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放課後の学校は、ほとんどの生徒が部活に励むか帰宅をしていて、グラウンドや体育館以外は閑散としている。そのおかげで、弓道場の前に来るまでの間、赤川さんと二人で歩いている姿は、ほとんど誰にも見られることなく済んでいた。部室を出る時は深く考えていなかったけど、もしも見つかっていたら大スキャンダルだった。
「ねえ、本当に差し入れに行くの?」
弓道場に着く直前で、赤川さんは何度目になるか分からない質問をした。
「いや、やめるなら全然いいと思うけど……僕も勢いで言っちゃった気はしてるし」
「ううん、ここまで来ちゃったんだもん。それに、食べ物を無駄にしちゃいけないし、うん」
加瀬くんに差し入れを持っていく話になってからの赤川さんは、やけに様子がおかしい。差し入れを躊躇しては、お菓子がもったいないからと決意しなおす流れは、弓道場に向かうまでの短い間に、もう何度も目にしていた。
何度目かの決意を固めてまた少し歩くと、弓道場の側面に沿うようにして、数人の女子が張り付いているのが見えた。彼女たちは一様に、弓を引く袴姿の部員の様子に釘付けになっている。弓を構えている部員は数人いたけど、彼女たちの視線はたった一人に集まっている。見ると、ちょうど加瀬くんが弓を放つ瞬間だった。
「差し入れは加瀬くんの練習が終わってからがいいかもね」
「だね。私たちも見学してよっか」
僕たちも先に見学をしていた彼女たちの隣に並んで、弓を構える加瀬くんの姿に目を凝らす。矢を弦にはめて、弓を構え、狙いをすまして矢を放つ。
初めて見る加瀬くんがそこにはいた。
クラスで見せる穏やかで誠実な表情とも、もちろん、旧校舎で見せるおどけたようにはしゃぐ表情とも違う。ピリピリとした緊張感が、数十メートルは離れているはずのこの場所まで伝わってくる。きっと加瀬くんの感覚は極限まで研ぎ澄まされていて、それがまるで刃のような鋭さを感じさせているんだと思った。
加瀬くんの周りだけ、違う世界の空気が漂っているかのようだ。
「すごい集中力だね」
僕はそれに視線を奪われたままつぶやくと、隣で赤川さんが応えた。
「……うん。でも、なんだかちょっと怖い」
加瀬くんが再び矢を放つと、それは的へ向かって一直線に飛んでき、そのまま的の中央へ突き刺さる。と、隣で見学をしている数人の女子が一斉に沸いた。
「最近の伊織先輩、すごく気合入ってるね!」
彼女たちのひそひそと盛り上がる声が聞こえてくる。
「やっぱり総体が近いからかな。伊織先輩なら、きっと余裕で優勝だよね」
「うんうん、絶対みんなで応援行こうね」
加瀬くんはじっと、鋭い瞳で矢の放たれた先を見つめている。ただの練習の風景とは思えないほど緊張感にあふれていて、見ているこっちの息が詰まりそうだった。
「やっぱり、今日はやめておこうか。余ったお菓子は家族に渡すよ」
落ち着いた声で赤川さんが言った。同感だった。こんなにも集中している姿を見せられて、それに水を差すことなんてできるはずがない。
「うん、そうだね……」
数人の部員が弓を構えて並ぶ中で、加瀬くんだけが圧倒的な存在感を放っている。その息遣いやわずかな表情の変化、その一つ一つから目が離せないでいた。すぐ隣では赤川さんが、お菓子の入ったバッグをぎゅっと胸に抱くのが横目に見えた。
放課後の学校は、ほとんどの生徒が部活に励むか帰宅をしていて、グラウンドや体育館以外は閑散としている。そのおかげで、弓道場の前に来るまでの間、赤川さんと二人で歩いている姿は、ほとんど誰にも見られることなく済んでいた。部室を出る時は深く考えていなかったけど、もしも見つかっていたら大スキャンダルだった。
「ねえ、本当に差し入れに行くの?」
弓道場に着く直前で、赤川さんは何度目になるか分からない質問をした。
「いや、やめるなら全然いいと思うけど……僕も勢いで言っちゃった気はしてるし」
「ううん、ここまで来ちゃったんだもん。それに、食べ物を無駄にしちゃいけないし、うん」
加瀬くんに差し入れを持っていく話になってからの赤川さんは、やけに様子がおかしい。差し入れを躊躇しては、お菓子がもったいないからと決意しなおす流れは、弓道場に向かうまでの短い間に、もう何度も目にしていた。
何度目かの決意を固めてまた少し歩くと、弓道場の側面に沿うようにして、数人の女子が張り付いているのが見えた。彼女たちは一様に、弓を引く袴姿の部員の様子に釘付けになっている。弓を構えている部員は数人いたけど、彼女たちの視線はたった一人に集まっている。見ると、ちょうど加瀬くんが弓を放つ瞬間だった。
「差し入れは加瀬くんの練習が終わってからがいいかもね」
「だね。私たちも見学してよっか」
僕たちも先に見学をしていた彼女たちの隣に並んで、弓を構える加瀬くんの姿に目を凝らす。矢を弦にはめて、弓を構え、狙いをすまして矢を放つ。
初めて見る加瀬くんがそこにはいた。
クラスで見せる穏やかで誠実な表情とも、もちろん、旧校舎で見せるおどけたようにはしゃぐ表情とも違う。ピリピリとした緊張感が、数十メートルは離れているはずのこの場所まで伝わってくる。きっと加瀬くんの感覚は極限まで研ぎ澄まされていて、それがまるで刃のような鋭さを感じさせているんだと思った。
加瀬くんの周りだけ、違う世界の空気が漂っているかのようだ。
「すごい集中力だね」
僕はそれに視線を奪われたままつぶやくと、隣で赤川さんが応えた。
「……うん。でも、なんだかちょっと怖い」
加瀬くんが再び矢を放つと、それは的へ向かって一直線に飛んでき、そのまま的の中央へ突き刺さる。と、隣で見学をしている数人の女子が一斉に沸いた。
「最近の伊織先輩、すごく気合入ってるね!」
彼女たちのひそひそと盛り上がる声が聞こえてくる。
「やっぱり総体が近いからかな。伊織先輩なら、きっと余裕で優勝だよね」
「うんうん、絶対みんなで応援行こうね」
加瀬くんはじっと、鋭い瞳で矢の放たれた先を見つめている。ただの練習の風景とは思えないほど緊張感にあふれていて、見ているこっちの息が詰まりそうだった。
「やっぱり、今日はやめておこうか。余ったお菓子は家族に渡すよ」
落ち着いた声で赤川さんが言った。同感だった。こんなにも集中している姿を見せられて、それに水を差すことなんてできるはずがない。
「うん、そうだね……」
数人の部員が弓を構えて並ぶ中で、加瀬くんだけが圧倒的な存在感を放っている。その息遣いやわずかな表情の変化、その一つ一つから目が離せないでいた。すぐ隣では赤川さんが、お菓子の入ったバッグをぎゅっと胸に抱くのが横目に見えた。