気づけば僕の弁当はすでに空っぽになっていた。少し教室内の温度が高くなった気がしたので少し窓を開けると、初夏の風にのせられてきたさわやかな新緑の香りが僕の鼻腔を突き抜けた。
「それでね、ひとつ面白い考えが浮かんだの」
 成瀬さんも食事を終えて弁当箱をカバンにしまい込んでから、右手の人差し指をたてて、「これはあくまで私の仮説なんだけど…」と前置きを言って話し始めた。
「この考え方って、『時間』って概念にも当てはめることができるんじゃないかなって思うの」
「時間?」
「うん。例えば山野くんは昨日の夜、何してた?」
「自分の部屋で読書してたよ」
「あー、山野くん、来週テストなのにー」
「……いいから続けなよ」
「あはは。そう、それでね……」
 そう言って成瀬さんはカバンから白紙のルーズリーフとペンを取り出し、説明図を描きながら話を再開する。
「山野くんは『昨日の夜に自分の部屋で読書』をしていた。これは山野くんにとっては、まぎれもなく実在していた時間だよね?」
「そうだね」
「でも、私にとっては違うの。私の中には『山野くんが昨夜自室で読書』したっていう時間は実在していないものなの。だって私はその場にいたわけでもないし、この目で山野くんが読書していた姿を見たわけでもないから」
「でもその考えだと、成瀬さんに限らず、僕以外の誰の中にも実在してないものってことになると思うんだけど」
「そうだね。確かに『その時間』はこの世界の誰の中にも実在していない時間だよ。でも山野くんの中には実在している。いわばその時間は、私たちにとっては実在しない『透明の時間』で山野くんにとっては『本物の時間』ってことなんだよ」
「……それってかなり当たり前の事なんじゃない?」
 成瀬さんが話している内容は理解できたが、そのうえでの僕の感想だ。
「あはは、それを言われると反論は難しいんだけど」
「それに、成瀬さんが言う『透明の時間』や『本物の時間』があるとしても、『本物の時間』がその当事者にしか実在しないものだとしたら、この世界はほとんどが『透明な時間』だらけになっちゃうけど」
「そう、そうなんだよ。たしかにこの世界は『透明な時間』であふれている」
 穏やかな口調になった成瀬さんは、ペンを置いて空に視線を移した。その姿は、雲一つない晴れ渡った一面のコバルトブルーに何かを重ね合わせているようだった。
「今、この瞬間も、私たちの知らないところで『透明な時間』が生まれては消え続けている。読書してる時間や仕事してる時間、寝ている時間、それに恋人と過ごしてる時間、とかね」
 成瀬さんは再び僕を見る。