それならいっそ、あいつらの寝首をかいてやろうか。
今ならぜったいに、気づかれないだろう。

ぼくは、スーツのジャケットの右ポケットにそっと手を入れた。
それは思わず衝動買いした、小さな折り畳みナイフだった。
取り出した小さく細い刃に、青白い顔が映りこむ。
これは、ぼくのお守りだった。

けれど、ぼくは分かっている。と、ぼくにはできやしない。
別に、それはぼくが善良だからとか、まともだからとか、
そういうことじゃない。
ぼくにはもう、気力というものが残っていなかった。

雪が降り積もるで交差点で一人、呆然と空を眺める。
鈍色の空から次々とパウダースノーがひらりひらりと落ちてくる。

どこかで見た風景。そうだ、ケーキだ。


学生時代、時給がいいからという理由だけで始めた、ケーキ屋のバイト。

女性のオーナーパティシエは、優雅な手つきで丁寧に何度も粉をふるいにかけていた。
シェフがふるいにかけた粉が落ちてくるボールの中にいるみたいだ。

そう、ぼくは今、あのステンレスのボールの底にいるんだ。
もはや自力で這い上がるのが難しい、固く冷たい谷底に。

だからこうして、ふるいにかけられた小麦粉みたいなパウダースノーを
ぼんやり眺めているしかできない。凍え死ぬまで。
でも、それもいいかもしれない。
もう上司に罵られることもないし、会社に行かずにすむ。
ぼくみたいなダメ人間は、社会の邪魔らしいし。

ぼくはなんだか立っているのが面倒になって、
厚い層のように降り積もった雪の上にゴロンと身体を横たえた。