「入って。ちょっとちらかってるけど」
彼女の部屋は、僕がイメージしていた女の子の部屋とはけっこう違っていた。女の子にお決まりのぬいぐるみはあるものの数は少なく、少女漫画チックな飾りもない。必要なものがしっかりと揃っているシンプルなものだった。
「あ、誤解しないでね。この家に男の子入れるのは高校に入ってからは君が初めてだよ」
僕はその言葉に、意外という気持ちを感じずにはいられなかった。
「男の子なら誰でもホイホイ家に入れるような女の子じゃないよ」
彼女は頬を膨らませ、意地悪そうに僕を見つめた。
「ごめん。もうかんべんして」
「フフ。あ、座って座って。今お茶入れるから」

ドアのノックの音が鳴る。
彼女が返事をしたと同時にお母さんがお茶を持って入ってきた。
「あっ、ごめんなさい。ハーブティーだけどよかったかしら?」
「あ、はい。ありがとうございます」
彼女はお母さんからお茶を乗せたトレイを受け取った。
「あ、咲季。私これから買い物に行ってくるから。夕方まで戻れないけど、あとよろしくね。名倉君・・だっけ。じゃあ、ゆっくりしていってね」
――え? お母さん出掛けちゃうの?
もしかして気を利かせてるのだろうか?
「いってらっしゃい」
彼女がドアの前でお母さんを見送った。
――ていうことは今、家には彼女と二人きり・・・。
元々緊張しているところに僕の緊張はさらに膨れ上がった。
――まずい。もしかして僕、顔赤くなってる?

「あー君、今、もしかしてやらしいこと考えてない?」
彼女の絶妙なタイミングの突っ込みが鋭利な刃物のように僕に突き刺さる。彼女はカンがすこぶるいいのか、もしくは気配を読み取るのが得意なのか。いや、違う。ただ僕の態度がバレバレなだけだろう。
「ごめん。いや、女の子の部屋とか、こういうのに全然慣れてなくて・・・」
「フフッ、そんなに緊張しないでよ。もしかして女の子の部屋に入るの初めてとか?」
僕は顔をひきつりながら頷いた。
「ふーん」
彼女はなにやら嬉しそうにそう言いながらティーカップを僕の前に静かに置いた。カップの置き方がサマになっていていた。

彼女は僕の前に座った。僕はティーカップを口元には運び、お茶一口をすする。彼女もティーカップを持ち、少し口に含んだ。張り詰めたような沈黙の時が続いた。
時間としては多分僅かだっただろう。しかしガチガチに緊張した僕の体には拷問のように長く感じられた。
――何か喋らなきゃ・・・。
そう思いながらも、焦って気だけが空回りする。

「あの・・・さ・・」
僕は声を振り絞った。
「うん?」
彼女が首を傾げる。
「あの・・・ハーブティって・・・ハーブの味がするよね」
彼女はお茶を口に含んだまま目を大きく広げ、不思議そうに僕の顔を見つめていた。
――僕は一体何を言ってるんだ?
また自分に呆れ果てる。
人は緊張した時、そこで力を発揮するタイプと萎縮してダメになるタイプがいるというが、僕は圧倒的に後者だ。こんなことしか言えない自分が恥ずかしかった。彼女は懸命に笑いを堪えているようだ。

「名倉くんってやっぱりおもしろいよね。ちなみに君はハーブって食べたことあるの?」
「あ、そういえば・・・無いかも・・・」
堪え切れず彼女は大声で笑い出した。
「ごめん。そんなに可笑しかったかな?」
「あ、笑ってごめんね。でも名倉くんって絶対おもしろいよ。言われない?」
「まあ、確かに・・・言われることあるけど・・・」
「だよね!」
彼女はまた笑い出した。
「でも僕は人を笑わせようとしているわけではないんだよね。自分としては普通にしているだけなんだ。プロの芸人みたいに笑わせようとして笑わせてるわけじゃない。だから僕は人に笑われてるだけなんじゃないかなって思ってる」
そう。自分としては普通にしてるつもりなんだけど、みんなと普通がズレているのかもしれない。
「ごめん。私は君のこと変な意味で笑ってるわけじゃないよ。君といると、何かとっても楽しいんだ」
「ごめんね」
「だから、何でここで謝るの?」
彼女はまた笑い出した。

その時、僕は思い出した。彼女に本当に謝らなきゃいけないことがあったんだ。
「あの・・・きのうは本当にごめんね」
僕は昨日のことをまた謝った。
「フフ、だからもういいって。でも実は昨日、私も帰ってから思ったんだ。
私もなんかムキになって喋ってたし、何か怒らせること言っちゃったのかなって」
僕は黙ったまま首を横に振った。そんなことを思わせてしまってたんだ、僕の無神経な一言で。
僕はデートの日の前日に彼女のクラスメートの男子生徒から言われたことを全て正直に話した。そして、どうしてああいうこと言ってしまったのか、ということも。
下手な言い訳ができる頭を持っていなかったし、自分にできることはすべて正直に話すことしかないと思ったから。

「そうだったんだ。ごめん、私、何も知らなかった・・・」
「いや、僕が悪いんだから謝らないで」
「そっか。男の子から見たらそう感じちゃうんだね。やっぱり私が悪いのかな。私はみんなと仲良くしたかったんだ。みんな大切な友達だし、女の子も男の子も。だからさ、男の子から『友達からでいいから付き合って』って言われたら断れないじゃない?」
「じゃあ、その男子のことを好きじゃなくても『付き合って』って言われたら付き合うの?」
「うん。だってその男の子のこと嫌いじゃなかったし、本当にいいお友達だと思ってたし」
今になって分かった。彼女は誰とでも簡単に付き合うっていうわけではなかったんだ。少なくとも彼女自身はそう思っていた。彼女はみんなと仲良くなりたかっただけなんだ。
でも、男はそれを都合良く誤解してしまう。
「告白した男子からすると、交際をOKしてくれたんだから、やっぱり自分のことを好きになってくれたんだって誤解しちゃうと思うよ」
「そっか・・・やっぱりそうなんだね・・」
彼女は自分自身を納得させるように言った。
彼女の噂は、彼女の断れない性格、『友達から』という言葉を額面通りに受け止めてしまう素直さ、みんなと仲良くなりたいという積極的な気持ちと行動や言動が合わさってできあがった不幸な産物だったんだ。
彼女の言ってることはきっと正論なのだろう。しかし男はそこに自分勝手な都合のいい解釈をしてしまう生き物なのだ。でも、男の僕からしたら、それは責められることではない。

「あの・・・やっぱり彼・・・武田君とは付き合ってるの?」
――何を訊いているんだろう僕は。
気がついたら口から出てしまっていた。ずっと気になって仕方がなかったからだろう。
彼女はびっくりしたような顔で僕を見た。
――ヤバ・・・唐突すぎたかな?
「どうしてそんなこと訊くの?」
「え? あ、ごめんね」
まさかの逆質問に僕は戸惑う。
「あ、ごめん。私も逆質問しちゃったね」
彼女はハッとしたように謝った。
「ごめんね。前に武田君と仲良さそうに一緒に歩いてるの見たことあるから、付き合ってるのかなあって・・・」
僕は誤魔化したように答えた。こういうところが自分の嫌いなところだった。
「へえー、私のこと少しは見ててくれてたんだあ・・」
彼女はなぜか嬉しそうに言った。でも、そのあとしばらく黙ってしまった。
「うん。実はね、確かに付き合ってたよ。でもこの間、別れちゃったんだ。
そうか・・・だから克也、君にそんなこと言ったのかな・・」
「あの・・・どうして別れ・・・」
僕は慌てて言葉を止めた。
――また何を言い出すんだ僕は。
「ごめんね。今の忘れて」
「ふふ。君ってけっこうストレートなんだね。意外だな。でも大丈夫、気にしないで」
彼女は嫌な顔をするどころかニコリと微笑んだ。
「そうだね。彼のことは嫌いではなかったんだけど、やっぱり『好き』って気持ちにはなれくてさ。なんかずっとギクシャクしてたんだ。そしたら彼からちょっと酷いこと言われちゃって・・・・でも結局、私が悪かったんだね」
僕は正直驚いていた。自分から訊いたものの、こんな風に素直に話してくれるとは思わなかったから。
でも、せっかく話してくれたことに対して、僕は何も言えず、ただ黙って聞いていることしかできなかった。
「やっぱり女の子と男の子の関係って難しいよね。誤解したり、されたり・・・。こういうことって男の子に聞かないと分かんないことが多いんだね。でも私さ、確かに何人かの男の子と付き合ったことあるんだけど、別にいいかげんな気持ちで付き合ったつもりはなかったんだよ。
だけど、その男の子のことを好きだったかって言われると、確かに自信が無いんだ。今まで付き合った男子って、みんな向こうから告白してくれた人ばっかりで、私から告白した人っていないんだよね」
「好きな男子がいなかったの?」
「ううん、そんなことないんだけど・・・」
彼女はなぜか照れたような仕草をしながら考え込んだ。
「あのね。女の子って、積極的に見えたとしても、本当はすっごい臆病だったりするんだよ。臆病で恥ずかしがり屋だからこそ、わざと積極的に大袈裟に喋ったりふざけたりして、その恥ずかしさを隠したり誤魔化そうとするの」
とても意外な言葉だった。彼女に臆病なんて言葉似合わない、そう思っていたから。

「あの・・・さ」
彼女が急にかしこまった声になった。
「なに?」
「あのさ、君には誤解されたくないから言っておきたいんだけど、私は名倉くんのこと・・・」
「分かってるよ!」
慌てたように僕は彼女の言葉を遮った。
「鈴鹿さんは僕のことを恋愛対象としては全然みていないってことでしょ」
分かっているんだ。彼女に言いたいことは。僕は彼女から出てくるだろう言葉を自分のほうから切り出した。
ぼくは彼女の口からその言葉を聞きたくなかった。
僕は臆病で卑怯な奴なんだ。自分から言うことで自分が傷付くことを少しでも和らげようとしていたのかもしれない。

「え?」
彼女はちょっとびっくりした顔でこちらを見た。
「大丈夫だよ。僕は変な勘違いしないから。そんなに自惚れてないよ。
それに僕も鈴鹿さんのことは恋愛対象として全然考えてないから安心していいよ」
「あ・・・だよね。うん、よかった・・・」
何か戸惑ったような彼女の返事だった。僕は彼女と目を合わせることができず、ずっと外を眺めていた。

僕が彼女に対し恋愛感情が無いというのは嘘だった。でも、この嘘は彼女についたのではない。僕自身に嘘をついたのだ。
彼女はしばらく黙っていた。沈黙の時間が続いた。

――あれ?
気まずい空気になったのを感じる。僕はまた何か変なことを言ってしまったのだろうか。
すると、彼女は僕のほうを一回見たあと、優しく微笑んだ。
「あの、私、名倉くんは・・今のままでいいと思う」
「え?」
唐突な彼女の言葉に僕は戸惑った。
「ごめんね。私、昨日は君に、変わらなきゃダメだとか、積極的にならなきゃダメだとか言っちゃったけど、名倉くんは、やっぱり今のままでいいと思う」
どうやら彼女は昨日、僕にいろいろと言ってしまったことを気にしているようだった。
「ううん。いいよ気を使わなくって。鈴鹿さんの言ったことは正しいんだ。
実は僕自身もそう思ってた。だけど、鈴鹿さんに言われたことがあまりにも的を得ていたからかな。変に反論しちゃったんだ。ごめんね。鈴鹿さんは何も悪くないから気にしないで」
「違うよ!」
彼女は慌てたように叫んだ。
「え?」
その声に僕は驚いて顔を見上げた。
「違うよ・・・私、本当にそう思ってる。君は今のままでいい・・・」
「そんなことないよ。僕は今のままじゃダメなんだ。やっぱり自分を変えないといけないと思ってる。鈴鹿さんの言う通りなんだよ」
彼女は目を下に向けたまま黙って首を横に振った。
「無理に自分を変えてもだめだよ。無理に変えたら君が君でなくなっちゃう。
君らしい君じゃないとだめなんだよ。だって、私はそんな君が・・・」
そこで彼女の声が呑み込まれた。

「え?」
「ごめん。何か変なこと言ってるね、私」
「あの、僕らしい僕って・・・どんな人間なのかな?」
その僕の言葉に彼女はふっと笑った。
「そうか・・・君は自分の魅力が分かってないんだね」
「分かるもなにも僕に魅力なんてあるのかな?」
彼女は今度はふうっと大きくため息をついた。
「あるよ。その君の魅力を分かる人がきっといるよ」

「・・・どこに?」 
僕は一拍おいてから訊いた。
「うーん。この宇宙、きっとどこかにいるよ」
「せめて地球人でいて欲しいな」
「へーえ、君、ストライクゾーンけっこう広いんだね」
そう言っておちゃらけて笑う彼女を僕は横目で睨んだ。その僕の顔を見て、彼女はさらに目を細めて微笑んだ。