僕は石野さんの横に立ったが、気付かないのか顔を伏せたままだ。
「石野さん」
 机に突っ伏している石野さんに声を掛ける。

「今度はなに?」
 明らかに不機嫌な声を上げて石野さんが顔を上げた。
「ちょっと話があるんだけど」
 僕は顔を引きつらせる。
「澤田君?」
 意外そうな顔をして僕を見つめる。

 名前を呼ばれてビックリした。どうして石野さんは僕の名前を知っているんだ?
 同じ学年だから知っていても不思議ではないとはいえ、全員の名前を知っているわけではないだろう。
 ましてや僕と石野さんは接点がないし、僕はまったく目立たない存在だ。

「どんな話?」
 石野さんは僕が立っているのとは反対の窓の方に顔を向けた。
 僕にはまったく興味がないということかな。それとも僕の顔を見たくもないってことか。

 石野さんにそんなに嫌われるようなことをした記憶はないが。
 そもそも会ったことも話したこともないんだけど。
 まあそんなことはどうでもいいや。
 嫌われていようが別にどうでもいい。要件を済ませてさっさと戻ろう。

「石野さん、図書委員だよね?」
 恐る恐るという感じで聞いた。
「そうだったかしら?」
 やっぱり女子としてはかなり低い声だ。
「そうだったかしらって。本当に知らないの?」
 石野さんがとぼけていると思った。

「そういえば、くじ引きでなんかそんなのに当たったような気がするけどよく覚えてないわ」
 よく覚えてないって。そんな無責任な。
「先生からも言われていると思うけど、図書委員には、図書当番っていうのがあるんだ。今日、石野さんが図書当番だから放課後、図書室に行ってください」
 たしか、司書の先生が石野さんの担任に当番に行くように言ってもらっていると言っていた。

「行かない」
 顔を背けたまま石野さんが言った。
「行かないってどういうこと? 石野さんは図書委員会に一度も来てないから、知らないかも知らないけど、図書委員はだいたい2週間に一度は図書当番をするように決まってるんだよ。石野さんも図書委員なんだから、ちゃんと当番をしてくれないと」
『行かない』と言われても、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。
「くじ引きで無理矢理に決められたんだから、当番なんかする気はないわ」
 石野さんの理屈は無茶苦茶だ。

 図書委員なんか僕のような変わり者以外なり手はなかなかいない。
 だから、各クラスでジャンケンやくじ引きで決めたりする。そして当たった人はたとえ嫌々でも図書委員の仕事をちゃんとする。それが当たり前だ。
 そうでなければ図書室の運営ができなくなる。そんなことは小学生でもわかることだ。

「そんな言い訳は通用しないよ。みんな、嫌でも我慢して図書当番をやってるんだ。嫌だからやらないなんて不公平だろう」
 だんだん腹が立ってきた。あまりにも石野さんは無責任すぎる。
 僕は大声を出したことはほとんどない。だが、今回ばかりは声が大きくなっていく。

「おい。澤田が怒っているぞ」
「澤田君? どうしたのかしら? 珍しい」
 教室の中がざわついてくる。

「つまり、嫌なことを我慢してしている人がいるんだから、嫌でも我慢してするのが公平だって、澤田君は言っているのよね」
 石野さんが僕の方に初めて顔を向けた。
 ギャルメイクをしてケバい感じはするが、くっきりとした濃い眉に少し吊り上がっている切れ長の大きな目、鼻筋の通った高い鼻、真っ赤なルージュを引いたふっくらとした唇という外国人モデルのような美人顔だ。

「簡単に言えばそういうことかな」
 少し興奮していた僕はよく考えずに答えてしまった。
 石野さんはゆっくりと立ち上がって、僕の前に立つと、見下ろすように僕を見る。
 僕よりも10センチ以上高い。
 腰までありそうな明るいブラウンの髪の毛を編んで一纏めにし、右胸の前に垂らしていて、手足も長く、胸の膨らみもしっかりあるモデル体型だ。

「じゃあ、澤田君は図書当番の仕事は嫌なの」
 160センチしかない石野さんに上から見下ろされると、威圧されているように感じる。
 だが、負けずに見上げて石野さんを睨んだ。

「僕は嫌じゃないよ。むしろ好きだよ。だけど、図書委員になった以上、嫌だと思っても当番をしている人もいるんだから石野さんにもしてもらわないと不公平だと言っているんだよ」
 石野さんが一瞬、ニンマリと笑ったような気がした。