勝ち気なカノジョと顔も知らない許嫁

 うちは私立の高校なのだが、不良やヤンキーというたぐいの生徒は一人もおらず、素行の悪い生徒もほとんどいないという大変珍しい学校だ。
 その中で、石野さんは目立つ存在だった。
 僕は石野さんとはクラスが違うから直接は知らないし、噂しか知らない。

 石野さんは2年生の時にうちの高校に転入してきた。どこから転入してきたのかなぜか誰も知らない。
 身長170センチ近くあり、切れ長の目、鼻も高く、薄い小さな唇の美人顔にギャルメイクをしていて、手足の長いモデルのようなスタイル、腰まである髪を明るいブラウンに染め、制服は着ているものの膝上20センチの短いスカートという目立つ格好で転校初日に登校してきたらしい。

 これはあくまでも噂だが、髪の毛を染めてることやスカートの長さ、メイクの濃さは校則違反だろうと先生の間で問題になったそうだ。
 だが、うちの高校は自由な校風というのを売りにしていて、もともと素行の悪い生徒がこれまでいなかったこともあり、校則が曖昧で身なりについては「高校生らしい身なりをすること」となっているだけだった。
 職員会議では、高校によっては私服OKのところもあるのだから膝上20センチのスカートだから高校生らしくないとも言えないし、髪を染めている高校生もいるので、髪を染めているから高校生らしくないとも言えないし、メイクもうちの高校でも薄くだがしている子もいるので、どこまでのメイクをしたら校則違反になるという基準も決めにくいということになっていったたようだ。
それなら、校則を変えたらどうかという意見も出たらしいが、石野さんを狙い撃ちするような校則変更はまずいのではないかということと、これもあくまでも噂だが、石野さんの転入には理事長が関係しているということで、黙認になったということを聞いたことがある。
 
結局、石野さんにはなんの注意もなかったようだ。
その後も、石野さんの格好は変わることもなく、授業態度や生活態度もあまりよくないのでクラスの中でも浮いた存在だという噂だ。
その石野さんに図書当番をしてくれというのはなかなかハードルが高い。

「私も担任の先生を通じて、委員会や当番に出るように言ってもらったはずなんだけど……ひょっとしたら、うまく伝わってないかもしれないから、同じ3年生の人で、誰か石野さんに説明に行ってくれないかしら。3年生の人で石野さんと親しい人はいない?」
 司書の先生が3年生の顔を見回す。

 石野さんと親しい人は3年生はおろかこの学校中を探してもなかなかいないだろう。男関係が派手だと言う噂もあるから、ひょっとしたら男子の中には知り合いがいるかもと思ったが、誰も名乗りを上げない。

「委員長がいいと思います」
 突然、3年生の女子が声を出した。
「そうね。委員長も3年生なんだから、委員長が適任だとおもいます」
「賛成」
 僕以外の3年生の全員が賛成の声を上げている。
 みんなの視線が僕に集中した。

「えっ、僕?」
 僕は石野さんのことをまったく知らない。当然喋ったこともない。遠くから見たことはあるが、背の高い子だなと思っただけだ。
 いや、一度だけすれ違ったか。チイちゃんのマンションで。
 だが、ただそれだけだ。
 そんな僕が行って石野さんが話を聞いてくれるだろうか。
 だが、みんなが僕に押し付けようとしているのは明らかだ。
 それも相手が石野さんなら仕方がないか。
それに僕は委員長だ。当然の役目だろう。

「分かりました。でも、当番に来てもらえるかどうかわかりませんよ」
 話しに行けと言われれば行くが、ちゃんと当番にきてくれるかどうかの責任は持てない。
「それは仕方ないわ。とにかく言ってみて。もし、だめなら担任の先生と話をして、委員を他の人に変えてもらうことも考えてもらうわ」
「はい。わかりました」
 しかし、本当に今日はついていない。
明日、あの石野さんと話さなければいかないかと思うと、気が重い。
 翌朝、いつものように5時に起きて、受験勉強をするが一向に頭に入ってこない。
 このまま勉強を続けても意味がないと思い、勉強をやめて、本棚にある本を取り出して読んだりしてみるが、本を読んでいても集中できずに何度も同じところを読んでしまう。

 本を読むのも諦めて、重い気持ちのままダイニングに下りていく。
「おはよう」
 朝食の用意をしている母さんに声をかけた。

「おはよう。どうしたの。なんだか顔が暗いわよ。何かあったの?」
 母さんが僕の顔を見るなり言った。
「別に。寝不足かな」
「本当に?」
「うん」
「だったらいいんだけど」
 母さんはまだ心配そうに僕の顔を見ている。

「本当に大丈夫だから」
 母さんを安心させるために作り笑いをした。
 石野さんは僕の話をちゃんと聞いてくれるだろうか。
そもそも石野さんってどんな子だろう。ヒステリックに叫ばれたり、泣かれたりしたらどうしようとかいろいろなことを思い浮かべてしまう。

「どうしたの? ぼーっとして。やっぱり何かあるの?」
 ご飯茶碗を持って食べずにボーっとしている僕を見て、母さんが心配そうな顔をする。
「ちょっと学校でやらないといけないことがあるから、それが気になってただけだよ。大丈夫だから心配しないでいいよ」
「そう? 何かあるんだったらちゃんと相談してよ」
「わかっているよ」
 あんなことを引き受けるんじゃなかったと後悔しながらご飯を食べて、家を出た。


 午前中の授業は平穏に終わり、昼休みになった。
 石野さんは今日が当番だ。
 休み時間は短いので教室の移動があったりして話す時間がないかもしれないし、トイレに行ったりして席にいないかもしれないから、石野さんに話をしに行くなら昼休みしかない。

 だが、僕はなかなか立ち上がることができなかった。
「どうしたんだ? 早く行かないと食堂いっぱいになるぜ」
紀夫が声をかけてくる。
 僕はいつも昼食は食堂に食べに行く。うちの学校の食堂は安くてボリュームがあり、味もそこそこいいので弁当を持って来ずに食堂で食べる生徒が多い。
 そのため、ちょっと出遅れると並んで相当待たないといけない。
 これまでは一緒に食堂で食べていた紀夫だが、カノジョができてからは、カノジョが弁当を作ってきてくれるので、カノジョといつも一緒にどこかで食べている。

「うん。ちょっと用事があって先にそれを済ませないといけないから」
「だったら、早く済ませた方がいいんじゃないか。昼飯を食う時間がなくなるぜ」
「そうだな。紀夫、石野さんって知ってるか?」
 紀夫は友達が多い。ひょっとしたら石野さんの情報を何か持っているかもしれないと思った。
「石野って、D組のか?」
 僕が頷くと、紀夫の顔が歪んだ。

「直接は知らないが、性格は最悪らしいな。評判悪いぞ。特に、女子に。なんだ石野に用事か? 告りにいくのか?」
 物珍しそうに僕の顔を見る。
「まさか。石野さんは図書委員だからそのことでちょっと話があって……」
「そうか。まあ気をつけてな。あっ、来た。飯食ってくるわ」
 紀夫のカノジョが入口で手を振っているのが見えた。

 なんだ『気をつけてな』というのは?
 石野さんは凶暴そうには見えなかったが、凶暴なのか?
 いきなり噛み付かれたり、殴られたりするのか?
 僕はますます気が重くなっていく。
 なんとか決心をして、やっとの思いで立ち上がると、教室を出た。

 僕は文句を言ったり、突っ込んだり、愚痴ったりするが、それはあくまでも心の中だけで、実際に口に出して言うことはない。
 平和主義者だ。人と喧嘩したり、争ったりしたくない。
 僕が我慢して済むことなら我慢することにしている。
 そして、女子と話すのはすごく苦手だ。話さなくて済むなら話したくない。
 この役目に一番不適任だと思うんだが。

 グズグズと頭の中で色々考えているので、足がなかなか前に進まない。
 A組からD組に行くまでにとてつもない時間がかかってしまった。
 やっとのことで、D組の前に立つ。
 できれば石野さんが昼ご飯を食べに行って席にいないでほしい。
 そうすれば、会えなかったという言い訳ができる。

「澤田。珍しいな。誰かに用か?」
 D組の顔見知りが声をかけてきた。
「ああ。石野さんいるかな?」
 なにも悪いことはしていないが、なんとなくオドオドしてしまう。
「石野? ああ、あそこにいるよ」
 窓側の一番後ろの席を指差す。

 やっぱりいるのか。僕の願いは無残に打ち砕かれた。
 指された方を見ると、石野さんとおぼしき女子の周りを3人の女子が取り囲んで何か話しをしている。
 友だちがいないと聞いていたが、意外と人気者じゃないかと思って、少し気軽になり石野さんの方へ近づいていった。

「石野さん、私と和也が付き合っていること知っているわよね。それなのになんで和也にちょっかいを出すわけ?」
 石野さんを取り囲んでいるうちのショートヘアのちょっと気の強そうな子の声が聞こえてきた。
 お取り込み中のようなので、僕は少し離れたところで大人しく順番を待つことにする。

「あなたが誰と付き合ってるかなんて知らないし、別にちょっかいなんか出していないけど」
 思いのほか低音で気だるそうな石野さんの声がした。
 僕の単なる思い込みだが、石野さんの容姿からもっと高い声の人だと思っていた。

「うそ。だったら、どうして和也と喫茶店に行って、お茶してたのよ?」
 ショートヘアの子は噛みつきそうな顔で石野さんに食ってかかる。
「あれは山田君が奢ってくれるって言うから一緒に行っただけよ。別にお茶飲むぐらいいいでしょう」
 石野さんが面倒臭そうに言う。

「お茶飲んだだけじゃあないでしょう?」
 なおもショートヘアの子は食い下がる。
「私、見たんだから。山田君にキスしてたでしょう。恵美のカレシって知ってるくせに」
 今度はポニーテールの子が火に油を注ぐようなことを言う。ショートヘアの子はどうやら恵美というらしい。

「ああ」
 石野さんはつまらなさそうな声を出した。
「何が『ああ』よ」
 恵美さんの怒りはおさまらない。

「奢ってもらったから、何かお礼をしようと思って、何がいいって聞いたらキスだって言うからしてあげただけよ。あんなの挨拶程度よ。気にすることないわ」
 石野さんはまったく何でもないように言う。

「キスが挨拶程度ですって!!あなた何人よ」
 恵美さんは眉を逆立てた。
「本当に軽いわね」
 今まで黙っていたツインテールの女の子も同調するように言う。

 そりゃあ怒るわな。いくら何でもそれは駄目でしょう。
 ここは日本だからその言い訳は通用しないと思うけど。
「そんな言い訳通用すると思ってるの!!」
 ほらね。
恵美さんも怒っているでしょう。

「ああ、ウザい。そんなに大事なら他の女にちょっかい出さないように首に鎖でもつけて縛り付けたら。それにあの男がそんなにぎゃあぎゃあ騒ぐほどの男?」
 石野さんが軽蔑するように恵美さんを見る。

「自分が誘っといてよくそんなこと言えるわね」
「はあー、私が誘った? 誰がそんなことを言ったの?」
「カレよ」
「ホント、つまんない男ね。カノジョが怖いから嘘をつくなんて」
 石野さんが鼻を鳴らす。
「カレは嘘つかないわ」
 恵美さんがヒステリックな声をあげた。

「どっちにしても、カレシが私についてくるのはあなたに魅力がないからでしょう。あなたに魅力があるなら他の女についていかないわよ。人に文句を言う前に自分の魅力のなさをなんとかしなさいよ」
 石野さんが目を細めて睨みつける。なかなか迫力のある顔をしている。

「なんですって」
 恵美さんの顔が怒りで真っ赤になる。
「もうやめなよ。こんな子にいくら言っても無駄だよ。どうせ顔だけの子なんだから。もう行こう」
 ポニーテールの子が恵美さんをなだめるように言う。
「そうよ。相手にしちゃダメよ。行きましょう。顔だけで頭は空っぽなんだから相手にしても仕方ないわよ」
 ツインテールの子も追従するように言う。
二人に促された恵美さんはすごい目つきで石野さんを睨みつけて教室を出て行く。

 石野さんが人のカレシを取るし、男関係が派手ということで女子たちに評判が悪いという噂はどうやら本当のようだ。

「バアーカ」
 石野さんは不機嫌な声を出すと、机に突っ伏した。

 僕は固まったまま動けなかった。どう見ても石野さんは不機嫌じゃないか。
 あんなに怒っている石野さんに話をしないといけないのか?
 思わず、僕はこのまま自分の教室に戻ろうかと思った。
 しかし、図書委員長の役目として来た以上何も言わずに帰るわけにはいかない。
 僕は一つ大きな深呼吸をして、石野さんに近づいていった。
 僕は石野さんの横に立ったが、気付かないのか顔を伏せたままだ。
「石野さん」
 机に突っ伏している石野さんに声を掛ける。

「今度はなに?」
 明らかに不機嫌な声を上げて石野さんが顔を上げた。
「ちょっと話があるんだけど」
 僕は顔を引きつらせる。
「澤田君?」
 意外そうな顔をして僕を見つめる。

 名前を呼ばれてビックリした。どうして石野さんは僕の名前を知っているんだ?
 同じ学年だから知っていても不思議ではないとはいえ、全員の名前を知っているわけではないだろう。
 ましてや僕と石野さんは接点がないし、僕はまったく目立たない存在だ。

「どんな話?」
 石野さんは僕が立っているのとは反対の窓の方に顔を向けた。
 僕にはまったく興味がないということかな。それとも僕の顔を見たくもないってことか。

 石野さんにそんなに嫌われるようなことをした記憶はないが。
 そもそも会ったことも話したこともないんだけど。
 まあそんなことはどうでもいいや。
 嫌われていようが別にどうでもいい。要件を済ませてさっさと戻ろう。

「石野さん、図書委員だよね?」
 恐る恐るという感じで聞いた。
「そうだったかしら?」
 やっぱり女子としてはかなり低い声だ。
「そうだったかしらって。本当に知らないの?」
 石野さんがとぼけていると思った。

「そういえば、くじ引きでなんかそんなのに当たったような気がするけどよく覚えてないわ」
 よく覚えてないって。そんな無責任な。
「先生からも言われていると思うけど、図書委員には、図書当番っていうのがあるんだ。今日、石野さんが図書当番だから放課後、図書室に行ってください」
 たしか、司書の先生が石野さんの担任に当番に行くように言ってもらっていると言っていた。

「行かない」
 顔を背けたまま石野さんが言った。
「行かないってどういうこと? 石野さんは図書委員会に一度も来てないから、知らないかも知らないけど、図書委員はだいたい2週間に一度は図書当番をするように決まってるんだよ。石野さんも図書委員なんだから、ちゃんと当番をしてくれないと」
『行かない』と言われても、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。
「くじ引きで無理矢理に決められたんだから、当番なんかする気はないわ」
 石野さんの理屈は無茶苦茶だ。

 図書委員なんか僕のような変わり者以外なり手はなかなかいない。
 だから、各クラスでジャンケンやくじ引きで決めたりする。そして当たった人はたとえ嫌々でも図書委員の仕事をちゃんとする。それが当たり前だ。
 そうでなければ図書室の運営ができなくなる。そんなことは小学生でもわかることだ。

「そんな言い訳は通用しないよ。みんな、嫌でも我慢して図書当番をやってるんだ。嫌だからやらないなんて不公平だろう」
 だんだん腹が立ってきた。あまりにも石野さんは無責任すぎる。
 僕は大声を出したことはほとんどない。だが、今回ばかりは声が大きくなっていく。

「おい。澤田が怒っているぞ」
「澤田君? どうしたのかしら? 珍しい」
 教室の中がざわついてくる。

「つまり、嫌なことを我慢してしている人がいるんだから、嫌でも我慢してするのが公平だって、澤田君は言っているのよね」
 石野さんが僕の方に初めて顔を向けた。
 ギャルメイクをしてケバい感じはするが、くっきりとした濃い眉に少し吊り上がっている切れ長の大きな目、鼻筋の通った高い鼻、真っ赤なルージュを引いたふっくらとした唇という外国人モデルのような美人顔だ。

「簡単に言えばそういうことかな」
 少し興奮していた僕はよく考えずに答えてしまった。
 石野さんはゆっくりと立ち上がって、僕の前に立つと、見下ろすように僕を見る。
 僕よりも10センチ以上高い。
 腰までありそうな明るいブラウンの髪の毛を編んで一纏めにし、右胸の前に垂らしていて、手足も長く、胸の膨らみもしっかりあるモデル体型だ。

「じゃあ、澤田君は図書当番の仕事は嫌なの」
 160センチしかない石野さんに上から見下ろされると、威圧されているように感じる。
 だが、負けずに見上げて石野さんを睨んだ。

「僕は嫌じゃないよ。むしろ好きだよ。だけど、図書委員になった以上、嫌だと思っても当番をしている人もいるんだから石野さんにもしてもらわないと不公平だと言っているんだよ」
 石野さんが一瞬、ニンマリと笑ったような気がした。

「澤田君は私みたいなのは嫌いでしょう?」
「えっ」
 急に何を言うんだ。
今そんなこと関係ないじゃないか。

「どうなの? 好き? 嫌い?」
 嫌いだ。自分勝手で責任感のない石野さんみたいなタイプは大嫌いだ。
「好きではないかな」
 だが、面と向かって女子に嫌いとは言えない。

「じゃあ、私なんかと付き合うのはすごく嫌でしょう?」
 いやだ。絶対いやだ。こんな女子と付き合ったら、振り回されるだけ振り回されるに決まっている。
 そんなのはごめんだ。

「そ、そうかも」
 でも、僕は気が弱い。やっぱりそうだとははっきり言えない。
「そう。だったら、私と付き合ってくれたら、図書当番してあげる」
石野さんはとんでもないことを言い出す。

「えー」
 僕だけでなく周りで聞いていた生徒からも驚きの声が上がった。

「なんで僕が石野さんと付き合わないといけないんだ。図書当番となんの関係があるかわからない。それに石野さんは僕なんかにまったく興味がないでしょう。それなのになんで付き合わないといけないの?」
 顔を背けるぐらい興味がない男と付き合おうという石野さんの気持ちがわからない。

「嫌がらせ」
 低い声でボソっと言った。
「嫌がらせ?」
 なんで僕が石野さんから嫌がらせをされないといけないんだ。

「澤田君は嫌なことを我慢してやっている人もいるんだから、私も嫌なことを我慢してやるのが公平だと言ったわよね」
 そんなようなことを言ったような気がする。
 僕は頷いた。

「じゃあ、澤田君の言うとおりに私が図書当番をしたら、嫌なことを我慢して私はすることになるわ。でも、澤田君は図書当番することは嫌じゃないんだよね」
 たしかに嫌じゃない。僕はまた頷く。

「それじゃあ澤田君は嫌なことをやってないじゃない。私には嫌なことを我慢してやらせといて自分は嫌なことをしないのは不公平じゃない?」
 石野さんの綺麗な顔が必要以上に近づいてくる。
 ドギマギしてしまい、冷静に考えられなくなってくる。

「それで嫌がらせで僕と付き合うというの?」
 石野さんの言い分には納得ができない。
「そうよ。私が嫌なことを我慢してするんだから、澤田くんにも嫌なことを我慢してやって欲しいわ。そうじゃないと不公平なんでしょう。違う? 澤田君はそう言ったわよね。私の言っていること間違っている? どこか間違っている?」
 さらに石野さんが顔を近づけてくる。
 上から見下ろされるだけでも威圧感があるのに、さらに美人顔を近づけられるとドキドキしてしまい、頭がうまく働かない。

「僕が石野さんと付き合えば不公平じゃないっていうこと?」
 石野さんの理屈は絶対おかしいんだが……。
「そうよ。澤田君は私と付き合うのは嫌なんでしょう? 私に嫌なことをさせる以上澤田君も嫌なことをしてよ。私と付き合う? それとも私にだけ不公平なことを押し付けて知らん顔するわけ? 澤田君はそれで平気なの? 澤田君はそんな人なの?」
 石野さんは畳み掛けるように言ってくる。
ダメだ。
いくら考えても石野さんの言い分のどこが間違っているのかわからない。

 付き合うことを断ったら、たぶん『当番をしない』と石野さんは言うだろう。
 別にそれで司書の先生に駄目でしたと言えば、先生は何も言わないだろう。
 だが、ちゃんとしている人がいるのに自分はしたくないからしないという理屈をどうしても許すことができない。

 僕が我慢すればいいんだ。

 僕は女子に気に入られるような話をすることもできないし、イケメンでもない。
 なんの取り柄もない僕に石野さんはすぐ飽きて別れるって言うだろう。
 少しの間辛抱すればいいんだ。
 それぐらいなら我慢できる。

「わかった。付き合うよ。その代わり当番と委員会には必ず出てよ」
 石野さんが不満そうな顔をしている。
石野さんの言う通りにすると言っているのに何が不満なんだろう。
「別に無理して付き合ってもらわなくてもいいわよ。わたしは別に図書当番なんかしたくないんだから。澤田君がわたしと付き合いたいって言うなら別だけど」
 僕なんかに自分から付き合ってくれって言うのはプライドが許さないということか。

 もうこうなりゃヤケだ。
「石野さん、僕と付き合ってください」
「いいわよ」
 石野さんがニコッと笑った。
 これで断られたら、殴ってやろうかと思った。
 もちろんそんなことは僕には出来ないだろうけど。

「じゃあ、今日は当番だから必ず図書室に行ってよ」
 僕がそう言うと、石野さんが突然手を出した。
 握手かな?
 石野さんの手を握った。

「何してるの?」
 不思議そうに僕を見る。
「握手」
「なんで握手をしないといけないの。バカじゃないの? 私と付き合うんでしょ。どうやって連絡し合うのよ!!」
 アドレスとか携帯の番号を教えろっていうことね。
 だが、スマホも書くものも持っていない。

「ごめん。書くもの持ってないよ」
「ここに書いて」
 石野さんは何かのノートの一番後ろを開けると、シャーペンを僕に渡した。
 携帯の番号とメールアドレスを書いて渡す。

「私のは後でメールするわ」
 石野さんはそう言うと、用事は終わったと言わんばかりに机に突っ伏してしまう。
 なぜこうなったんだろう。全く理解できない。
 極度の緊張と精神的疲労で、フラフラしながら教室を出た。
 気持ちを落ち着けようと教室へ戻る前にお手洗いに行った。
 鏡に映る顔は真っ赤になっている。
 しかし、どうしてあんなことになったんだろう。
 いまだによく分からない。

 石野さんにうまく言いくるめられたような気がする。
 今でも石野さんの理屈がどこがおかしいのかがわからない。
 絶対おかしいんだが。

 それにしても困ったことになった。
 女子と付き合ったことなど一度もない僕はこれからどうすればいいのかよく分からない。
 まあ、石野さんが図書委員の仕事をちゃんとしてくれればいいわけで、何も真剣に付き合うわけじゃないんだから別にいいか。

 石野さんにしても単なる気まぐれで付き合う気になっただけだから、すぐに僕のことに飽きるだろう。
ただ、石野さんと付き合うことについて、何か重大な問題があったような気がするのだが、それが何だったかまったく思い出せない。

 まあなんとかなるさと思いながら教室に戻ると、教室の中の空気が何か変だ。
 気のせいかもしれないがみんなの僕を見る目が冷たいような。
 特に女子の目が。
 紀夫が僕の方を心配そうに見ている。

「お前、石野に告ったのか?」
 もう知っているのか。
「成り行きでそうなった」
 正確には『告らされた』だが。
「土下座までして頼んだってな。お前が石野のことをそんなに好きだったとは知らなかった」
 土下座?
 なんでそんな話になっているんだ。

「そんなことするわけないだろう。それに石野さんのことは好きじゃないよ。石野さんのことをよく知らないし」
 噂は伝わるのは早いが、必ずしも正確に伝わるとは限らない。
「じゃあ、どうして石野に告ったりしたんだ?」
「色々事情があるんだよ」
 僕自身がどうしてこうなったかよく分からないのに紀夫に説明することはなかなか難しい。
「だけどお前、女子には嫌われるぞ。石野は女子受け悪いからな」
 たしかにクラスの女子たちの視線がおかしい。

「澤田君がまさか石野さんと……」
「澤田君もやっぱり顔なのね」
「澤田君がそんな人だとは思わなかったわ」
 女子のヒソヒソ声が聞こえてくる。
『そんな人』って。
 ほとんど女子と話をしたことがないんだけど、僕のことを一体どう思っていたというんだろうか。そっちの方が気になる。

 女子の声に混じって男子の声も聞こえてくる。
「澤田が石野と……全然釣り合わないじゃないか」
 言われなくてもわかっているよ。
「でも、澤田は免疫がないから石野に潰されるぞ。ぐちゃぐちゃにされて捨てられるぞ」
 そんなこと言わないでくれよ。泣きそうになる。
「でも、なんで澤田なんだ。もう石野はなんでもいいのか」
 悪かったな僕で。
「いや、石野にとっては澤田は珍しかったんじゃないか? きっとすぐに飽きるよ」
 僕は珍獣か。
「澤田、可哀想だな」
 みんな口々に勝手なことを言っている。

「ハアー」
 溜息が出た。
「しかし、冗談抜いて石野は大変みたいだぞ。陸上部の俺の友達の知り合いがカノジョと別れて、石野と付き合ったら、散々奢らされて、振られたって言ってたぜ。考え直せ。今ならまだ間に合う」
 紀夫が駄目押しのような忠告をしてくる。
「忠告ありがとう。よく考えるよ」
 力なく笑った。

 午後からは女子たちの痛いほどの刺す視線を受けて、居心地悪く過ごした。
 やっと放課後になり、この状況から解放されるかと思うとホッとする。
 あの遅刻以来まったくついてない。

「大変だな。俺はあまり力になれないと思うが、まあ頑張れよ」
 紀夫はなんとも暖かい励ましの言葉を言ってクラブへと行った。
 紀夫を見送り、女子たちの冷ややかな視線を浴びながら教室を出て、図書室に向かった。

 これだけの目にあっているのに、もし、石野さんが当番にきていなかったら、ショックで死んでしまうかもしれない。
 もし、そうなったら、化けて出てやる。

 
 祈るような思いで図書室を覗くと、石野さんはちゃんといた。
 あの1年生に教わりながら当番をやっている。
 ちゃんときてくれたんだと思い胸を撫で下ろす。
 いい加減そうに見えるが、約束はちゃんと守るみたいだ。
 しばらく見ていたが、何も問題がなさそうなので、石野さんには声をかけずにそのまま帰った。

 家に帰り、夕食を食べ、風呂も入ってそろそろ寝ようかと思って、携帯を見ると10件近くの不在通知が入っている。
 見覚えがないそれも全部同じ電話番号だ。
 誰だろう?
 イタズラ電話か? それとも今流行りの詐欺かなんかの電話か?

 家の中ではスマホを自分の部屋の中に置きっ放しにしているので、電話がかかってきてもまったく気がつかない。
 犯罪に巻き込まれたくないので、基本的には知らない番号にはかけ直さないようにしている。
今度もかけ直す気はない。

 さらにメールも来ていたので、メールを開くと石野さんからだった。
 メールには石野さんのメールアドレスと電話番号が書いてある。
 その番号と不在通知の番号とを見比べると同じ番号だ。

 電話は石野さんからだ。
 何か用があるのだろうか? 当番で何かあったのだろうか? あの1年生と喧嘩でもして、もう当番をしないとか言うんじゃないだろうな。
 不安な思いで石野さんに電話した。

「もしもし」
 石野さんの低い声がした。
「電話もらったみたいだけど……」
 こわごわ聞いてみる。
「メール届いた?」
「うん。届いている」
「あのさあ、届いたら届いたって電話をくれるか、メールを送ってくれるのが当たり前じゃないの」
 途端に不機嫌な声になる。
「ごめん。スマホを部屋に置いていたから、気づかなかったんだ」
 僕は言い訳をした。
「連絡がないから、隆司が書き間違えてて、違う人にメールを送ったり、電話をかけたりしたんじゃないかと思って心配になったじゃない」
 自分が送り間違えたり、かけ間違えたりしたという可能性は考えないわけね。

 それに隆司って名前呼び捨て? そんなに親しかったけ。
 それにどうして僕の名前を知ってるんだ。

「ごめん」
 たしかに電話をしなかったのは僕が悪いから謝るしかない。
「それから、どうして今日、先に帰るの? 私は隆司のカノジョだよね? 普通はカノジョが当番終わるまで待って一緒に帰ろうとか思うでしょう?」
 そうか。そんなこと考えもしなかった。
 そういえば紀夫も引退しているのにカノジョと一緒に帰るためにクラブに顔を出しているな。

「ごめん。女子と付き合ったことがなかったから、そういうことわからなかったんだ」
 ハアーと溜息が聞こえた。
「付き合ったことがなくてもそれぐらいちょっと考えればわかるでしょ。ずっと隆司が来るのを待ってたんだよ」
 僕のことを待ってたんだ。
本気で付き合うつもりがなくてもやっぱり一緒に帰るのかな?

「ごめん。石野さんが嫌がらせで付き合うって言ってたから。そこまで考えてなかった」
「嫌がらせだろうが、なんだろうが、カノジョであることには間違いなでしょう」
「そうだね」
 それはそうだ。
「明日からは一緒に帰るからね」
「うん。わかったよ。ごめんね。石野さん」
 石野さんが僕に飽きるまでの辛抱だ。ここはとにかく謝っておくに限る。

「それから、石野さんはやめて。付き合ってるんだから『樹里』でいいよ」
 名前を呼び捨てなんてしたら、殴られそうで怖い。
「ええーっ、でも……」
「いいから、呼んで。隆司」
「じゅ、樹里……さん」
「『さん』はいらない。もう一回言って」
 なんか厳しい。これは嫌がらせの一環かな。

「樹里」
「それでいいわ。隆司はお昼はどうしてるの?」
「食堂で食べてるよ」
「そうなんだ」
 なんで、石野さんはそんなことを聞くんだろう。
「じゃあ、おやすみ。隆司」
「おやすみ。樹里」
 電話が切れた。
 大丈夫かな?
呼び捨てなんかにして明日、殴られないかな。石野さん怖そうだし。
 明日が怖い。



 また悪夢を見た。
 石野さんが出てきて、ダイアモンドや高級車を僕にさんざん貢がせたあげく冷たい目で見つめて、
「隆司といてもつまらないから、今日からこの人と付き合うはバイバイ」
 と、手を振って背の高いイケメンと腕を組んで去っていく。
 僕は呆然と2人の背中をを眺めて佇んでいた。

 そこで目が覚めた。
 今のは正夢か? 自分の将来を見たのだろうか。
 このところまったくついてない。
 下手に石野さんには深入りせず、サッサっと別れられる方法を考えよう。

 いつものように朝の勉強を済ませて、ダイニングへ下りていく。
「昨日から顔色が悪いけど、大丈夫? 学校で何かあったの?」
 僕を見て母さんが心配そうに聞いてくる。
「本当だな。大丈夫か? 入試が近いから勉強のし過ぎじゃないのか」
 父さんが見ていた新聞から顔を上げた。
 それは買い被りだ。具合が悪くなるまで勉強したりしない。

「なんでもないよ。ちょっと嫌な夢を見ただけだから」
「そう。それならいいんだけど」
 母さんはまだ心配そうに見ている。
 こんなことぐらいで親に心配を掛けてはいけない。なるべく明るく父さんや母さんと会話をして、出来るだけ元気なふりをして家を出る。

教室に入ると痛いような視線が一斉に突き刺さってくる。
 なんでこんな目に会うんだ。
「みんなの目が怖い」
 席に座ると、ボソッと呟いた。
「石野にカレシを取られた奴がこのクラスにもいるからな」
 紀夫が肩を竦めた。
 まあ当分はこの状態が続くということか。
 仕方ない。

 午前中の授業が終わって昼休みになり、食堂に行こうと思い立ち上がると、 教室にいるクラスメイトの視線が後ろのドアに釘付けになっていた。
 紀夫もみんなと同じ方向を見ている。

「どうした」
 紀夫に聞くと、無言で後ろの戸口を顎で指す。
 指された方を見ると、石野さんが小さなカバンを持って、こちらに向かって歩いてくる。

「お弁当作ってきたから一緒に食べよう。隆司の分も作ってきたから」
 石野さんが僕に向かって微笑んだ。
 まさか石野さんがお弁当を作ってきてくれるとは思ってもいなかった。

 僕はどうしていいかわからず、固まったまま動けない。
「何してるのよ。行くわよ」
 石野さんは僕の手を取ると、引っ張って歩き出す。
 クラスメイトたちが驚きの目で見ているなか、引っ張っられていく。

「早く行かないと取られちゃうわ。サッサっと歩きなさいよ」
 石野さんがすごい勢いで引っ張っていく。
「どこ行くの?」
「いいから」
 僕は必死になって足を動かした。

 石野さんがテニスコートの方へ僕を連れていく。
 テニスコートの金網の外にはいくつかベンチがあり、カップルがそこで昼ごはんを食べていると聞いたことがある。
 カノジョがいなかった僕は昼休みに来たことはなかったが、実際に来てみると、まだ昼休みが始まったばかりだというのにカップルでほとんどのベンチが埋まっていて一つしか空いていない。

 僕をその空いていたベンチに座らせると、石野さんはベンチの前に立ったままなかなか座らない。
 なぜ座らないのかなあとじっと石野さんを見た。

「何してるの? 普通女性が座わろうとしてたら直接ベンチに座らすようなことはしないでしょう。ハンカチぐらい敷いてくれたらどうなの」
 あっ、そうか。
テレビやドラマでそういうことをしているのを見たことがある。
 慌ててハンカチを出して、敷くと、石野さんはその上に悠然と座った。
 これからは、普通のハンカチとは別にもう少し大き目のハンカチを持ってこよう。

「はい。これ、隆司のお弁当」
 石野さんが可愛い花柄のついた弁当箱を差し出す。
「ありがとう」
 僕は受け取ると、弁当箱を開いた。
 中には、チキンライス、ハンバーグ、スクランブルエッグ、きゅうりやレタスにトマトが入ったサラダ、リンゴなどが彩りも考えられて綺麗に盛り付けられている。

 ありがたく食べようと思ったが、弁当箱と箸を持ったままじっと考えた。
 昨日、石野さんは嫌がらせで付き合うと言った。
 ひょっとして、一見美味しそうに見えるが、実はすごく辛かったり、とてつもなく不味かったりするのではないだろうか。
あるいは何か入っているとか。

「何も入れてないわよ」
 じっと中を見つめている僕に気づいて、石野さんが呆れたように言う。
「そう?」
 疑心暗鬼の目で弁当箱を見つめた。

「そんな分かりにくい嫌がらせはしないわ。大丈夫よ」
 石野さんはパクパク食べ始める。
「いただきます」
 僕もつられて食べてみた。

「美味しい」
 母さんの料理も美味しいが石野さんのお弁当も負けなぐらい美味しい。
「そう。よかったわ。口に合ったみたいで」
 石野さんはニコリともせずに言った。

「全部美味しいんだけど、このチキンライスが特に美味しいよ」
「当たり前でしょう。わたしが作ったんだから」
 すごい自信だね。

「石野さんが……」
「石野さん? 今度そう呼んだらグーパンチ」
 眉間に皺を寄せて睨んでくる。
 体が大きいから殴られたら痛そうだ。

「……い、じゃない。じゅ、樹里がこんなに料理が上手なんて知らなかった。誰に習ったの?」
「ママよ。ママは料理上手なの」
「そうなんだ。お母さんと一緒に作ったの?」
 この美味しさは樹里が一人で作ったとはとても思えない。

「違うわよ。私が一人で作ったのよ。今、一人暮らしなんだから」
「へえ、樹里って一人暮らしなんだ」
「そうよ。ちょっとワケがあってね。家族とは別に暮らしているの」
「そうなんだ……だからか」
「何よ。だからって」
「だからよく遅刻するんだ。一人暮らしで誰も起こしてくれないからなんだね」
 僕が初めて遅刻した時、生活指導の先生が『石野。またお前か』と言っていたからよほど遅刻が多いんだろうう。

「それもあるけど、私、低血圧なの。だから、朝はなかなか起きれないの」
「低血圧?」
 樹里が低血圧とはとても信じられない。
「その顔は何よ。信じられないっていう顔ね。何も低血圧になるのはか弱いお嬢様だけじゃあないわよ」
 不満そうな顔をすると、急にニヤッと笑った。

 何かよくないことを考えついた人がする顔だ。
 嫌な予感がする。
「隆司は、朝起きるのは早いの?」
「うん。5時には起きてるよ」
「5時? そんなに早く起きて何してるの?」
「受験勉強だよ」
 僕はどうやら朝型らしく朝の方が勉強していてもよく頭に入る。だから、朝早く起きて勉強することにしている。

「だったら6時に私に電話して。出るまで鳴らし続けてね」
「えー、どうして? 目覚ましかけていたら大丈夫じゃないの?」
 僕は樹里の目覚ましじゃない。

「目覚ましで起きられたら、遅刻なんかしないわよ。カレシのモーニングコールで起こされたら、起きれるんじゃないかと思って。それぐらいいいでしょう。電話するぐらい、そんなに時間はかからないでしょう。カノジョがこんなに頼んでるんだから」
 本当のカレシならそうだろけど、嫌がらせで付き合っているカレシのモーニングコールでも起きれるのかな?
 それともこれも嫌がらせの一つか。

「わかった」
 あんまりしつこく言うので、仕方なく頷いた。電話するぐらいそんなに手間ではない。
「それから朝迎えに来て。そうしたら、絶対に遅刻しないと思うから。遅刻は悪いことでしょう。カノジョが悪いことをしないようにするのもカレシの役目だよね」
 理不尽なことを言う。
迎えに行って待たされたりしたら、僕まで遅刻してしまうかもしれない。これまでより早く家を出ないといけなくなる。
 これはすごい嫌がらせだ。

「樹里の家って、チイちゃんと同じマンションだよね。あの時、声をかけてきたのは樹里だよね」
「そうよ。部屋番号は帰りに教えるわ。今日のお弁当はモーニングコールと迎えにきてくれるお礼の前払いということで。これからも作ってあげるから」
 僕はお弁当を全部食べてしまっていた。前払いを全部食べてしまったんだから今さら断れない。
「うん。分かったよ」
仕方なく頷いた。

「お前、石野の弱みでも握っているのか?」
 教室に戻ると、紀夫が変なことを言う。
「握ってないよ」
「石野は今までいろんな男と噂があったが、一度たりとも男に弁当を作ってきたことはない」
「たまたまじゃないの」
 樹里は気まぐれだから付き合っていた時、たまたま弁当を作りたくなかったとか。

「違う。いろいろな奴から聞いているが、石野に奢らされたという奴はいるが、石野に何かしてもらったという話は聞いたことがない」
 紀夫がじっと僕の顔を見る。
「なんだよ」
「石野は本気なのかも」
「冗談はやめろ。樹里は嫌がらせで付き合うってはっきり言ったんだからな」
 そうあくまでも僕に対する嫌がらせ。それが証拠に家まで迎えに来いとまで言われた。

「『樹里』って。それは石野の名前か?」
「うん。苗字で呼んだらグーパンチって言われたからな」
 紀夫の目がまん丸になる。
「よかったかどうかは分からんが、お前にもやっと春が来たな。俺だけがカノジョが出来て、ちょっと気が引けていたんだが……」
 紀夫は一人で何度も納得したように頷いていた。
 変な奴だ。