「じゃあ、いってくるわね」
「うん、いってらっしゃい」
「啓も気をつけていってくるのよ。出るときは鍵かけ忘れないようにね」
「…うん」
 リビングから仕事に行く母さんを送り出し、僕も外出するための身支度を始める。
 洗顔と歯磨きを済ませ、母さんが用意してくれていた朝食を食べた後、寝巻を脱いで、半袖に胸ポケットがついているだけの白Tシャツと黒のジーンズを装着する。エアコンとテレビを切って玄関へ向かい、用意していたリュックサックを背負って靴を履いて、立ち上がってから一つ深呼吸をはさむ。背後からは、リビングからもれ出た冷気が僕の背中を後押ししてくれている。
 覚悟を決めて扉を押し開いたと同時に、真夏の強い日差しと外界からの暖気が寒さを求めて一気になだれ込んできた。
 扉を開いたまま、僕は少しの間、暖流と寒流に挟まれた魚の気分を味わっていた。
 そんなことをしていても仕方がないので、僕は歩を進め外に出て、扉に鍵をかけた。それから自転車のサドルにまたがり、砂漠のような住宅街の中を進みだした。
 着ていた服にはたちまち模様が浮かび上がってきて、それが徐々に範囲を拡大させていく。ジーンズと地肌との間には汗がたまり、足を動かすたびにヌメヌメと奇妙な不快感を与えてくる。
今身にまとっているものすべて脱ぎ去りたいという気持ちを抑えながら、暑さと雑音の中を僕はただひたすらにペダルをけり続けた。
 そんな葛藤を繰り返しながら約十分、住宅街を抜けた僕の視界には田畑が広がってきて、その中にポツンと、クリーム色の大きな建物が見える。あそこが僕のゴールだ。
 僕は建物の駐輪場に自転車を止め、顔ににじみ出た汗をある程度服でぬぐってから、入り口の二つの自動ドアをくぐった。
 中に入った瞬間、僕の体は心地いい冷気に包まれた。
 外の世界が嘘だったかのようにここは涼しく、静かな空間だ。周りをみわたすと、たくさんの本棚に数えきれないほどの本が並べられている。それと木でできた大きめのテーブルが縦に三つ、それが四列あり各テーブルには椅子が六つずつ備えられている。
 僕は図書館に来ていた。
 夏休みにもかかわらず、利用客はさほど見当たらない。
 僕はテーブルと本棚の間を通り抜け奥へと進み、一番奥の壁面に備え付けられているカウンター型の横長いプラスチックの机と、その前に十席ほど座鎮する椅子の一番左端の席に腰掛けてリュックサックを下した。
 服にしみこんでいた汗が冷気によって冷やされ少し寒くなってきたが、それも段々と乾いてきて、快適な時間を取り戻した。
 僕はリュックサックから筆記用具と問題集を取り出し、夏休みの課題にとりかかった。
 どれくらいの時間が経過しただろうか。
 僕の体感時間では二時間ほど、でもおそらく実際は三十分も経っていないであろう時に、背後に人の気配を感じた。
 僕は手を止めて視線を問題文からそちらへ移すと、膝より少し上までの長さをした灰色スカートの中に、袖まくりした長そでのデニムをいれて、白いスニーカーと黒リボンのついた麦わら帽子を装備した女性が微笑みながら立っていた。