島の頂上に着くと、そこは学生や外国の観光客で多く賑わっていた。

「すいません。シャッター押してもらっていいですか?」

突然、大学生らしき女の人から声を掛けられた。学生同士のカップルだろう。彼氏はサングラスをかけ、彼女らしき女性はブロンズ色に染めた長い髪を靡かせていた。

「はーい、いいですよお」
彼女が快く引き受ける。
「いきますよお。ハイ、ポーズ!」
携帯のシャッター音が軽やかに響いた。

「ありがとう。あ、君たちも撮ってあげようか?」
「え?」
その女性の気遣いに僕と彼女は思わず顔を見合わせた。
「えへっ! せっかくだから二人で撮ってもらおうよ」
「あ・・・うん」
僕はちょっと戸惑った。というのも、実は僕は写真を撮られるのが苦手だった。
うん・・・苦手というか、慣れていないというか、要は僕は写真を撮るときに笑えないのだ。僕は写真を撮られる時、無茶苦茶構えてしまってロボットのような顔になる。

 ―――どうしよう・・・ちゃんと笑えるかな?

僕の心配をよそに彼女は僕の手を引っ張った。
海をバックに二人で並んで立った。明るい笑顔のピースサインをする彼女の横で、僕は明かに顔が引きつっているのが自分でも分かった。

 ――うわあ、だめだ。やっぱり笑えない・・・。

「行くよー、はい笑って!」
・・・って言われるほど僕の顔は引きつっていく。
「んーカレシい、なにその顔? 無茶苦茶暗いじゃん。お腹痛いの?」

 ――うん。痛くなりそう・・・。

彼女がそんな僕を横目で見てクスッと笑った。
「ほらあ、カレシ笑って! それにもっとくっつかないと映んないよ!」
彼女さんの口調がだんだんと怖くなってくる。

 ――何で僕が怒られなきゃいけないんろう?

その時、彼女の手が僕の肘をグイと引っ張るように引き寄せた。
「ほらあ、真面目くん、笑うぞ!」
彼女が僕に微笑みかける。すぐ真横にあったその笑顔に僕の心臓はドキっと高鳴った。
「え?」

「おっいいね! はーい、いくよ!」
僕があっけにとられているうちにシャッター音が響いた。

「あは、どうかな?」
撮ってもらったばかりの写真をスマホの画面で確認する。彼女は相変わらずの眩しい笑顔で映っていた。
だが、驚いたのはその横にある見覚えのない顔だ。
僕が・・・笑ってる?

 ――え? これ、僕?

とても不思議だった。
こんなにも自然に笑っている自分の顔が、まるで自分のものではないような感じがした。

「きゃー、すっごくいい感じに撮れたね」
お礼を言ったあと、その大学生とは反対の方向に歩き出した。
「仲良くねー、かわいいカップル君たち!」
大学生は大きく手を振っていた。
「ありがとー!」
彼女もお返しに大きく両手を振った。

 ――そうか。僕たちもやっぱりカップルなのか。

聞き慣れないその言葉の響きはとても心地いいものだった。
でもカップルと言っても、僕たちは付き合っているわけではないのだ。
その事実に、僕はちょっと寂しさを感じている自分に気づいた。

島からの帰りの下りの坂道をブラつきながら歩く。
雑貨が並ぶ小さな土産店に立ち寄った。
「わー見て見て。これ可愛い!」
彼女が手に取ったのは小さなペンギンのストラップだ。
「鈴鹿さん、ペンギン本当に好きなんだね」
「フフ、大好き」
彼女は嬉しそうにそのペンギンを頬ずりする。

「実はさ、明日、私の誕生日なんだ」
「え! そうなの?」
僕は素直にびっくりした。

「あの・・・それは、おめでとう・・・」
「んふ、ありがとう。はい!」
彼女はお礼を言いながら手を伸ばし、そのストラップを僕に手渡しした。

「え? 何?」
「買ってくれる? 誕生日プレゼントに・・・」
「いや、別にいいけど・・・これくらい」
突然でちょっと戸惑ったが、これくらいのもので喜んでくれるなら、と思った。

「でも、こんなものでいいの?」
「これがいいの」
そして彼女は、なぜか同じストラップをもうひとつ手に取った。

「じゃあ、こっちのは私が君に買ってあげるね・・・記念に」
そう言いながらクスっと笑った。
「記念?・・・なんの?」
「んー・・・何でもいいじゃん!」

そう言うと彼女はそれを持ってレジに並んだ。
僕も別のレジに並び、同じストラップを別々に買った。そして自分の買った包みを彼女に渡した。

「あの・・・誕生日おめでとう」
「フフ、ありがとう。大切にするね。じゃあ、これは私から君に。大切にしてね」
彼女は自分の買った包みを僕にくれた。
これって意味があることなのだろうか?・・・。あるんだろうな、きっと。

「ねえねえ、下の岩場のほうに行ってみようよ」
彼女はそう言うと同時に僕の手を引っ張って歩き出した。

島を下って海岸に出ると、そこにはゴツゴツとした岩場が広がっていた。
小さいカニや小魚、あとはタニシにような貝がたくさん見えた。
「きゃーカニさんかわいいー!」
無邪気にはしゃぐ彼女は、悔しいがやはり可愛いかった。
僕は彼女を見つめながらそう思った。
そして何よりも彼女といると、自然な自分でいられるということに気がついた。

「なあに?」
「いや、ごめんね。別に・・・」
ボーッとしていた僕は思わず言葉に詰まった。
彼女は笑いながらまたカニを追っかけていた。

岩場をちょっと奥に行くと平らな大きい岩が連なっており、僕らはその岩の上に空を見上げながら寝ころんだ。
快晴の空には小さい雲ひとつ無かった。

仰向けになった体で空を見上げる。
視界に映るのは、一面の真っ青な空。まさしく青一色のみだった。
こんな光景は生まれて初めてかもしれない。

 ――なんて綺麗なんだろう。空ってこんなに綺麗だったんだ・・・。

「あー、気持ちいい!」
僕は思わず叫んだ。
学校をサボってしまったという罪悪感はどこかへすっ飛んでいた。
気持ち良すぎて、気がつくと僕は岩の上でウトウトと眠ってしまった。

しばらくすると、僕は周りに変な違和感を感じ始めた。

 ――あれ?

さっきまで周りあった岩が見えない。
あたりを見回すと、僕たちがいる岩場は水に囲まれていた。

「やっばい! 満ち潮だ!」
僕は叫んだ。

そう。僕たちは岩場に取り残されてしまっていた。
「どうしよう?・・・名倉くん」
彼女は今にも泣きそうな顔になった。
でも落ち着いて海面をよく見ると、まだ水面の奥に岩が透き通って見える。

「大丈夫、まだ浅そうだ。行けるよ」
僕は制服のズボンをヒザまでまくり、海の中に入って深さを確認する。

 ――うん、オッケー! 水はまだヒザ下までだ。

「大丈夫、靴と靴下を脱いで」
「うん・・・」

僕は彼女が脱いだ靴と靴下を受け取り、彼女の手を引く。
「ゆっくり下に降りて・・・滑らないように気をつけてね・・・大丈夫」

 ――よし、行ける! 行ける!

ゆっくり、ゆっくりと足場を確認しながら渡っていく。
ようやく最後の陸続きの岩まで来たところで彼女を先に岩の上に上げた。

 ――よかった。彼女はもう大丈夫だ。

「ありがとう。名倉くんも気をつけて」
彼女そう言って僕を引き上げようと手を差し伸べたその瞬間だった。
僕の視界に映る彼女の顔がだんだんと小さくなっていく。
僕は自分に何が起きているのか、すぐに理解ができなかった。

 ――あれ? 僕、どうしたんだ?

彼女の姿がだんだんと遠くなり、背中が後ろへと吸い込まれていく。
そして次の瞬間、視界が大きくぼやけたと同時に水のギュルギュルギュルという濁音が激しく耳を襲った。

僕はようやく足が滑って海の中に落ちたんだということを自覚した。
「名倉くん!」
彼女の悲鳴が響いた。

幸い満ち潮はまだ浅く、僕はすぐに立ち上がることができた。
「大丈夫? 名倉くん!」

遠くの向こう岸にいた釣り人は特に驚いた素振りも見せず、呆れた顔でちらっとこちらを見たあと、また釣りに没頭していた。
「バカな奴がいる」と、そんな顔をしていた。確かに客観的に見てもかっこ悪い。

彼女もこんな僕の姿をさぞ大笑いするだろうと思っていたが、彼女の反応は意外なものだった。

「名倉くん、名倉くん、大丈夫?」

海に落ちたことにはもちろん驚いたが、それ以上に驚いたのは彼女が泣くような顔で僕を心配して叫んでいたことだ。
彼女のこんな顔は初めて見た。まあこんなところで溺れ死ぬことはないと思うのだが。

「名倉くん、ごめんね、ごめんね」
「いや・・・大丈夫だよ。それに鈴鹿さん、全然悪くないし・・・」
「ごめんね、ごめんね」
彼女は謝り続けた。

いつも自分がしていたことなのだが、相手が何も悪くないのに謝られるってことがどんな気分なのかを実感した。

 ――ああ、でも参ったな。どうしよう・・・。

そう思いながら僕たちは歩き出した。

海水でズブ濡れになった服は予想以上に重く、冷たかった。服を着たままだったら本当に溺れるだろうと実感した。
「どうしよう・・・全然乾かないね・・・」
一向に乾かない僕の濡れた服を見ながら彼女が心配そうに言った。
「歩いていれば、そのうち乾くよ」
僕は半ば強がりを言いながら、しばらく道を歩いていたが、それが甘い考えであったことを徐々に痛感し始める。

三月になったとはいえ、濡れた体にはまだまだ寒さは厳しかった。
十分ほど歩いただろうか。水は滴らなくなったものの、服はまだまだ濡れていた。海水がぐっしょりと浸み込んだ僕の下着は体にビッタリと張り付き、気持ち悪いという感覚を超えていた。
そして、それは徐々に僕の体温を奪っていった。

「ハックショイ!」
思わずクシャミが飛び出す。
「大丈夫? 名倉くん。寒いよね?」
「あ、ごめんね。全然大丈夫・・・」

そう言いながら全身に悪寒が走った時だ。ひとつの洋風の建物の前で彼女が足を止めた。
これは僕の貧困な社会知識でも分かった。
いわゆるファッションホテルというやつだ。ラブホテルとも言ったっけ。
「ねえ、ここに入ってシャワーと着替えをさせてもらおうよ」
「ええ??」
思いもよらない彼女の言葉だった。
「あの・・・鈴鹿さん・・・と?」
「誰と入りたいの?」
「・・・・・」