「そんな時間は私たちにとっては実在していない時間だよ。でもね、実際にその時を過ごしてる人たちにとっては、それは紛れもなく実在している時間なの」
「……………」
「そしてそれは、私と山野くんも同じこと」
「僕たちも?」
「そう、私たちも今、『本物の時間』を生み出しているの。ほかの誰にも見えていなくても、私と山野くんの中に、この時間は必ず実在しているの」
 それから成瀬さんは赤子のように無邪気な笑顔をみせて、僕に問いかけてきた。
「これって、とても素敵なことだと思わない?」
 僕は不覚にもドキッとしてしまった。それは今の話が心に響いたからなのか、それとも目の前の艶美な女性の笑顔に魅了されたからなのかは分からない。分かりたくもない。
「……成瀬さんは意外とロマンチストなんだね」
「えへへ、そうかな」
 薄く頬を紅潮させた成瀬さんが窓を全開にすると、風に耐えきれなくなったルーズリーフが机の上からひらひらと舞い落ちた。。
「まぁ結局、時間の感じ方を主観的にとらえるか客観的にとらえるかの違いだと思うし、多分、この世のほとんどの人は客観的にとらえているはずだよ。もちろん、僕もね」
「もー、山野くんは考えが現実的すぎるよ」
「でも、まぁ」
「?」
「あるといいね、『本物の時間』」
「絶対にあるよ」
 予鈴のチャイムが鳴り、成瀬さんは席へ帰っていった。
──絶対にあるよ
 そう言っていた成瀬さんの目は、寸分の疑いも持っていないようだった。
 これまで僕は、成瀬さんはどちらかというとリアリスティックな人間だと思っていた。特に根拠があるわけではなかったけど、頭が良くて医師を目指しているような人だから、てっきり現実だけをみて生きてきたんだと、僕は勝手に成瀬さんのことをそう評価してしまっていた。
 でもそれは違った。
 成瀬さんのことを知れば知るほど、僕の中にいた『成瀬さん花菜』は形を変えていった。
 泣き虫で空想的で、頭はいいのに私生活においてはどこか抜けている部分があって、犬が大好きなのに触ろうとすると吠えられて、歌は意外とうまくてボーリングは下手で、でも、自分が苦手なことからは決して背を向けずに克服しようとして、自分の信念や目標をしっかりもっていて……。