「おはよ。今日も頑張ってるねー」
「おはよう。……なんでそんな涼しそうな顔してるの」
 その女性、成瀬さんは、とてもあの灼熱の中をここまで来たとは思えないほどに汗一つかいていなかった。
「あぁ、今日はお母さんが車でここまで送ってくれたの」
「…それはずるいね」
「あはは」
 素直にうらやましいと言えない僕は、再び視線を問題文に移してペン先を走らせた。
 成瀬さんも空いていた僕の右隣りの椅子に腰掛け、僕が解いているものとは異なる問題集を広げ、手を動かし始めた。
 夏休みに入って、はや二週間が経過していた。
 八月に突入してから一層猛威を振るい始めた暑さは、気温が三十度を超えるほどの真夏日を生み出し続けていた。特に日中の時間帯はエアコンなしでは生きられないような暑さだ。この炎天下の下で部活動に勤しんでいる学生が多々存在しているのかと思うと、尊敬と心配の念を抱かざるを得ない。
 そんな中で僕と成瀬さんはというと、夏休み前に宣言した通り、ほぼ毎日図書館に来ては朝から夕方まで勉強していた。
 正直、僕はここまで勉強をするつもりじゃなかった。課題を終わらすのと多少の受験勉強ができればいい、くらいの考えだった。ただ、今も隣で頑張り続けている成瀬さんに充てられてか、それとも分からなかった問題を理解できた時の快感の味を覚えてしまったからなのかで、僕の勉強への集中はまだ保たれていた。
 そしてこの二週間でまた一つ、成瀬さんについて分かったことがあった。
 それは、成瀬さんは他人に勉強を教える能力が抜群に優れているということだ。
 このことは一学期の定期試験前に成瀬さんと勉強した時にも少し思っていたことなんだけれど、この二週間でそれは確信に変わった。
 成瀬さんの説明は非常に分かりやすいのだ。
 よく、頭のいい人は他人に教えることが下手だなんて言葉を耳にすることがあるけど、成瀬さんの場合はそれに当てはまらない。
 なぜなら成瀬さんは、普段の生活から他人の気持ちを汲みとりながら生きている人間なので、それは勉強面にも反映され、何が分からないかどう分からないのかをその人の立場になって考え、理解し、そして分かりやすく説明してくれるからだ。
 だから僕は、どれだけ考えても本当に分からない問題があった時は、成瀬さんに教えてもらうようにしている。もちろん、そんなに頻繁に彼女を頼ってるわけではないけど、課題の問題集と一緒に配られた解説がザックリとしか書かれていなくて、どうしても理解できない部分が出てくる。
 ただ僕が成瀬さんに教えを乞う際に、成瀬さんは自分の勉強を中断して教えてくれるので、そのたびに僕は申し訳なくなる。成瀬さんは、
「そんなの全然気にしなくてもいいよ。私自身の復習にもなってるからさ」
と笑顔で許容してくれるが、少しでも成瀬さんに頼らなくてもいいようにしたいと思っている。
 もしかしたらこのことが、僕が勉強を続けられている一番の要因かもしれない。