温度も感覚もないわたしの左手を、百花がぎゅっと握り返した。百花の手を引いて、来た道を歩いていく。


たとえこの左腕がフツーじゃなくても、わたしはこの手を離さない。百花の温もりがわからなくても、この手で百花と環くんへの想いを守っていく。

この左手は決して無力なんかじゃないと、伝えてくれたのは他でもない環くんだったね。



わたしは決して独りじゃない。

そばには、わたしを大事に思ってくれている人たちがいる。


だから、前に進むことを、恐れたりしない。


幾度となく迷い、悲しみ、後悔しながら“今”を紡いでいく。幸せな、瞬間を。



「あっ、桜!」



不意に、百花が空を指差した。つられてわたしも顔を上げる。


真っ青な波を泳ぐ、桜の花びら。たった一枚のちっぽけな形なのに、一点の薄紅はあの青の中ではひどく際立つ。

自由気ままにそよがれていたかと思えば、ひらりひらり、百花の足元に舞い落ちた。これは君のものだ、と示唆するように。


はしゃぐ百花を横目に、頬をほころばせる。



春が訪れるたび、思い出す。


初めて環くんと会った、あの日のことを。

今にも泣き出しそうな環くんの表情を。


初めての恋が愛になったときのことを。


思い出して、泣きたくなって。
そしてまた、恋焦がれ、愛を深めるだろう。



「ねぇ、お母さん!」


「なに?」


「あっちの公園、すごく大きい桜の木がある!行ってみようよ!」



好奇心に委ねるがまま腕を引っ張られる。こんな可愛いわがままを、冷たく突っぱねることなんてできない。「しょうがないなあ」と笑みをこぼすのは、もはや不可抗力だ。



あぁ、愛おしい。


永遠に特別な君と
君との間にできた我が子が

愛おしくてたまらない。




<END>