ページをめくっていくと、お母さんとお父さんが産まれたばかりのわたしを抱いてる写真が貼られてあった。カメラ目線ではないが、二人のわたしを見る目が愛しさを物語っている。


その写真の角はどれもよれていて、若干シワが目立つ。まるで、手で握り締めたみたいだ。

先日わたしも保健だよりをそうやってくしゃくしゃにしかけて――あ、もしかして、お母さんとお父さんはこの写真をしばらくの間、持ち歩いていたのだろうか。


もし、本当にそうだとしたら。


こんなところにも愛が隠れていたなんて知らなかった。もう両親の愛が増えることはないと思っていたのに。



あれ?写真の下に何か、薄黒い汚れがある。いや、汚れじゃない。これは小さな文字だ。


『莉子、生まれてきてくれてありがとう』


同じ文章がふたつある。だけど、字は違う。


この字には見覚えがある。今でも憶えている。
お母さんとお父さんの字だ。



「お母さん、お父さん……っ」



涙ぐむわたしの背中を、おばあちゃんが優しくさすってくれた。

こんなの不意打ちだ。泣くに決まってる。



ねぇ、お母さん、お父さん。


わたし、生まれてきてよかった。

わたしの親になってくれてありがとう。


そう、二人が生きていたときに、たくさん伝えればよかった。


もしも天国で見守ってくれているなら、わたしの気持ちを受け取ってね。あふれんばかりの感謝を。伝えきれなかった愛を。



気づけばついに、このアルバムの最後のページとなっていた。


そこには他の写真より一回り大きなサイズのものが飾られていた。八年前、近くの小さな公園にある大きな桜の木を背景に、家族みんなで撮ったんだ。

“あのときの少年”に会った、その前日に撮影した家族写真。


まだ九歳だった幼いわたしと、お母さんとお父さんと、おばあちゃんとおじいちゃん。


みんな、笑ってる。
桜色に彩られながら。


写真を指先でなぞる。


懐かしい。

もう戻らない、かけがえのない思い出。



「あ、れ?」



その写真に写る、一人の通行人に目が留まった。たまたま公園の目の前の道を歩いてるときに写り込んでしまったのだろう。


おばあちゃんに一言ことわって、アルバムから八年前の写真を抜き取る。その通行人をじっくり凝視した。



……間違いない。

桜の木の奥を紛れるように、けれど確かに写っている。


“あのときの少年”が。