敷地の外に出ると道がわからなくなるので、ホテルの敷地内の庭園のようになっているところを歩く。
 有馬の3月は寒い。歩いている人はほとんどいない。

「もうすぐお別れだね」
 樹里が組んでいる腕にギュッと力を入れた。
 もう樹里と会えなくなると思うと、涙が出そうになる。
「うん」
「何かわたしに言うことはないの? もう会えないんだよ」
 その言葉を聞いて、僕の心の中から何か込み上げてきて思わず樹里を抱きしめてしまった。

「好きだよ」
 背伸びをして樹里の唇にキスをする。
 背が低いとこういう時にサマにならない。
 樹里が少し屈んでくれた。
 僕はゆっくりと唇を離す。

「離したくない」
 僕は樹里に囁いた。
「このまま2人でどこか行こうよ。誰も知らない所へ。何とかなるわ」
 樹里が真剣な顔で言う。
 僕も樹里も高校生で、しかも未成年だ。
 そんなことができるわけがない。

「そんなの無理だよ。樹里も分かってるだろう」
 樹里は決してバカではない。おそらくかなり頭がいい。
 付き合ってみてそれが分かった。
「そうね」
 樹里が僕の腕を振り払うようにして離れる。
「ごめん」
 樹里を不幸にするとわかっていてそんなことはできない。
「そこが隆司のいいところでもあり、イライラさせらるところでもあるのよね。戻るわ」
 樹里が部屋に帰っていく。
追いかけることもできず、黙って樹里の背中を見送った。


 翌日、僕と樹里の間には微妙な空気が漂っていた。
 僕と樹里の間に流れる不穏な空気に気づいたのか、ホテルでも新幹線の中でも紀夫と渡辺さんは明るく振る舞い、空気を変えようと努力してくれていた。
 僕も樹里も表面上は何事もなかったように振る舞おうとしたが、やはりお互いの空気は淀んだままだ。
 樹里は僕にキャリーバッグを持たさず、自分で引っ張ている。

「2人で大丈夫か」
 最寄り駅に着くと紀夫が心配そうに囁く。
 紀夫と渡辺さんの家は僕と樹里の家とは駅を挟んで逆方向だ。
「大丈夫だよ」
 無理に笑う。
「樹里、元気でね。落ち着いたら手紙送ってよね」
「うん。送るよ。最後にキスしようよ」
 樹里がふざけるように渡辺さんに迫る。
「もう。そんなにキスしたかったら、澤田君としなさい」
 渡辺さんは樹里を睨んだ。
「アハハハハハッ。元気でね。真紀」
 樹里は渡辺さんとハグをすると僕の方に歩いてきて何事もないように腕を取る。
 僕も紀夫に手を振った。

 紀夫たちと別れると僕と樹里は腕を組んだまま無言で歩く。
気まずい空気が流れ続ける。
 自分のマンションの前まで来ると樹里は僕から腕を放した。
「元気でね。じゃあね」
 樹里は手を振ると、マンションの中に入っていこうとする。

「やっぱりいやだ」
 樹里の腕を掴んだ。
「一緒に逃げよう。誰も知らないところで2人で暮らそう」
 僕はなにを言ってるんだ。
「隆司、無理しなくていいよ。隆司らしくないよ」
 樹里が薄く笑う。
「愛してる。離れたくない」
 樹里を抱きしめた。
「そう言ってくれるのは嬉しいわ。でも、無理って、隆司も言ったでしょ。もし、今度会う時、2人とも独身だったら結婚しよう」
 樹里は優しく僕の腕を掴むと、そっと腕を解いた。

「でも、樹里は婚約者と結婚するんだろう?」
 そして僕は許嫁と結婚する。
「そんなのわからないわよ。言ったでしょう。私をギュッと抱きしめてくれて、キスして、プロポーズしてくれないと結婚しないって」
 なんか条件が増えてるような気がするけど。
「それに、隆司だって、許嫁に嫌だって言われるかもしれないじゃない」
 僕が振られるっていうことね。それ母さんにも言われた。

「見送りに行くよ。明日は何時の飛行機?」
「来ないで」
 樹里が冷たく言い放つ。
“Au revoir”
 樹里は振り向きもせず、マンションの中に入っていった。
 英語じゃなくて今度は何語?
 どうして最後の最後まで煙に巻くようなことをするんだ。