窓の外の景色は、春らしい青空だ。
シーンと静まり返った家の中の空気を1発にして破ったのは、怜だった。


「早くしろよ。朝が1番いいんだからな」


「はいはい・・・・・・」


家族達は、まだ下で寝ている。
起きているのは私達だけだ。て言っても、怜は起きていると言っていいのか分からないけど。


一応、昨日下見として学校から帰る時、ハルトに聞いて確認しておいた。

怜の事をまだ受け入れていないというのに、私は何をしているんだろう。という疑問が浮かんでくる。

まあ、悪いやつじゃなさそうだからいいけど。

今度こそヘアピンを留めて、家を出た。




交通手段は自転車だ。
1駅くらい離れた場所にあり、道も狭く通りにくいという理由だった。

もちろん選んだのは怜だ。


『バカか?徒歩じゃ俺もめんどいんだよ』


歩かないくせに何言ってんだかと思ったが、スマホで見るとかなりの距離がある。

という事だ。

最初に、コンビニでスポーツドリンクを買ってから、自転車をゆっくり漕ぎ始めた。


「おっせーよ。もっと早く漕げないわけ?」


何もしていない立場だが、ちゃっかり文句を言う怜。


「怜が重いんじゃない?」


ちょっとしたボケなのかツッコミなのか分からない事を口に出した。


しばらくして、幼稚園の青い屋根が見える。
やっと着いた。


「うぉーっ、めっちゃ懐かしいじゃん」


怜が嬉しそうに口元を歪ませた。


「・・・・・・ねぇ、懐かしいって事は、やっぱり生きてたって事、なの?」


「さあな。 せっかく幼稚園来たんだからさ、ちょっと見に行こうぜ」


・・・・・・変なやつ。

私に何の説明もなしに私の頭に住み着いて、挙句の果てに、私からの質問を遮るって、どういうことなの?

今まで当たり前に思っていた事が、今になって怒りに変わってくる。

でも、こんなの怜に言ったって、どうせ怜はなんにも言ってくれないんだろうな・・・。

現に私はよく分からない男子について行ってるわけだし。

こんな事を思っている事も気にしない怜は、必死に私を引っ張ろうとしている。

仕方ない、行ってやるか。


「ほー、懐かしいな。あんま変わってねーんだ」


遊具から園舎を見渡して、ニヤニヤしていた。

「中入ってみようぜ」

「は!?ダメだよ、部外者なんだし・・・・・・」

「じゃあ許可取れば良くね?」


軽々しく言う怜に呆れて、私もどうでも良くなった。

門の前に、若い二十代くらいの女の人が花壇に花をやっていた。
ちょうどいい。


「あの・・・・・・すみません、ちょっといいですか」


突然の私登場に若い先生は驚いたようだ。
明らかにオドオドして、どうしたらいいのか分からない、という顔。

自分自身が昔、かなりの人見知りだったおかげで、どんな人見知りの人にも対応出来るようになってしまった。


「な・・・・・・なんでしょうか?あっ、園長にご用ですか?」

「あ、いえ。あの、わがままで申し訳ないんですけど・・・・・・」


見学でもさせてください、そう言うつもりだったが、この人に聞いても分からないだろう。


「あー・・・えっと、篠原先生っていらっしゃいますか?」


篠原先生は、昔からいたらしい三十代前半の先生だ。もう十年くらい経っているという事は、四十何歳かだ。
もしかしたら、もうこの幼稚園を辞めているかもしれない。


「あ、篠原先生でしたら、呼んできますね」


若い先生は、園舎にある職員室らしき所に入っていってそして中から、優しい、昔と変わらない篠原先生がいた。


「篠原先生!」
「篠原先生!」


私と誰かの声が重なった。
怜だった。

あっ・・・・・・と照れくさそうに赤面して、怜はそっぽを向いてしまった。


「あら!?もしかして李依ちゃん!?わぁー、すごいお姉さんになったね!」

「篠原先生こそ、ちょっと雰囲気変わったよね」

「ちょっと〜それ、どういう意味かしら〜?」

ムッとしたと思えば、その後二人で吹き出して大笑いした。


「・・・・・・んだよ、お前が会いに来たんじゃないだろ・・・・・・」


げっ・・・・・・怜め、いい所だったのに・・・・・・。


「え?今の、怜君?」

「え!?えっと・・・・・・その、怜、は今私の頭の中に・・・・・・」


あ、しまった・・・・・・。余計な事を言ってしまった・・・・・・。


「怜君よね?そこにいるの?」


え?まさか、ナギが見えてる、の・・・・・・?
ううん、聞こえてる?

怜の声が?

そんな事、あるはずない。
だって怜は、私の頭の中にいて、そんなの絶対見えるはずもない。


「怜君も久しぶりね。声、どっかから聞こえてるよ」


「先生、怜の声、聞こえるの?」


「うん、ぼんやりとね」


篠原先生は、にっこりと小さく微笑んだ。
私は、ただただ呆然としているだけだった。怜は・・・・・・。

怜も呆然としていた。

自分自身、何が起きているか、分かっていないのだろう。


しばらくの沈黙が流れた。

数分ずっと黙っていると、園児達が「センセーあそぼー!」と、篠原先生の脚に抱きついた。
篠原先生は、少し申し訳なさそうな顔をして、


「ごめんね、良かったらまた遊びに来て」


明らかに忙しい時間帯に来たのだ。
仕事の方が大事なのはわかり切っている。

篠原先生が園児達の手を繋いで、門をくぐるのを見送ってから、怜に帰ろう、と言って自転車の鍵を取り出そうとした。


その時だった。


まるで頭上に雷が落ちたような激痛が、頭全体に走った。
立てないような痛みに目眩。

私は、意識が朦朧とする中、その場にうずくまった。

いきなりの事態に、何が起きているのか、さっぱり分からなかった。

一度気持ちを落ち着かせ、「大丈夫、大丈夫だから」と自分に言い聞かせ、閉じていた目を開いた。


「おい、李依、しっかりしろ!」


目の前にあったのは・・・・・・。
つり目に、高い鼻。
くせっ毛気味の髪。そして、良く頭の中で見かける顔・・・・・・。



え?怜!?



「え!?なんで怜がいるの!?何、おかしくなっちゃったの!?」


「誰もおかしくなってねぇよ、俺は正常だよ」


私だけが驚いて、びっくりして、あまりのかっこよさにドキドキして・・・・・・。

って、私何言ってんだ!?


「李依、ちょっと待ってて。俺、行かなきゃ」


へ?どこに!?

怜はいつもと同じく冷静沈着な口の聞き方のまま、私の頭を優しく撫でた。

ほんの少し残る怜の手の温もりが、芯から感じる。


あいつ、今、私に何したんだ・・・・・・?

なんか、撫でられた気がするんですけど・・・・・・?


ほとんど放心状態の私を残して、怜はスニーカーのかかとを整えて、園舎まで走っていってしまった。
今まで固く握っていた手を、ゆっくりと開いてみる。

テストの時、時間が間に合わなかった時のように手汗でぐっちょり濡れていた。

な、怜はどこに行ったの?

急いで怜のもとを追いかけた。


「篠原先生、俺、また会いに来たんだ」


「・・・・・・うそ・・・・・・怜君、ほんとに会いに来てくれたの・・・・・・?」


篠原先生、泣いてる!?
ま、まさか・・・・・・。あいつ、先生に何したんだ!?

私は木の後ろに隠れて、二人を覗いた。
まるで、生き別れの親子みたい・・・・・・。

なんて、一人で想像してしまう。


「俺、もう行く」


怜は、篠原先生に別れを告げるように、篠原先生にふわりと笑顔を作った。
怜と篠原先生の関係で何かあったのかな・・・・・・。


その時。


ズキッとさっき起きた頭痛が、また繰り返して起こる。木に寄りかかって、地面に手をついた。

確か、前にもこんな事があったような・・・。


「おい、何してんだよ。大丈夫か?」


怜の声が聞こえた瞬間に、目に飛び込んできた世界は、園児の声が聞こえる、平和な世界だった。