「あっ、いや、友達と…ってことじゃなくて、家族とかの予定のことだよ、もちろん!」
 その言葉に僕は自分の勘違いに気恥しくなり、少しだけ顔が熱くなった。
「今のところは家族での予定は特にないよ。母さんも最近、また仕事が忙しくなってきてるみたいだから。多分、どこかに出かけてる余裕はないだろね」
「そうなんだ、………」
 成瀬さんはまだ僕に何か訊こうとしたけど、それをぐっと飲み込んだように見えた。
「どうしたの?」
「ん? 何でもないよ」
 呑み込んだ言葉をすぐに消化した成瀬さんは、何事もなかったかのように笑顔をみせる。
「まぁとりあえず、山野くんは暇な日ばっかりってことだね」
「なんか悪意のあるように聞こえるけど、僕は別に、暇ではないよ」
「じゃあ何するの?」
「夏休みの課題を終わらせたり、受験に向けて勉強したり、読書したり、テレビ見たり。もう大変だよ」
「…山野くん、それを予定とは言わないよ」
情けないものを見るかのように、成瀬さんは眉尻を下げて僕を見てくる。
「でも、たしかに勉強はしないといけないよね。進学を考えてる人にとっては高校二年生の夏は大事な時期だしね。…てか、山野くん、進路はどうするの?」
「一応、進学を考えてるよ」
「へぇ、じゃあ就きたい職業とかは決まってるの?」
「それはまだだよ。今のところは、とりあえず勉強して、少しでも学費を抑えれるように国公立の大学に進学したい、くらいの考えだよ」
「まぁそういうのを見つけるのは、大学に入ってからでも遅くないしね」
 こんなことを言いながらも、成瀬さんは現時点ですでに自分の将来を見据えていることを僕は知っている。
「成瀬さんは、夏休みはなにするの」
 僕は、僕の未来の話から話題をそらしたくて、成瀬さんに尋ねた。
「あはは、かくいう私も勉強漬けの日々を送ると思うよ」
 成瀬さんは笑って答えた。
 僕たちは駅に着いて、五分ほど待ってやってきた電車に乗った。車内は冷房が効いていて、体にたまった熱を分散させていってくれた。
「でもね山野くん、勉強ももちろん大事なんだけど、私、この夏に一度だけでいいから出かけたい。行ってみたい場所があるの」
 座席に並んで腰掛け、正面の車窓から流れゆく自然をながめながら成瀬さんがつぶやいた。
「行きたい場所?」
「そう。………私ね、海を見てみたいの」
 そんな成瀬さんの瞳に反映されている憧れのような思いを、僕は感じとった。
「見たことないの?」
「もちろん写真とか映像では見たことあるよ。でも…、実物は見たことがないの」
 僕たちが暮らしているこの地域は、半径約五キロメートルの周囲が山に囲まれており、高台に上っても海が見えない。さらに一番近くの海岸に行くのでも、バスと電車を乗り継いで片道約一時間半の道のりを進む必要があるので、よっぽどの海好き以外、この地域に暮らす大半の人間は実際にその目で海を見たことがないだろう。
 ただ、僕は母方の祖父母が暮らす家が海岸の近くにあるので、帰省するたびに海を目にしていた。だから、別に海に行きたいとは思わない。
 それでも、成瀬さんが今から言おうとしているセリフが読めた僕は、間違いなく海に行くことになるんだろうなと思った。
「だから山野くん、夏休み、私と一緒に海を見に行こ」
「……一応、念のために訊くけど、なんで?」
「もちろん、山野くんの生きる理由を探しに、だよ」
 もうこの言葉と笑顔にはすっかり慣れた。
「…まぁ、一日だけなら」
「はやく見つかるといいね、生きる理由!」
 それから一週間が過ぎ、僕たちは夏休みを迎えた。