「……はぁ、はぁ。ここ、だな」
 全力で走り続け、指定された空き地へ着いた。
 周りには人が一人もいない、誰にも助けを求められない場所。そんな場所に足を踏みいれると、そこの中央に――
「意外と早かったじゃねぇか」
 金髪の高校生が、仁王立ちしていた。
 しかも更に髪を赤と緑に染めたヤツ、モヒカン、スキンヘッド、ロン毛。うちの生徒じゃない男達が、合計五人もいた。
「おにーちゃん!」
「鈴橋さん!」
「愛梨っ。綾音っ」
 二人はモヒカンとスキンヘッドに腕を掴まれていたが、よかった。どこにも怪我はなく、無事のようだ。
「おいおい、ガキといちゃついてんじゃねーよ。俺とお喋りをしてくれや」
「わかってるよ、金髪野郎。何が目的だ」
 ここで、怖気づいてはいけない。焦りを見せても、いけない。
 俺は金髪を、正面から睨み返してやった。
「おー怖い怖い。目的? ま~、まだ決まってないんだが……そうだな、このガキをちょっと痛い目にあわせるくらいかね」
 薄笑いを浮かべながら、愛梨を見た。
「そうする、理由はなんだ? どうしてここまでの真似をする」
 こいつは「決まってない」と言った。だが、そのワリには手が込んだことをしている。
 なぜ、なんだ……?
「理由ね。そりゃあ、俺の可愛い弟に手を出したからだ」
「弟? ……まさかお前は、京助の兄か?」
「大正解。京助は俺の弟だ。詳しく知らねぇけどよぉ、このガキどもとお前が、ちょっかいを出したんだろ? だからそのお返しだよ」
 ……なんだと?
 手を出した? 俺達が?
「ちょっと待てよ! 確かに軽く叩きはしたが、お前の弟が愛梨にちょっかいを出してきたんだぞ。スカート捲ったりとかな!」
「……やっぱりな。どうりで様子が変だと思ったぜ。あいつ、調子に乗ること所があるからな」
 ヤツは、肩をすくめて見せた。
 ほぅ。コイツは、意外と話せばわかるヤツなのかも知れない。
「これで、分かっただろ? 愛梨にも綾音にも、非は少しもない――」
「けど、関係ないな」
 は?
「お前……。何を、言って……?」
「俺はとりあえず母さんから、関係してるやつに仕返しして来い、って言われただけだからな。理由はどうであれ、実行するさ」
「ふっ、ふざけてんのか! 説明しただろ! なんだ? そこまで弟が大切なのかよ!」
「はっ、ちげーよ。俺は小遣い貰ったからやってるだけ。誰がどーした、なんてことは関係ないね」
「…………てめぇ。金のために、悪くもないやつに手を出すのか」
「ま、そーゆーこったな。悪く思うなよ。今月は色々と金が要るんだよ」
 なんてやつらだ。小遣いが貰えるからって小学生にこんなことして……。こんなの、犯罪じゃないか。殺し屋と一緒じゃないか。
「お前……っっ」
「まーまー、そう怖い顔するなっての。ちょこっと楽しませてもらうだけだって」
 そう言うとヤツは、愛梨へゆっくりと近づいていく。
「待てっ! 近づくんじゃない!」
「はいはいお静かに。大したことしねーよ。ただ、こうするだけだっ!」
「きゃあ!?」
 金髪野郎は、愛梨の持っていたバッグを強引に奪い取った。
「やめろっ! 何をする気だ!」
「な~に、教科書の一、二冊を破って捨てるか、そこの川へこれをダイブさせる」
 わざわざ俺に見せ付けるように、バッグを投げる動作をする。
「ふざけるな! もし、だ……。もしそんなことしたら、絶対許さねぇぞ……!」
 自然と、語気が強まっていた。
 目付きも、鋭くなっていた。
「はあ? 別にお前に許してもらわなくてもいいっての。なぁ?」
 隣にいたロン毛に同意を求め、バカ面で、バカ笑いしやがった。
「それ、返せよ。嫌がってんだろ」
「何で、てめぇが命令すんだよ。俺を誰だと――」
「うるせえ! 返せって言ってんだろ!!」
 下品な笑い顔を見ていたら、無意識に叫んでいた。自分でも驚くくらい、声が大きかった。
 だから、愛梨達はもちろん金髪達の動きが止まる。

 ……………。

 僅かな沈黙。
 場に訪れたそんな雰囲気を裂いたのは、金髪野郎だった。
「お前さあ。ガキ一人のために、何必死になってんの?」
 そしてヤツは、最も痛い点を突いてきた。
「……別に。理由なんてねーよ」
「いやいやぁ、滅茶苦茶変なんだよなぁ。京助の話だと、このガキと会ったのは月曜が初めてなんだろ? どうしてそこまで関わろうとするんだ。普通だったら尻尾巻いて逃げんぞ?」
「……今、言ったばかりだろ。理由なんて、ない」
 そう言っている時、自分でも少し動揺していたことが分かった。
 そしてその僅かな変化を、アイツは見逃さなかったらしい。だからヤツは、悪魔のような笑みを浮かべた。
「お前、何か隠してんな? 理由言えよ。全部隠さずにな」
「しつこいぞ! 理由なんかない!」
「い~や、あるね。いいから言えよ。俺、だらだらするのは嫌いなんだよ」
「何度も言わせるな。何もないと――」
「言わないと。今すぐコレを、捨てるぜ?」
 コレとは、もちろんバッグのことだ。
「待てっ! それは関係ないだろ!」
「おーおー、必死になっちゃって。一層聞きたくなったってもんだ。俺達が聞いてやるから安心して喋りな」
 俺が困惑してるのを知っていて、おちょくるような口調で話を進める。
「……は。誰がお前なんかに話すかよ」
「ほーん。なら、いいのか? コレは使い物にならなくなるぜ? 何なら中身を広げてみるか?」
「………………」
 理由を言えば、少なくとも今はバッグは無事だ。でも……俺には……無理なんだ。
 ただ、ただ……話せばいいだけ。けど……それを言ってしまうと、また……あの時のことが……。
「もう止めて!」
「あい、り?」
 現実逃避しかけていた俺の意識を、愛梨の声が戻してくれた。
「おにーちゃん、凄く辛そうな顔してる。もう、止めてあげてよぉ!」
 俺は。そんな顔を……。
「うるせぇな。じゃあ、これ捨てるけどいいんだな? いいんだよなぁ?」
「……いい」
「は!? なに言ってんだ! マジにいいのかよっ?」
 予想外の返事が返ってきたらしく、ヤツは少し驚いているようだった。
「愛梨、おにーちゃんに助けてもらったから。いいの」
「愛梨……」
 怯えたままで、身体は震えているのに……。自分のことじゃなくて、俺の心配をしてくれている……。

(俺は……俺は……。一体何をやってるんだ……っ)

 たまらず、心の中で叫ぶ。
(守るって約束したのに、こんなこと言わせて……。いいのか、鈴橋修?)
 いや。いいわけ、ないよな。
 この子を。愛梨を守るためなら、いくらでも言ってやるさ!
「なあ……。俺が理由を言えば、そのバッグを返してくれないか?」
「おにーちゃん!?」
「ありがとな、愛梨。で、どうなんだ?」
「まあいいぜ。こっちの方が面白そうだからな。なんなら今すぐ返してやるよ。ほらよ」
 乱暴にバッグが地面に投げられた。
「よし。……じゃあ、話してやるよ」
 一度、深呼吸をして。無理やり心を落ち着かせて、続ける。
「理由、それは……。俺は小学五年生の時、イジメられてたから。今日の同じようなことをされたことがあるからだ」
 はぁ。決意はしたものの、やっぱり心臓がドキドキする。
 体温が上がって、呼吸も速くなる。油断すると、過呼吸になりそうだ。
「ははぁ~、なるほどな。自分と同じ境遇のガキを見て、居ても立っても居られなくなったってわけだ」
「違う。自分と同じだから助けたんじゃない」
「じゃあなんだってんだ? 今更、小学生が好きでした、なんて言うなよな。元イジメられっ子さん?」
 小学生好き、ねえ。ホント、どこまでもゲスなやつだ。
「俺は、な。この子が、自分と同じようにならないために助けただけだ」
 あの時――初めて会った時の、愛梨の顔。
 辛い。助けて欲しい。けど、手を伸ばすことができない。
 そんな思いばかりで、俺に似ていたような気がした。イジメが始まったばかりの頃の俺に、似ていた。
 だから気になって、だから『最悪』になる前に力になりたい、そう思ったんだ。
「ほら、言ってやったぞ。それが理由だ」
 たったこれだけの言葉を言っただけで、背中が汗でビッショリになっている。
 やはり心に負った傷ってのは、そう簡単に消えてはくれないな。
「なんか興ざめするような理由だったが、それはさて置きだ。お前は偉そうなこと言っておいて、結局何もできないよな」
「……そうだな」
 バッグが戻ってきただけで、この状況がどうにかなったわけではない。
 それに、コイツだってここで終わるとは思えない。だから、何とかしないと。
「しかーし。ここで優しい俺がチャンスを差し上げよう」
「チャンス、だと? なんだ……?」
「もともとお前をどうこうするつもりはなかったんだがよ、今の話を聞いたら面白いことが浮かんだ。お前がそれを受けたら、ガキどもを解放してやろう。どうだ? いい条件だろよ?」
 愛梨達が助かる、それは好条件。けれど、コイツが考えることは……最低のことに決まってる。
「金髪。面白いことってなんだ?」
「な~に、簡単だよ。お前が一人で、俺達とケンカをするってだけ」
 ほら。最低だった。
「それだけでは意味不明だ。なぜ、突然そうなる?」
「元イジメられっ子って分かったらよぉ、またイジメてやろうかってな。安心しろ、気絶しない程度に痛めつけるだけだからよ」
 なるほど。加える側らしい考えだ。
 まったく、何でこんなことしか考え付かないんだろうな。おかげで、またトラウマが増えることになりそうだ。
「わかった。だが、二人を先に解放しろ」
 それを聞いて、金髪+四人がニヤリとした。
「いいだろ。おい、ガキを放してやれ」
「あいよ。りょーかい」
 金髪の指示で二人の腕が自由になり、揃って俺のもとへと駆け寄ってくる。
「おにーちゃん!」
「鈴橋さん……」
「二人とも、遅くなってごめんな。……愛梨、ちょっと動かないで」
 愛梨の服についた土を払ってやる。この汚れは、もしかして……。
「愛梨ちゃん、私を助けてくれようとして、突き飛ばされて……」
 綾音が、消えそうな声で呟いた。
「後ろ側は、見えてなかった。大丈夫か?」
「背中が少し痛いけど、平気(へーき)。愛梨は大丈夫だよ」
「すみません。愛梨ちゃんがこれ以上、怪我をしたらと思って何もできなくて……」
 そっか。綾音がずっと黙っていたのは、そういうことだったのか。
「もう大丈夫だからな。心配しなくてもいいよ」
「でもっ。鈴橋さんが――」
「何してんだよ! 早くしろ!」
 まったく。話す時間もくれないのか。
「なあ。この子達は、帰っていいだろ?」
「……いいぜ。お前が、ぼろ雑巾みたいになる姿を見たくないだろうしなぁ」
「と、いうわけだ。二人とも、今日は先に帰ってて」
「で、でも……」
「おにーちゃんは? 愛梨も一緒だよ」
 左の袖をぎゅっと掴まれた。
 これは、絶対に動かない、という意味なのだろう。
「愛梨、ありがとな。でも、ここからは俺の仕事だから」
「でもでも……。でもでも……っ」
「綾音、愛梨を頼んだよ。……あんまり、情けない姿は見せたくないんだ。俺のことを心配してくれるのなら、帰ってくれ」
 それに。ケンカなんてのは、子供が見るもんじゃない。
「………………。分かり、ました」
 綾音は渋々だけど頷いてくれた。
「助かるよ。綾音、これ、預かってくれ」
「はい」
 綾音に俺の鞄を渡す。
「愛梨ちゃん。私達がここにいても鈴橋さんに迷惑がかかるから、逃げるふりをして助けを呼びにいこう」
「ううん。おにーちゃんを1人にできない」
「だからこそ、だよ。私達にできることをしようよ、ね」
「…………うん。そう、する」
 綾音の上手い説得により、愛梨はようやく手を放してくれた。
「おにいちゃんっ。すぐ誰かを呼んでくるからねっ」
「鈴橋さん……。すみません……」
「いえいえ。気にしないで」二人とも、またね」
 走っていく二人を見届けて、それから。ゆっくりと振り返った。