5
その日はすぐに家には帰らず、学校の図書室を使って勉強をしていた。
つい集中をし過ぎて、気づけば完全下校時刻までもう少しだ。だんだんと司書の人が店じまいの準備をしているのが見えて、慌てて荷物を片付けて図書室を後にした。
日が伸びたこともあって、こんな時間になってもまだ廊下は明るい。築数年の真新しい校舎の壁は、窓から差し込む夕日に照らされて輝きを放っている。ふと、廊下の奥へと目を向けた。この先には旧校舎へと続く連絡通路の扉がある。その扉のさらに向こうにある古びた内観が頭の中によみがえり、ほんの少しそれが恋しくなった。
その時、廊下の奥の影から一人の姿が現れて、連絡通路の方へ向かっていく。そして、そのままその扉を開けて旧校舎の中へと入っていった。
遠目だったけど、今旧校舎に入っていったのって――
「何をしているんですか?」
「うわあっ!」
突然の背中からの声に驚いて思わず跳ね上がる。慌てて振り向くと晃嗣くんだった。
「ちょっと図書室で勉強してたらこんな時間になっちゃって……それより今、小清水先生が旧校舎の方に入っていったように見えたんだけど、何か知らない?」
「さあ。今は部活も休止中ですし、普通に見回りとかじゃないですか?」
「そ、そうだよね」
当たり前に考えれば、晃嗣くんの言葉はもっともだ。だけど旧校舎の扉を開ける時の小清水先生の後ろ姿に、何か引っかかるものを感じていた。
どこか寂し気だったような……
と、晃嗣くんは廊下に誰もいないことを確認するように左右を見ると、不意にそのメガネの奥の両目を鋭くとがらせた。
「でも、ちょうどよかったです。春樹先輩と会えて」
よかった、という言葉とは裏腹に、その口調は視線同様に棘があった。たじろいでいると晃嗣くんが続ける。
「あなたとは、一度ちゃんと話をしておきたかった」
「僕と……?」
晃嗣くんが僕と話したいことなんて本当は分かっている。青葉について、それ以外にあるわけがなかった。
「単刀直入に言います。青葉先輩に付きまとうのをやめてください。あなたは、先輩にふさわしくない」
ピシャリ、と、有無を言わせないような強い口調だった。さらにメガネの奥の鋭い瞳が僕の顔を射抜き、反論を封殺しようとする。
耐えきれずにつばを飲む。思わずうなずいてしまいそうになるほどの凄みがあったけど、それでも折れるわけにはいかない。
「おまえは青葉にふさわしくない……散々言われてきたし、自覚はあるよ。けど、誰と一緒にいようが僕の自由だ」
「それは同じレベルの人間同士の場合だけに通用する理論です。でも、そうじゃない。あなたは、青葉先輩の足を引っ張っている」
「僕が、青葉の……?」
「あなたに対する青葉先輩の態度は、明らかにおかしい。この間、伊織先輩がペアの組み合わせを発表した時に確信しました。誰かをかばうような、他人を甘やかすようなことは絶対にしない」
「それは……」
図星だった。青葉の僕に対する態度は、他の誰に対するものとも違っていて、それは彼女にとって僕が庇護の対象になっているからだ。そんなことは、ずっと前から分かっていた。
だけど、せめて後少しの間だけでも僕のわがままを許してほしい。
言葉に窮していると、晃嗣くんは呆れたように目を伏せる。
「まあ、今さら少し言ったくらいで聞かないのは分かっています。ところで、次の企画のアイディアは決まりましたか?」
「え? まあ、ネタは決まったから細かいところをこれからって感じだけど……」
「そのネタは莉愛先輩が?」
「ううん、僕が考えた」
「へえ」と晃嗣くんは少し驚いた後、笑みを浮かべて、「もしそれが失敗したら、あなただけでなく莉愛先輩まで恥をかいてしまいますね。あなたみたいな凡人と関わってしまったばっかりに」
言い返せずに言葉に詰まる。それを否定できるだけの自信が、僕にはわずかもなかった。
「まあ、企画なんて先の話です。文化祭ももうすぐですから。皆さんのためにオレたち生徒会も一生懸命準備しているので、ちゃんと楽しんでくださいね」
晃嗣くんは穏やかな微笑みを携えてそう言うと、「それでは失礼します」とこの場を去っていった。
僕はただ、その背中を見送るばかりだった。
その日はすぐに家には帰らず、学校の図書室を使って勉強をしていた。
つい集中をし過ぎて、気づけば完全下校時刻までもう少しだ。だんだんと司書の人が店じまいの準備をしているのが見えて、慌てて荷物を片付けて図書室を後にした。
日が伸びたこともあって、こんな時間になってもまだ廊下は明るい。築数年の真新しい校舎の壁は、窓から差し込む夕日に照らされて輝きを放っている。ふと、廊下の奥へと目を向けた。この先には旧校舎へと続く連絡通路の扉がある。その扉のさらに向こうにある古びた内観が頭の中によみがえり、ほんの少しそれが恋しくなった。
その時、廊下の奥の影から一人の姿が現れて、連絡通路の方へ向かっていく。そして、そのままその扉を開けて旧校舎の中へと入っていった。
遠目だったけど、今旧校舎に入っていったのって――
「何をしているんですか?」
「うわあっ!」
突然の背中からの声に驚いて思わず跳ね上がる。慌てて振り向くと晃嗣くんだった。
「ちょっと図書室で勉強してたらこんな時間になっちゃって……それより今、小清水先生が旧校舎の方に入っていったように見えたんだけど、何か知らない?」
「さあ。今は部活も休止中ですし、普通に見回りとかじゃないですか?」
「そ、そうだよね」
当たり前に考えれば、晃嗣くんの言葉はもっともだ。だけど旧校舎の扉を開ける時の小清水先生の後ろ姿に、何か引っかかるものを感じていた。
どこか寂し気だったような……
と、晃嗣くんは廊下に誰もいないことを確認するように左右を見ると、不意にそのメガネの奥の両目を鋭くとがらせた。
「でも、ちょうどよかったです。春樹先輩と会えて」
よかった、という言葉とは裏腹に、その口調は視線同様に棘があった。たじろいでいると晃嗣くんが続ける。
「あなたとは、一度ちゃんと話をしておきたかった」
「僕と……?」
晃嗣くんが僕と話したいことなんて本当は分かっている。青葉について、それ以外にあるわけがなかった。
「単刀直入に言います。青葉先輩に付きまとうのをやめてください。あなたは、先輩にふさわしくない」
ピシャリ、と、有無を言わせないような強い口調だった。さらにメガネの奥の鋭い瞳が僕の顔を射抜き、反論を封殺しようとする。
耐えきれずにつばを飲む。思わずうなずいてしまいそうになるほどの凄みがあったけど、それでも折れるわけにはいかない。
「おまえは青葉にふさわしくない……散々言われてきたし、自覚はあるよ。けど、誰と一緒にいようが僕の自由だ」
「それは同じレベルの人間同士の場合だけに通用する理論です。でも、そうじゃない。あなたは、青葉先輩の足を引っ張っている」
「僕が、青葉の……?」
「あなたに対する青葉先輩の態度は、明らかにおかしい。この間、伊織先輩がペアの組み合わせを発表した時に確信しました。誰かをかばうような、他人を甘やかすようなことは絶対にしない」
「それは……」
図星だった。青葉の僕に対する態度は、他の誰に対するものとも違っていて、それは彼女にとって僕が庇護の対象になっているからだ。そんなことは、ずっと前から分かっていた。
だけど、せめて後少しの間だけでも僕のわがままを許してほしい。
言葉に窮していると、晃嗣くんは呆れたように目を伏せる。
「まあ、今さら少し言ったくらいで聞かないのは分かっています。ところで、次の企画のアイディアは決まりましたか?」
「え? まあ、ネタは決まったから細かいところをこれからって感じだけど……」
「そのネタは莉愛先輩が?」
「ううん、僕が考えた」
「へえ」と晃嗣くんは少し驚いた後、笑みを浮かべて、「もしそれが失敗したら、あなただけでなく莉愛先輩まで恥をかいてしまいますね。あなたみたいな凡人と関わってしまったばっかりに」
言い返せずに言葉に詰まる。それを否定できるだけの自信が、僕にはわずかもなかった。
「まあ、企画なんて先の話です。文化祭ももうすぐですから。皆さんのためにオレたち生徒会も一生懸命準備しているので、ちゃんと楽しんでくださいね」
晃嗣くんは穏やかな微笑みを携えてそう言うと、「それでは失礼します」とこの場を去っていった。
僕はただ、その背中を見送るばかりだった。