「……そんな、なんで、鈴が?」

「なんでかなんて、答えがあると思うなよ。特別な能力を持った人間は、昔から一定数存在しているんだ。ただその能力に生涯気づかない人間もいる。むしろ、気づかない人間がほとんどだった。だけどスタートが流行り始めて状況が変わった。スタートでメッセージを送受信する時、特殊なシグナルが出る。能力者はそのシグナルを拾うことで、結果的にメッセージの内容を知ってしまうんだ。つまりスタートが、鈴の人生を狂わせた」

「スタートは、ただのアプリじゃないんですか?」

「普通の人間にとってはただのアプリだ。シグナルは偶然の産物だろう。おそらく開発者は能力の存在すら知らないはずだ」

「鈴と、同じような人間は、他にもたくさんいるんですか?」

「いるだろうな。だけど、名乗り出はしないだろ。告白したところで誰が信じる。気持ち悪がられて、それから距離を作られる。鈴だって、そうだった。簡単に受け入れられるわけがないんだよ。鈴本人だって、受け入れられていなかった」

 西松にも鈴と同じ能力があるとして、いつから気づいていたのだろうか。
それが真実だとしたら、拓海は西松に友達がいない理由が少しだけわかるような気がした。

「それでも、受け入れなきゃならねぇ。能力に気づいたからにはもう現実から目を逸らせねぇんだよ。言っても今はまだ怖いだろ。俺だって怖かった。だけどいつも怖いだけじゃない。楽しむ方法だってある。せっかくだからこの能力を上手く使っていけばいいんだ。俺たちには、可能性がいくらだってあるはずなんだ。なぁ鈴、馬鹿らしいと思わないか? このまま負け続けるのは。社会の除け者として終わるのは。もう少し、足掻いてみろよ。同じ想いをしているのは、俺とお前だけじゃない。この世界は、普通の人間だけの世界じゃないんだ。今は除け者でも、明日や明後日はわからない。俺は早く見たいよ。俺たちが崇められる未来を。そのために今を我慢して生きているんだ。この絶望を、乗り越えるんだ」

 鈴の手を両手で握り締めて、西松は祈るように話しかける。
 拓海は西松の言葉に驚きながら、その声が鈴に届けばいいと願った。
 けれど、なにも変化は起こらない。
 鈴は眠ったまま時間が過ぎていく。そして西松もしゃべるのをやめた。

 扉をノックされて、西松は鈴の手を放す。時間が経つのはあっという間で、席を外していた母親が病室に帰ってきた。

「話は、もう終わったかしら」

「あ、うん。悩みを聞いてもらえて、だいぶ楽になった」

 母親にたずねられて、拓海が答える。西松は薄い笑顔を浮かべて会釈していた。

「では、そろそろ失礼します」

「俺、西松さんを途中まで送ってくから。てか、このまま帰るわ」

 西松が帰ろうとしたので、拓海も同じく帰ることにする。母親は拓海を呼び止めて、その手のひらに五千円札を握らせた。

「相談に乗っていただいたお礼に、夕食をご馳走しなさい。夜、あまり遅くならないようにね」

 拓海は五千円札と母親の顔を交互に見つめる。どういう心境の変化なのか、西松への不信感は席を外していた間にだいぶ薄れたようだった。

「母さん、ありがとう」

「いいのよ。あなた今、さっきよりもすっきりとした顔をしている。それも西松さんのおかげなのね。拓海にも、鈴にも、母親に話せないような悩みがあるのよね。鈴にも、西松さんのような人がいてくれたら良かったのかもしれないわ」

 母親は鈴に近づいて、少し前まで西松が握っていた手を握る。拓海はもう一度母親にお礼を言って、西松の後を追った。

「西松さん。母からお金を預かってきました。このお金でタクシーに乗って新宿まで帰りましょう」

「そのお金は煙草を買う資金にする。全部寄越せ」

「駄目ですよ。そもそもお礼をもらうほどの仕事はしていないじゃないですか」

「わざわざこんなところまで足を運んで説教をしてやっただろ。もっと感謝されてもいいはずだ。本来そんな金じゃ足りねぇんだよ」

「勝手に押しかけてふっかけないでください。てか、鈴は結局目を覚まさなかったじゃないですか」

「あとは時間の問題だろ」

「医者からも時間の問題だと言われ続けてきましたよ」

 西松は病院を出て早速煙草を吸い出す。拓海は勝手な西松の行動に慣れ、少し離れたところにあるベンチに腰を下ろした。

「なぁ拓海、せっかくだから俺と鈴との出会いを教えてやろう」

「そもそもなんで今まで焦らしたんですか? さっきの話を聞く限り、別に後ろめたいことがあったわけじゃないんでしょ?」

「後ろめたくはないが、本当のことを言ったところでお前は信じなかっただろ」

「その、未だによくわからないけど、西松さんの不思議な能力が関係しているんですか?」

「ああ。そうだ。あの時、鈴は助けを求めて叫んでいた。けれど通行人はみな足を止めなかった。故意に無視していたわけではない。ただ気づけなかっただけだ。人の心を読める俺だからこそ、鈴を見つけられたんだよ」

「西松さんは、スタートを介さなくても人の心を読むことができるんですか?」

「意識しなくとも、声は常に聞こえている。多くは独り言だと思って気にしないようにしているけれど、時々馬鹿みたいに大声で叫んでいるやつがいるんだ。鈴もその一人だった。黙らせないと俺の健康に悪いから声をかけた。その様子からして問題はスタート絡みだとわかって軽くアドバイスしたが、あまり意味はなかったようだな。そして今回改めて喝を入れて俺にできることはもうない。あとは本当に鈴次第だ」

 拓海はポケットの中にある鈴の携帯電話を握り締めた。スタートさえ存在しなければと思うのは不毛だった。

「あの、もしかして、西松さんが電車で気分が悪くなっていたのも……」

「独り言も数千、数万人分となれば処理が追いつかない。どうしてもつられてしまう。未だに慣れねぇよ」

「大変、ですね」

「大変なんてもんじゃねぇよ。どんな人間も心の中で吐き出す言葉に遠慮はない。知りたくもない人間の本質を知ってしまうんだ。てか、拓海、これまでの話を聞いて、俺のことをどこまで信じられる?」

 正直、なにもかもがよくわからない。
 拓海が心の中で答えると、西松は小さく笑った。

「お前は本当に正直だな。考えていることが直ぐに表情に出る」

「それってやっぱり悪いことですかね」

「他の人間にたいしてならともかく、俺に嘘をついても無駄だ。中途半端に取り繕おうとするくらいならばそのままのほうがマシだ」

 拓海は西松のことを考えて少し悲しくなってしまった。
 本音と建前があるのが当たり前の世界で、本音がすべて筒抜けになれば建前も意味がない。
 少し考えただけで他人と上手くやりにくいだろうと想像できた。