その言葉を聞いて初めて、僕は自分の両目から涙が出ていることに気づいた。
 どこも痛くないし何も悲しいことなんてない。それなのに僕は泣いていた。
 おそらく、これは僕が寝ている間に勝手に出てきていたもののようで、あふれているって程でもなく、零れ落ちたってくらいの量の涙だったので、頬に感じている生暖かい違和感を服でぬぐい取ると、それはすぐに消えてなくなった。
「いや、別に何でもないよ。多分あくびした時にでたやつだよ」
 僕は涙が消えた顔で、母さんに弁解をした。
「……あくびってそんなに涙でてくるかしら」
 間違いない。あくびの時に出る涙の量よりかは明らかに多い。
「五回連続であくびしたんだよ。あっヤバイ、六回目がきそうだ」
 心配してくれる母さんを何とかごまかそうと、とりあえず聞き苦しい言い訳を並べてみた。というか、僕にはあの涙の理由が本当に分からなかったから説明のしようがなかった。
「ほんとにどこも悪くないの? 大丈夫?」
「ほんとに大丈夫だよ、心配しないで」
「……そう、ならいいけど」
「ごめん、驚かせて」
 何とか母さんからの追及を免れることができた。
「じゃあ、晩ごはんにしましょ。啓がなかなか起きないから、若干冷めちゃったわよ」
「ごめん、いただきます」
 僕は席について、母さんが作ってくれた晩ごはんを食べ始めた。向かいの席では母さんも同じものを食べている。
「そういえば、お友達とはうまくやれてるの?」
 食事中に突然母さんが訊いてきた。
「…友達ができたなんて、母さんに言ったかな」
「あれ違った? 最近日中にどこか出かけてるから、てっきりお友達と遊んでるものだと思ってたんだけど」
「図書館に勉強しに行ってるだけだよ」
「一人で?」
「……一人だよ」
 何か見抜かれたのか、母さんはふーんと言いながら不敵な笑みを浮かべている。
「まぁ、ちゃんと大切にするのよ。そういう時間を」
「…うん」
 僕はたしかに一人で勉強してるってわけじゃないけど、友達と一緒にしてるって考えも間違っている。あくまで成瀬さんは『命の恩人』であり決して友達ではない。だから、僕は母さんに嘘をついているし、母さんもおそらく理解を誤っている。
 それなのに僕がまるで心を読まれたような気分になっているのは、母さんが僕の母さんだからだと思う。
 母さんは会話をしながらも僕より早く食事を済ませ、風呂にシャワーを浴びにいった。
 五分ほどして再びリビングに登場した母さんは、シャワーを浴びる前と同じ、仕事着である女性用のスーツを身にまとっている。
「じゃ、いってくるわね」
「うん、頑張って」
「ありがと、我が息子よ」
 おやすみなさい、と母さんは言い残してまた会社へ戻っていった。時計を見ると時刻はもう少しで二十一時を回ろうとしている。