☆

「うわ~、すっごい! プールもあるんだぁ」
「そうなんだよ。ここはねテニス場以外にも、大きなプールがあるんだよ」
 あれから仲良く歩いて、無事到着。個人経営だけどなかなかの規模がある、所謂レジャー施設にやってきた。
「それじゃ、まずは受付をしよう。こっちだよ」
 俺は正面にある建物のドアを開け、揃って中へ入る。
「すいませーん」
 なぜか内部に誰もいないので、呼ぶ。
 ………………。
 けど、誰も来ない。シーンというやつだ。
「??? 今日は、お休みなのかな?」
「そんなはずは、ないんだよなぁ。すいませーん!」
 大き目の声で挑戦すると――お。奥からやっと、女性が出てきた。
「はいは~い。こんな時間に何――おおっ! しゅ~ちゃん!」
 俺の姿を確認するや、女性の眠たそうな顔に活力がみなぎる。
「しゅ~ちゃん! しゅ~ちゃんよねっ?」
「はい、どもですおばちゃん。お久しぶりです」
 とりあえず、俺も挨拶をする。
「はえ? しゅ~ちゃんの、おばちゃんさん?」
「ああいや、違うんだよ。この人は他人で、ちょっとした知り合いなんだよ」
「そうなんだぁ。でもでもどして、おばちゃん? 愛梨、おばちゃんには見えないよ?」
 それはもっともだ。
 俺が『おばちゃん』と呼んでいる目の前の人は、24歳。腰まで伸びた茶色の髪が印象的な、お姉さんなのだから。
「あのね。この人は『おばちゃん』って響きが気に入ってて、そう呼べって言われてるんだよ」
 本人から聞いた話だと18の時、歳が離れた兄の子供――甥っ子に「おばちゃん」って言われて、ソレが気に入っちゃったらしい。普通ならば十代の女子がおばちゃん呼ばわりされたら怒るはずなんだけど、この人は楽しければどうでもいいタイプだからいいのだろう。
「ふぇ~、そーなんだ。すごく綺麗なおばちゃんさん、お名前はなんですか?」
「おっ、あたし綺麗って言われちゃったよ。にこっ」
 にこっ、じゃないよ。ピースはやめてください。
「おにーちゃん。お名前は?」
「え~と。名前は…………あれ? なんだっけ?」
 そういえば初対面の時からこう呼んでって言われて、まだ本名を聞いてない。苗字は知ってるんだけどな。
「あたしのことは、おばちゃんって呼んでくれていいよ。あたしはそっちが気に入ってるからさ」
 おばちゃんは、ニッカリと笑う。
「うん、わかりましたー! おばちゃんさん、よろしくですっ」
「ははっ、可愛い子じゃないか。え~と……」
「愛梨っ。橘愛梨ですーっ」
「愛梨ちゃんね。いい名前じゃないの。……ところで、おにーちゃん? 彼女とはどういったご関係なのだね?」
 うぐっ。な、なんと答えればいいのやら……。
 ええいにやけるな!
「まあ、色々あってね。友達になったんだ」
「ふ~ん。で、今日は何しに来たの? プール?」
 アホか! 今は五月だぞ!
「しないって。寒いし」
「え~。今なら、ミジンコとかアオミドロと泳げる特典つきなんだけどなぁ」
「それは単に掃除してないだけでしょ。……今日は、その……。テニスをしに来た」
「おほぅっ、テニスぅ! なになに? しゅ~ちゃんまたテニス始めたの!?」
 ああっ、おばちゃん余計なこと言わないでっ。このことは内緒に
「おにーちゃん。テニスしたことあるの?」
 あぁ、遅かった。
 愛梨が興味津々で、俺を見上げてくる。
「おにーちゃん。テニスしたこと、あるの?」
「う、うん、たしなむ程度にね。最後にしたのは一年以上前だけどさ」
「もう、な~に謙遜してんのさ。あの頃はガンガンやってて、スクールの先生より強かったくせに~」
「おにーちゃん、すごいんだぁ。愛梨、教えてもらいたいな~」
「しゅ~ちゃん、教えてあげなー。そうかそうか。優しいね、さすが紳士。高校生になったら余裕がでてくるね~」
 いやいや。俺、まだ一言も喋ってないんだけど。
「ま、まあ、その話は置いといて、とりあえずラケットとボールのレンタルを」
「はいよっ。けど……それのレンタルはないよ? 持ってきてる?」
 それ? おばちゃんの指の先には、シューズ。あっ、しまった!! 久しぶりだから、テニスシューズの存在を忘れてた!
「あ~あ~。持ってないんだね?」
「……はい」
「なら、仕方ない。ハードコートなら使っていいよ」
「へ!? いいんですか? 普通の靴だけど?」
 俺と愛梨はスニーカーだけど、いいの?
「まあ一年ぶりの、しゅ~ちゃんの頼みだからね。それに近々ハードコートを大幅に改造するから、気にしない気にしない」
 改造ってなんだろう。整備のことかな?
「あーもう、俺はなにやってんだか。本当にすいません」
「ふっ、問題なしさ。じゃあラケットを持ってくるから、チョイ待ちね~」
 彼女は颯爽と奥へ消え、約一分後、大量のラケットを持って帰ってきた。
「す、すごいラケットの数。なぜそんなにある?」
 レンタルっていっても、これは多い。二十本以上あるのは驚きだ。
「実はしゅ~ちゃんが来なくなった後、テニスブームってのが来たらしくてさ。お客が増えまくって増やしてて、売り上げはウハウハなのよ~」
 最近は日本人選手も、ランキングの上位に入ってるもんなぁ。ここもその恩恵を受けていたのか。
「あははー。そりゃ良かった良かった」
「気持ちが入ってないわっ!! ってな感じで突っ込んで、さて愛梨ちゃん。ラケット選びなんだけど、テニス初めてかな?」
「うん、はじめてですー。おにーちゃん、どれがいいかなぁ?」
「愛梨にはそこの、ソレ。フェイスが大きいやつがいいんじゃないかな」
 端っこに置いてある、ピンク色のラケットを手に取ってみる。
 …………うん。広さも重さも丁度だ。
「そなんだっ。愛梨、おにーちゃんが選んでくれたのにするー」
「これが、はぴったりだと思うよ。はいどうぞ」
「おやおや~、ラブラブですにゃ~。そんなしゅ~ちゃんは、これでいいよね」
 おばちゃんが持ってきたのは、俺が愛用していたラケットと同じモデル。しかも色まで一緒だ。
「いや、今日は違うやつで……。え~と、これにしよう」
 俺は、赤のラケットを選んだ。理由は、まあ色々。
「そうかそうか。では、ボールはコート脇の物置にあるやつを使いたまえ。今日は何時間やってく? 十時間かこの野郎っ」
「十時間って、夜になるでしょ。そうだなぁ、二時間で」
 愛梨は初めてだから、これくらいが丁度だろう。
「おけー。じゃあ、愛梨ちゃんはこっちにおいで~。更衣室に案内するよん」
「おばちゃんさん、お願いしますーっ。」
「はいよっ。しゅ~ちゃんは、先にコートに行ってなよぅ。それとも、ウォーミングアップに泳ぐ?」
「だから泳ぎませんって! 愛梨、先に行ってるね」
 俺は二人分のラケットを持って、プールの隣にあるハードコートへ向かう。
 そこに着くと物置をガラリと開けて、おっ。中にはスーパーマーケットで使うカゴとカートを再利用したボール入れと大量のボールがあったので、今回はそれを使わせていただこう。
「よっし準備完了。……この景色、久しぶりだな」
 コートを眺めていると、自然とそんな言葉が漏れる。
 そして、愛梨が来るまで暇だからという理由でボールを手に取り、地面に落としてバウンドさせてみる。
 そうしてそれを数回繰り返していると、今度は打ちたくなってきた。
「……うん。少し、サーブをやってみるか」
 俺はラケットを右手に持ち、ベースラインの後ろに立つ。
 そこでボールを3回バウンドさせてから高く上げ、それと同時にラケット振り上げ、膝を曲げ、力を溜める。そしてボールが打ちごろの高さに落ちてくるタイミングにあわせ、力を開放。跳び上がりながら背面に回していた右腕をしならせ、全身を使って――ボールを叩く!
「はっ!」
 順回転の掛かったボールは、センターに一直線に飛び、反対のコートに突き刺さった。
 今のは僅かにフォルトだったが、スピードはまずまず。自分でも驚くほどに、フォームを覚えていた。
「ボールを捉えた時の、あの、何ともいえない――ガットに吸い付くような感覚。久しぶりに、思い出した」
 けど。それと同時に余計なことまで蘇る。余計なこと、それは小学生の記憶。
 テニスを始めたのは、小5の6月頃。つまり、イジメが始まった時期と近い。だから、どうしても思い出してしまう。
 テニスとはまったく関係ないのに、思い出してしまう。
「……俺がテニスから離れたのも、これが原因の一つ、なんだよなぁ」
 引越しが決まった、高校入学前。俺は嫌な思い出を切り離したい、置いていきたい、という理由で止めた。
 無論そんなことで切り離せはしないし、置いていくこともできない分かってる。それにテニスには、良い思い出もいっぱいある。おばちゃんと出会えたし、ここで知り合った友達もいる。
「けど……」
 人間ってのはやっかいな生き物で、楽しいことより嫌なことを記憶する。思い出してしまう。
 こうなる可能性があったから、逡巡していた。
 だから、俺は――って何を言ってるんだ。
「ぃつっ!」
 余計なモヤモヤを追い出すべく、ラケットで頭を叩く。
 今日は、愛梨のために来てるんだ。俺がこんなこと考えてたら、楽しめないだろ。今日は、今日は大丈夫。ラケットも違うし、愛梨もいる。今日は俺も、純粋な気持ちでテニスをしよう。
「………………さってと。チェックでもしとくか」
 そう自分に言い聞かせてから打ったボールを回収し、コート&ネットのチェック。丁度ネットの高さの確認を終えた頃、背後から「おにーちゃん」と声がした。
「待たせしましたー。遅くなってごめんなさい」
「ううん、全然待ってないよ。こっちも色々準備をしてて、終わったところだよ」
 学校指定の体操服――紺色のズボンと半袖スタイルの愛梨に顔を向け、ゆっくりと首を左右に振る。
 そういえば体操服姿を見るのは初めてで、こちらもすごく新鮮だ。
「だったら、よかったぁ。おにーちゃん、まずは何をすればいいかなぁ?」
「まずは、準備運動だね。さあ始めよう」
 二人で屈伸、柔軟など一通りこなして身体を温め、準備運動は終了。いよいよ、テニスを行う。
「おにーちゃん。どんなことをやるの?」
 待ちきれない様子で、覗き込んでくる。
 そうだなぁ。愛梨は今日が初めてだから、時間も考えると、打ち方とか基本的なことを教えて終わりかな。
 最後に、軽くでもラリーができたら上出来だ。
「じゃあはじめに、ボールを打ってみようか。まずは素振りしてみて」
 本当は握り方から教えたほうが良いんだけど、今回は楽しむことが前提だからね。そこは飛ばしておく。
「はいっ。えっと、こうっ、かなっ!」
 おお、様になってる。握りは、イースタンに近い。テレビで見てただけあって、自然と身についたのかもだ。
「では、次はバックハンド――。今と反対に振ってみて」
 テニス用語が分からないかもしれないので、身振り手振りで説明する。
「うん。えいっ、えいっ」
 バックは両手打ち。
 握りも問題ないし、スイングも結構滑らかだ。これは、意外にいけるのではないか?
「とっても上手で予想以上だから、ボールを打ってみよう。まずは俺を見ててね」
 打つ構えをして、自分でボールを落とす。そして、バウンドしたところを打つ。俺は最初、これでひたすら練習した。
「うわぁ~。きれーに飛んだー」
「分かったかな? 愛梨もやってみて」
「はいっ。やってみまーすっ」
 ボールを受け取った愛梨は、ベースラインに立ち、構え、ボールを落とし、打った。
「ありゃ」
 スイートスポット――ラケットの真ん中では打てなかったけど、ボールはコート内に飛んでいった。
 うん。いい感じだ。
「愛梨、もう一回。今度は、インパクト――ボールを打つ瞬間まで目を離さないようにね。それ以外は良いからさ」
「んっ。わかったーっ」
 しっかり頷いてから行われた二回目は、パアンという良い音でボールが飛んだ。
 う~む、愛梨は筋が良いのかもしれない。左手も上手に使えているし、やはり小さい時からプロの動きを見ていると違うのだろうか。
「ナイスっ。すごくいいよっ」
「えへへ。えへへぇ」
 自分でも驚いているみたいで、照れ笑いを浮かべてる。
「本当に上手で、折角だ。ついでにトップスピンとスライスというのも、やってみる?」
「とっぷ? うん、やってみる!」
 良い返事。では、まずはトップスピンから。
 まず俺が、手本をみせる。
「ふぅー。はっ!」
「わわっ、高く跳ね上がった~。おにーちゃん、テレビの人達みたい!」
 いや、その人達の足元にも及びません。あっちはプロで、こっちは高校生だしね。
「これが、トップスピン。これは、さっき愛梨が打った――フラットって言うんだけど、それより順回転、こっちむけの回転を多めにかけて、入りやすくする。落ちた後は、高く跳ねるから、簡単に言うと攻撃用だね」
「ふぇー、そうなんだ~。愛梨も、やってみるね」
「うん。コツとしては、さっきより、斜め上にスイングする感じで」
「斜め上、斜め上……。えいっ」
 さすがに、こっちは難しい。コート内に飛んだものの、あまり回転は掛かっていなかった。
「あのね、もう少し膝を使って…………伸び上がるイメージで。あと、身体全部を使って打つといいよ。今愛梨は手だけで打ってるから、身体の回転を意識したらきっと上手くいくよ」
「お膝と回転だね。えっと、お膝お膝、回転回転……やあっ!」
 なんと!? 僅かだが、トップスピンになっていた。
 この子はやはり、センスがある。
「次は、スライスいってみようか」
 もっとトップスピンを練習してもいいけどそれは後にして、良い流れのままスライスに移る。
「スライスは今までの二つとは違って、逆回転、こっちの回転を加えるんだ。これの特徴は、速度が遅く時間が稼げること。体勢を崩されたり、戻れない時はこれで凌ぐんだ。さらにスライスは落ちた後、滑る。だから、こっちは防御メインだね」
 手でボールを回転させながら、説明をする。
 出来るだけ難しい表現は使いたくないんだけど、こうとしか表せないんだよねぇ。
「ふや~、こっちは難しそう。さっきまでと違って、こう、下向きになるから」
「注意するのは、面、ラケットを上向きにしすぎないことと、振り下ろしすぎないこと。こっちの回転だからそうしたくなる気持ちがでてくるんだけど、そうしちゃったらボールがネットに引っかかったり、叩きつけたりしちゃうからね。それを気をつけて、一度やってみて」
「うん。上向きにしない、上向きにしない……。振り下ろさない、振り下ろさないで……。あうぅ」
 意識しすぎたせいか、ネットに掛かってしまった。
 でも、いい感じだ。
「もうちょっと、押し出す感じで。良い線いってるからね」
「押し出す、押し出す。せーの……」
 今度はコートに入ったけど、ロブ気味になった。しかし回転は掛かっていて、もう一歩だ。
「おにーちゃん。どこを直せばいいのかな?」
「そうだね……もう少し、さっきみたいに全身を使ってみよう。でも今回はトップスピンほど身体の回転は必要ないから、特に膝を柔らかく…………えっと、こういう感じで」
 俺が実践して、見て覚えてもらう。
「これを守っていれば、できるよ。やってみて」
「うんっ。えーと、全体、柔らかく、柔らかく、柔らかく……はあっ」
 回転量は少ないけど真っ直ぐゆっくり飛んでいき、ベースラインの向こうに落ちた。
「アウトになったけど、今のいいよ!」
「やったぁ! おにーちゃんに教えてもらったとおりにやれば、できたよ! おにーちゃん、他にも教えて!」
「OK。もう一回おさらいした後は、色々教えるね」

                   ☆

「これで、基本的なことは全部終了だよ」
 その後、バックハンド全種、ボレー、スマッシュ、フラットサーブを教え、不完全ではあるけど、習得した。
 ……うん。わかってます。
 愛梨が熱心だから、つい詰め込みすぎてしまいました。
「愛梨と一緒だったら、我を忘れてやっちゃったよ。ラリー――一緒に打ち合う時間が無くなっちゃって、ごめんね」
「愛梨もおにーちゃんと一緒で、すっごく楽しかったーっ。いっぱい教えてもらえたから、面白かったよー」
 そう、ですか。
 それならよかったよ。
「ではクールダウンを行って、用具を戻そう。お疲れ様でした」
「お疲れさま、でしたー!」
 俺達は笑い合って、軽くストレッチ。身体を落ち着かせたあと倉庫にボールなどを返して、おばちゃんが待つ受け付けに戻った。
「お、お帰り~。愛梨ちゃんは、どうしたのん?」
「汗を沢山かいてたんで、着替えてもらってます。道具、ありがとうございました」
 俺は改めて礼を言いながら、ラケットをカウンターに置く。
 準備不足だったのにコートを貸してくれて、感謝っス。
「いいってことよ~。しっかしキミは、ダメな子だね!」
「へ?」
 は?
 いきなり怒られたぞ。
「俺……。何か、しましたかね?」
「したともさ! 何で二時間ぴったりに戻ってくるんだね、キミは?」
「は? だって、二時間の約束だから……」
「はぁ~、しゅ~ちゃんは真面目だねぇ。普通2時間の約束だったら、3時間くらいしてくるもんだよ? 1時間の遅刻は認めてあげるのに」
 おいおい。経営者がそんなこと言っていいのかよ。
「もう。そんなこと言ってたら、潰れちゃいますよ?」
「いいのいいの。これはしゅ~ちゃん限定のサービスだ・か・らっ。きゃはっ」
 きゃはって……。勝手に照れられても困ります……。
「と、とりあえず会計お願いします。いくらでしたっけ?」
「え~と~。二時間+ラケット二本+ボール+あたしのはーとで……」
「チョイ待ち! 最後の関係ないでしょ!?」
 あたしのはーと、って何さ。怖い怖い。
「も~。軽い冗談なのにぃ」
「分かりましたから。いくら、でしたっけ?」
「全部合わせて、千円ね」
 ほぅ、千円ね。え、千円!?
「それ、間違ってますよ? 二時間だけでも千円越えてるのに」
「いいのいいの」
「いや……。しかし……」
「今日はね。楽しそうにテニスするしゅ~ちゃんが見れたから、それでいいんだよ」
 からかうような笑顔が、ふっと変化。とても優しく温かい笑顔になった
「……………おばちゃん。見てたんスか?」
「うん。ちょっとだけ、だけどね~」
「そうっスか……。…………俺、そんなに楽しそうでした?」
「うん? 楽しくなかったの?」
「いや……。楽しかった」
 途中から、嫌なことなんて完全に忘れてたくらい。
 楽しかった。
「あたしも嬉しかったから、見学料ってことでさ。それに、これからも来てくれるんでしょ?」
「あー……。それは……」
 愛梨と一緒にいるのは、役目を終えるまでだからな。早ければ来週には――
「痛っ!?」
 不意にデコピンされた。
「なっ。何を……?」
「こういう時は嘘でもいいから、はいっ、って返事するんだよ。まあ嘘だと残念なんだけど。さ、細かいことはもういいから、千円だしなさい!」
 ……。この人には敵わないな。
「すみません」
「いいのいいの。はい、丁度頂きました~」
 ホント。本当に、感謝です。
「……あ、そうだ、スポーツドリンク貰えます?」
 レジの下に、『一本 100円』の張り紙を発見した。
 このお礼と、愛梨のため。二つの意味で買わせてもらおう。
「おっ、売り上げに貢献してくれるのかね。偉い偉い」
「今日はお客さんもいないみたいだし。微力ながら支えさせてもらいますよ」
「いや~、そうかいそうかい。それはとっても有り難いけど、ここを見てみ」
 ここ?
 あ、レジに張り紙がある。なんだろ?

『今週の土、日はお休み致します』

 あれ? これって……。
「そ、人がいなくて当たり前。改造するから、今日明日はお休み。今日はしゅ~ちゃんのために特別営業よぅ」
「ぜっ、全然気付かなかった。すいません!」
 先に呼んでしまったから、見てなかった。
 だからカウンターにいなくて、最初眠そうにしてたんだ。
「ごめんなさい! とにかくごめんなさいっ!」
「いいのよ~、どうせ暇だったし。で、スポーツドリンクだっけ?」
「は、はい。二本いただきます」
「はいよ。毎度あり~」
 平謝りをしつつお金を渡し、ペットボトルを受け取っていると、愛梨が来た。
「遅くなりました~。あの、おばちゃんさん、タオルありがとうございましたっ」
「はいはい。愛梨ちゃん、楽しかった?」
「うんっ。おにーちゃんにね、テニスを教えてもらったの。おにーちゃんはすっごく上手で、また一緒に来たいなぁ」
「そっかそっか。だってさ、おにーちゃん?」
「や、止めてくださいよ」
 照れるでしょうが!
「あの……お金、まだだよね? これ少ないけど、愛梨のお小遣い」
 体操服袋から、可愛らしいピンクの財布を取り出していた。
 途中から、お金のことを言わなくなったと思ってたら……。こういうことだったのか。
「あのね。それなら――」
「愛梨ちゃん。お金なら、おにーちゃんが払ってくれたよ」
「ええっ!」
「あのね愛梨ちゃん。おにーちゃんが出したいって言ってる時は、素直に聞いてあげてね。なんならさっ、もっともっとみつがしなっ。あはははは」
 ぉぉ。折角の良い台詞が、最後で台無しにしちゃったよこの人。
「ま、そういうことだから。愛梨そろそろ帰ろ?」
「……うん」
 愛梨は俯きがちに、控えめに微笑んでくれた。
「おばちゃん。ありがとうございました」
「どーもありがとうございましたー」
「はいよっ。また来なさいよ~」
 俺達は並んで挨拶してから、建物から出る。
 そうして涼しい風を浴びながら少し歩き、冷えたスポーツドリンクを渡そうとしていた時だった。愛梨がクイクイっと服を引っ張ってきた。
「はい? なにかな?」
「おにーちゃん、今日はすっごく楽しかったよ。また今度遊んでくださいっ」
 俺を覗き込むその顔は、眩しく輝くくらいの笑顔。
 だから俺も、おもわず頷いてしまったのだが――。

 なぜ、なのだろう。

 どういうワケか一瞬だけ、頷いている最中に、原因不明の不安が過ったのだった。