一度つぐまれた唇から再度言の葉が散るまで、数秒の空白があった。その間に、桜の木からも白っぽい花びらがひとひら、くるくる踊りながら舞い散った。



「――俺、病気なんだ」



弱々しい風が、わたしと環くんの間を縫っていく。たった今落ちてきたばかりのひとひらは、あっけなく公園の外側に飛ばされた。


なびく髪を、右手で抑えた。手のひらがこめかみに触れると、じんわりと汗が伝わった。


ビョーキ。

それを理解できたのは、風が完全に止んだあとだった。



「ど……、どんな病気なの?」



なんてことなく淡々と器用に、平然と振る舞えない。そう装うことすら、わたしには難しい。

思いきり当惑していたら、ふ、と笑われた。穏やかな笑みだ。よかった、と声に出して安堵したかった。



「人より成長が遅い病気」



左手のリハビリのために入院生活をしていたから、病に触れる機会が多くあった。わたしが個人的に気になって調べたこともあるし、葉上先生から話を聞いたこともある。


環くんの病気は、入院中、耳にしたことがないものだった。成長が遅い病気。身体が早く成長する病気なら知っているけれど。



「それって、成長障害や小人症とは違うの?」


「ちょっと違うかな。身長も骨格もそうだけど、全体的に老化するスピードが他の人より格段に遅いんだ」



純白の箱庭に住んでいる人は皆、”秘密”を背負って生きている。それを秘するか、明かすか、欺くかは人それぞれ。わたしと環くんは、ずっと秘するつもりでいた側の人間だ。

その”秘密”を暴くのも、また、秘する覚悟を身をもって知っている人間だなんて。なんだかおかしくて、悲しくて……苦しいね。



「この病にはあんまり前例がなくて、明確な治し方も薬もないらしくてさ。ときどき検査して進行具合を窺ってるだけ。成長が遅い分、体や臓器にはすごい負担がかかって、よく体調を壊すんだ」



「そっか」

うん、そっか、そうだったんだ。
環くんがよく保健室にいたのは、授業をサボるためなんかじゃなかったんだね。人知れず闘っていたんだ。


わたし、何にもわかってなかったや。



「俺、今高校生をやってるけど、本当は二十歳なんだよ」



本来なら大学二年生ってこと?

大人っぽく感じるのは、わたしより年上だったからなんだ。妙に腑に落ちた。



「高校生活はこれで二回目。親が政治家で金だけはあったから、先生に事情と金を渡して、前の高校とは離れたこの町の高校でまた一年からやり直した」



まあ、でも。
一旦そう呟くと、鼻で嘲笑した。



「こっちに一人で来たのは、家を追い出されたからなんだけどね」



やけにあっさり言うものだから、唖然として固まってしまった。



「バケモノみたいな俺を気味悪がって、金ならやるから出てけってさ」


「そ、んな……ひどい」


「はは、だろ?金出せばなんとかなると思ってる。最低な大人なんだ」



低く、低く、地を這う嘲笑は、ゆっくりと空虚に薄れていく。


笑いごとじゃない。そう怒鳴ってやりたかった。だけど、それをする相手が違う。環くんじゃないよ。わたしが怒ってやりたいのは、感情のない、愛を持たない大人たちだ。


家族なんだからと、愛したり愛されたりを強制しはしない。綺麗ごとを言っても無駄なことは、今の環くんを見れば一目瞭然だ。わたしが言いたいのはそんなことじゃなくて。

一生ものの傷痕を残さないで、と。
戒めてやりたいんだ。



「そういうこともあって、成長が遅いのは病気のせいだとはっきり発覚した八年前から親戚の家を転々として、今はこの町で一人暮らししてる」



――孤独を忘れようと、

その、意味、は。


きっと。


更けていく夜も、訪れる朝も。
生きていく辛さも、闇に潜む淋しさも。

環くんは今までずっと、独りで耐え続けてきたんだ。はるかに限界を超えて、それでも平気な振りをして。



「どうして大学には行かなかったの?」


「大学生には、どうしてもなれなかった。こんな、成長しない俺が、大人になっていくみんなに紛れちゃダメだって思ったんだ」