めて見る表情だったかもしれない。

「八月の頭に総体があるんだ。そこが俺たち弓道部の最後の大会だから、今は他のことが考えられなくて……」

 そう語る加瀬くんの表情は、とても苦しそうに見えた。

 運動部のほとんどは、三年の夏の大会を最後に引退する。だから、きっとそれは加瀬くんにとっての集大成になるはずだ。弓道部のエースであり、全国でも屈指の実力だと言われている加瀬くんには、きっと相当な期待が寄せられているはずだ。現にそれを、僕はこの目で見ている。赤川さんと二人でフィナンシェを差し入れに持っていこうとした時、練習を見学していた数人の女子が、全国優勝も狙えると誇らしげに語っていた。

「加瀬くんは、弓道部の部長でもあるんだもんね」
「そうだな。そんな人間が、色恋にうつつを抜かせるわけがない。――なんて、そんなことを言いながら、バカみたいにペットボトルのキャップを飛ばしてはしゃいでいるんだが」

 加瀬くんは力なく自嘲した。

「加瀬くん……」
「顧問の先生も、周りの部員も、みんなが加瀬なら全国優勝も狙えると言っている。主将としても、エースとしても、期待を裏切れるはずがないのに……」

 テーブルの上に置かれた加瀬くんの両手が、小さく震えているのが見えた。

 慰める言葉か励ましの言葉か、そのどちらが相応しいのだろう。

 僕には、加瀬くんのような特別な人間の苦しみなんて分からない。今までに一度も期待をかけられたことなんてないし、きっと僕にできるのは分かった気になることだけだ。

「失望したか? 俺がこんなに弱いことに」
「ううん、まさか」

 加瀬くんも、赤川さんや晃嗣くんと同じなんだ。表面には見えてこない苦しみを抱えて、それを青春部という場所で発散している。部活中に浮かれた格好をしてはしゃいでいるのは、普段感じているプレッシャーからの反動なのかもしれない。

「僕は、部活の時のふざけた加瀬くんも好きだよ」

 それは、頭に浮かんだ自然な言葉だった。それを聞いた加瀬くんは口元を軽く緩めて、「ありがとう」と微笑んだ。

「泣いても笑っても、あと一ヶ月もないんだ。適度に青春部で発散しながら、どうにか乗り切ってみせるよ」
「うん、どっちもほどほどにね」

 あと一ヶ月を切った総体を最後に、加瀬くんは弓道部を引退する。ほとんどの運動部の三年生は夏の大会を最後に引退し、文化部の三年生はこの前の文化祭をきっかけに引退したところも少なくないはずだ。

 ふと、思ってしまった。

 僕たち青春部は、いつをもって引退になるんだろう。

 僕たちには大きな大会があるわけでも、発表の場があるわけでもない。僕たちの代がこの部の一期生だから、引退の前例なんてものもない。

 終わりがいつなのか。それとも、そもそも終わりなんてあるのか。

 胸の奥で、何かがざわめいている。ただ、そんな言葉にしようのない感覚だけを感じていた。