「隆司、ちょっと話があるんだが……」
 夕食の用意ができたと、母さんに呼ばれて、食卓に座ると、父さんが真剣な表情で僕を見つめた。

「なに?」
 父さんがこんなに真剣な表情で話しかけてくるのは珍しい。

「うん。その……なんだ……あれか」
 かなり言いにくそう。よほど重大なことみたいだ。

「だから、なに?」
「おまえ、彼女とかいるのか?」
 一気に力が抜ける。どんな重大な話だろうと思って気合を入れてたのに。
 なあんだそんなことか。

「いないよ」
 運動はほとんど駄目で、手先は不器用で、勉強は並で、顔は並以下、背も低く、唯一の取り柄が真面目ということだけ。
 人に自慢できるのは2年6か月の高校生活で、遅刻も欠席も一度もしたことがないということだ。
 そんな僕にカノジョなど出来るわけがない。自慢ではないが、生まれて18年間カノジョというものが出来たことがない。

「それはよかった」
 なぜか父さんはホッとした顔をする。
「よかった?」
 高校生にもなる息子にカノジョがいないと聞いてよかったっていうのもどうかと思うけど……。

「実はおまえには許嫁がいる」
 突然、父さんが聞き慣れない言葉を口にした。
「はあー? 許嫁? 許嫁って、将来、結婚することに決められた人のことだよね」
 時代劇でそんなことを言っていたような気がする。
「そうだ」
 父さんが力強く頷いた。

「いつから?」
「産まれる前から」
「そんなの初めて聞いたよ」
 そんな大事なことをどうして今まで言わなかったんだ。
「初めて言った」
 そんな禅問答のような返事はいらない。

「どうして僕に許嫁がいるの?」
 そもそも許嫁っていう風習が現代まであるとは知らなかった。江戸時代かせいぜい明治時代ぐらいまでのものじゃないの。

「元々、母さんは東北で代々地主をやっている旧家のお嬢様だったんだ」
「母さんが? まさか?」
 僕は父さんの隣に座る母さんを見た。

 友達は小柄な母さんを若く見えるとか、可愛いとか言うけど、僕にはどこからどう見てもその辺にいるおばさんにしか見えない。
 とても旧家のお嬢さんには見えないし、そんな素振りを見せたこともない。

「まさかって、どう言う意味よ。高校までは運転手付きの車で送り迎えしてもらって学校に通ってたんだから」
「うそ!!」
 今までそんな話は一度も聞いことがない。

「嘘じゃないわよ。家だって大きかったんだから。私の父、つまりお前のお祖父さんは親戚が経営する会社の役員をやっていて私の子供の頃は羽振りがよかったのよ」
「でも、母さんは東京生まれ東京育ちって言ってたじゃないか」
 母さんは東京生まれ東京育ちということをいつも僕に自慢していた。
 それに母さんは東北の話をしたこともないし、東北弁を使っているのを聞いたこともない。

「そうよ。お前のお祖父さんの実家は東北の旧家だったんだけど、東北の田舎暮らしを嫌って、跡を継ぐまでの間という条件付きで、東京へ出て来たの。東京で成功していた親戚の会社の役員をさせてもらって、そこの娘である私の母と結婚して私が産まれたの」
 母さんが自分の両親のことを話すのを初めて聞いた。

「だけど、私が大学を卒業する前に私の祖父と祖母が相次いで亡くなったから約束どおり家を継ぐために両親は東京の家を処分して東北に帰ったわ。だけど、私は暮らしたことがない東北へ行くなんて嫌だったし、まだ大学に通っていたから東京に残って、マンションを借りて一人暮らしを始めたの」
 だから、母さんは東京生まれ東京育ちってことか。