俺は口元まで持っていっていたスプーンを下げて、小首をかしげた。
「なんのことだよ」
「ばーかおまえ。放課後、男女が2人きりで秘密の逢瀬……なんてやってたら、考えられることは1つだろ。俺には劣るが、おまえもそこそこ悪くない顔だ。ま、襲われねえように気をつけるんだな」
「あのなあ。なんかたぶん、そういうのとちがうと思うよ」
「ふーん。んじゃ俺、部屋戻って作業するわ。お前は勉強しっかりやれよ」
「興味なくすとすぐテンション下がる……」
兄はイスから立ち上がると、きれいになった食器類を重ねてシンクまで持っていく。洗いものは俺の担当だ。さっさと食器類を片付けて、風呂からあがったら、明日の準備にとりかかろう。
『取引をしませんか』
日立さんの目は真剣だった。気があるとかないとか、男女が2人きりとか、そういう浮足立つような雰囲気じゃなかった。
明日から日立さんの絵のモデルを務めることになった俺の胸中は、妙にそわそわしていた。
デッサンのモデルってなにをすればいいのかよくわからない。なにか必要なものがあるのだろうか。あるなら持っていきたいところだけど、知識がないせいでぜんぜん思いつかない。考えれば考えるだけ、俺なんかに務まるだろうかと不安になってくる。
だけど一度引き受けてしまったものは仕方がない。断るのも気が引けるし、やれるだけのことはやろう、とそれだけ決意した。