「いい身体してるなって」
「!?」
思いもよらなかった言葉が返ってきて、俺は図らずも後ずさりした。
「あ……。あの、いえ、大丈夫です。その、変な意味じゃないので」
すん、と胸の内側でなにかが落ちていった。
いい身体と言われて自分の格好を顧みた。胸元には華やかなピンクのリボン。そっと指先でつまむも、すぐに離した。
俺と日立さんとの間で流れているこの微妙な空気の中でだっていい。いますぐにでも服を脱ぎたい。
変な目で見られるだろうけどこの際構わない。うまくいったメイクも惜しくない。さっさと解放されたい──余裕を失いつつある俺をよそに、日立さんはくるりと足の向きを変えた。
「では……」
「あ! ちょ、ちょっと待って!」
教室から出ていこうとする日立さんを、俺は慌てて呼び止めた。
「この格好のこと、その……だれにも言わないんでほしいんだ」
クラスメイトの男子が一目のつかない場所で女装をキメこみ、あろうことか自撮りまでしている、なんてゴシップをバラまかれたりしたら大変だ。その翌日から俺の姿を学校で見かける者はいなくなる。
その事態だけはなんとしても避けたい。
日立さんはぼうっとした顔つきで、なかば小首をかしげるように曖昧に返事をした。
「はい……。大丈夫です」
「……そ、っか。それならいいん──」
「言われたくないんですか」
小声でもぞっとするような迫力だった。いやな予感というやつが俺の脳を支配する。
日立さんは、低いところから俺を見上げてこう言った。
「あの、じゃあ若嶋さん」
「は、はい!」
「取引をしませんか」
──と……とりひき?
「私は、あなたが特殊な性癖の持ち主であることを黙ってます」
「え、ちょ、いや、それは誤か」
「その代わりあなたの身体を私にください」
芯のしっかりした声色だった。日立さんはスケッチブックを強く抱きしめて、続けた。
「……っ、え?」
「デッサンさせてほしいんです。私の、絵の──モデルになっていただけませんか」
うららかな春の風が、夕焼けのとけた窓から吹きこんでくる。
俺は、教室で静かに息をのんだ。
初めて見た。
ずいぶんと長いスカートと、前髪とが春風になびいて、ふわりと舞う。
彼女の瞳は思ったよりずっと大きくて──力強かった。