お母さんを見送ったあと、僕はそのまま歩き出した。日記帳を抱いたまま。
こんな風に外を歩くのは何日ぶりだろうか。すれ違う人はみんな半袖の服を着ていた。いつの間にか、あたりはすっかり初夏の陽気になっていた。

どこをどう歩いて来たのか全然憶えていない。気がつくと、僕は学校の門の前に立っていた。僕は何でこんなところにいるんだと心の中で苦笑した。
校内は生徒の姿は疎らで閑散としていた。

 ――そうか。今日は日曜日だった。

ウチの高校は日曜でも部活動は行っているため、校門は開放されていた。僕はそのまま校門をくぐって中に入った。 
野球部員が輪に広がって柔軟体操をしている。
僕は邪魔にならないように、その脇を通り校舎の中へ入った。顔を知っている生徒は誰もいなかった。

静まり返った階段を最上階まで登り、そして屋上への扉を開く。
屋上に出ると、妙に懐かしい匂いがした。
僕はそのままペントハウスの脇の階段を昇り、給水塔に上がった。
もちろんそこには誰もいない。

すっかり夏の陽気になった暖かい風が僕を迎えてくれた。
僕はいつもの場所に腰を落とした。サッカー部の掛け声が聞こえる。
最後にここに来てからまだひと月も経っていないのに妙に懐かしい。
ここで彼女と初めて話をしたんだ。今にも彼女の声が聞こえてくるような、そんな感じがした。

もうここで彼女と話すことはできない、そんなこと分かっているのに・・・。
一瞬、彼女の笑顔が見えた。
もちろん気のせいだ。

僕は袋に入った日記帳を取り出し、そのまま膝の上に置いた。
そしてその日記帳を両手で掴み、ただそれを見つめていた。中を開いて見るのが怖かった。

 ――彼女は僕に何を残してくれたんだろう。

結局、僕は彼女に何も言えず、何もしてあげることができなかった。
悔しさが再び僕の心の中から込み上げてくる。

僕は大きく深呼吸をしたあと、左手を表紙に掛け、中を開く。悲しみ、期待、後悔・・・いろいろな気持ちが交錯した。

その彼女の筆跡は、丁寧でしっかりとしていたが、時々字が崩れていた。
痛みがあったのだろうか。もしくは力が入らなかったのか。とても懸命に書かれたものであることが嫌でも分かるものだった。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

真面目くん・・・
じゃなくて雄喜へ 

明日、急に手術をすることになりました
手術は子供の時から何回もやってるんだけど
今回のはかなり難しいらしい  
お母さんたちは大丈夫って言ってたけど
お医者さんとの話を聞いちゃったんだ
私の心臓、思ったよりかなり悪いみたい
でも私、がんばるからね

前に好きな男の子と交換日記をしたかったって私言ったよね
だから私の人生初めての交換日記の相手に君を指名します
光栄に思いなさい
(なんか偉そうだね、私)

この交換日記は、まず私から書きます
雄喜には伝えたいことがいっぱいあるんだ
この日記に私の雄喜への想いを託します
本当の私と私の気持ちを雄喜に知って欲しいから

短い間だったけど
雄喜と過ごした一日一日はとっても楽しかった
有難う
(なんか遺書みたいになっちゃったね。これ交換日記だからね)

そうだ。今年から君とはクラスメートだね
あらためてよろしくね
クラス対抗の体育祭や文化祭、一緒に盛り上がろうね
修学旅行も楽しみだな
あっ、そうだ。二人で抜け出す計画、忘れないでね

そう言えば、私たちってこうして話すようになってから
まだひと月ちょっとだから
まだまだお互いのこと知らないことだらけだよね
だから、まずは私のことから書くね

私はB型の牡羊座です
あっこれはもう知ってたよね
好きな色は青
好きな食べ物はカレーライスとお寿司
苦手な食べ物は梅干しかな
趣味は映画とかよく観るよ
ジャンルはなんでも
特技と言えるものはあまり無いんだけど
強いて言えばピアノかな
四歳の時からやってるよ
これ知らなかったでしょ
いつか雄喜に聴かせたいな

苦手なものは虫
蝶とかでも顔が怖くて駄目かな
スポーツは・・・
心臓が悪かったのであまりやってないです
思いっきり走れたら気持ちいいんだろうな

勉強もあまり得意ではなかったけど
ここ一番での集中力はあったのかな・・
とか思ったりしてる

雄喜のことももっといっぱい知りたいな

私は生まれつき心臓が悪くて
学校にも行けない日が多かったから
子供のころから人見知りがすごかったんだよ
お友達と話すのがとっても怖くて
人の顔はいつもまともに見られなかった
君は私のことを羨ましいって言ってたよね
人見知りをせず、誰とでも友達になれるとか
人の気持ちを読むのがすごいとか
本当の私はすごく内気で気が弱い女の子なんだよ
だから君の気持ちがすごくわかったんだ
雄喜の気持ちだからわかったんだよ
私も同じだったから

だから、あの日もすっごい勇気いったんだよ
あの日っていつだって?
あの日だよ
最初に雄喜と話をした日
(2月29日だよ)
学校の屋上にいた君に私が声を掛けたんだよね
実はね、雄喜のこと、ずっと前から知ってたんだ
顔も名前も
私が君をいつから見ていたか分かる?
分かるわけないよね 教えてあげる

道路沿いのイチョウの葉が綺麗に色づいてたから
秋になったばかりの頃だったと思う
よく晴れてたけど、ちょっと肌寒い日の朝だったかな
学校に行く途中にある大通りで
お婆さんが信号の無い横断歩道を渡れないで困ってたの
学校とは反対方向だったけど
私、渡るのを手伝おうと思って
お婆さんのところに行こうとしたんだ
そしたら、男の子が突然前に出てきて
何も言わず、そのお婆さんの前に立って車を止めたの
そして黙ってそのまま横断歩道を渡り始めたんだよね
その男の子さ
お婆さんには声も掛けず、ずっと文庫本を読みながら
何も言わず、ただ黙々と道路を渡ってるの
でも、ゆっくり、ゆっくり歩いてた
まるでお婆さんの歩調に合わせるように
道路を渡り終わったあと
お婆さんはその男の子にお礼を言おうとしてたけど
その男の子はお婆さんの顔も見ずに
無愛想にそのまま行っちゃったんだ

もう分かったよね?
そう、これ君だよ
愛想の無い男の子だなあって一瞬は思ったんだけど
あれは君の照れ隠しだったんだよね
不器用で目立つことが嫌いな君らしかったよ
ちなみにそのお婆さん、君のほうに向かってずっとお辞儀してたよ
(君、見てなかったと思うから言っとく)

きっとすごく優しい人なんだなあって、その時思ったんだ
それからはそんな君のことが気になってずっと見てたんだよ
ずっとね…
まあ、鈍感な君のことだからどうせ気づいてなかったよね

君は誰にでも、いつも真面目で
いつも一生懸命で、でもとっても不器用で
そしていつも謝ってばかりいたね 
屋上で最初に声を掛けた時さ
君のボーっとした顔を見た時に思ったよ
この人、ぜんっぜん私に気づいてなかったなあって(笑)
そんな冷たい君だったけど
お友達になりたいなって私はずっと思ってたんだよ

いつも昼休みに屋上にいて
ひとりで本を読んでるってことも知ってたよ
だけど、さっき書いたように私から声を掛ける勇気が無かったんだ
で、私は決めたの
君との出逢いを運命に委ねてみようって
うるう日というのは昔ヨーロッパで
女性から男性に求婚する日だったというのを前に言ったことあるよね
だから私は2月29日に君に声を掛けようって決めたんだ
「人はなぜ死ぬの?」
なあんて変な話題で話し掛けたんだよね
でも雄喜はそんな私の変な質問に真剣に
そしてとっても丁寧に答えてくれたよね
雄喜は私の思った通りの優しい人だったよ

一緒に授業を抜け出して海に行ったよね
あの日、実は私もう入院してたんだ
急に入院が決まっちゃったもんだから君にお別れも言えなかった
でも、どうしても君に逢いたくて一日だけ外出許可もらったんだ

もしかして屋上に行けば雄喜に会えるかなって期待して行ったら
本当に君、いるじゃん?
もう奇跡! やっぱ運命? 漫画? 
とか思って涙が出るくらい嬉しかった

そのあと無理やり外に連れ出しちゃったんだよね
でも電車に乗る直前、雄喜に迷惑がかかるなって考えてたら
やっぱりやめようって思ったんだ
だけど雄喜が私の手を引っ張ってくれて
一緒に電車に乗ってくれた時すっごく嬉しかったよ
       
ルール破りが嫌いな雄喜が私のために一緒に学校をサボってくれた
あの日、二人で海へ行ったことは私の一生の想い出になったよ 

君と一緒に過ごすようになってからたったひと月しかたってないのに
ずっと昔から一緒だったような気がする
すごく、すごく、不思議な気持ち
そして今日は私達にとって大切な日になったよね
こんな夜に病院まで来てくれて本当にありがとう
突然で、すごくびっくりしたけど本当に嬉しかったよ
君の前では不安な顔を見せないようにがんばってたんだけどさ
君があんな優しいこと言ってくれるから
懸命に固めてた心が一瞬で崩れちゃって
思いっきり弱音ぶつけちゃったよ

でも、そんな弱気になった私を雄喜は全身で受け止めてくれた
不安と悲しみでいっぱいの私を君はギュっと抱きしめてくれたよね
ちょっと苦しかったけど、とても気持ちよかったな
頭がまーっ白になって、ふかふわと空を飛んでる感じがしたよ

そうだ。雄喜さ、私にハグしてくれてた時、もしかして
「死じゃやだ! 好きだ!」
って心の中で言ってくれてなかった? 何回も何回も
私には聞こえたよ 
雄喜の心の声がはっきりと聞こえたよ
その時、私も
「ありがとう」
って心の中で答えたんだけど聞こえたかな?

雄喜がこんなにも私のことを想ってくれてるんだって思ったの
そしたら私、この時から何も怖くなくなったんだ
とっても不思議なんだけど、本当だよ

私思うの。私達が出逢えたのはやっぱり“運命”だったんだよ
私、中学二年生を二回やったって言ったよね
実は病気で長く入院してたからなんだ
でも、そのおかげて雄喜と同級生になれたんだよね。
そして今年からはクラスメートだなんて
これってやっぱり“運命”って思わない?
きっと神様が私を病気にしてしまったお詫びに
君に引き合わせてくれたんだと思う
だから私は病気を持って生まれてきたこと、全然恨んでないよ
 
でも、そうだな・・・
あとひとつだけお願いを聞いてもらえるとしたら
もう少しだけでいいから雄喜と一緒の時を過ごしたいな

前に言ったことあるけど
私は高校に入ってから自分を変えたんだよね
友達をたくさん作りたくて

友達に嫌われるのが怖くて嘘もついた
一生懸命にずっと別の自分を作ってた
無理して笑ったりもした
私も君と同じでとっても不器用だったから大変だったな

でも雄喜と一緒いる時は違ったんだ
心から笑えた
いつも自然の私でいられた
不思議だったよ
誰といる時よりも本当の私になれたんだ

どうしてだろうね
私と雄喜はとても似ているから・・・かもしれない
私は別の自分を作っていたけど
雄喜はやっぱり今のままの雄喜でいいと私は思う
君は、自分は変わりたいって言ってたけど
無理に変わる必要なんてないんだよ
今のままの雄喜でいいんだよ

そういえば前に命のバトンリレーの話をしてくれたよね
君と一緒に命のバトンリレーできたらよかったのにな

私、病気を持って生まれてきたでしょ
私なんか生まれてきた意味があったのかな、なんて思ってた
でも、君に出逢えて変わった
私、生まれてきてよかった
私、君みたいに頭良くないから、うまく言えないんだけど
君に逢えて本当によかった

雄喜が言ったよね
人は人を好きになるために
生まれてきたんだって
今その言葉の意味がすごく分かるよ

実は今日、君に言おうとしたんだけど
言えなかったことがあるの
今度逢う時に必ず言おうって思ってたんだけど
もしかしたら
もう逢うことができないかもしれないね
だから、やっぱりここに書いちゃうね

雄喜 
好きだよ
大好きだよ
ずっと 大好きだよ

これは私の心のバトンです
命のバトンの代わりに
私の気持ち、しっかり受け取ってね

人を好きになるって
すごく気持ちのいいことだったんだね

ありがとう雄喜
私は今、とってもとっても幸せな気持ちなんだ
本当だよ
だから雄喜も本当に幸せになってほしい

これから恋人を作って
結婚して、子供を作って
幸せいっぱいの家庭を作ってね
私の分まで

あ、君もちゃんと返事を書いてよ
でも、もしかしたら雄喜の返事は読めないかもしれない
もしそうなったら、ごめんね
その時はこの日記は君が持っていて下さい

そうだ
いつだったか、雄喜らしい雄喜ってどういうことか
きいてきたことあったよね
それ、教えてあげる
君はとっても内気で気が弱くて
とっても不器用な人見知り
でも いつも一生懸命で 誰にでも優しくて

そんな雄喜が私は好き

そんな私が大好きな
とても優しい雄喜のままでいてね
いつまでも いつまでも  

そして、こんな私のことを
君のことを好きだったこんな私のことを
君の心の片隅に・・・
ほんの片隅でいいから
置いといてくれると嬉しいな

じゃあね
             咲 季

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇